第十四話
それは毎月、満月の晩に開かれる。
月光の下、平原に異形の者たちが満ちていた。
「そういえば、聞いたかあの噂」
頭は熊、体は人間の阿王の兵士が杯を傾けながら言った。向かい合ってやはり杯を傾けていた牾王の兵士が牛の頭を上げて訊く。
「何をだ」
「食らえば不死を得るという僧の話だ」
牾王の兵は手を止めた。
「ほう…そいつは…」
「何でも唐の長安を出奔した玄奘法師とかいうぼっ…」
相手は頭を殴られ前のめりに倒れ込んだ。
「悪いな、こいつは酔うとでたらめばっかしゃべるんだよ」
阿王の兵士はそう言って仲間を引きずってゆく。牾王の兵士は黙ってそれを眺めていたが、やがて周囲に目を向けた。辺りでは阿王と牾王の兵士たちが楽し気にそこかしこで酒を酌み交わしている。その輪とは別に迢王の兵たちが仲間だけで嘴を突き合わせ陰気に呑んでいる。兵士は傍らの切り立った岩山を見上げた。岩山は月に刺さるように高くそびえている。
「阿王の耳にも入ってるとなると…こいつは面倒なことになりそうだ」
兵士はそう呟いて杯をあおった。
岩山の頂では月を間近に眺めながら四人の男が酒宴を営んでいた。
「おい冴侶、獣王はどうした」
阿王勇羆が酒に濡れた顎髭をぬぐい訊ねた。対面する冴侶は杯をすするように傾けながら静かに答える。
「千蓉婦人が来ないと聞いてふて寝している」
「かってなもんだな」牾王吾岌がその低い鼻を鳴らした。
「満月の晩、俺たちがこうして集まることを決めたのはあいつだろ。その本人が出てこないたあどういうことだ」
「恐らく」冴侶が薄灰緑の鋭い目で吾岌を見る。
「この集まりも千蓉婦人に会う機会を増やすための口実だろう」
一同の間に白けた空気が漂った。
「ふざけるな!」
それまで黙っていた迢王が突然怒鳴る。
「我らは鳥目だというのに危険を冒して来てやってるんだ…それなのにあの座敷猫めが…!」
「おいおいもう酔っぱらってんのか」
杯を持つ手を震わせている翊甫を勇羆は呆れ顔で見つつ「ときに冴侶」とまた冴侶に話しかけた。
「獣王は…というかお前たちのところに妙な噂は流れてきてるか」
冴侶はちらりと、何気なさを装っている相手を見た。普段自分に対して歯牙にもかけない態度をとっている勇羆が、今夜はやけに話しかけてくるのはこれを確かめたいがゆえだったのだ。
「噂というと…」
冴侶は相手に劣らず何げない様子で訊ねる。
「ふむ…その…唐僧についての噂だが…」
勇羆の隣で吾犖が油断なく二人を見比べている。冴侶は心底驚いたという顔をした。
「唐僧?僧侶が我らと何の関係があるというのだ」
「いや、聞いていないならいい」
「おいおい何かいい話があるんなら俺にも聞かせてくれよ勇ちゃん」
「勇ちゃんはやめろ」
「おい叉王っ獣王を出せ!俺が直々に早贄にしてやる!放せっこの無礼者!」
暴れ出した翊甫を押さえ込む勇羆と吾岌を眺めながら冴侶は考えた。
(阿王も牾王もすでにあの玄奘法師ことを知っている…)
それはつまり祁連から天山山脈一帯にかけての妖魔たちがすでに知っているということだ。
冴侶は改めて咀鉄たち一族の情報伝達の速さに、感心するというより呆れる思いだった。
「放せっ!俺に気安く触るな!」
いつしか取っ組み合っている三人を見て、冴侶は一つの考えが浮かびニヤリと笑った。
(玄奘法師を餌にこの連中を争わせるのも面白いかもしれん…)
