(87) 鎮魂の作法
ゴブリンの軍勢は、いったん後退して態勢を立て直しているようだった。さすがに、魔王からの指示があったのかもしれない。
吊り橋に仮設の板を渡して、俺たちの軍勢の主力も入城を果たした。エスフィール卿ももちろん一緒である。
今回は戦闘の規模が大きかったこともあって、犠牲者がゼロとはいかなかった。特に本拠にいる同胞を救うために奮戦したワスラム勢からは十数名の死者、重傷者が、赤備えで二名、配下からは犬人族からの参加者が一人、忍者が一名命を落とした。覚悟していたことではあるが。
自勢力の者達と再会したマザックは、自分が魔王の捕虜になった経緯を明かして、残留組に独立して行動するかどうかを問うた。
結果は、従来どおりにマザックを中心にまとまって行動する形で収まったらしい。
一方で、ワスラム一党はブリッツを事実上の主君として仰ぐ形になりそうだ。まあ、本人はだいぶ抵抗感があるようだが。
ブリッツがそういう扱いになったのは、攻防戦の最終局面で、坂に流れていた油に着火したのが、彼の聖剣からの炎だった影響が強いようだ。特に城塞側からは、剣の一振りで迫ってきていたゴブリンを炎で飲み込み、一掃したように見えたという。
その状況をコカゲから聞き取った俺は、本人の渋々ながらの承諾を得た上で、ブリッツをこの地に降り立った勇者としてプロデュースすると決めたのだった。
マザックにとっても、事実上の叛旗を翻した状態であるのに加え、既にベルーズ伯爵の生死が不明……、いや、生きていたとしても領主としては死に体となっているので、旗頭が必要だったのだろう。
人望的には、髭の将軍がそのまま率いて問題なさそうなのだが、本人に政事に関わる意欲がまるでなく、さらには候領都の蹂躙を止められなかった罪での自死をあきらめきっていないようだ。難儀な話である。
まあ、ゴブリン魔王に滅ぼされた村の生き残りの少年が、他所で力を得て勇者として戻り、魔王打倒を目指すとなれば、物語としてばっちり成立している。後は周囲を固めれば、どうにかなりそうでもあった。
糧食着服の件で奴隷に落とした五人は、待遇自体は変えないが、入城は許可した。マザックに預けている以上は、逃亡されたらそれまでの話である。
軍議の結果、支援物資を搬入し、ゴブリン達が築いていた足場を徹底的に破壊した上で、籠城が続けられると決まった。この周囲の人里は既に荒らされ、無事だった者達は城市内に収容しているため、今後の被害発生の心配なさそうだ。
忍群魔王のシャルロットからの諜報によって、伯領都方面は敵の配置が少なめだと判明したのも、大きな理由となる。
そうであるなら、攻城軍をこの地に留まらせて戦略的に無効化すれば、全体としては有利に進められる。だいぶ減ったにしても、まだ一万近くを数えるゴブリンの軍勢と正面からぶつかるとなれば、勝てたとしても損耗は免れ得ない。本拠を衝いてしまえば、こちらの軍勢とは戦う必要がなくなるのだった。
手勢からは、魔法と弓、投石とで削る要員を残していくと決めた。できるだけ攻城側を削りつつ、実地での訓練も兼ねたい、というのが本音である。その部隊の統率はルージュに任せてみることにした。魔法の教官としても、全般的な面倒見の良さからも、適任と思われたためである。
一方で、籠城していたワスラム勢のうちの有力な騎士たちは、伯領都に向かう頭目のマザックとの同道を希望した。防戦を続けてはいたものの、投石程度で鬱憤が溜まっていたらしい。そうであるなら、ぜひ活躍してほしいものだ。
地民向け食料の着服事件は、五人の青騎士の奴隷化でひとまずは収まった。城市ワスラムでは、事情を知って反発する向きもあったようだが、それはそれでかまわない。彼らは投降によって捕虜になったわけではないのだから、むしろ健全な反応だろう。
ただ、避難民の天民の方は、相変わらず特別待遇を求めて騒いでいるようだ。受け取り時に騒ぐ者には食事を支給しないと申し渡したところ、配給時だけ黙るようになったらしい。
ただ、引き続き大声で食事や場所や衣服やら何やら、とにかく要求がきついらしい。困っているのはわからなくもないが、地民が状況を受け容れているのと比べると、駄々をこねる幼児めいて感じられる。
基本的には避難民に優しく接したいはずの対応者が苦悩しているが、いい解決策も思いつかない。
せめて、避難所の場所を分けるかとの検討を始めて、エスフィール卿にも相談したところ、天帝騎士団のジオニルから申し入れがあった。天民の避難民の一部を保護しようかというのである。
