(90) 怒りと癒やし
「タクト様、セルリアさまが助けを求めておいでです。お運び願います」
忍者からの呼び出しを受けた俺は、今後についての協議の場から離れた。案内された先は、なかなか豪奢な建物だった。
そこでは、フウカが抜き放った聖剣を白金色の髪の女騎士に向けていた。シュクリーファ嬢の後ろでは、従者っぽい白鎧が剣を抜いているが、いまいち闘気は感じられない。
「なにごとだ」
「タクト……、斬り捨ててもいいかな」
「できるかしら、あなたに」
シュクリーファの言葉は、相変わらず淡々とした疑問に聞こえる。それだけに、人を苛立たせる効果があった。
「あー、事情を聞いてもかまわんか?」
「その……、シュクリーファ殿が、生きていくことを選択した女性たちに、恥ずかしくないのかなと言明されまして」
セルリアの報告は、俺を納得させるものだった。
「そうか。フウカ、よく怒ってくれた」
頭に手をやって撫でても、勇者の卵の臨戦態勢は説かれなかった。天帝騎士団の一員であるシュクリーファが、変わらぬ口調で言葉を発した。
「思ったことを口にしただけなんだけど」
「それによって他者を傷つけるのなら、制止して当然だ」
「なら、戦っていいの?」
フウカの身体がゆっくりと闘気を発し始める。その威圧感は、なかなかのものだった。
「いや、すまん。こらえてくれ。……シュクリーファ、こちらから声をかけてすまんが、この場を去ってくれないか」
「なら、最初から呼ばなければいいのに。行きますわよ、レミュール」
興味を失ったらしい白騎士は、やや強い一瞥を残してその場を立ち去った。短髪の年若い女性騎士が、黙礼を残して続く。対して、フウカはまだ剣を構えたままである。
俺はこれまでシュクリーファ嬢の、相手が強者であろうと配慮しない物言いや行動を小気味よく思っていたようだ。そのために、今回の傷ついた人々に対しての言動に、幻滅してしまったのだろう。
けれど、実際には俺が勝手に幻想を抱き、理想を押しつけていただけなのかもしれない。むしろ、相手を選ばずに自分の感じたことを口にするのが、彼女の良いところであり、悪いところなわけか。
去っていく間際に向けられてきた視線には、常の彼女にはない嫌な輝きが感じられた。これは、厄介な相手に嫌われたかもしれない。だが、より優先して配慮すべきは目の前の親しい存在だった。
「フウカの怒りは正しい。だが、現状で天帝騎士団と戦端を開くわけにはいかなくてな。本当にすまない。……女性たちのために怒ってくれているわけだから、それを転じて彼女らを癒やすことはできないか」
「癒やす……?」
「ああ。かつての精霊の助けを借りたときも、先ほどの魔王との決戦の際も、聖剣からの治癒の光が負傷者を救ってくれていた。その聖剣で、彼女たちの心の苦しみを少しでも和らげてもらえたら、助かるんだがな」
「やってみる」
俺は、同時にソフィリアに脳内通話をつなぎ、事情を伝えて精霊の加護を依頼した。やがて、聖剣からの光が、女性たちを包んだ。
近づいてきたルシミナは、悲嘆を瞳に浮かべている。
「それでも、完全に精神が壊れた方も、はっきりと死を望む方もいらっしゃいます。考えが変わらなければ、死なせて差し上げてかまいませんか?」
「ああ、嫌な役回りを押しつけて悪いな。……せめて、苦しみの少ない毒を準備しよう」
一礼して、薄桃髪の女騎士は戻っていった。どこからか軽やかな鳥の声が聞こえてきている。のどかな陽光が降ってきているのだが、俺の口からはため息がこぼれ落ちた。
タケルの魔王城が陥落してから、一旬が経過しようとしている。その間に、ひとまずの戦後処理は完了していた。
もっとも紛糾したのは、旧ベルーズ伯爵領をどう扱うかだった。
魔王を打倒した勇者であるブリッツが上に立ち、ワスラム一党を含めた旧領民が支える。それが、エスフィール卿と俺が描いた絵図となる。
対して、帝王国内の秩序を言い立てて、天民の避難民らによる臨時政府の樹立を求めたのが天帝騎士団だった。副長であるジオニルの意向が強く影響したようだ。
こうなると、ワスラム勢の一員で、物資着服の罪で奴隷化した面々を早期にジオニルに渡さなくてよかった。また、候領都ヴォイムからの撤退行で投降したワスラム以外の捕虜を森林ダンジョンに留め置いていたのも、結果として良い方向に転がった状態だった。
それでも、ジオニルは天民中心の統治にこだわりを見せた。ブリッツは地民の出身であり、帝王国的な考え方からすれば、帝皇戦争での敗者側の人間である。
