(96) 侯領都の宗教勢力
すみません。前回、再開のごあいさつを書き漏らしておりました。活動報告に書いて安心してしまったようでして。失礼しました。
第二部一章は連続20話で、連日配信予定です。ちょっと、回によって長短が激しめで申し訳ないのですが。
エスフィール卿からのざっくりとした許可を踏まえて、俺は候領都ヴォイムを訪れてみた。かつての蹂躙の爪痕は残るものの、少なくとも中心部では日常生活は戻っているようだった。
ただ、避難民が集まる地域では、様相はまるで異なる。仮設の小屋を確保できていればましな状態で、建物の陰で暮らしている者も多くいるようだ。
避難所的な地域は幾つかに分かれているようで、比較的落ち着いていて、黒月商会の援助拠点があるところで俺はサイゾウによる状況説明を受けていた。
現状では、斥候系の者たちが主に探っているのは、ヴォイムの動静となっている。域外の情報は、忍群魔王のシャルロットに依存していて、うちの忍者幾人かを使ってもらっている状態だった。
「で、魔王討伐派ってのは、どんな感じだ?」
「あちらにタクト様のお顔は割れていませんし、直接視察に行かれますか?」
「いや、やめとこう。何が原因で騒ぎになるかわからん。天帝騎士団の残留組もいるかもしれんしな」
「お心のままに。実際のところは、ただ集まって魔王の打倒を求めている状態です。……なんと申しますか、その主張自体は、人間側としてはごく自然な内容でして」
「ああ、魔王打倒を求めるのはごくまともだよな。魔王との連携を否定するのも、その範疇だろうし」
「ええ。エスフィール様の地盤が盤石で、柱石家が問題なく従い、天帝騎士団内に勢力争いがなければ、問題になるような行動ではありません」
残念ながらどれも該当せずなので、現状に照らせば反侯爵家運動となってしまうわけだ。
「なんか、各勢力と連携が進んでいるのはいいけど、どこも足元が固まってないわよね」
めずらしく同行しているサトミの言葉は、まったくもって正しい。
「エスフィール卿だけじゃなく、天帝騎士団のファイムも副長と意見が対立しているようだし、一番安定しているのはブリッツのとこか」
ベルーズ伯爵家の滅亡を受けて柔風里に発足したブリッツ暫定自治領は、仮想敵となりうる勢力がゴブリンによる蹂躙と天帝騎士団に誘われての移住で不在となったために、今のところ安定した状態となっている。
「ブリッツとワスラム一党の意見が分かれた場合は、ちょっと心配よね」
「まあ、それは確かに。……ただ、一番足元が固まっていないのは、俺らだよな」
「そりゃそうよ。現在の勢力範囲だって、別にラーシャ侯爵家から割譲されたわけじゃないし、エルフやドワーフだって、避難してきた絡みで一緒にいるだけで、臣従したわけじゃないもの。エスフィールとファイムが失脚すれば、すぐにも滅ぼされかねない」
その通りなのだが、改めて並べられると地味にきつい。
「必ずしも、滅ぼされるとは思いませんが……」
サイゾウの控えめな反論に、生贄出身の人物がにたりと笑った。
「どっちも万全じゃないから、ひとまずの撃退はできるかもね。でも、それってジリ貧じゃない?」
「ああ。俺らの現状は、天帝騎士団はともかく、ラーシャ侯爵家との連携によってようやく立っていられている状態だ。仮に侯爵家を攻め滅ぼせば、それこそこの星降ヶ原の民心は安定しなくなるだろう。そうなった場合に、痛めつけてでも従わせようと思えないだろうところが、俺の弱みだ」
サイゾウはやや迷いのある反応を見せている。魔王によって生成された忍者には、人類への仲間意識は少なそうなだけに、魔王である俺の考えが感情として承服しづらいのかもしれない。
「ラーシャ侯爵家に、俺らとの連携が必要だと思わせつつ、自立していく構えを取っていく必要がある。難しい舵取りを頼んで悪いが」
「いえ。なんなりとお申し付けください」
膝をつこうとするサイゾウをあわてて制する。周囲の人の目もある。目立つべきではないだろう。
「で、エスフィール卿を援護するためには、どう対応するのが効果的だろうか。これ以上の物資供給は、微妙だろう?」
「食料は足りておりますし、係累のいる者は既にそちらを頼っています。残っているのは、本気で行き場を失った者と、元々行き場がなかった貧民街辺りの住民と、それに……」
「エスフィール卿の立場を悪くするために残っている連中がいるわけか」
頷いたサイゾウが、さりげなく周囲に目を配る。
「この地区は、宗教関連の集団だったり行き先が決まっていたりと、比較的おとなしめの者達が多いようです。話の持って行き方次第では、状況の改善に利用できるかもしれません。領都での蹂躙の際に接した者もいますので」