エスフィール卿に困っている旨を伝えれば、白騎士サイドに漏れるだろうと考えたわけでは、少ししかない。いずれにしても、渡りに船とはこのことだ。渋ってみせると、糧食の費用は追加で出すとの話にまでなったので、やむなしとの形で了承した。
奴隷化した青騎士と同様に、討伐が済んでからの介入の手駒とされる可能性はあるものの、布石は打ちつつある。ただ、ブリッツに負担をかけてしまう危惧はあるのだが。
結果として、天帝騎士団保護下に入ったのは、天民系避難民の四割ほどだったようだ。残った面々は元々が穏やかに過ごしていた人たちで、トラブルも解消されたそうだ。お互いのために、なによりである。
そして、ワスラム一党では残留組と進軍組の入れ替えが実行された。戦力的に増強された上に当事者意識も高いため、伯領都方面へ進むにあたっては、一翼を担ってもらう形になる。その陣頭には、地竜のスルスミに乗るブリッツの姿があった。鞍の後ろには、連絡係でもあるダークエルフのソフィリアと、エスフィール勢からの目付役としての赤鎧姿のルシミナが同乗している。演出は大切である。
東方鎮撫隊を預かるファイムとしては、天帝騎士団からも勇者の軍列に人を出したい様子だったが、そもそも同時期に別々に侵攻しているだけだよね、との原則論を持ち出したら悔しそうだった。まあ、元々が本音ではないのだろう。
ゴブリンの繁殖サイクルは短いものの、さすがに交尾してすぐに生まれてくるわけではないようだ。魔王シャルロットによれば、出産までに早くて一ヶ月程度。成体になるまでにはさらに三ヶ月程度はかかるとの話だった。繁殖は随時なわけで、条件が揃えば爆発的に増えるのはむしろ自然なのかもしれない。
俺が魔王としてこの世界に送り込まれたのが、こちらの暦でいう夏一月の初めで、今は秋二月の末にあたるので、約五ヶ月が経過している。となれば、魔王によって生成したゴブリンからの第二世代が、ぼちぼち戦力化され始めているかもしれない。城塞都市攻略組にも含まれていた可能性もある。
ゴブリンを積極的に繁殖させているとしたら、今後はさらに増強される可能性がある。持久戦は採用するべきではなさそうだ。
蹂躙や虐殺で得られる創造ポイントはかなり多いらしいとの話だったが、どれほどかの実感は得られていない。ラーシャ領に派遣した軍勢が壊滅し、城市ワスラム攻略軍が釘付け状態で、余力はどのくらいあるだろうか。
偵察した範囲では、依然として伯領都方面にゴブリンの影はほとんど見られていない。そして、人の姿もほとんどないそうだ。伯領都に到達したモノミからは、焼け跡と廃墟が広がるだけとの報告があった。痛ましい状況である。
進軍した俺達は、ごく散発的な戦闘を経て伯領都に到達した。想像以上の廃墟が、そこにはあった。
◆◆◇柔風里・ベルーズ伯領都跡◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ワスラム一党が生存者捜索を続けているが、忍者たちの事前調査で絶望的だとの報告があった旨は、各勢力に通知されていた。
野営場所は近くの小高い土地と定められ、主力勢は焼け落ちた建物が目立つ伯領都へと入っていた。
この盆地の地名の由来ともなった柔風が、赤騎士の薄桃色の髪を揺らしている。指ですくい上げながら、ルシミナは廃墟の中を進んでいた。既に焦げた匂いも消え失せ、腐敗臭もあまり漂っていない。襲撃からどれくらいの時間が経ったのか、彼女は想像できていなかった。
そこに、別の道から現れたのは白騎士シュクリーファだった。こちらは束ねられた豪奢な白金色の髪が歩みによって跳ねてる。その背後には年若い女性騎士が従っていた。
赤鎧の女性騎士に気づいた彼女は、声をかける。
「いい気味、ってところ?」
淡々とした口調が、ルシミナの幼さの残る顔にきつい表情をもたらした。
「ベルーズ伯爵家とその家臣には、ヴォイム劫略の罪を贖っていただく必要がありました。ですが、この柔風里の一般領民の方々に恨みはございません。ただただ痛ましい情景ですわ」
「それは、赤鎧の一致した見解なの?」
「わたくしは、代表者ではありませんから存じませんが、同じ考えの方も多いでしょう」
「ふーん。……あちらではさっき、柱石家やらいう二人が天罰だとか騒いでたけど。あっちが、赤鎧の標準的な考えではないの?」
「候領都の領民を見捨てて逃げた二人ですわね。騒ぎ立てて、自分たちの罪を薄められるわけもありませんのに」
