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正しいお迎え

作者: aqri

 朝起きて朝食の準備から保育園の支度、掃除洗濯をして保育園に送ってから仕事に行く。預かりは夜六時まで、それ以降は追加料金がかかる。

 夫が結婚したらどうしようもないぐーたらで不倫までしたので即離婚、その後わかった妊娠。養育費を払う義務があるというのにいまだに一度も振り込みがない。シングルマザーで子供を育てるというのは自分が思っていた以上に過酷だった。

 特に子供は男の子でやんちゃで非常に手がかかる。目元が元夫に似ていて、それが若干苛立たせる。何回言っても時間にルーズで保育園に行く時間に支度が間に合わない事も多い。

 それでも預けないと仕事に行けない。片親という事でようやくつかみとった入園だ。待機児童が大勢いる中で入れたのは奇跡に近い。

 働いている場所から保育園が少し遠いのもネックだった。できれば駅近くにあってほしいのだが、子供を預かると音や声などで周囲とのトラブルが増えかねないので良い場所に保育園はなかなかないのだ。

 残業などしたら残業代がすべて延長料金で消える。何のために働いているのか時々わからなくなる。ぐったりしながら働いていると、見かねたのか職場の人がこんな話をしてきた。


「私が知ってる保育園、今なら一人だけ入れるみたいだけどどう?会社から近いし、何より料金が凄く安いの」


 言いながらホームページを見せてもらうと条件は悪くない。そして目を見張ったのはその料金だ。


「なにこれ、相場の半分以下じゃない。何でこんなに安いの?」

「安すぎてちょっと怪しいって思うよね。でも、私も子供預けてるけど普通だよ。資格ある保育士さんだし建物も普通、ビルの三階だからプールとかはないけど、365日24時間対応してるし。延長料金はあるけど、それも格安だから」


 詳しく教えてもらい、さっそく電話をかけてみた。するとお子さんを連れて面接に来ませんかと言われ、すぐに面接を予約する。

 その週の土曜、息子を連れて面接に行くと優しそうな中年の女性が出迎えてくれた。ネームプレートには園長と書かれている。


「今日はよろしくお願いします」


 深々と頭を下げ、簡単に質疑応答のようなやり取りをした。自分が預かってほしい曜日や時間を言うと、最終的に園長はにっこり笑って問題ありませんと言う。

「あの、一つだけ気になってるんですけど」

「ええ、料金の事ですよね。皆さんまずそこを確認してきます、説明させて頂きますね」


 何やら資料を取り出して見せてくれた。


「この施設はとある資産家の方が100パーセント出資してくださっているのです。その方は慈善事業に力をいれていて、保育士の給与や施設の整備などもすべてお任せしています。このビルそのものがその方の所有なのです。そのため家賃も不要、それが預かり料金にすべて還元できるのです」

「すごいですね、どんな方なのですか」

「生憎名前や素性を教えることはしないで欲しいと言われていますので、申し訳ありません。ただ、会社を数個経営していて、他の慈善事業にも尽力されている立派な方、とだけお伝えします」


 ここまでの説明には何ら不可解な事はない、むしろ慈善事業で成り立っている立派な施設なのではないかと思う。立地、条件、料金、願ったりかなったりの保育園だ。

 さっそく申し込みをする。今通っている保育園の退園もあるので、枠だけキープしておきたかった。その後諸々の手続きを済ませて、その保育園に通わせることが決まった。息子は友達と離れるのが嫌だと駄々をこねたが。


 通ってみると本当にありがたい。近いのでお迎えの時間も短縮できるし、残業になりそうなときは目星の時間をつたえるだけでいい。24時間対応なので、シフト制の保育士たちが対応するため実質何時まででも対応してもらえるのだ。

 延長料金も格安、残業すればするほどお金が貯まっていく。しかも追加料金をすると夕ご飯、簡単なお風呂まで入れてくれる。それらのトータルで見ても今までの料金の半分に抑えられる。

 迎えに行く時間を気にして慌てなくていいという意味で精神的にも安定し、仕事の集中力が増す。生活がだんだん豊かになってきた。

 本当にあの保育園に入園させてもらえてよかった、と毎日が楽しい。

 それに、自分の時間が持てる事が嬉しかった。

 仕事、家事と育児に追われて自分の自由な時間がないのが本当にストレスだった。ゆっくりのんびりしたい時だってあるし、服や小物を買ったりしたい。都心に出て美味しいものを食べたいし、十代の頃やっていた事をやりたいのは当然だ。自分磨きの時間もお金もなかったのだ。

