(88) 無限再生
魔王城の天守の内部は畳と板の間で構成されていて、部屋の仕切りには襖が配されていた。槍持ちの面々が襖を開けて、先へと進んでいく。
トモカの期待混じりの推測通り、城門から建物までの抵抗は皆無だった。建物に入るとさすがに群れ単位で襲撃してくるが、上位個体の中でも低めの者が率いている状態で、脅威度は低い。
俺は、隣に進む美少年魔王に声をかけた。
「なあ、さっきから「暴れ者将軍」の主題曲が脳内で鳴り止まないんだが」
「ああ、早朝時代劇のね。戦闘が始まれば、きっと殺陣シーンの曲が流れ出すよ」
「ぱー、ぱー、ぱー、ぱぱぱぱぱぱ、ぱーぱー、ぱーん♪ ってやつでござるな」
アユムの言葉に反応して、忍群魔王が口ずさむ。おい、そっちも無限再生されるじゃないか。なんてことをしてくれるんだ。
「なあ、日本を訪れた経験ないんだろ? なんで諳じられるんだよ」
「アニメなどでもよくパロディが登場する作品でしたからな。動画配信サイトで見てたのでござるよ」
魔王三人で緊張感のない会話をしつつ、上層へと向かっていく。
そして、到達した最上階。そこには、上位個体がごろごろいる状態で、中央の豪奢な椅子に迫力のあるゴブリンが腰を下ろしていた。
「……タケル、なのか?」
返ってきたのは、なにやら聞き取れない言葉だった。ゴブリン語なのだろうか。ベルーズ伯との連携に至ったからには、言葉は通じていたものと思われるのだが。
「フウカ、ブリッツ、どうだ。あれが、遭遇したゴブリン魔王か」
「間違いないわ」
「おいらもそう思う。あの右頬の傷は、確かに見覚えがある」
元世界でのタケルの右頬の傷は、小学生だった頃に上級生によってつけられたものだと聞く。加害者は、半身不随になって転校していったはずだ。
狭い社会の中で、タケルは父親の力を背景に君臨していた。俺は近所の剣術道場に出入りしてたからか、やや敬遠されていたようだった。
アユムと絡むようになった俺は、ほとんど顔を出すだけになっていた剣術道場に彼を引き込んだ。師匠の威を借りるためである。
剣術を修めるつもりはなく、単に身を守るために利用したいと口にした俺を、師匠は微笑んで受け容れてくれた。そして、生意気な少年たちに護身用としての剣術を叩き込んでくれた。
その頃には、まさかこんな風に役に立つ日が来るとは思わなかったが。
「で、やっちゃっていいんだよね」
「ああ、もちろんだ。ソフィリア、各精霊の加護をぶち込んでくれ。主戦中心に、前衛多めで、ブリッツには特盛で」
「承知したのでしゅ」
そして、乱戦が始まった。天守の最上層まで来ているのは精鋭の面々のみである。エスフィール卿や各勢力の二番手以下の顔触れは、周囲の警戒と退路の確保に努めてくれている。まず前面に出たのは、アユムとファイムだった。
当初は腰を下ろしたまま動きを見せなかったタケルだったが、場が乱れたときに一気に仕掛けてきた。
その狙いはアユムで、居合わせた最上位ゴブリンの配下との集中攻撃だった。
けれど、頼もしい美形の少年は鉄壁の防御を見せつける。エフェクトを撒き散らしつつ多方向からの攻撃をあっさりと受け切るあたり、さすがの動きである。
あてが外れたのか、ゴブリン魔王が攻撃目標を切り替えた。次に狙われたのは真紅の髪の少女だった。
本来のフウカの実力であれば、総てを受けきれなくとも、すぐに崩されはしなかっただろう。けれど、彼女はややすくんでしまったようだった。聖剣は輝きを増しているようだが、使い手が怯えてしまっていては力は発揮できないだろう。
タケルは元世界にいた頃から、弱い相手を見つけるのが得意だった。それこそ、スキルでも保有しているんじゃないかと思えるほどに。
ここは、無理をする場面でもない。半ば予想していた俺は、フウカの前に立ち塞がり、まずは配下ゴブリンから攻撃していく。
次にタケルが矛先を向けたのは、ブリッツだった。身を震わせたのは武者震いというやつか。聖剣に力を込めて、猛然と応戦する。剣からこぼれる炎は、室内でも美しく妖しく輝く。
