第十三話
「そいつは…本当なんだろうな咀鉄」
暗闇にギラリと目が動く。相手の男も小さな目を光らせながら
「ええ、俺のーいとこの伯父の婿のはとこの母親の弟から伝わってきた話で…」
咀鉄は相手が疑わし気に睨んでいるのに気づき
「や、やだなあ俺が嘘なんてつけないの冴侶さんが一番知ってるじゃないですか」
冴侶は咀鉄から目をそらし上空を見上げた。洞穴の天井に穿たれた穴から、月がわずかに顔を覗かせている。その月の光を浴び、冴侶はわずかに頬を緩める。
「玄奘法師…か」
「ええー!?酒も女の子も駄目なのお!?」
べろんべろんに酔っぱらった悟浄が声を上げる。
「しんどいわあー俺、世を儚んで出家しちゃうかもおってもうしてんのかアハハハあだっ」
小鈴が悟浄の頭を殴りつけた。
「酒臭い息で玄奘さまにからまないでよ!まったく、明日からお酒をやめるって言うから許してやったのに!」
なおも法師にまとわりつく悟浄を小鈴は懸命に引きはがす。
河西回廊沿いの朽ちた隊商宿で夜を明かすことにした一行は、通りすがりの家で恵んでもらった斎でささやかな夕餉を囲んでいた。
肉団子をほおばりながら八戒が言う。
「おいら、お師匠さまの弟子になれてよかった。これからは六斎日でも安心してご飯が食べられるし。どこに行っても誰かがご飯を恵んでくれるし」
「全部ご飯が食べられる喜びなのね」
「ご飯を恵んでくれるのはともかくう、何で女の子までお師匠さまに寄ってくるんすかあ?悟浄妬けちゃうなあ」
「あんたはちょっと離れなさいっ」
悟浄に着物を引っ張られながら、ふと法師は悟空の様子に気づく。
「悟空…どうしたんですか。お腹でも痛いんですか?」
法師の問いに悟空は「いや」と横を向いて干し杏をかじる。
「アハハお師匠さまの手すべすべー」
「いいかげんにしろ!」
小鈴に張り倒された悟浄はそのままいびきをかき始めた。八戒のほうも箸を握ったままうつらうつらしている。法師がその手から箸を外してやっていると、悟空が立ち上がり小鈴を見た。
「小鈴、ちょっと話がある」
小鈴は思いきり疑わしそうな顔をして、それから法師を見た。玄奘法師は微笑んで頷く。しぶしぶと小鈴は悟空の後について外へ出た。
「何よ悟空、まさか怖くて一人じゃトイレに行けないって言うんじゃ…ぎゃあっ!」
突然袋の中に押し込められ小鈴が叫ぶ。
「ちょっと何のマネよ悟空!冗談じゃすまないわよこの馬鹿猿!」
「悪いが」ジタバタ暴れる袋を腰に悟空は近くの一番高い木に登ってゆき、そのてっぺんに袋を結び付けた。
「用が済むまでそこにいてもらうぜ。お前がいると邪魔なんでな」
そう言い残すと小鈴の怒声を頭上に聞きながらスルスルと木から下り、何事もなかったように宿に帰った。一人で戻った悟空を見て法師が訊ねた。
「小鈴はどうしたんですか」
「便所だそーです」
法師はそれ以上訊かなかった。
やがて、焚き付けの火も消え、法師もぐっすりと寝入ったころ、悟空はギロリと金目を見開いた。
「おい…起きろ悟浄」
「う…止めないで春明ちゃん…俺行かなきゃ」
「なに寝ぼけてんだよ、おい八戒起きろ」
「う…悟空…生でばかり食べたら尿結石になっちゃうよ」
「だから寝ぼけんなって…坊さんを担ぐんだ。そっとだぞ」
二人は悟空に追い立てられながら宿を出た。
「おうい悟空…こんな夜中にどこ行くんだ」
月光の下を、まだ酔いのぬけない悟浄と法師を担いだ八戒が寝ながら歩いてゆく。先頭をゆく悟空は前を向いたまま言った。
「坊さんを山に捨てる」
悟浄と八戒は一瞬で目が覚めた。
「捨てるって…何言ってんだ!?そんなむちゃな…」
「大丈夫だ。その坊さんは寝たら最後、最低でも三時間経たねえと何があっても起きねえ」
「便利なのか不便なのか分んない体質だな…てそうじゃなくてだな」
「山に捨てたりしたらお師匠さま野犬とか狼に食べられちゃうよ」
「そう、そうだよ!イタズラにしてもシャレになんないだろ!」
