第十八話
「で、結局、河は涸れたままなわけだけど」
親子喧嘩の跡である巨大な池の傍らに座り、一行はその西陽に輝く水面を眺めていた。
「すんません」悟浄が低く謝る。その顔には竜王に殴られた痣が残っている。
「昔っからああなんですあの頑固親父…いつも二言めには決まりだの掟だの言って…何の人の役にも立てないで…」
「ひょっとして…縁を切るなんてことになったのもそれが原因なんですか?」
悟浄は小さく笑って金色の水面に目を細める。
「守りたいものを守れなかった…その八つ当たりだったのかもしれないんですけどね」
「何でだよ!!」
悟浄は父親に食ってかかった。
「言うまでもないことだ。人が竜玉を持つなど言語道断だ」
「あのこは可哀そうなこなんだ!疫病で家族を皆亡くして…自分も病に侵されて村を追いだされて…河に身投げまでしようとして…」
「ならばなおのことだ。あの娘の体には悪い水が入り込んでいる。たとえ竜玉の力で病を抑えられたとしても治すことはできん。それにあの玉は人が長く持っていていいものではない。その強い力のためにどんな災いを引き寄せないとも限らん」
「だから…」悟浄が唇を噛む。
「だから竜玉を取り上げろって言うのか」
「…それがあの娘のためだ」
「ふざけるな!!」
「沙羅…沙羅!」
岩壁に穿たれたいくつもの洞穴の一つで、悟浄はようやく少女の姿を見つけた。
「沙羅…」
「来ないで!」
洞穴に鋭く響いた声に悟浄は慄く。
「沙羅…」
「見られたくない…もう…崩れ始めてる…」
「竜玉は…竜玉をどこへやった」
「もういいの…ここで…一人で死なせて…」
「沙羅!竜玉をどこへやった!」
穴の奥からは荒い息遣いとすえた臭いが漂ってくる。堪らず足を踏み入れようとした悟浄にまた沙羅が叫んだ。
「来ないで!お願い…!」
悟浄が倒れ込み両手をつく。
「頼む…沙羅…竜玉が無ければ…俺はお前に何もしてやれない…」
声を震わせ、拳を握る悟浄に沙羅が微笑む気配があった。
「ねえ悟浄…生まれ変わりって信じる?私…ここでいろいろ考えてたの…もし生まれ変わって…また悟浄に出会うとしたら…そのときは死のうとしてる私じゃなく…精一杯生きてる私と出会って欲しいなって…。そんなこと考えてたら…何だか怖くなくなってきて」
「沙羅っ竜玉を…!」
「ありがとう悟浄…最後にあなたに会えてよかった。悟浄のお陰で…一人でも死んでいける…ありがとう…」
「沙羅あああっ!!」
悟浄は金色の流れを見下ろす崖の上に立っていた。手には淡い緑色の竜玉が握られている。
竜玉が隠されていたその場所は、沙羅が最初に身を投げようとした場所であり、二人が初めて出会った場所だった。
竜玉を壊すために振り上げた拳を、震わせたまま悟浄は座り込んだ。
「竜玉を娘の亡骸とともに流しただと!」
悟浄が低く呟く。
「あんたが竜玉の気配を隠さなければすぐに在り処を見つけられたんだ…そしたら…」
「世迷言はやめんか!!」
雷鳴のような怒声が響く。
「我が一族の証しである竜玉を捨てるとはどういうことか分かっているんだろうな」
悟浄の暗い目が竜王を見据える。
「出ていくよ。もううんざりだ…何が一族だ…何が竜王だ」
「…出ていけ。もはや親でもなければ子でもない!」
池の水が夕べの風に静かに波立っている。
「とまあ、よくあると言えばよくある親子喧嘩なんすけどね」
照れたように頭をかく悟浄の手を玄奘法師と小鈴が握った。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「師としていままで気づいてやれなかった私を許してください悟浄!生者必滅会者定離、愛別離苦怨憎会苦…誰しも何らかの苦しみを抱えて生きているものなんですね!」
「な、何かよく分かんないけどありがとうございます」