「あら、サイゾウじゃないの。元気でやってる?」
そこにやってきたのは、簡素な服を着たご婦人だった。背は高くないものの、恰幅がよく声も朗らかで、親しみが持てる。
「ネイア殿。いつもながらお元気ですな」
「ええ、それだけが取り柄ですもの。……こちらの方は?」
「我が主君のタクト様です」
「あらあら、なら、噂の魔王様ね。はじめまして」
「魔王のタクトだ。サイゾウが世話になったのかな?」
「世話になったのはこっちよお。月影教団の地下聖堂に避難したきっかけも、そこにどんどん人を連れてきてくれたのもサイゾウたちだもの。タクトさんも含めて命の恩人ってやつね」
「この方が、神聖教会と月影教団の間を取り持ってくださいまして、避難が成立したのです。両者の関係に無知だった我々だけでは、無益な争いが誘発されかねませんでした」
「ああ、両宗教勢力の仲裁をしてくれた方か。サイゾウから話は聞いていた。ご助力に感謝する」
「それはこっちのセリフよ。緊急事態でも宗教対立を優先する愚か者を見捨てないでくれて、ありがたかったわ」
この地での宗教としては、帝王国で国教となっている天帝教と、かつてこの地を領有していた神皇国系の精霊信仰に、各地で一定の地位を占める月影教団などが混在している。天帝教は神聖教会として各地に整備されているが、他宗教を弾圧するまでには至っていない。
その中で最も相性が悪いのが神聖教会と月影教団だった。一神教である天帝教は、精霊信仰にはわりと寛容なのだが、月を主神とする月影教団とはぶつかるところがあるらしい。
候領都ヴォイム蹂躙の際にも、月影教団の地下聖堂に避難していながら神聖教会側が横柄に振る舞ったために、トラブルになったそうだ。
「両者に理知的な代表者が立って、連携が行われたと聞いたが」
「そうね。本来なら、神聖協会側では生き残った最上位の司祭が、月影教団では導月師がそれぞれの組織を導くはずだったんだけど、今回は修道尼と護月衆の一人が仕切りださなければ、どうにもならなかったでしょうね。紹介するわ」
ネイアによって呼び出されたのは、リスのような活発な印象の修道尼と、細身で寡黙な護月衆という立場の青年だった。どちらも、本来は教団組織内での権力機構から外れた存在のはずなのだが、今回は実質的な統率者となっているネイアに従う形で、代表的な立場を務めているそうだ。
リスっぽい小柄な修道尼ヴィリスは、タチリアの町で孤児院をまとめている修道尼とは仲良しだそうで、彼女の話を出したら一気に間合いを詰めてきた。一方のルードと名乗った護月衆の長身の若者には距離を置かれている感じだが、どうやら誰に対してもそうらしい。
「あー、俺は魔王なんだが、気にならないのか? 天帝騎士団の一部が討伐しようと狙っているらしいんだが」
俺の問いに目を見開いたのは小柄な修道尼だった。
「あたしたちが生き残れたのは、サイゾウさんたちの助けがあったからこそです。ゴブリンをけしかけた魔王がいれば、助けてくれた魔王もいる。ましてや、タチリアの町での行いも聞いています。討伐なんてとんでもないです」
「ああ。殺された信徒も多いが、これだけ生き残れたのはあんたたちが助けてくれたからだ。俺の力は微々たるものだが、今回の恩は忘れない」
「俺らにも思惑があってのことだから、そこまで重く受け止めなくていいぞ。ゴブリン魔王とベルーズ伯爵家が一体となってラーシャ侯爵領を呑み込んでいたら、太刀打ちできない勢力に伸張していた可能性が高い。それを避けるためだったし、あとは赤鎧が見捨てた状態で援助すれば、恩も売れると思ったしな」
「魔王が偽悪的言動をするって、あんた、やっぱりおもしろいね。……恩を着せようとしたのであろうと、恩は恩だ。命を助けられた側の受け取り方は好きにさせてやんなよ」
豪快に笑っているネイアに対して、修道尼と護月衆の若者は真剣な表情を浮かべている。なんか、騙しているような気になってしまう。
「ところで、両者の協力関係が天帝騎士団や本国に知られるのはまずいのか?」
「非難する者はいるでしょうが、知ったこっちゃありません」
そう胸を張るヴィリスはなかなかに頼もしげである。
と、こちらに睨むような視線を向けてくる者の姿が目に入った。紺色の祭服に身を包んだ女性は、ぷいと顔を背けて去っていく。サイゾウに脳内通話で素性を訊ねてみると、答えは音声で返ってきた。話題に上げるべき事項なのか。
「あれは、避難当初に仕切っていた司祭の方ですな。この地の司教殿が亡くなられて、神聖教会での階位としては最上位となるそうです」
「なら、本来は指導者のはずが、ヴィリスにその座を奪われたわけか。それは恨まれるわな」
