(92) 呼び出しに応じて
冬の足音が近づきつつある頃、ブリッツから連絡役の忍者を通して相談が入った。盆地である柔風里ではさらに季節が足早で、新たな都の建物整備が間に合わないのだそうだ。
それを踏まえて、森林ダンジョンをブリッツ暫定統治領にも設置できないか、というのが相談の内容である。
晩秋になって冷え込む日も出てきているが、外界から比べれば森林ダンジョンの寒さはたいしたものとはなっていない。雨風の強さも緩和されるようなので、雪の影響も限定的だろう。そしてなにより、建物などの設備設置が容易である。まあ、CP、創造ポイントは必要なのだが。
ダンジョンは自由に設置できるわけではなく、移設も限定的となっている。けれど、ダンジョンを下層に増設するように、拡張も可能であるようで、細長く拡げていけば、連結した状態でブリッツのところまで到達させるのも不可能ではなさそうだった。俺の本拠からブリッツ暫定統治領の新都までは、地峡を経由しない直線距離なら意外と近い。
話はトントン拍子で進み、新都の地下まで森林ダンジョンが拡張された。そうなれば、ダンジョン内への道路の設置で、往来も便利になる。
さらには、細長いとはいえ一定の広さがあるダンジョン内の平地を活用して、開墾もできそうだった。いよいよ魔王的要素が消えつつある気もするが、それもよかろう。
そうして、ダンジョン内陸路でつながると、物資の融通もうまく行き始めた。往来が盛んになったためもあってか、戦地に打ち捨てられていた武具の回収、運搬も進み、クラフト率いる鍛冶チームもさらに多忙になった。散逸したと思われたベルーズ伯爵家保有の業物も、少しずつ回収できそうだ。
同時に、ユファラ村を含めた南方四村と、エルフやドワーフ、犬人族の集落と、タチリアの町までの道路整備も進めている。そちらもゴーレムが投入され、昼夜兼行での作業となっていた。
戦乱による物資不足の影響と、黒月商会とマルムス商会が適正価格での買い取りを徹底したため、南方四村はかなり潤っていた。同時に、四村で人員を出し合っての開墾も進めたために、来年以降の展望も広がっている。
まあ、それらはエスフィール卿の裁可によって実施されたので、彼女(そう、彼女なのだ)が失脚した場合には微妙な展開もありうるが、それにしても現状で生産力を高めるのは正しい方向性のはずだった。
冬で農作業が一段落した今では、各村から少人数ずつ森林ダンジョンに招待する試みを続けている。
温泉も物珍しい料理も、亜人が闊歩するのも、さらには魔物が身近にいるというのも、総てが新鮮な体験であるようだ。魔物の中でも人気なのは、ポチルトと地竜達らしい。動物園ならぬ、魔物園でも作るのもありかもしれない。
宿屋の新体制はうまく機能しているようで、料理もサービスも磨きがかかってきたようだ。ちょこちょこ顔を出す赤鎧勢らからも、お褒めの言葉を頂いている。
一方の妓楼方面も稼働を始め、高級遊女との社交場から単純な娼館まで一通りが整備された。天帝教は禁欲を求める場合があるようだが、豊穣を嘉する精霊系の宗教がそちら方面を禁ずるはずもない。さらには太陽神への寄進への見返りとの言い訳も用意したためか、客の入りは悪くなかった。ただ、娼婦陣の健康と報酬面への目配りは欠かさないようにしよう。
商売方面での動きとしては、森林ダンジョンに支店を置く商会が出始めていた。タチリアの町を排除する気はないが、ブリッツによる暫定統治領との商いも含めて、ここで一定の取引ができるようになるのはいい展開である。
そうそう、奴隷商方面では、遂に亜人担当だったハーウェルを口説き落とし、共同で商会主と交渉して、亜人奴隷方面の事業買い取りに成功した。俺としては本家再興形式を提案したのだが、ハーウェルは個人での黒月商会入りを希望してきた。受け容れて、新設する奴隷部門を任せると決める。
黒竜商会の奴隷部門と言っても、実際には亜人奴隷はほぼ俺が買い取って解放するので、よそからの買取専門の形になりそうだ。買取価格を上げると、人さらいによる奴隷化を誘発しかねないので、そのあたりの舵取りも考えていかなくては。
同時に扱い始めた人間の子ども奴隷については、買い手がつかない場合に限って引き取る形でまとまりそうだ。奴隷商とも付き合いは絶たず、むしろ連携できるところはしていきたい。新参がいきなり信頼される分野ではないようなので、その面の兼ね合いもあるのだった。
天帝騎士団は、一部は西の根拠地に戻ったものの、残りは候領都ヴォイム付近に駐屯して無言の圧力をかけているらしい。
