(89) 精神攻撃
黒い妖精が気の強そうな少女の姿をしているのに対して、白い妖精はおとなしそうな男子の容姿だった。肌はどちらも白く、白黒なのは髪と羽根と服となっている。
「なんで殺さないのさ。あたいが、そいつを失明させたってのに」
「失明……なのか。タケルがそう命じたのか?」
「そーよ。そいつが、アユムってやつなんでしょ? 魔王がブツブツ言ってたよ。籠に閉じ込めていたのに、邪魔が入って逃げられたんだとか」
視力を失った状態のアユムが、超イヤそうに顔をしかめる。そうすると、美形なだけにひどくきつく感じられる。
「魔王は倒したぞ。残った配下は、自動的に倒した魔王の手下になるわけじゃないんだろう?」
応じたのは、白い妖精の方だった。
「はい、必ずしもそうではありません」
「解放するから、アユムにかけた術を解いていってくれないか」
反応したのは、黒尽くめの小妖精だった。
「解けるわけないよ。精霊術なんだから。完全に失明してるって」
失意のせいか、俺の視界までもが薄暗くなったようだった。また、油断して大事な存在を傷つけてしまった。気落ちしていると、アユムの声が耳朶に届いた。
「タクト。変な風に背負い込むなよ。それは、ボクに対して無礼だぞ。完全に見えなくなったわけじゃないし、これならなんとか戦えるさ。座頭市を目指すのもいいし」
「完全に見えなくなったわけじゃないって、そんなはずないよ。まともに喰らって、見えるもんか」
「そう言われても、うっすらとは見えるからなあ」
そう応じるアユムは、たしかに視線を宙を舞う黒妖精の方に向けている。
「もしかして……、精霊の加護を受けていますか?」
白妖精の少年の問いに、俺は戦闘開始時の指示を思い出した。
「えーと、前衛扱いで大盛りくらいかな。なあ、ソフィリア」
「この感じですと……、もしかして、五精霊の加護を重ねがけですか?」
「そうでしゅよ。前衛ですから、大盛り五重がけでしゅ」
戦闘の気配が消えて、後方部隊も近づいてきていた。そんな中で、ソフィリアがあっさりと応じる。
「バカなの? ねえ、バカなの? それじゃあ他の魔法への対抗力だと、本来の半分の効果も出ないじゃない」
「そうなのでしゅか?」
ソフィリアの問いに応じたのは、白い方の妖精だった。
「精霊の加護は、相手の術を見極めて対抗できるものにのみかけるのが一般的です。その方が効果が強いのです。例外は、光と闇の精霊術でして、複数の加護によって効果をだいぶ減らせます。ぼくたちが使うのは、闇と光ですから、今回はたまたま有効でした。……この状態なら、中和すれば、全快できるかもしれません」
美形魔王の近くまで飛んでいった白妖精の言葉は、心強いものだった。
アユムの視覚不調は、無事に快方に向かいつつあった。俺の傷の方も、ポーションで完治可能なレベルではなさそうだが、命に別状はなさそうだ。右腕が使えなくなるとしたら、痛いのは間違いないが。
ゴブリン魔王の死体を鑑定したところ、タケルだったのが改めて確認できた。夢中で左手で刺突したにしても、ブリッツとフウカと共にとどめを刺したのには間違いなさそうだ。
これまで、多くのオークやゴブリンを倒してきたし、魔王勢の長として冒険者の剣士や青鎧ら人間も殺してきた。けれど、元世界の知己を手に掛けた事実は、俺の胸に重苦しさを招きこんでいた。
一方で、ブリッツにとっては故郷の村を壊滅に追い込んだ直接の仇であるし、フウカにしてもかつて戦った相手である。その戦いの際には、信頼できる三人の配下が命を落としたのだ。俺がおかしな感慨にふけっているわけにはいかなかった。
ブリッツは涙を流しながら、西方の故郷の村の方を見つめている。討ち果たした報告をしているのだろうか。真紅の髪の少女の方は、俺の隣で少し放心しているようだった。
戦後処理は、すぐにも必要となる。この地にいるゴブリンの活動を止められるのなら、なるべく急ぎたい。こうしている間にも、魔の手に晒されている人たちがいる可能性がある。
