(95) 人を呪わば……
天帝騎士団と候領都ヴォイムで盛り上がっていた、我がブンターワルト一味への討伐機運は転換点を迎えたそうだ。きっかけとなったのは、東隣となる霧元原にあるという神聖教会領からの救援要請だった。
ラーシャ侯爵領と旧ベルーズ伯爵領の柔風里とで構成される星降ヶ原は、潜龍河流域の中流地帯に位置する。西には天帝騎士団東方鎮撫隊の根拠地が置かれている龍尾台があり、東は霧元原を経て河口の夕暮浦へと続いていく。
それぞれの地域はなかなかに高い山地で区切られており、踏破は不可能ではないが、隊商ならともかく軍勢の移動は困難となる。まあ、かつては山越えでの侵攻の事例もあったようだが。
西の龍尾台は、北方に出没していた魔王が姿を消してからは、南方でオークを主力とする魔王が活動しているものの、猛烈な被害は出ていないようだ。一方の霧元原では、アンデッドを操る魔王と、ゴブリン、オーク、オーガらを混成で使う魔王とが勢力を競っているらしい。北方地域は、帝王国系諸侯の伯爵家が押さえているが、南方の両魔王の討伐に出られる状況ではないという。
魔物の混成部隊を率いる方の魔王は蹂躙系のようだが、アンデッド系魔王は緩やかな支配を志向していて、抵抗しなければ攻撃もされないとの話だった。神聖教会領は、そのアンデッド系魔王の勢力圏にあったはずなのだが、アンデッド系魔王の方針転換で危険な状態に陥ったのだろうか。
救援要請を受けた東方鎮撫隊の長であるファイムは、俺ら魔王一味とラーシャ侯爵家、それにブリッツ暫定自治領との共同出兵を模索したようだ。それに強く反発したのは、副長のジオニルだった。
天帝騎士団内部での調整が行われた末に、先遣隊との名目でジオニルが単独で出兵する形となったという。中央の騎士団本部と接触していた絡みで、そちらからの裁定があったらしいが、ファイム……。ほんとに、立場が弱いんだな。隊長のはずなのに。
まあ、そうなれば共同出兵の要請は事実上の立ち消えとなるわけで、我らがブンターワルト勢としては地固めに時間を使える流れとなりそうだった。
ブリッツ暫定自治領への支援と、勢力圏内の開墾、南方四村との連携は特に問題なく進められていた。
南方四村とタチリアの町との間では、道路の整備と砦網の整備を進めている。本来ならラーシャ侯爵家の領分なのだろうが、エスフィール卿からはむしろ奨励された状態だった。
かつて、東方山地を根城にしたゴブリン・クィーンが攻めてきたように、現状では防備を固めておいて損はない。星降ヶ原南部を囲うように砦を設置し、可能ならその間に簡単な囲壁も作りたいところだった。
作業については、ゴーレムと工兵隊の共同作業となる。春が近づけば、仕上げ的な開墾に手が取られるため、冬のうちにできるだけ進めておくとしよう。
この状況下で、最大の懸案事項はラーシャ侯爵家の不安定さである。俺は家宰殿から譲られた候領都近くの別宅を拠点に、対応を図っていた。
混乱の原因はいろいろあるが、家宰だったベルヌールがこの世から退場した影響が大きいようだ。他の要素は、彼が存命ならば現状ほどは影響しなかったと思える。
前侯爵の弟二人を道連れにしたという事情はあるにせよ、フィクサーとしての明確な後継者も用意せずに退場するのは無責任じゃないか。思わずそう愚痴ったところ、たまたま聞いていたソフィリアから、俺との会見で今後を任せられると安心したのでは、との指摘があった。
さらに、そこでもう少しでも愚鈍な演技をしておけば、退場せずに自ら責任を取って収拾を図っていたかもしれないでしゅのにと、半ば真顔でなじられた。そうだったら、毒殺されていたのは俺とエスフィール卿で、道連れにしたどちらかを傀儡にしようとしていたかも、と反論したところ、それはそうかもしれないでしゅね、と納得していた。このダークエルフは相変わらず、まったくもって生成配下らしからぬ言動である。
エスフィール卿には、先々代の筋まで遡っても目立った対抗馬はおらず、若さと性別を踏まえても継位の観点では問題はなさそうだ。だが、家臣の有力家である四柱石家のうち、侯爵代行に近い二家の代替わりに対しては異論も出ており、さらに継いだとしても求心力が保てるかどうか微妙だという。
