不死は苦痛に癒しを求める
その大男は突然現れた。ただ私と戦いたいと言った。私が命令を下す前に配下が動いて実力行使を行ったが、その男はまるで動く天災と言うべき身体能力でエリート達が束になっても叶わなかった。百戦錬磨の猛者が床に散らばった茶葉の様に倒れているのは実際に目にしても信じがたい光景だった。
私はその挑戦を快く引き受けると国から離れた広大な土地で7日7晩戦い続けた。地は割け、山は抉れ、湖は干上がった。あらゆる力と魔法をぶつけて争った後、膝をついたのは私の方だった。
魔王の血を継ぐ娘。親の七光りだと言われない様に、その名に恥じない文武両道の魔王になろうと血の滲む様な努力をした。しかしこいつは人間の規格を遥かに超えている。私は久しく敗北の味を思い出した。
「ぐぐ…これまでか……」
男はやって来る。そして回復薬を取り出すと私の元にそれを置いた。
「まだだ。まだやれるはずだ。立て。刃を突き立ててこの体を切り刻め。肉片を残さず焼いて俺を殺せ」
もう何度もやっている。しかしこいつは死なない。不死身だ。限度なく復活しては立ち上がって来る。
「さあ、さあ!」
「…私の負けだ。好きにするといい」
屈辱的だがこれ以上戦ってもこいつを殺す事はできない。こいつの気分1つで私は殺されてしまう。既に戦意を喪失してしまった。
「違う。俺はお前を殺したくない。お前に俺を殺して欲しいんだ」
「もう何十回殺したと思ってる。お前不死身なんだろう?お前は死なないし私は殺せない」
「なら死ぬまで殺してくれ。君ならできるかもしれない」
私は回復薬を受け取るとそれを飲んで立ち上がる。そして剣を振るおうとしたがやはり溜まった疲労は薬1つでどうにかできるものではないらしく、そのまま振り下ろしながら転倒してしまった。彼は優しく私を受け止めると、元気のない表情で近くの岩に私を座らせた。
そして短くお礼を言うと私のそばに食料と水を置いてそのまま背中を向けて歩き出した。
「待て、お前は何なんだ!私を殺しに来たんじゃないのか!?一体…」
男は返事もせず歩き続ける。少しずつ遠くなる。
「私より強い奴を知っているぞ!!」
大声で言うとピタリと動きを止めた。そしてこちらに戻って来る。
「教えてくれ」
「まずは事情を聞かせろ。勝手に領地に乗り込んで来て、戦えの一言で1週間も執政を放置させて…。ロクな説明もせずに立ち去るなんて非常識にも程があるだろう」
彼はしばらく迷っていた私の隣に座った。長く人と話をしていないなのか会話が微妙にすれ違う。彼から聞きたい事を聞き出すのにはとても苦労した。だがようやく彼が今に至るまでの経緯を知る事ができた。
彼が言うには本来は生物は誰もが不老不死らしい。生命のサイクルを作る際に神が死ぬ権利を生物に与えたのだそうだ。彼は生きる事に何の希望を見いだせず度々自殺しようとした。あの世で死神に「まだその時ではない」と何度も説得されては現世に戻され生き返った。
しまいに死神を怒らせた彼は死ぬ権利を奪われてしまったらしい。その日からはこうして死ぬための旅を続けているのだと言う。
「変な話だ。お前の話が仮に本当だったとしても、お前は神に死ぬ権利を奪われ死ねないんだろう?自分より強い相手を探し回ってどんなに殺してもらったって仕方がないじゃないか」
「神様はどれだけ問いかけても答えてくれない。俺を殺しきる相手を探し求めていればいつかは俺に死を与えてくれる相手が現れるかもしれない。その他は考えていない」
「その他の事は考えてないって…行き当たりばったりで戦っても不毛だろう。お前だって痛い思いをするだけだろうし」
彼は眉間のあたりを手で押さえて首を横に振る。
「いいんだ。どんなに体がボロボロになっても砕け散っても元に戻る」
「そうじゃなくてだな」
彼は自暴自棄になっているのかもしれない。私は死なないにしたって自分の身体を大切にすべきだと説得する。それでも彼は聞く耳を持たない。まるで望んで自ら痛みを求めているかのようだった。
ついには痺れを切らして自分より強い相手の事を繰り返し聞く様になった。
