第十二話
「…悟空は大丈夫でしょうか」
玄奘法師は出されたお茶を見つめながら呟いた。
「『俺に任せろ』なんて妙にやる気だったのが逆に怪しいですよね」
ふよふよ浮かびながら小鈴が腕組みする。
「だいたいあの二人、全っ然強そうに見えなかったし」
「でも…」法師は窓の外に目をやり
「もしも弟子が三人もできたら…私ももう弱音を吐いてばかりいられませんね。私自身ももっと強くならなければ…」
小鈴に視線を移し玄奘法師が微笑む。その時、外が明るくなったかと思うと宿に落雷のような衝撃がはしった。
「なな何ですか!?」
「玄奘さま!」狼狽える法師を小鈴が窓際に呼ぶ。
「悟空?」
下の通りで悟空がしゃがみ込み身構えている。その向かいには例の二人組がそれぞれ武器を手に立っている。
「小僧…お前だけは…」
悟浄と八戒がそろって悟空を睨みつける。
「ぜってえに」
「許さない」
「けっ」悟空が吐き捨てる。
「俺の純情を返せええっ!!」
振り下ろされた月牙鎩から飛び出たいくつもの鋭い刃が悟空に襲いかかった。如意棒を出そうとした悟空はとっさに身をかわす。外れた刃は背後のがれきを粉々に切り刻んで消えた。
「へえ…水か。おもしれえ」
わずかにかかった飛沫をぬぐい悟空が呟く。
「避けるのが正解だぜ小僧。まともに受けてたらよくて真っ二つだ!」
再び月牙鎩が振り下ろされる。悟空は笑って
「どんなに切れようが当たらなきゃ…うおっ」
よけた先に落ちてきた八戒の玖棘棍をすんでのところでかわす。玖棘棍の衝撃で地面がひび割れる。
「小鈴…あの三人はどうして早くもあんなに険悪なんでしょう」
「…やっぱり任せるんじゃなかったわ」
「謝れ」
「そうだぜ小僧、いまなら俺たちをおちょくったことを許してやらないこともない」
悟空を見下ろしながら二人がゆっくりと近づいてくる。悟空は耳をほじり
「俺は生まれてこのかた」
右手には如意棒が握られている。
「一度も謝ったことがねえんだ」
「それって問題じゃね!?」
如意棒を繰り出しながら悟空が笑う。
「誰にでもすぐに結婚を申し込む奴が言えたセリフか」
悟浄の怒りの刃が飛び交い辺りの木々を切り裂いた。悟空が飛び降りた所にまた八戒がすかさず玖棘棍を振り下ろす。
「ちゃんと謝れないと立派な大人になれないんだよ」
悟空は今度は腹を抱えて地面を転がる。
「ひっひっブタがっえっらそうに」
「おいらブタじゃないもん」
八戒が振り下ろした渾身の一撃が通りに大穴を空けた。
「強い…」
宿の上から戦いの様子を見ていた小鈴は呟いた。
「たしかに強い…けどこれじゃ周りの被害が甚大だわ。どうしましょう玄奘さま」
振り返った小鈴は辺りを見回す。見ると玄奘法師は部屋の隅で小さくうずくまっている。
「やややっぱり無理ですよ私には…」
「玄奘さま?」
「あんな力を持った者たちを弟子にするなんてとても無理ですっ!いくら太上老君さまが力を貸してくださるといってもあんな…」
「玄奘さま!あれを!」
またしても小鈴に促され法師が恐る恐る外を見ると、さっきまで戦っていた三人が地面にうずくまっている。
「ぐ…ぐるじい…」
首を絞め上げている緊拑蕩をつかみ悟浄が呻く。その横で太さが半分になるほど緊鎖餔に腹を締め付けられた八戒が息も絶え絶えになっている。
「へへ…どうだ…半端なくキツイだろ…」
目に涙をためた悟空がひきつった笑みを浮かべ言う。
「この道具はな…あるヘタレ坊主が弱音や愚痴を吐くと俺たちを締め上げるって寸法だ」
「なな…りぶじんなっ」
「ヒッヒッフー!」
「で…あれが諸悪の根源だ」
玄奘法師と小鈴が三人に駆け寄ってくる。
「ああああすみません私のせいでこんな…」
「ぐるっぐるじいっ」
「しゃべるな!頼むからひと言もしゃべるな!」
「ヒッヒッおいらもうダメ…」
「はっはっがいいっ!」
「気にすることないですよ玄奘さま。この道具の判断基準が曖昧なのは玄奘さまのせいじゃないですから」
「鬼かお前はっ」
そのときガサガサと音をたて、闇のなかを五人に近づいてくる黒く長い影があった。馬屋で白竜がいななき悟空がはっとする。すぐそこに赤い目が爛々と燃えている。
「よけろ!」
大ムカデが鋭い顎をむいて五人に襲いかかった。
「こいつ!切り刻んで土に埋めたのに!」
八戒に手を貸しながら悟浄が喚く。
「どうやら詰めが甘かったらしいな」
悟空が如意棒を構え二人に言った。
「おいお前ら、もう一度やり直しだ」
悟浄と八戒が頷く。
「玄奘さま!」
狙いを定めた大ムカデが執拗に法師を追う。必死に逃げる法師の前を廃墟の壁が阻んだ。大ムカデが法師に食らいつく。
「玄奘さま!」
「伏せろ坊さん!」
法師が身を伏せるのと同時にムカデの長い胴体を月牙鎩の刃が切り裂いた。次の瞬間玖棘棍の地響きとともにムカデの下の地面が崩れ出す。