「その逃げた連中を取り込まなくちゃならないとはね」
「……所領も持たぬ騎士が、勝手なことをおっしゃいますね」
「あら、教会批判? 懺悔を聞いてあげてもいいわよ」
「結構ですわ。……まだ御用はおありかしら?」
「あら、別に最初から用なんてないわよ」
心底意外そうな表情でそう言われて、ルシミナの柔らかそうな頬が引きつった。シュクリーファに付き従う茶の短髪の女性騎士は、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
ゆるふわ薄桃髪の騎士がその場から離れようとしたとき、追いついてきたのは彼女の主君とその連れの魔王だった。
「ルシミナ、ここにいたんだね。夕刻に鎮魂の祈りを捧げたいと思っている。参加してくれるかな」
「もちろんですわ」
主従の会話に、居合わせた白騎士は自然に入ってきた。
「帝王国領内で、天帝教の流儀にそぐわない鎮魂式を開催するの?」
「あー、そうか。ここは神聖教徒が多かったのかな。タクト、どう思う?」
「どうって……、共同でやるのがまずいのなら、別立てのを二つやればいいじゃないか。それぞれ、参加したい者だけでやればいい」
「異教の式典を天帝教が許容するとでも?」
静かな口調で問われた魔王が、首を傾げて応じる。その口調に特に変化はない。
「許容しないのか? この地にいた全員が天帝教徒だったわけでもあるまいし、こだわる必要はないんじゃないかな。……ヴォイム劫略時には、天帝教徒と月影教団が協力して虐殺の中で結構な数の信徒やそれ以外を救ったようだぞ。非常時には、普段とは違った対応があってもいいんじゃないのか」
「ふーん? 月影教団と協力を? 司教は死んだはずだから司祭が勝手に? それは、中央に報告したらおもしろことになりそうね」
「おいおい、そりゃないだろ。……あー、飴でもどうだ? 干しぶどうもあるぞ」
「別に報告義務はないけど、気分次第かしらねえ」
面白がっている様子のシュクリーファに、年若い侯爵家後嗣が強い視線を向けた。
「我がラーシャ家の領民の命を救ってくれた恩人に害を為すなら、覚悟してもらおうか」
「天帝に忠誠を誓う白騎士が、脅しに屈して罪の告発という正しい行いを躊躇するとでも?」
「正しさなんて知ったこっちゃない。大恩ある人を守るためなら、天帝騎士団だろうと相手になってやる」
「恩返しは結構ですが、まずは侯爵家を正式に継がれるのが先では?」
「助言に感謝するよ」
エスフィールの冷ややかな視線を浴びても、白金色の髪の人物に気にする様子はない。背後に従う女性騎士の方は、顔を青ざめさせている。
「で、鎮魂の儀式については? もちろん、邪教様式ではない、正規のものの話ですけど」
「ファイム殿に正式に依頼を出させてもらうよ。本来は、ボクらが主導する話じゃないんだけどね」
「隊長を経由されても、東方鎮撫隊で司祭階位を得ているのはあたしだけだもの。天帝騎士団としても、鎮魂する必要は認めます。他の手配はご随意に」
「今回のところは、感謝しておくよ」
「それには及びません。わたしは自らの役割を果たすだけです」
言い残して、シュクリーファはその場から立ち去った。あとに続く騎士が、ぺこりと頭を下げていった。
「おい、あんまり挑発するなよ。隊長がファイムなのは確かだが、どうもヤツの権力基盤は脆そうだぞ」
やや心配げに声をかけた魔王を、正面からエスフィールが見据える。
「知ってるけど、引けない話もあるでしょ? それよりタクト。その、ヴォイム劫略時の神聖教会と月影教団との共同での領民保護ってのは、初耳なんだけど」
「いや、そんなはずはないぞ。被害状況を知らせたときに話題に出したはずだ。貴族街の被害や、迎撃に出た赤騎士の素性について話したときだ」
「ああ、あのときか。……そこは、意識が向いてなかったかもしれない」
「その共同避難の警護に途中から参加して、市中の子どもらをそこに連れて行ったのが、あの寝癖頭のツェルムだ」
「ああ、そこにつながるのか」
「ルシミナなんて、その方面の話題で折衝してたとき、俺に虫を見るような目を向けてただろ?」
「当然の対応だったと思っておりますわ」
澄まし顔で応じるあたり、ある程度の精神再建は果たせたものと思われた。三人の視線は、再び廃墟と化した伯領都に向けられる。
「生存者は見当たらないって話だったけど、逃げられた人はいるのかな?」