ホックス家を継ぐことになりそうなダーリオは、九男との事情から後継候補とは目されていなかったが、侯爵家伝統の戦法である戦列の信奉者だから風当たりはさほどでもない。
対して、サズーム家のルシミナ……、薄桃姫の方は、戦闘の特性が戦列に合わない上に、政事方面は得意ではないようだ。ただ、親族一同は、身を挺してゴブリンの領都侵入を遅らせようとした従兄殿の遺志も影響し、一致して彼女を推しているらしい。
侯爵家の意思決定は、侯爵家当主と四柱石家の代表に家宰を加えた面々で決められてきたという。新体制での初回討議では、ゆるふわ薄桃髪の女騎士が領都を見捨てた二柱石家の当主に冷笑を投げつけ、紛糾に陥ったそうだ。ルシミナよ、そこは大人な対応が望まれるぞ……。
そして、領民の一部は決起寸前まで至っているらしい。援助物資こそ行き渡っているものの、住居を失った者を中心に冬の到来に伴う生活難で不満が溜まっているようだ。侯爵家打倒ではなく魔王討伐を求めているあたり、なかなかのいやらしさで、裏に絵図を描いている者がいそうでもある。
そんな中で訪ねてきたのは、渦中の人物だった。
「ねえ、タクト。どうにかならないかなあ」
青色の髪の少年……、いや、少女侯爵(仮)が大仰に嘆息を放つ。
「どうにかしろって言われてもなあ。好きで選んだ道なんだろ?」
「それはそうなんだけどさあ……、それにしても、もうちょっとどうにかならないもんかなあ」
まあ、気持ちはわかる。侯爵代行に付き従う弓手のエクシュラ、なまくら刃の一員たるシャルフィスに加え、すっかり両属状態になりつつある忍者のジードまでもが苦笑している。
「ルシミナはまあ、あれとしても、ダーリオはまともにやれてるのか?」
「うーん、やっぱり序列意識が強いのか、年長者対応になるとやや固くなるんだよね。……それより、ルシミナだよ。いや、いい子だし、単体戦力としては家中でずば抜けてるんだけどさあ」
「政事向けではなさそうだよな」
「いやー、ひとまず帰順してくれてる柱石二家の当主に、領都の民を捨てて逃亡しておいて、どうしてこの場に出てこられるんですの? と言い放ったときには、どうしようかと思ったよ。二人とも怒鳴りこそしなかったけど、空気が重くて重くて」
「それは、見物したかったなあ」
「なんだよお、他人事みたいに。……でも、さすがに当人としても失敗だった認識みたいで、もう枢密討議に出席したくないって言い出しててさあ」
「……柱石家からは、確か代表者の参加でいいんだよな。名代を立てるんじゃ駄目なのか?」
「シャルフィス、どうかな?」
「先代の頃にはそういう例はあったようです。ただ、その際には一族の者が代わりに出席していたようですが」
「継位の対抗馬が皆無だったからには、一族に適任者はいないだろうなあ。なんか案はない?」
「でしたら、だれかと婚約させて、その者を名代にされてはいかがでしょう」
「サズーム家に婿入りか。うちに適した男子はいないし、現状だと他の柱石家からってわけにもいかないしなあ」
「中級の家を従属させてそこから、という形がよいかと思いますが」
「目当てがいそうな口ぶりだな」
俺の言葉に、シャルフィスの顔がほころんだ。彼の視線が、髪が綺麗に整えられた若者の方へと向けられる。
「エクシュラ殿はいかがでしょうか」
その場にいる全員からの注目を浴びて、弓の名手である赤鎧はさすがにおどろいた様子である。この人物の余裕が失せた表情を初めて目にした気がする。
「……ルシミナ殿がうんとは仰いますまい。家格の話は除くにせよ、青鎧の投降受け容れ対応の様子などからもだいぶ嫌われていると思いますが」
「なにも本気で結婚せずとも、ふりでいいんじゃないのか。婚約だけして、当座をしのげればいいんだろう?」
問われたシャルフィスがうれしげに頷いた。
「ええ、もちろんです。ただ、いい取り合わせであるように思いますので、ふりをしているうちにいずれは、との可能性もあるかと」