白黒の妖精は、なにやら言い争いをしながらも境界結晶の場所を教えてくれた。床の間の奥が、隠し扉になっていたようだ。
「なあ、お前ら逃げないのか?」
「逃げたってどうにもならないのよ」
「そうなのです。魔王が死んだ今、ぼくらは主のいない魔王城所属になっています。この場を離れたところで、境界結晶を手中に収められれば同じなのです」
だとすると、城塞侵攻軍も現状は魔王城付きとなっているのだろうか。脳内通話でルージュに確認してみると、勢いが減じたようではあるものの、引き続き攻めてきているそうだった。
「境界結晶を俺が支配して配下になったら、解放されたいとは言えないんじゃないか? 今のうちに希望を聞いておくぞ。放逐か還元が選択肢になるだろう」
白黒の妖精は、視線を交わした。
「差し支えなければ、ぼくを臣下として扱ってください」
「どうしてもって言うなら、世話になってやってもいいわ。自活するのも厳しそうだし」
いや、どうしてもとまでは言っていないのだが、魔法、あるいは精霊術が使えそうな妖精族が配下になってくれるのはうれしい展開である。
境界結晶の上部に手を置くと、ゆっくりと俺の波動が浸透していき、拠点情報が脳内に入ってくる感覚があった。
かつてのアユムのダンジョンは、魔王の降伏による勢力合一によるものだったし、ゴブリン・クィーンが根城にしていた無主のダンジョンには、外来の魔物しか存在しなかった。
対して、今回は多くの魔物が存在している。脳内ウィンドウを確認すると、未だに八千近く存在する魔物のほぼ総てがゴブリンだった。
少なくとも、生存している他の魔物は白黒の妖精のみである。
「なあ、妖精たちよ。かなり強い存在だろうに、どうやってタケルに召喚されたんだ。他はゴブリンだけみたいだが。……もしかして、卵からかえったのか?」
「卵からじゃないのは確かね。……なんか、連続ボーナスとか、わけのわからない言葉を発していたような」
「ぼくも、そう聞きました。ようやく連続ボーナスが二回目だとか」
同一魔物を生成し続けると、なんらかのボーナスがあるのかもしれない。初期からだとしたら、今となっては試しようがないけれども。
俺は、白妖精にヒナタ、黒妖精にホシカゲとの名をつけた。ステータスとしては魔法特化であるようで、貴重な存在となってくれそうだった。
新参のゴブリンたちに対しては、境界結晶経由で魔王城への帰還と還元を命じた。脳内通話がなくても、境界結晶経由で大まかな指令の発出は可能なようだった。
単純に戦力面から考えれば、特に上位個体については配下に加える選択肢もあった。だが、仮に彼らが理知的な存在だとしても、還元させるべきだろうと俺は考えていた。システム的な最善手が、総ての状況を踏まえた上で同じく最善手とは限らない。ここはゲーム世界ではないのだから。
新たな配下魔物たちの手当てを進めると同時に、城塞都市ワスラムにいるルージュたちには、戦闘休止を指示した。ようやく、この柔風里での戦雲は去ろうとしていた。
境界結晶の間から戻ると、ほとんどの者達は炊き出しの準備にかかって階下に去っていた。風景を眺めていたファイムが、ふらっと寄ってくる。白鎧の表面は、青みがかった血に塗れている。
「なあ、ゴブリン魔王の最後の攻撃は本気だったのかな。アユムを傷つけたければ、他にやりようがあったようにも思うが。殺気もいまいちだったように思えたし」
「さあなあ。本気で失明させる気があったのかどうかも……。アユムの防御力は実感していたはずだし、最後に自分の印象を刻みつけたかったのかもな」
「知り合いだったとは聞いたが、どういう関係性だったんだ?」
「……色々と考えを巡らせるのはいいが、まずは自分の隊内を固めたらどうだ。周囲の顔色ばかり窺っていると、首が回らなくなるぞ」