 そのため、最近は仕事ではなくちょっとした自分の時間を使ってから迎えに行っている。何時間預けても追加料金が変わらないのだ、それなら予告していた時間より少し遅めに行っても問題ない。二十時を過ぎると息子はご飯も風呂も終わっており寝ていて、一番静かな時にお迎えができて、その後家ではすべて自分の時間だ。息子の食事や寝かしつけがいらないのが助かる。


 なんならずっと預けていたいくらいだ。楽過ぎる。

 そんな考えが浮かんだとき、ある事を思いついた。


「出張ですか」

「ええ、一泊二日で。あの、大丈夫でしょうか」

「もちろん。お泊り保育も対応しておりますので、問題ありませんよ」


 にこやかに言う保育士にしおらしく息子をお願いしますと言いながら内心歓喜する。会社には有給を申請して、前から行きたかったマッチングアプリが主催の合コンパーティに参加した。片親参加OKなこのイベントはパートナーを見つけるというよりは久々に煌びやかな世界で楽しみたいという欲求解消のためのものだ。良い人がいればいいが、相手も子連れとなると結婚を前提にしたお付き合いは遠慮したい。これ以上子供の世話など御免だ。

 そんな事を考えていた時、素敵な男性と出会った。相手はバツイチで子供なし、現在会社で課長をやっているという。仕事が忙しすぎて家庭をないがしろにしたら離婚を叩きつけられてしまった、寂しいので心を入れ替えて出会いを求めに来たという。

 あっという間に意気投合した。自分が片親である事を伝えても大変ですよね、苦労が多いでしょうといたわってくれる。収入も申し分ないし見た目も好みだ。

 その日は楽しい時間を過ごして家に帰った。息子は保育園に泊まりだ、自分ひとり。久しぶりに独身気分を味わっているからかもしれない、こんなにもあの男性との出会いにときめいているのは。

 その日から、彼と連絡を取り親しい仲になり、夜デートを重ねるようになった。子供は大丈夫かと聞かれたが、実家に暮らしていて家族が見てくれていると嘘をついている。無論迎えを夜中にしているだけだ。

 だんだん迎えも億劫になっていく。ああ、子供がいなかったら楽だったなあ。そんな事を考えてしまう。


 迎えに行く時間が一時間遅れ、二時間遅れ、日を超えることも増えた。その都度すみません、と行くと保育士たちは笑顔でお気になさらず、対応できていますので大丈夫ですよと言ってくれる。誰にも責められずどんどん自分に甘くなっていった。

 息子を最後に迎えに行ったのが何日前だったか。男性とのフレンチレストランのデートを楽しんだ後、家に戻ると、待っていたのは自分の親と警察だった。


「え、なに?」

「あんた! 育児放棄の疑いで通報があったのよ! 健介ちゃんを五日も保育園に放置したって言うじゃない!」


 母親が泣きながら平手打ちをしてきた。殴られた頬が痛い、何が起きているのかわからない。何かを聞こうとしても、父親はお前なんか子供を育てる資格はないと怒鳴り、母親は罵倒してくる。そして警察に力づくで押さえられ連行された。

 何が起きているのかわからない、必死に説明を求めても実刑判決が言い渡されただけだった。両親は面会に来ず、誰からも連絡がない。

 何故、こんなことに? だいたい育児放棄と言っても息子に虐待したわけでも死なせたわけでもない、何も事件性などないはずではないか。しかし判決内容は懲役十五年、殺人でもしたかのような長さだ。


「どうなってるのぉ!?」


 新しい保育園に来た健介は落ち込んでいた。忙しい母に構ってほしくて、わざと寝坊をしたり支度を遅くしたりしているのに母は怒るばかり。相手にしてほしいだけなのに。友達とも会えなくなってしまった。しょぼんとしながら、保育園に入る。

 そこでは保育士さんは優しく、他の子も優しい。楽しいが、他の子はすぐにパパやママが迎えに来るのに自分の母はいつも遅い。いつも一人だけ残り最後だ。ぐすん、と泣きながら一人今日もお迎えを待つ。