一時は天帝騎士団のうちのジオニル子飼いの者達が臨戦態勢を取って、きな臭い展開になりかけたが、呼び出された天民の代表がこの地からの退出を希望したために、収束の方向に向かった。
天民の中でも天民中心主義的な立場の者からすると、ベルーズ伯爵がこの地に封じられたのがそもそも騙された状態で、潜龍河に近い豊かな北部に移りたいのだそうだ。
ツェルムによれば、帝皇戦争の直後には、星降ヶ原の北部は荒廃していて、地峡に囲まれたこの盆地、柔風里は豊穣な土地だったという。初期には、転出したラーシャ勢が飢饉に苦しんだ話もあったそうで、騙されたわけではなかったようだ。
ただ、年月が経て荒廃から復興してしまえば、肥沃さは北部の方が勝るのは間違いない。さらに言えば、帝王国で重視される麦を育てる点に限れば、ここは最適とは言えない環境にあった。
いずれにしても、この地での統治の正当性を主張するはずの天民代表が、逆に転出を希望したのは、ジオニルにとっては予想外だったようだ。実際には、サイゾウやジライヤらの忍者たちが共同で、天民特権が廃止方向であることや、星降ヶ原に限らず魔王に荒らされた土地が多いので、移住が容易いとの噂を広めた効果もあったろう。
間接支配を目論んでいたらしいジオニルは、けれどすぐに方針を転換して、天民中心派の人々を天帝騎士団東方鎮撫隊の駐屯地近くに移住させる案を打ち出した。星降ヶ原の西隣となるその土地は、中央域にも近い。このまま魔王による騒乱が収まれば、条件の良い土地だと言えそうだった。
これは、俺にとっても助かる展開である。物資横領から奴隷にした面々や、投降して捕虜にしている青騎士を高く売りつけられそうだし、ワスラム一党のうちの天民中心派を分離できる可能性まである。
それぞれの思惑が交錯した後、晴れてこの地の仮統治者として定まったブリッツは、噂されていた天民特権の廃止は行わなかった。
天民と地民の区分を廃止したのである。
廃墟となった旧都で、集まった住民や関係者を前にしてブリッツは決意を表明した。
……この柔風里の民は、天民と地民に分かれていた。魔王の暴虐による苦難が生じ、多くの者が苦しんだ。
けれど、助けを得て、その災難をどうにか退けることができた。
天民も、地民も、どちらも苦しんだ。
天民も地民は、これまで同じ天を仰ぎ、同じ大地を踏みしめて生きてきた。
これからも、我らはそうして生きていこう。
もう、天民と地民に分ける必要はない。我らは天地の民だ。
地響きのような歓声は、ラーシャ勢と魔王勢が発端だったのは確かである。けれど、天民と地民の者達も、多くが喝采を発していた。
一方で、転出を決めていた天民中心派に対しては、その決意をより固くさせる効果があったようだ。彼らからすれば、天民と地民が同じに扱われるのは耐えがたいのだろう。
ブリッツの演説は、誰かが考えたものではないようだ。本人の弁によれば、ソフィリアの「天と地のどちらかだけでは、生き物は生きていけない」との言葉と、フウカの「同じ天地に生きているのにね」というのを合体させてみたから、自分の発想ではないとのことだった。周囲からは、それを結びつけて、わかるように伝えたのが重要だと褒められていたが、納得はしていなかった。
転出を希望した天民中心派は、天民の生き残りの四半分にも満たない数だった。実際には、彼らが声高に地民を圧迫していたのを、苦々しく感じていた者も多かったのだろう。
ベルーズ伯爵領から、ブリッツ暫定統治領と切り替わったこの地の都は、集会の行われたラーシャ時代の旧都に定められた。城市ワスラムへの玄関口的な位置にあり、ここに敵が迫った際の避難所として城市が築かれた経緯があったそうだ。荒らされた領都は、すぐに再建するのは難しい状態だった。
ただ、領内の総ての集落が焼き払われたわけではない。ゴブリンが到達しなかった土地もあったようだし、早々に住民が逃げた村の中には、魔王勢に素通りされる場合もあったそうだ。
無事だったところはいいとして、荒らされた集落には助力が必要となる。戦乱の影響で、小麦、大麦の種蒔きの準備が進んでおらず、手が足りない状態だった。
その対応は、ユファラ村を始めとする南方四村で集めた農夫を投入して凌ごうとの話になった。もちろん、給金を渡しての活動となる。再建費用として、タケルの魔王城に集められていた財物が充てられることになるだろう。
持ち込まれたのは、麦に加えてじゃがいも、トマト、甜菜、シロツメクサの種苗や種芋となる。地域を区切っての忍者やゴーレムも投入しての農作業は、冬の到来との競争となった。