「私も誤解してたわ悟浄!軽佻浮薄で品性下劣でどうしようもない奴だと思ってたけど、そんな辛い過去があったなんて!」
「な、何かすっごく傷ついたけどありがとう」
それまで神妙にしていた悟空と八戒がはっと我に返る。
「すまん…思わずオチを探してしまった」
「ええ!?そういうお話じゃなかったの!?」
「…もういいよ。お前らに話した俺が馬鹿だった」
「ところで悟浄、それってどれくらい前のお話なの」
「もう…三百年くらい経つかなあ」
「三百年!?気のなげえ話だな」
「五百年間閉じ込められてたあんたが言うな」
「三百年も…」法師は西陽に目を細める。
「三百年も…沙羅さんが生まれ変わるのを待ち続けてきたんですね」
「そんな…大したもんじゃないんですよ、やだな恥ずかしーっ!」
照れた悟浄が白竜の首にしがみついた。白竜が迷惑気に鼻を鳴らす。
「正直…」悟浄が白竜の首を撫でながら
「ほんとはもうどこかで諦めてるのかもしれません。ただ…自分が生きるためにそのことにしがみついてるだけで…何か浅ましいですよね俺」
「いいえ」玄奘法師がまっすぐに悟浄を見る。
「信じ続けることは強さです。浅ましくなんかありません」
悟浄は笑って白竜のたてがみに顔をうずめると小さく言った。
「ありがとうございます…お師匠さま」
その晩一行は、村長があてがってくれた崩れかけた小屋で夜を過ごすことになった。
「村を救ってやったってのにこんなボロ屋に泊まらせやがって」
「でも、料理はおいしいよ」
くさる悟空に饅頭を食べながら八戒が言う。
「ずっと河が涸れてたから村の人たちも余裕がないのよ」
「…明日」隅で寝転がっている悟浄が言った。
「もう一度親父に頼んでみるよ。今度は頭下げてでも」
「悟浄…」
法師たちが悟浄を見つめる。
「よっぽどばあちゃんたちに囲まれたのが嬉しかったんだな」
「何で?何でそうなるの!?」
一行が寝静まった頃、玄奘法師を訪ねてきた人物があった。
「玄奘法師殿…」
法師が目を開けると、暗がりのなかに中年の男が立っている。ぼんやりとその男の細長い髭を眺めていた法師は、ようやくはっとした。
「もしや…総海竜王さま…?」
「愚息がお世話になっております」
深々と頭を下げる相手に法師も「いえこちらこそ」と慌ててお辞儀をする。
「昼間はとんだお見苦しいところを…」
「いえ」法師は微笑む。
「親子仲がよろしくて羨ましいです。私は両親の顔も知らないので」
竜王は悟浄によく似た垂れ目の、しかし鋭い目で法師を見つめていたがやがてため息をつき
「あれは軽佻浮薄でお調子者でどうしようもない奴です。貴殿のお供が務まるかどうか分かりませんが…何卒お側に置いてこき使ってやってください」
そう言ってまた頭を下げる竜王に慌てて頭を下げた法師が「あのう」と訊ねた。
「このことを悟浄には…」
「ぜっっったいに話さないでください」
「では、せめて悟浄に何か一言だけでも」
「あれに話すことなどなんっっにもありません。では、失礼」
踵を返した竜王はしばらくためらっていたが、背を向けたまま法師に言った。
「ひとつ…どうでもいいことですが十数年前からあれの竜玉の気配を感じます」
「そ、それは…」
「いえ、ただ感じるというだけではっきりとしたことは…どうせあの馬鹿は気づいていないでしょうから」
小さく頭を下げると竜王の姿はかき消えた。それと同時に法師は大きく体を揺すられ目を覚また。
八戒が大きな目で覗き込んでいる。
「お師匠さま…よかった起きた」
体を起こしつつ見回すと、小屋には八戒の姿しかない。
「いままで涸れた河の下に隠れてた蟹さんや海老さんや鯰さんが悟浄を訪ねてきて…皆外にいるよ」
小屋を出ると東の空が白く染まっていた。涸れた河床に悟浄と悟空が立っていて、その足元には小さな蟹や海老や魚がたくさん集まっている。悟浄がうんざりした声で