他の土地では魔王が暴れているようだが、事実上の内戦状態にある星降ヶ原勢が向かえるはずもない。仮初めの穏やかな時間が過ぎていく。
そんなある日、事態を大きく動かすことになる知らせが入った。
配下の主だった名付け勢へは、朝昼夕に点呼をして、その際に報告事項の有無を返させるようにしていた。
報告事項は、甲乙丙丁とランク分けして、点呼終了後に改めて聞き取る形となる。超緊急事態であれば、その限りではないが。
人によって、情報の重みづけには差があるのが実情である。情報収集系の忍び勢は、勢力全体を揺るがすようなものを甲種だと考えるし、現場の指揮役は自分の守備範囲内での重さで判断する。それ自体は当然であり、ある程度の補正をかけていくと同時に、俺の方で相手によって対応を変えていく必要もあった。
その日は、サイゾウとジードから甲種報告ありとの反応があった。勢力全般の状況に通じた冷静な二人なだけに、稀な事態となる。
二人からもたらされたのは、それぞれ別ルートながら、同一人からの呼び出しだった。
領都ヴォイムの南東にある別宅で俺を迎えたのは、整えられた髭と落ちついた出で立ちが特徴的な人物だった。年齢的には、初老の域に達しているだろうか。
口許に浮かべる穏やかな笑みによって、控えめな威厳を醸し出されている。
「やあ、貴殿が噂の魔王殿か。私は、ラーシャ侯爵家で家宰を務めるベルヌールと申す者です。お越しいただき恐縮ですな」
元世界の執事服とはまた違うが、なかなかに決まっている。エスフィール卿との初遭遇時につきまとっていた家宰代理とやらは、この服装を形だけまねていたのだろうか。
「いや、候領都の情報はできるだけ把握したいので助かる。当主が亡くなられたそうだな。お悔やみ申し上げる」
「これはごていねいに、痛み入ります。……タクト殿は、魔王でよろしいのですかな?」
「ああ。魔王らしくしろと、よく配下に叱られる」
「なるほど。無理もないですな。……さて、お呼び立てしたのは他でもない。エスフィール殿についてです。どう見られていますかな」
示された椅子に腰を下ろすと、なかなかの座り心地だった。
「何を知りたいのかな? エスフィール卿と初めて会った際には、貴殿の代理だと名乗る人物がついて、色々と指図していたようだが」
「ファイヌルですな。手が足りず、単に監視役のつもりでつけていたのが、増長させたようです。お恥ずかしい」
「まあ、当時のあの子は、その程度の存在だったのだろうが」
「お見通しですか。……平時なら、エスフィール卿の選択肢は消えていたでしょうからな」
「有事ならなおさらだろう?」
「それは確かに。……自らのご判断でゴブリン討伐の旗を掲げるまでは、あの方は何者でもなかった。今にして考えれば、知ろうとしなかった面もありますが」
「民を守ろうとする姿勢。陣頭に立つ覚悟。そのあたりは、評価してよいだろうな。危なっかしいが」
「東方のゴブリンとの戦闘では、退き際を誤ったと聞きましたが」
「よく把握しておられるな。ゴブリン・プリンスがゴブリン・ロードを投げつけて、訓練の行き届いていない戦列もどきに迫られてしまった。あの場を死守するのなら、踏みとどまったのは正しい判断だったろう。だが、あそこでエスフィール卿に死なれていたら、事実上の敗北だったからな」
「単なる蛮勇ではなかった、とのご判断か?」
「あの場には弱卒が多かった。踏みとどまって戦線を維持し、犠牲を少なくしたかったのだろう。ただ、総大将には身を守るのを優先して欲しいところだな。まあ、学んでくれればいい」
「学ぶ余地は大きい、ですかな」
「あの年齢で既に一軍を率いている上に、天帝騎士団ともやり合い、新勢力であるブリッツ暫定自治領とも連携しているからな。……この星降ヶ原では、南部は重要度が低いんだろう? そちらも譲れぬのなら、分割統治もありかもしれんぞ」
「そう考えて、南部に留まっておられるのでしょうか。北部への興味が薄いようにも見えます」
「うーん、先を考えているようで、考えていないのかもな。旧ベルーズ伯爵領侵攻の際にも、タチリアの町の防備を空にしてたしなあ」
「先ですか……」
「ああ。亡き当主の弟二人は、先が見えすぎたのかな。ゴブリンと青鎧の連合軍が候領都に迫った時、矢面に立てば損耗によって跡目争いで不利になると考えたんだよな、きっと」
「ええ、おそらく。無傷で残るエスフィール卿についても頭にあったかもしれません」