踏み込まれた苛立ちを、ついぶつけてしまった面があったかもしれない。俺の言葉に、ファイムはおおげさに胸の辺りを押さえてみせた
「う……、さすがは魔王。なんと手ひどい精神攻撃を」
どうやら、本当に効いていそうだった。
ファイムを追い払って天守からの風景を眺める。木の柱があるためか、一気に和風の度合いが増している。
「どこまでも日本風が好きだったんだな」
近づいてきていた覆面姿の忍群魔王が、首を傾げる。
「タケルとやらも、日本人だったのでござろう?」
「ああ、まあ、いろいろあってな」
「なんにしても、共闘はひとまず完了でござるな」
「だな。また縁があったら頼むぞ」
「任せておくでござるよ」
そう言い残すと、シャルロットは屋根伝いに降りていった。さすがは忍者群の総帥である。
帰還した魔物が還元しやすいように、境界結晶は城門近くに移設する形にした。そんな中で、コカゲが卵らしきものを見つけてきた。
卵とは、ランダムでモンスターが生成するアイテムのようなもののようだ。
黒妖精のホシカゲに事情を聞いてみると、一日一個のペースで孵化させていたものの、雑魚しか出ないと癇癪を起こしていたらしい。しかも、連続生成ボーナスが切れたかもと言って、荒れ狂っていたそうだ。
「でもなあ、城に攻め込まれるのなら、孵化させれば凄いのが出るかもしれないんだから、やってみてもよかったんじゃないのか?」
「どうお考えだったのかは、わかりませんけれど」
白妖精のヒナタが、首を傾げながら斜めに飛んでいく。器用な存在である。
卵ガチャ……。ソーシャルゲーム方面はあまり詳しくないのだが、こういったガチャ的なものの当たり確率はごく低い場合が多いらしい。期待するのがバカらしくなっていたのだろうか。
まあ、ただ還元しても仕方がないし、俺は卵を総て孵してみると決めた。
同席しているのは、魔王勢の面々である。生成やら境界結晶やらの件は、やはり他勢力には知られない方がいいだろう。
「んー、興味深いですねえ」
トモカは卵を凝視している。フウカやブリッツは、どこかお祭りのように期待に満ちた表情をしていた。
コカゲやセルリアも、戦後処理の諸々で多忙な中、覗きに来ている。今後の戦力に影響するだけに、興味があるのだろう。
現れたのは、ゴブリンやオークといった最低勢力レベル相当のモンスターがほとんどだった。まあ、予想はしていた。
彼らには申し訳ないが、還元を指示して境界結晶に直行してもらう。生態を観察できれば役立つ面もありそうだが、俺が配下に加える悪影響の方が明らかに大きい。
シャドウウルフが一体出現したところで打ち止めかと思ったら、最後から二番目の卵を割って出現したのは、翼の生えた鹿のような水色の生き物だった。
「ペリュトン、という魔物らしいな」
「かわいいっ。触ってもいいかな?」
フウカの翠色の瞳が、期待で輝いている。
「だいじょうぶだと思うぞ。ただ、いきなりじゃなくて、そーっとな」
「うん」
べリュトンの方に嫌がる素振りはなく、任せて安心そうだった。
と、セルリアが近づいてきた。
「離れの建物に、女性たちが幽閉されていたとの報告が入りました。その……、あまりいい状態ではないようでして」
ゴブリンの集団に囚われていたからには、きつい経験をした可能性が高い。
「そうか……。すまんが、セルリア、コカゲ、トモカに対応を任せていいか。男が出ていくと、色々とまずいかもしれん」
「承知しました。……自死を望む者が出ているようです。いかがしましょうか」
「人間の女性……、ルシミナとシュクリーファの意見を聞いて、判断するとしようか。本来なら、勢力の長であるエスフィール卿に頼むべきなのだろうが、年若とは言え男だからな」
セルリアがやや目を見開いたようだったが、すぐに気を取り直したようだ。
「やや極端な人選ですが……、他に適任はいなさそうですね。青鎧勢に頼むのも、ためらわれますし」
そのときの判断を、俺はすぐに後悔する羽目になった。