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異説西遊記  作者: 圓堂
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第二話

  

 

  普段はぬけるような青空と七色の雲のもと、穏やかに佇んでいるはずの金闕雲宮が、この日は暗雲に包まれていた。

 四天師を初め、李天王とその息子たち、そして道教三神に更には十殿冥王たちが雲宮の上空に集まり、ことの成り行きを見守っている。

 神々が見下ろす先には、少年が一人横たわっている。一見すると少年だが、その強ごわした赤い髪と、かっと見開かれた金色の瞳がただの少年ではないことを物語っている。

 少年は自分の体を縛りつけている、妖しく光る縄を必死に引きちぎろうともがいている。

「無駄だよ」

 上から声が降ってきた。メラメラと燃える火輪に乗った哪吒太子が、勝ち誇ったように少年を見下ろし

「それは縛妖索と言ってね。お前が妖魔である以上絶対に切れはしないよ」

 その横で恵岸行者が、降妖杵をおさめながら辺りを見回した。

「よくもまあ…暴れてくれたものだ」

 かつては磨かれた珊瑚のようにきらびやかだった雲宮の壁はことごとく崩れ、遥かむこうに雲霄殿をのぞむばかりになっている。

 天上においても地上においても最高の神である玉帝の、その住まいである金闕雲宮の一部が破壊されたというだけで、神々にとって事の重大さを認識するのに充分であった。

「何が悪い…」

 少年がもがきながら呻いた。

「天帝に会おうとするのが何故悪い」

「黙れ!痴れ者の猿が!」

 哪吒太子が怒鳴り、少年を縛る縄が更にきつくなる。

「お前がそうやって縛られているのが何よりの証しだということが分からないのか?妖魔ごときが玉帝に拝謁など勘違いも甚だしいぞ!」

「俺は…猿でも妖魔でもねえ…」

 金色の目がギラリと上空をにらみ上げた。

「俺は水簾洞の…孫悟空だあっ!!」

 雷鳴のような大声に辺りの空気がビリビリ震え、真武君はその大きな耳を塞いだ。

 二郎真君が巻雲のような髭をなでながら

「水簾洞…聞いたことがあるぞ。たしか大勢の猿が住むという」

「やはり猿じゃないか。猿め。身の程を思い知らせてやる」

 腰から斬妖刀を抜こうとする哪吒太子の手を恵岸行者が押し止めた。恵岸行者はこちらを鋭く睨んでいる金色の目を見下ろして

「孫悟空、今一度訊ねる。何故玉帝に拝謁したいのだ」

 金色の目がふいとそらされた。

「玉帝は慈悲深いお方だ。まっとうな理由があればお目通りが叶わないわけではない」

 少年はうつむいたまま答えない。

「ええい小癪な猿め!たたっ斬ってやる!」

「哪吒!」

「兄上、こんな猿にまっとうな理由なんてないのです!たとえあったとしてこの金闕雲宮を汚した罪が赦されますか!?」

「冥府の奥底へと永久に閉じ込めてやろう」

 冥王の一人、秦広王が暗い目を見開いて悟空を見下ろす。

「冥府の鬼どもでも怖がるような闇の底に」

 同じく冥王の一人、楚江王が口から黒い息を吐きながらヒッヒと笑う。

「いずれにしろここでとどめをさしてしまいましょう」

 哪吒太子が素早く斬妖刀を抜きはらい、悟空にむかって振り下ろそうとしたとき、「ちと待たれよ」

と新たな声が響いた。

 二度までも邪魔をされ忌々しげに哪吒太子が振り向くと、太上老君の長い影が進み出て

「その猿、わしに預けてくれぬか」

「老子…いかがなさるのです」

 怪訝そうな太子を太上老君の黄色く鋭い目が見返す。

「芸を仕込む」

「えっ」

 太上老君はカラカラと笑って

「いや冗談。ちと思うところがあってな」

「たとえ老子でも、このような大罪を犯した猿を庇いだてすることはできませんよ」

「哪吒」

 憤然とする太子を今度は李天王が制した。

「祖師にお考えがあるのならお任せするがいい」

「しかし父上…」

「よく耳をすませ」

 李天王の言葉に、その場にいた全ての神々が耳をすました。

 歌が聞こえる。

 清らかなせせらぎのような琵琶の音に合わせ、可愛らしい小鳥のような歌声が雲霄殿からかすかに流れてくる。