技量としては、不足しているかもしれない。けれど、この少年には無理をしてでも対峙するに充分な理由があった。
俺は、青鎧勢のマザック、ブリッツにフォローを頼むと、他の面々に周囲の上位個体を仕留めていくように指示を出した。
乱戦の中で、ブリッツから声が届いた。
「あんちゃん、殺していいのかい? 知り合いなんだろ」
「気遣いは無用だ。存分にやっちゃってくれ」
応じた俺の声に、ゴブリン魔王のくぐもった叫びが重なった。
逆転の一手は用意されていなかったのだろうか。魔王タケルは徐々に追い詰められつつあった。
大剣を構えるゴブリン魔王は、さすがの戦闘力である。けれど、マザック、ツェルムを従えるブリッツと、アユムとファイム、フウカ、そして俺に囲まれた状態では、部下の支援に回るのも困難だった。
包囲の輪の外側では、シュクリーファやルシミナ、アクシオムに、コカゲやジライヤらの忍者勢らが上位ゴブリンを屠り続けていた。
やがて、背後からの戦闘音が途絶えた。最後の配下ゴブリンが、畳に倒れ込んだ。
タケルが、ゆっくりと大剣の先を床に向けていく。その状態で、誰が仕留めるべきか。あるいは、投降を受け容れて斬首のような形を取るべきか。俺は、そう考えてしまっていた。
ゴブリン魔王の剣が畳に転げ、三拍が置かれたところで、ゴブリン語なのだろう、何ごとかがつぶやかれた。
と、タケルの懐から黒い影が飛び出した。黒い……妖精? 俺がそう認識したとき、その小さな魔物がまっすぐ美少年魔王の方に向かい、至近距離で黒い霧を放出する。
目をかばうように動いたアユムに、拾った大剣を振り上げたゴブリン魔王が襲いかかる。
俺は、夢中で親しい古馴染みの少年のところに向かった。同時に、アーマニュートの二人、エリスとマモルも飛び込んできていた。
右肩に激しい痛みが走る。一撃で殺されはしなかったようだが、猛烈な衝撃が身体中を駆け巡っていた。
「タクトっ」
フウカの声が頭に響く。そちらを見やると、振り上げられた聖剣から青白い光が放たれていた。
その光がこちらに向かってくるのを感じながら、うっすらとした意識の中で「黒月」を左の逆手に持ち替え、突き出す。
嫌な手応えが感じられ、何かが流れ込んでくるような感触があった。視界が暗くなっていく中で、ブリッツとフウカがそれぞれの聖剣で魔王を刺し貫いているのが見えた。やはり魔王は、勇者によって打倒されるべきなのか。
どこからか飛んできた緑の霧が、フウカの聖剣からの青い光に合流する。心地よい風が吹き抜けたように感じられた。
目を開くと、間近に親しい存在の翠色の瞳が迫っていた。涙で濡れているようでもある。
「だいじょうぶだ。おかげで助かったらしい」
「もう。どうなることかと思ったんだから」
「ありがとな。……アユムはどうなった?」
「目が見えないみたい」
そちらを見やると、アキラが取りすがっていた。そして、黒い妖精がアーマニュートの二人に追われている。
「待て、そいつは殺すな。アユムへかけた術がわからなくなるとまずい」
エリスとマモルが動きを止めると、妖精があっかんべーをしてみせた。
俺はフウカに支えられて、どうにか立ち上がった。右肩から背中にかけては、まだ激しい痛みがある。キュアラとモーリアが引き続き治癒魔法を飛ばしてくれていた。
畳の上で、タケルが最期を迎えようとしていた。ブリッツが、油断なく剣を構えている。
ゴブリン魔王の手が、部屋の奥の方に伸ばされた。そちらには籠があり、中には白い妖精らしき存在の姿があった。
籠を取って戻った俺は、タケルの手の届くところに置いた。ゴブリン魔王の震える手が、籠の扉を開く。
白い妖精がそこから出てひらりと舞った。しっしっという手振りが、タケルの最後の動きだった。やがて、濁った瞳の焦点が合わなくなった。
……監禁していたものを解放して、許される。そんな幻想に浸って死んでいったのだろうか。その望みは断ち切るべきだったのか、自らの胸に投げた問い掛けは答えを形づくらなかった。