 そんな時だ。一人の女の子が近づいてきた。健介より年上、真っ黒なワンピースを着た子。


「ママ来ないの?」

「うん、おしごと」

「そう。ねえ、私と人生スゴロクしよう」

「じんせいすごろく?」

「楽しいよ」


 いつの間にか目の前には大きなゲーム板が敷かれている。遊び方を教えてもらって、ルーレットを回した。出た数字の分マスを進めていく。


「おかたづけができるようになる」

「良いマスだね。健介君お片付けできるようになるよ」


 ルーレットを回す。


「きらいなたべものがなくなる」

「良かったね、ピーマンと人参とお魚が食べられるよ」


 ルーレットを回す。


「? なにこれ。あたらしいパパとママがきまる?」

「ラッキーマス、優しいパパとママが来る」

「ぼく、ママいるよ」


 不思議そうに言うと、少女はにこりと笑った。


「いらないよ、あんな母親」

「いらない? ううん、ちがうの、ぼくのママはいるの」

「大丈夫、新しいママはいつも一緒にいてくれる。大好きなハンバーグ作ってくれるし、朝はずっと一緒におしゃべりしてくれる。パパはお風呂一緒に入ってくれるよ、夜はゲームしてくれるよ、日曜日は遊園地連れてってくれるよ」


 なんだか楽しそうな話に、いつの間にか健介は少女の話とゲームに夢中になっていた。ママが発表会に来てくれる、パパがゲームを買ってくれる、お小遣いをくれる、公園で遊んでくれる、ヒーローショーに連れて行ってくれる、アイスやお菓子をたくさん買ってくれる、褒めてくれる、頭を撫でてくれる。

 どれも健介がずっとやりたかったこと、やってほしかった事だ。止まるマスすべて良い事しか書いていない。


「えっとね、つぎは。ママがおむかえにこなくなる……?」


 意味がわからず少女を見ると、健介の目の前に近寄ってきてくっつきそうなほどに顏を寄せる。


「前のママはお迎えに来なくなって、初めて新しいパパとママがお迎えに来てくれるの。でもママはいつかまた迎えに来ちゃうでしょ? だから、今決めちゃおう。ママはいつお迎えに来ることにする?」

「えーっと、えっとね」


 迎えに来てくれるなら今がいい、と言おうとしたが少女が先にしゃべりだした。


「健介君が大人になったら、お迎えなんていらないよね。だって大人だもん。ずーっと後が良いと思うよ。そうだなあ。健介君五歳だし、二十歳になればいろいろ都合がいいか。十五年後なんてオススメだよ」

「じゅうごねん? って、なに?」

「言ったね、“十五年”。わかった、十五年後ね」


 意味がわからなかったので健介は首を傾げたが、ゲームを続ける。少女のルーレットは常に1か2、止まるマスはすべて「はずれ、何もない」とだけ書かれている。

 ゲームは続き、少女より早く一位でゴールした。


「かった!」

「おめでとう、なんて書いてある?」

「パパとママがおむかえにくる」


 それを読み上げると、扉が開く音がして若い男女が入って来た。


「ごめんね健介、遅くなって!」

「ごめんなあ、一人で寂しかったよな! さあ、帰ろう。今日はママがハンバーグを作ってくれるぞ!」


 周囲を見ると少女はいない。そしてゲームもなくなっていた。きょとんとして、保育士を見る。


「どうしたの健介君? パパとママがお迎えに来たよ、帰る準備しようね。お片付けして鞄持ってこよう、できるようになったよね?」

「うん」


 部屋にいくつか散らばった、持ってきていたおもちゃを鞄に入れて肩から下げる。するとパパとママは目を輝かせた喜んだ。


「健介、いつからそんな事できるようになったの? えらい! すごいよ!」

「偉いぞ健介! さすがパパとママの子供だな!」


 にこにこ笑う両親。健介はその言葉をかみしめる。一度だけ、同じことをやったことがあった。あの時は。


「もう、何でこんなぐちゃぐちゃに入れるの!? できないならやらないでよ、また詰め直さなきゃいけないでしょ! ああもう、めんどくさい! 時間ないのに!」


あの時は、××は、怒っていて。


××? 誰? 健介は首を傾げる。


「さ、帰ろう健介」

「帰りましょう、健介」


 両親が手を差し出してくる。それを一瞬見つめ、健介は右手で父の手を、左手で母の手を取った。


「せんせい、バイバイ!」

「はい、さようなら、健介君」


 健介は両親と手をつなぎ、嬉しそうに帰っていった。その様子を保育士は満足そうに見つめ、少女の声でつぶやいた。


「さて、いらなくなった方のママには檻の中に迎えをさせないとね」


END

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