「共命鳥が歌っている」

 李天王は雲霄殿から太子に目を移し

「玉帝はお怒りになってない。罪のない者を裁けばそれはお前の罪となる」

 太子は唇を噛む。その傍らをふわりと通り過ぎざま太上老君がささやいた。

「ひとつ、一匹の猿の気持ちになってみることだ」

「…どういう意味です」

 眉をしかめる太子に太上老君の背中が答える。

「お主には父がいて兄がいる。…そういうことだ」

 少年のもとに下りてゆく太上老君の様子を、神々は黙って見つめる。

「さあてと」

 悟空のそばに下り立つと、太上老君はその顔を覗き込んだ。

「生きてるか?猿よ」

 悟空はギロリと目をむいて

「猿じゃねえ」

「縛妖索に縛り上げられてもへこたれんとは大した猿だ」

 そう言って太上老君は子犬でも持つようにひょいと悟空をつまみ上げた。

「孫悟空。わしには何故お前が天帝に会いたいのか分かるぞ」

 目の前にそっぽを向いた悟空をぶら下げながら太上老君が言う。

「お前。因縁が欲しいのだろう」

 金色の目と黄色い目がぶつかった。太上老君がニヤリと笑う。

「因縁を欲しがるとは。たしかに妖魔ではないな。どちらかと言えば、人に近い。だがな…」

「俺はあんな弱っちくねえ!」

 悟空をつまんでいた太上老君の手がぱっと離れ、それと同時に天界の柔らかな地面にぽっかりと穴が開き、そこへ悟空は吸い込まれるように落ちてゆく。

「な、何だこりゃ!おい!」

 いつのまにか自由になった手足をじたばたさせて叫ぶ悟空に、小さくなる上空の穴から太上老君が顔をのぞかせて

「だがな悟空よ。因縁とはそう簡単に生まれてくるものじゃない。()()()()()()()()。何百年かかるか分からんが…それまで大人しく待っていろ。というのもお前には無理そうだ」

 そう言うと老君が小さな石ころを穴から落とした。石はヒュルヒュルと落ちながらみるみる大きくなり、あっという間に山一つ分の大岩になると悟空の上へのしかかってきた。

「うわああああああっ」

 悟空は大岩を抱えるようにして地上へと落ちてゆき、やがてはるか下のほうから大きな地響きがあがってくると、あとは元の通り静かになった。

「いつかお前の因縁が生まれてくるまで、そこで大人しくしてろー」

 地上にむかってのんびり呼びかける太上老君に、一緒に穴を覗き込んでいた哪吒太子が呟いた。

「やりすじぎゃないですか…老子」




 それから五百年後、風雨にさらされすっかり周囲の景色に溶け込んだ岩山にむかって、一人の僧侶が近づいていた。

「ああ…どうしよう」

 白竜の背の上で玄奘法師はいまなお呻吟していた。

「いまからでも引き返して謝れば…もしかしたら赦してくれるかも知れないよ白竜」

 前方を見つめる白竜がぶるるっと首を振った。

「…やっぱり駄目かなあ…」

 法師は手綱を握る肩を落とす。

 辺りは所々に小さな農家と畑、その遠くに緑のなだらかな山が連なっているほかは、黄色い一本の道しか伸びていない。いまその道も夕闇のなかにぼんやり沈もうとしていた。

 しかし玄奘法師は、どこかに宿をとることは勿論、休むこともできない。何故なら昼間は追手の目を逃れるために山のなかに身を隠し、陽も傾きかけた頃になってようやく山から出てきたのだ。

「追われる身というのは…辛いものだね…」

 夕陽はすっかり山の向こうへ姿を消し、ポツポツと農家の窓に小さな明かりが灯っている。

 ふと、白竜の白い背がぼんやり輝いているのに気づき目をやると、東の空に欠けた月が昇っていた。

 藍色の空に冷え冷えと輝く姿をながめながら、玄奘法師は白竜に語りかける。

「太陽は暖かい…でも私は月の静かな光も好きだよ。それに…あの寂しげな姿を見ていると、いつも誰かを思い出せそうな気持ちになるんだ」

 主人の話を聞いているのかいないのか、白竜はただ頭を振りながらゆっくりと歩いてゆく。そんな愛馬に歩みを任せ、道筋を朧に照らす月の姿を法師は飽くことなく眺め続けた。

 





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