「こんな事を言うのもなんだが、きっとその方でもお前を殺しきる事はできない。死を求めるなら他に方法を考えるべきだ。お前のやり方はまるで…」
「分かってる。こんな方法じゃいつまで経っても死ねない事ぐらい。だが、人間として死ねないこの絶望と悲しみはもはや痛みと苦しみでしか癒せない」
「お前…」
彼はボロボロと涙をこぼして泣く。私は彼の背中をさすった。
「そう悲しい事を言うなよ。生きて幸せになればいいじゃないか。死ぬ方法は生きながら探せばいい。魔族は長生きだから死別の悲しみは人間と生を共にするより少ないぞ?」
彼は首を横に振る。
「美味しい物を食べる事。ふかふかなベッドで眠る事。親しい誰かができること。生きる喜びの全てがどの痛みよりもずっと辛い。俺も求める苦痛じゃない」
彼は涙を流しながら私に縋りつく。
「お前の力は素晴らしい。戦いの中で何度も久しく死を実感できた。抵抗はしない。俺をもっと殺してくれ。一時でもいいから俺をこの苦しみから解放してくれ」
「わ、私は…」
私は内心彼に同情していた。しかし彼の気持ちを知ってなおその願望を叶える事は躊躇われた。回復薬で体の傷は癒えた。休んでいるうちにある程度の魔力も回復した。今なら望み通り数回殺す事はできる。
しかし…、しかし…助けを求める悲痛な目をする彼に手を上げるなどとてもできなかった。
「痛みが…欲しいか?」
「ああ。この絶望と悲しみを塗り替えるほどの痛みが」
「いいだろう、私に仕えればその望みを叶えてやってもいい」
彼はその言葉を聞くと1歩下がり、跪いた。彼の手を掴む。
「お前、名前は?」
「スノウ」
…それから幾月も経った。雪が積もる。魔王である私も自ら除雪作業をしなければならない。私はスノウを呼びつける。しかし中々来ない。仕方がないので私は彼の部屋まで行くと彼は床に横になったままだった。
大声で呼びかけるが一向に起きない。頬をぺちぺちと叩いてやるとやっと目を覚ました。
「どうかしたのか?」
「どうしたもこうしたもあるか。除雪作業だ」
スノウは体を起こすと早速と道具を持って作業に取り掛かる。作業をする区画は同じなので文句を言ってやる事にした。
「せっかくベッドをプレゼントしてやったと言うのにどうして床で寝る。布団もそうだ」
彼はため息をつくと聞かなかったフリをして作業を続ける。魔王を無視とはいい度胸だ。私はずんずんと奴の元に行ってもう一度同じ内容の質問をする。彼はやや気圧されながらも頭を掻くばかりで何も言わない。。
私はなおも詰め寄り責め立てる。前々から言っているが今日と言う今日はアレで寝てもらう。根負けした彼はやっと口を開く。
「勘弁してくれ。ここに来てから何もかもが辛いんだ。安定した暮らし。気のいい魔物。暖かい寝床。美味しい食べ物。前にも言ったが俺にとっては生きる喜びの何もかもが死ぬ痛みよりずっと苦痛なんだ」
スノウが俯きがちに言う。私は彼に膝立ちになる様に言った。そして膝立ちになった彼を静かに抱きしめる。
「お前の求める苦痛をくれてやると言ったか?私はまだまだお前を苦しめるぞ。死より辛い苦痛でお前を満たしてやる。嫌と言うほど生きる喜びの味を教え込んでやる。私に忠誠を誓ったからには、このぐらいで音を上げる事は許さん」
そう言って彼の背中をさすった。彼も私を抱き返した。
「わかったよ。…そろそろ本名を教えてくれないか、魔王」
「残念だがお前に本名は教えてやらん。私はお前に大して親しみを覚えておらんからな」
スノウは少しだけ寂し気な目で私を見上げる。
「そんな目をするな。いつか教えてやるとも。それまで私に変わらぬ忠誠を捧げるのだ。できるな?」
彼は何も言わず頷いた。私は秘密裏に死ぬ権利を取り戻す方法を模索している。いつかは彼にそれをプレゼントするつもりだ。いつか人として死ねるように。間違っても彼よりも先に死なない様に気を付けなければならない。
いつか死ぬ権利を取り戻し、幸せになる事を苦痛に感じなくなったなら彼を人間の里へ送ってあげるつもりだ。私の元を離れ個人の幸せを追求していけるように。
もしその時が来てなお私への忠誠心が揺るがないのなら…その時は今よりも親しい関係になってもいいと思っている。