白い月が、騒ぎ浮かれる獣たちを静かに見つめていた。
土埃舞う西への回廊を、玄奘法師の一行は相変わらずノロノロと進んでいた。
「そんなに気にすることないっすよお師匠さま」
悟浄があえて明るく言う。
「たぶんすぐ戻ってきますよ。きっと腹が減ってどこかで拾い食いか盗み食いでもしてるんですよ。たぶん」
白竜の背で玄奘法師は黙って前を見つめる。
夜が明けても悟空と小鈴の姿が見えず、白竜の誘導によってようやく木の上の小鈴を救い出したが、悟空のほうは見つからずじまいだった。宿でしばらく待ってみたが、日も高くなってから一行は言葉少なに出発した。
「大丈夫ですって」悟浄はなおも言う。
「あいつ俺たちに『兄貴と呼べ』って言ってたんですよ?お師匠さまの弟子やる気満々ですよあのチビ猿」
「悟空ひどい…」八戒がボソリと呟く。
「食べ物探しに行くならおいらも誘ってくれればよかったのに」
「てそっちかよ。あのう…お師匠さま?さっきからやけに静かなのはチビ猿がいないせいだけじゃない気がするんですけど」
玄奘法師ははっとして後ろの頭巾を覗き込んだ。そのなかで小鈴が赤い顔でぐったりとしている。
「小鈴…ひどい熱だ」
「鈴の精でも熱出すんすか?」
法師の手の平の小鈴を悟浄と八戒が覗き込む。
「きっと、一晩中木の上で叫び続けていたせいでしょう…。どこかに水があればいいんですが」
周囲には荒涼とした平地が広がり、人家も川も見当たらない。
「おっと水のことならこの悟浄に任せてくださいよ。八戒」
悟浄はそう言って月牙鎩を地面に突き立てた。すると見る間に小さな泉が湧き出て、八戒がその水を器で受ける。法師は感心して
「すごいですね悟浄…こんな神通力を使えるなんて」
「へへっ水はすぐに涸れちまいますけどね。さあ、早く小鈴に」
八戒から器を受け取り、法師は小鈴の口に水を与えた。小鈴は一口飲んで横を向いた。
「どうです?」
悟浄の問いに法師は青空を見上げる。
「この暑さですし…水だけでは熱を下げるのは難しいですね。どこかに蓮の花でも咲いていればいいんですけど…」
「蓮って…この辺一帯カラッカラですよ?」
そのとき、一行の前を一羽の蝶が通り過ぎた。青い蝶はヒラヒラと優雅に平原を飛んでゆく。小鈴を頭巾に戻すと玄奘法師は手綱を握った。
「あの蝶を追いましょう」
「ええ!?」
「蝶がいるということは、そこに水と花があるはずです。行きましょう」
悟浄と八戒は半信半疑で法師の後に続いた。
青い水をたたえた広い池の上に一面の蓮の花が咲いている。その蓮の花の上を池の水を映したような青い蝶が何羽も飛び交っている。
池の真ん中に建つ小さな可愛らしい屋敷で、一人の美女が欄干にもたれぼんやり池を眺めていた。
と、そこへ蝶が一羽欄干にとまった。初めは見向きもしなかったが、やがて美女は立ち上がって叫んだ。
「何ですって!?」
「姉さん」
振り返ると劼挐と妥媛が丸っこい小男を引きずってきた。
「この男が池の水を盗もうとしていたわ」
「娟々の餌にしていーい?」
妹たちが引きずってきた男を一瞥すると美女は鼻を鳴らした。
「あんたたち、そんなものにかかずらわっている暇はないわよ。あの玄奘法師がこの近くに来ているらしいわ」
妹たちは顔を見合わせる。美女は拳を震わせ
「永遠の命…永遠の美貌がこの手に入るのよ!待ってなさい玄奘法師ー!!」
その声は池を波立たせ、蓮の花をザワザワと揺らした。