「いやいや、あたしなんて小間使いみたいなものですから。孤児院の管理を半ば任されていたのが、子どもたちを避難させた後に、教会の手伝いに来ていただけでして」
「孤児たちは無事だったのか?」
「はい。タチリアの町経由で、南方の農村にお世話になっていると聞いています」
そんな人の流れがあったのか。まあ、すべてを把握しているわけではないが。
「死んだヴォイムの司教がこの潜龍河流域の責任者だったのか?」
応じたのはサイゾウだった。
「いえ、この辺り全体を統括しているのは、東隣の霧元原を任地とする東方司教だそうです。そのお膝元が危険だとの知らせが入って、天帝騎士団が慌てて救援に向かった流れとなります」
「なら、現状の神聖教会の責任者は、あの女性司祭ってわけか」
今度は、リスっぽさのある愛くるしい修道尼が答えを返してきた。
「はい。……教会の幹部はともかく、身を寄せてきた一般信徒の避難民を、タチリアの町に移動させる案が出ているのですが、彼女に反対されていまして」
「勝手に決めるわけにはいかない?」
「劫略時の避難対応をあたしが仕切ったのは、修道司祭の黙認があったとはいえ、大幅な越権行為でした。ひとまず落ちついた現状では……」
「修道司祭の判断ではできないのか?」
「教会内の序列によって、教区司祭には逆らえないのです。本来は、別立ての組織なのですが」
困った様子のヴィリスに、信頼する配下が言葉を重ねる。
「どうやら、あの司祭殿は自らの指示が無視された件以上に、魔王の配下たる我々の支援で生き延びたのが気に入らないようでして。最近も、魔王討伐派の集会に顔を出していますし、騎士団や主家と距離のある柱石家とも接触しているようです」
「純血派は信徒の保護より、政事を優先するってわけかい。上の悪いとこばかり真似して、まったくもう。……ヴィリス、あんたは染まるんじゃないよ」
「はいっ。……そちらに興味があるなら、修道会には進みませんって」
「そりゃそうさね。なら、ルードの方はどうなんだい。月影教団は一体……ってわけではなさそうだけど」
「こちらも同様だな。導月師が体面を潰されたと恨んでいるようだ。さすがに天帝騎士団とは通じていなさそうだが、柱石家とは連絡を取り合っているらしい」
「そっちもか。柱石家ってのは、この領都をほっぽりだして逃げ出した連中かい?」
「自分たちに非難が集中するのを逸らそうって魂胆もありそうだな」
「……避難民の数が減らないのも、討伐派の声が大きくなる一因だと思うのです。あたしが後で処分されようと大した話じゃありませんから、独断で信徒の方々をタチリアの町に移しちゃいましょうか。そうすれば、神聖教会は避難民代表としては参加できなくなります」
「月影教団も、受け容れてもらえるなら、導月師の意向は無視して移動させちゃってもいいな。幸い、ヴィリス殿同様にここに居る人達の信頼は得られているだろうし」
「そうすれば影響力は減らせそうだが、あんたらの将来を潰す方が損失だと思うがな」
「いえ、人が動かない限り、この教区にあたしの居場所はもうないでしょう。修道司祭に暇をもらって、タチリアの孤児院手伝いに回ろうかと思ってたくらいですから」
「こちらも同様だ。冒険者にでもなろうかと思っていた」
危機に際して頭角を現した若者が排除されるというのは、いい流れではない。もっとも、宗教団体と魔王との相性は悪そうだから、弱体化させておくべきなのかもしれないが。
考えていると、ネイアがややおどけた声で言葉を発した。
「まあ、そう焦らなくてもいいだろうさ。魔王殿がお出ましなんだから、なんらかの動きはあるだろうし」
「期待に添えるかどうかはわからんがな」
これまでも背景は探っていたが、内部での話を得られたことで、また話が変わってきそうなのは確かだった。柱石家は必要な戦力だと考えていたが、裏でエスフィール卿をはめようと穴を掘るつもりなら、容赦の必要もない。
「神聖教会は、司教が不在なら教区司祭が絶対権力を持つという理解でいいのか? どうすれば排除できる」
「排除……とは過激ですね。えーと、影響力を抑えるとしたら、霧元原におられる東方司教に頼るとかなのですが、どうもご不在のようでして」
「月影教団はどうだ?」
「こちらは、護月衆が一致して解任を求めれば、いったん職務は停止されるとの決まりがあります」
「魔王である俺は、エスフィール卿と共存する形でのこの地の平穏を望む。邪魔をする者の排除をためらうつもりはない。それを踏まえて、どうするかは考えてみてくれ」
「承知しました」
ルードが重々しく頷く姿からは、覚悟が滲んでいるようにも見えた。