「おっと土産だ」
いつのまにかムカデの頭に悟空が乗っている。
「二度と目が覚めないようにな」
その頭に如意棒が深々と突き立てられ、顎をわずかに動かしながらムカデは土の下に沈んでいった。
辺りは何事もなかったかのように静まり返る。
「八戒…!」悟浄が異変に気づいて叫んだ。八戒が苦しげに腹を押さえうずくまっている。悟空が疑わし気に法師を見る。
「わ、私は何も…」
「そうよ、現にあんたたちは平気じゃない」
「まさか」八戒を見つめながら悟浄が呟く。
「今日は六斎日だったのか」
「六斎日?」
「八戒は六斎日に昼を過ぎてから食事をするとひどい腹痛になるんだ」
「ああ八斎戒ね」
「だから略して八戒か」
「か、感心してる場合じゃありませんよ」
玄奘法師は八戒の傍らに座るとその顔を覗き込んだ。
「悟空…この村で一番古い竈のなかの土をもらってくるんだ」
「何?」
「早く!小鈴は宿の人にお湯の用意をしてもらってください」
「はい!」
やがて、悟空が持ってきた土を法師は茶碗の湯に溶かすと八戒に飲ませた。しばらくすると土気色だった八戒の顔に赤みがさしてきた。
「よかった…ありがとう!ありがとう坊さん!」
「いえ、そんな」
悟浄に両手をぶんぶん振り回され法師は恐縮する。
「おやこれはこれは、もうお近づきになっていらっしゃいましたか」
明かりを手にした文村長が暗がりから現れた。
「宿の者が、またムカデが暴れていると呼びに来たのですが…」
そう言って破壊しつくされた周囲を見回す。
「これはそのっ」説明しかけた法師の口を小鈴が塞いだ。悟空が後を受けて
「感謝しろよ。二回も大ムカデを退治してやったんだからな。まあ、また多少周りは荒れちまったけどな」
村長は頷き
「人命に比べれば物の被害など取るに足りません。本当に皆さんには何とお礼を言ったらいいか。ところでついでと言っては何ですが…」
背後にいた二人を促した。
「春明ちゃん!」
悟浄が悟空を押しのける。
「実はこんなことがあって私も心境の変化が起こりまして、ずっと反対していた娘の結婚を許してやることにしたんです」
春明と隣の青年が恥じらいながら見つめ合う。
「つきまして、村の恩人である皆さんに明日の二人の結婚式にぜひ出ていただこうと思い伺ったのです」
「村がボロボロだってのにほんと呑気だなお前ら」
悟空の頭を殴りつけ小鈴は微笑んだ。
「それはおめでとうございます!ぜひ出席させていただきます、ねえ?」
法師は曖昧に笑って応え、悟空は不満そうに頭をさすり、悟浄は黙ってうつむく。八戒がむくりと起き上がり訊ねた。
「それってご馳走出るの?」
「おやあ」
朝になって外に出た村長は思わず呟いた。大ムカデに破壊されたはずの村が、以前と全く同じ姿に戻っている。そして、宿を訪れるとあの法師一行と二人組の姿はすでに消えていた。
「ひょっとしたら…あの方たちは観音様とそのお付きの方々だったのかもしれない」
村長は一行が向かったという西のほうへ、一人静かに手を合わせた。
一方、西へ向かう玄奘法師は白竜の背から何度も東を振り返っていた。
「何だよ坊さん、まだ黙ってきたこと気にしてんのか」
觔斗雲の上で欠伸をして悟空が言う。
「あんな状態で結婚式やろうって連中だぜ?村を何度壊されようと気にゃしねえよ。なあ悟浄」
前をうつむきがちに歩いていた悟浄がピクリと肩を震わす。その肩を八戒がボンと叩く。
「悟浄、女の子なんて上海蟹の数ほどだよ」
「あんたはまだご馳走食べ損ねたこと根に持ってんでしょ」
法師の方で小鈴が言った。
「俺は…春明ちゃんが運命の人だと思った」
「悟浄はいつもそうだよね」
「けど…それは俺の勘違いだった」
「悟浄はいつもそうだよね」
悟浄は振り返り朝日に目を細める。
「さよなら…俺の恋」
「なな泣いてるんですか悟浄!?」
「朝日が目に沁みただけっす」鼻をすすり悟浄は西に顔を向けた。
「待ってろよ、俺の新しい恋」
「立ち直りはえええっ」
「悟浄はいつもそうだよね」
白竜がブルルッと鼻を鳴らす。そんなこんなで人数の増えた玄奘一行は、再び西を目指すのだった。
「さてさて」
一行を見下ろす山の上で、太上老君は手の平ほどのムカデの玩具を直している。
「これでようやくそろったわけだが…儂にはまだおぼつかんように見える。これと一緒だ。すぐバラバラになりかねん」
ムカデをつなぎ合わせている相手を連れの二人は黙って見つめる。やがて元通りになったムカデを太上老君が目の前にぶら下げると、再びクネクネと動き出した。太上老君はニヤリと笑ってそれを懐にしまう。
「ひとつ…この辺であの連中を試してみるのもいいかもしれん」
そして三人はじっと玄奘一行の行く手を眺めるのだった。