悟空は足を止め二人を振り返った。月明かりに両目がギラリと光る。
「お前ら…本気でこの坊さんにつき合って天竺まで行く気か」
二人が悟空を見返す。
「俺たちには何の関係もない目的のために無理矢理弟子にされて、天竺くんだりまでヘタレ坊主のお供しろなんてことに…本当に納得してんのか」
玄奘法師はゆっくりと目を開いた。
目の前の荒野に三人の人物が立っていた。三人とも頭巾で顔を覆っている。どこか見覚えがある気がして、法師がぼんやり考えていると、一番背の高い人物が口を開いた。
「三人もの妖怪の弟子を持った気分はどうだ玄奘法師」
法師ははっとする。三人の姿がたちまち悟空、悟浄、八戒の姿に変わる。
「玄奘法師よ」声だけがどこからか響いてくる。
「この者たちは人ではない」悟空が如意棒を突き出し、串刺しになるところを法師はかろうじてかわす。
「お主とは生まれも育ちも違えば…」悟浄の月牙鎩の刃が飛んできて法師の手足を傷つけた。
「力も、生きている時間も違う」八戒が玖棘棍を振り下ろし法師は石礫とともに吹き飛ばされた。
「いわば生命の理が違う三人を連れて…お主は天竺まで行く自信があるか」
倒れ込んだ法師は弱々しく三人を見上げる。
「…たしかに私は、三人のことを全く知らなければ師たる資格もありません」
「人の弟子も持ったことがないのに妖怪を弟子にするなんて…身の程も弁えないのも甚だしいですよ…」
寝言を呟く法師の横で三人はのたうち回っていた。
「ぐ…ぐるじい…」
「ヒッヒッフー!」
「なあっお前らだって…毎回こんな目にあうなんてやってらんねえだろっ」
悟空が呻くように言う。
「けど…私は三人を信じます」
三人は法師を見た。
「三人が何者であろうと…私が何者であろうと…私は三人を信じます」
ゆっくりと立ち上がり法師は目の前の三人を見据える。
「信じなければ…一歩も前に進めない。だから私は三人を信じます」
三人はじっと法師を見つめていたが、やがて武器を下ろすともとの頭巾の人物に戻った。
八戒が法師を背負うと来た道を戻り始めた。
「おい八戒!」
悟浄も八戒の後に従う。
「悟浄、いいのかこのまま…」
「俺も…正直しんどいし面倒臭いとも思ってる」
悟浄が悟空を見た。
「でも…信じてくれてる人を裏切るほうがよっぽどしんどいんだわ」
悟空は口をつぐみ、離れてゆく三人の背中を見つめる。
「さてさて」
また一番背の高い人物が口を開いた。
「これは問題だぞ玄奘法師。己が信じたいがゆえ信じたいものを信じたいように信じるか、か」
そこでその人物はニヤリと笑い
「まあ…信じるということがそもそも我儘なものかもしれん」
法師が何か言う間もなく三人の姿は遠くなり、声だけがかすかに聞こえてきた。
「せいぜい信じとおすことだな玄奘法師」
法師はむくりと起き上がり辺りを見回した。側では八戒と悟浄がいびきをかいている。
「…小鈴?…悟空?」
法師はしばらく考え込んでいたが、やがてまた眠り込んだ。外で白竜が小さく鳴いた。
「しっ、静かにしてくれ」
悟空が白竜の首を撫でながらささやく。
「あんな坊さんが主人じゃお前も大変だろうが…元気でな」
白竜がつぶらな瞳で悟空を見つめる。その首を軽く叩くと悟空は觔斗雲に飛び乗り、月の輝く夜空へと小さくなっていった。その姿を白竜は一人見送る。
いま一人、その姿を木立から眺める少年の姿があった。
更にその少年の姿を例の三人が遠目に眺める。
「やれやれ…さすがは孫悟空、簡単に人の弟子にはならんか」
「けど、きっと大丈夫ですよ老子さま」
若い声が太上老君に告げる。
「孫悟空はきっと戻ってきてくれます」
そう言って若者は少年のほうに目を移す。
「あの方には…私たちの姿どころか声さえも届かない…」
一番小柄な人物が寂しげに呟く。若者は少年に強い眼差しを向けて言う。
「大丈夫ですよ。いつかきっと…」
月だけがそれぞれの姿を優しく照らしていた。