「だが、彼らの手勢のどちらか片方だけでも立ち塞がって、エスフィール卿に救援を仰いでいれば、あの子は迷わず全軍で駆けつけただろう。その結果として両者が生き残れば、彼女が譲る目さえあったろうに」
「譲る……ですか?」
「ああ。元々のゴブリン討伐にしても、誰も動かないから自分が、との発想だったようだ。この状況で、叔父のどちらかが領地と領民を守る姿勢を見せたら、権力争いからは手を引いていたかもしれんぞ」
「……お二方に、守る姿勢は見られませんでしたな」
「ああ。エスフィール卿もそうだが、配下のルシミナやらダーリオあたりは、候領都を捨てた二人を蹂躙の加害者と同等に捉えていそうだぞ」
「サズーム家とホックス家が……」
「連中は、四柱石家とやらの出身者だったか。なまくら刃のシャルフィスに、弓使いのエクシュラの方は、まだ物分りがよさそうだが」
エスフィール卿の陣営に参加した当初のルシミナとダーリオは、必ずしも後嗣の少女を評価していたようには見えなかった。だが、今では当然のように彼女を支える立場になっている。そうさせるだけの人格が、エスフィール卿に備わっているからなのだろう。
「その四者が、エスフィール卿を支える中枢ですか」
「戦闘面では、そうだな。内政面や情報収集方面では、無名の者を左右に置いているようだぞ」
「タクト殿の配下も参加されているとか」
「ああ。青鎧から派遣されているのもいるしな。逆に、あちらに人も出すって話になっていたようだ」
「よくわかり申した。……エスフィール卿を今後も支えていただけると助かります」
「それはまあ、こちらの思惑と合致するのでかまわんが……、事実上、あんたが後継者の決定権を握っているんだろう? 支持を表明して、支えつつ育ててやればいいじゃないか」
「しがらみが色々とあるのですよ。それに、若い感覚でやっていく上で、邪魔になるでしょうから」
「まあ、そこに口出しはしないがな。……エスフィール卿の情報は、既にだいぶ集めていたようだが、呼び出して何を確認したかったんだ?」
「エスフィール卿の連携相手がどのような存在かを知りたかったのですよ。充分に把握できました」
「ほう……、俺からも少し聞いていいか?」
「なんでしょう」
体勢こそ変えていないが、細身の家宰が身構えたのが伝わってきた。
「その服なんだが……、仕立て服なのか?」
「ええ」
「うちの勢力にも、中を取り仕切る者達が居てね。差し支えなければ、報いるためにも似た服を仕立ててやりたいと思ってな。紹介してもらえるか?」
「残念ですが……。長年の付き合いだった仕立て屋は、先日の候領都劫略の際に命を落としたそうです」
「そうか。ならば、似た服を探そう。……それと、亜人を排斥したのはあんたの考えなのか?」
俺の勢力の執事役は、内向きはコボルト、外向きは一時奴隷化されていた猫人族である。
「いえ……。遠い昔の話になりますが、初恋の相手は亜人の女性でしたな。種族間で断絶される世界は間違っています。……それでも、帝王国で生き残るためには」
それもまた、彼を取り巻くしがらみの一つだったのかもしれない。
「うちの執事的立場の者は二人いて、内向きをポチルトと名付けたコボルトが。外向きを猫人族のミーニャが担っている」
「……猫人族とはめずらしいですな。ミーニャというその女性は、どのようにタクトさまのところに?」
まあ、コボルトが魔王の配下であるのは意外でもなんでもないだろうが。
「当主の弟達の亜人排斥がらみで奴隷化されたようでな。タチリアの町の奴隷商のところで病で死にかけてたのを買い取ったんだ。回復したら好きに生きてくれてよかったんだが、働きたがったので宿屋で手伝いをさせたらしい。……そしたら、めきめき頭角を表して、いつの間にか宿屋や食事処に、外来客の接待までこなす幹部にのしあがってるぞ。人物というのはいるものだな」
「そう……ですか。それは、頼もしい家臣をお持ちで」
「家宰というと、もっと政事向きの分野なのかな。そちらも含めて、指導してやってくれないか」
俺の申し出に、公爵家の家宰が瞬きを重ねた。一瞬、その表情が孫に思いを馳せる祖父のような、ひどく柔らかなものに感じられた。
「それは、楽しそうな将来図ですな。……けれど、やらねばならないことがございます。時間ができたら、お邪魔させていただきます。噂の温泉とやらにも浸かってみたいですしな」
「ああ、待ってるぞ」
俺を見送るベルヌールの視線は、どこか寂しげで、同時にうれしそうにも見えた。