「だーかーら、俺には河の流れを元に戻すことなんてできないの」
「だってあんた、総海竜王の息子なんでしょ」
蟹の一匹がハサミを振り上げ言う。
「そうだ、私たちゃ昨日の騒ぎをずーっと岩場の影から見てたんだよ。えらい騒ぎだった」
「じゃあ超絶的に仲が悪いのも分かってんだろ」
抗議する海老に欠伸まじりに悟空が返す。
「竜王の一族なら河に棲む生き物を守る義務があるはずです!私たちは多くを望んでいるわけではない!ただ魚らしい生活がしたいだけです!」
鮒が口をパクパクさせ必死に訴える。
「お、来たな」
悟空がひょいと河岸に飛び上がり、河の生き物たちをニヤリと見下ろした。
「ただ河に棲んでるだけがお前ららしい生き方じゃねえだろ?」
「みんなーこっちよー!」
村の方向から小鈴に率いられた村人たちが群れをなして押し寄せてくる。それぞれの手には網や魚籠が握られている。
「蟹だ!海老だ!」
「久しぶりの河の幸だ!」
目の色を変えて駆けてくる村人のなかには八戒の姿もある。河の生き物たちはとたんに怯えだした。
「人でなし!私たちを売ったのね!」
「それでも竜王の一族か!」
「すんません俺、縁切られてるんで」
「鰐にでも食われろこの冷血動物!」
生き物たちは我先に泥のなかに逃げ込む。
「待て」河床に下りようとした村人たちを悟空が如意棒で止めた。遠くから地響きのような音が近づいてくる。やがてそれは本物の地響きとなって大地と大気の両方を震わせながら迫ってきた。悟空がはっとして声を上げる。
「悟浄!」
悟浄が顔を上げるのと濁流の壁がぶつかるのが同時だった。渇ききっていた河床に水が巨大な竜のようにうねりながら駆け抜けてゆく。村人たちは持っていた網を放り投げ歓声を上げた。
「河が!水が!」
「流れが戻ってきた!」
はしゃぐ村人たちから離れ、悟空たちは黙って猛る流れを見つめていた。
「悟浄…アホだが悪い奴じゃなかった…」
悟空の足を濡れた手がつかんだ。
「へへ…俺の水泳技術を舐めんなよ」
ずぶ濡れになった悟浄が河から這い上がってくる。
「…案の定生きてたか」
「死ぬわけないと思ったわよ。竜王の息子だものね」
「竜王の息子だもんね」
「…微妙に腹立たしい」
「しっかし」岸に上がった悟浄は喘ぎながら
「殺す気かあの馬鹿親父…急に流れを戻しやがって」
「きっと悟浄の願いを聞き入れてくれたんですよ」
白竜を連れた玄奘法師がやってきて悟浄の傍らに立った。
「父君が教えてくれました。十数年前から悟浄の竜玉の気配を感じると」
悟浄が目を見開く。東の空に朝陽が昇り、飛沫を上げる流れの上に虹がかかった。法師が目を細めて
「いい父君ですね」
さっそく河岸で網を投げたり水浴びしたりしている村人たちを眺め、悟浄は小さく笑う。
「どうですかね」
そして突然駆け出すと悟空と八戒の首を抱え込み河のなかへと飛び込んだ。
西への回廊から大きく外れ、荒野をさまよっている四人組がいた。
「迷ったんだな」
琉がため息をつく。
「迷ったんだね」
外見にそぐわない大人びた声で瑰が言う。珪は必死に辺りを見回し
「たしかにあの店の主人はこっちだと言ったんだ!お前たちも聞いただろ!」
大男と少年は顔を見合わせる。
「珪」
むきになって進もうとする青年を珊の静かな声が呼び止めた。珊は反対を指さし
「たぶん向こうよ。この宝玉がそう教えてくれてる気がする」
その手には淡い緑色の玉が握られている。琉が珪の肩に手をかけ
「どうする?俺は土産物屋の親父の言葉より珊の玉のほうを信じるけどな」
「僕も」
珪はしばらく唸っていたがやがて肩を落とし
「分かった…珊が生まれたときから持っていた宝玉だ。そっちを信じよう」
珊は微笑み、緑色に輝く玉をそっと撫でた。正しい方向を得た四人は、再び西へ向けて歩み出した。