抜けたところがあるように見えながらも謀事に長けていそうなエクシュラは、直情型の柱石家令嬢の相手としては確かに得難い存在かもしれない。まあ、単に腹心とするだけでもいいのだろうが。
「当方に否やはありません。しかし……」
「なら、この件は預からせてもらっていいかな」
エスフィール卿の声には、有無を言わせぬ強い響きがあった。立場が人格を強化している感じだろうか。
「はい。ただ、関連して一点ご提案が」
運命を主君に握られたエクシュラの瞳に、ややいたずらっぽい光が浮かんだように見えた。
「なんだい?」
「枢密討議は、以前は家宰殿が参加されていたように、侯爵家の当主が円滑に統治を行うための組織です。それを踏まえれば、エスフィール様が信頼されている人物……、シャルフィス殿も参加させてはいかがでしょうか」
「いや、それは……。下位騎士階級の身の上ですので」
「それならいっそ、家宰に任命したらどうだ?」
俺の言葉に、エスフィール卿がぽんと手を打った。
「そうか、そうだよな。なんでそこに気がつかなかったんだろう。シャルフィス、これより家宰として務めよ」
「ですが、身分が……」
「亡き家宰殿も、就任時は貴族の当主ではなかったわけだから問題ない。嫌かな?」
風采の上がらない、との表現がよく似合う中年の下位騎士は、朗らかな笑みを浮かべるシャルフィスを見つめて、ちいさな吐息をこぼした。人を呪わばなんとやら。
「……いえ、非才の身ではありますが、務めさせていただきます」
恨みがましい視線が俺に飛んできているように思えるが、気のせいだろうか。気のせいだよな。
そんな考えを振り払って、俺はもう一つ提案を投げてみることにした。
「どうせなら、その枢密討議での機密事項以外の討議内容は、壁新聞にでもして公開するようにしたらどうだ?」
「壁新聞?」
「町の主だったところに、議事内容、各参加者の発言、決定事項を書いた紙を貼り出す感じだな。布告なんかはどうしてるんだ?」
「これまでは、主だった広場で被官が読み上げてたはず。……文字で後から確認できるようにするのは、確かにいいかもな。枢密討議もだけど、布告は少なくともそうすべきだね」
これまでは、人づてに広まっていく形だったようだ。まあ、採用するかどうかは、好きにすればいい。そう考えていると、家宰に任命されたなまくら刃が、こちらに視線を向けて口を開いた。
「こうなったからには、タクト殿にも参加していただいてはいかがですかな」
提案に、エクシュラがうれしげに頷く。
「それはいい考えですな。家宰殿」
二人の言葉には、逃さないぞとでも言いたげな響きがある。
「いや、魔王討伐派を刺激するだろ。それより、この別宅はシャルフィスに渡せばいいのか? 家宰殿から譲られたものなんだが」
「この屋敷は家宰職に付随するものではなく、ベルヌール殿の私的な財産だと聞いています。譲られたタクト殿がお使いください」
「そうだな。こうして拠点にしてヴォイムに顔を出してくれれば助かるし。シャルフィスには、別途住居を手配しよう」
「ありがたいお話ですが、騒動が収まった後にお願いできれば」
騒動と聞いて、なにごとかと首を捻っていると、エスフィール卿がややうんざりしたような声を発した。
「ああ、あれもなあ。徒党を組んで、どうしたいんだかなあ」
「避難民の魔王討伐派か?」
「うん。形を変えたボク否定だとは思うんだけど、なかなか厄介でね」
領主と言っても、好き勝手に振る舞えるわけではない。いや、この地の貴族ならば反抗的な領民など踏み潰す方が自然なのかもしれないが、エスフィール卿にそれができるとは思えなかった。
「そうなると、黒月商会を領都から撤退させて、マルムス商会に任せた方がいいか?」
「いや、幸いにして天帝騎士団の強硬派が領都を離れたから、自然体でいいよ。顔を出してもらってもかまわないし。……今日のところは、枢密討議の改組の目処が立っただけでも助かるよ」
「おお、無理するなよ」
「そうも言ってられないけどね」
軽い所作で立ち上がると、手を振って年若い侯爵(仮)の少女は去っていった。ジードには脳内通話で無理をさせないようにと伝えておいた。