「さあなあ。こうなったタイミングにもよりそうだ。ラーシャ侯爵領侵攻軍を送り出した直後だったのか、俺らが追撃してる最中だったのか、その後か。青騎士による組織的な抵抗があったかどうかでも変わってきそうだが」
「どうだろうねえ。仮にタクトがここを攻めるなら、正々堂々と攻め寄せる?」
「いや、共闘している状態なら、不意打ちを目指すだろうな。夜に攻め入るかもしれない。それだと、逃げられたのは少数かもしれん」
「悪虐だねえ」
「ああ、悪虐この上ないな」
魔王タクトはこの地をほぼ支配しているゴブリン魔王の人となりをある程度把握している。過度な期待は持てないだろうというのが、彼の結論だった。
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魔王城は、伯領都のさらに奥に存在していた。接近してみると天守を備えた和風の城で、なかなかに壮麗である。
「アユム、攻めやすさはどうかな」
防御方面は、やはり古馴染みの美少年魔王の意見を聞くべきだろう。んー、と口にして、トモカの口癖と似た状態になったことに苦笑しつつ、答えを返してくる。
「攻め口は大手門と搦め手で、他からだと空堀だとは言っても難儀しそうだね。外から見る限り、門の中は建物の入り口まで迷路になっていそう。矢倉や狭間からの攻撃は厄介だね」
俺の配下からはコカゲとセルリアとトモカが、各勢力からはマザック、ツェルムのワスラム勢、赤鎧からルシミナとシャルフィス、天帝騎士団からはファイムが参加して、即席の作戦会議的な展開となっている。
「木造なのか? だったら、得意の火攻めをしちゃえばいいんじゃないのか?」
雑な提案は、ファイムによって為された。
「それも選択肢だけど、石で作られた部分も多いそうだし、一気にとはいかないかも」
「まあ、そりゃそうか。城からの攻撃ってのは、弓矢や投石くらいか? それなら、盾で防げそうだが」
「熱した油や火を使ったり、岩を落としたり、毒も含めていろいろありそう。ゴブリンを投げ込んでくるまであるかも」
「ふむ……。それはちょっと厄介だな」
やや不思議そうに、ゆるふわ髪の女性赤騎士が声を発する。
「考えるよりも、攻めるしかないですよね。まずは、突っ込んでみませんこと?」
「いや、それにしても、被害を少なくする工夫はしようよ」
「被害なんて……」
候領都の蹂躙を防げなかった経緯からか、ルシミナら赤備え勢には復讐のためなら積極的に自分を傷つけようとの傾向が見られる。アユムは、やや対応に苦戦しているようだった。
「上位種は、コマンダーまででしょうか。それならば、主力の投入で倒せない相手ではないでしょうが」
セルリアの言葉に、俺は首を捻りつつ応じた。
「コマンダーと、キング、クィーンはどっちが上なんだろうな。まあ、それよりも上位種の数が問題か。魔王の直接対決は、二対一ならどうにかはなると思うが」
俺の脳内では、アユムと組んでの対峙が想定されていた。魔王として転生するより以前に面識がある旨は、各勢力の統率者級には伝達済みである。胸中を察したのか、ファイムが軽い口調で問いを投げてきた。
「因縁ある同士の対決なら、手を出さないようにした方がいいのか?」
「いや、そういうつもりはない。機会があれば、だれでもいいから仕留めてくれ。……いいよな、アユム」
「うん、もちろん。……ホントにタケルなんだよな。これで因縁を断ち切れるね」
晴れやかな笑顔でそうコメントした古馴染みの少年に、俺は微妙な表情をしたのだろうか。アユムの綺麗な顔に、やや不満げな表情が浮かぶ。
「ねえ、タクト。伯領都の惨状を把握してるよね? リアルの知り合いだろうがなかろうが、許せないって。決して、私怨なわけでは……、まあ、まったくないとは言わないけどさ」
口を尖らせての抗議は、照れ笑いで終えられた。確かにこれは現実なのだから、放置はできない。するべきでない。
「いや、もちろん、許せないさ。……あちらに、一発逆転の策はあるかな」
応じたのは、トモカだった。
「んー、城塞都市攻略がその一手だったのかもしれません。もしも、城塞都市内にこの魔王城が設置されていたら、だいぶ厳しくなっていたでしょう」
「拠点の単純な移動は、できなさそうだが……。確かに、あそこに生産拠点が備えられたら難攻不落だな。だが、仮にそうなら、なぜ本人が参加しなかったのか」
「面倒事は人任せにする。うまくいかなかったら放り出す。どちらも、タケルだとしたらありそうな状況だよ」
「んー、だとしたら、組織的な抵抗がない可能性もありますね」
ぜひ、そうあって欲しいものだ。