(85) 城市ワスラム
数日後、斥候隊がワスラム一党の根拠地である城塞都市に接近した。一万を越えるゴブリンの軍勢が押し寄せ、攻城戦が展開されているとの報告がもたらされた。
すぐに軍議が開催され、急行すると決せられた。元々がラーシャ一族の根拠地だった城塞都市の防御力は高いようだが、陥落に至る可能性もありそうだ。そうなれば奪回には多大な労力が必要となるので、状況が判明しないままでも進む意義はある。それが、俺達の判断だった。
進軍の間にも、他方面から割いた偵察隊や、魔王シャルロットとの連絡将校的な忍者からの情報が入ってくる。落城の危険は、現実のものとなりつつあると思われた。
大量のゴブリンが、わらわらと城に取り付く状況は、あまり想像したくはない。城市ワスラムと呼ばれる城塞都市は、谷の際に設置された堅城で、四方が地形を利用した空堀に囲まれている。平時の通行手段となっている吊り橋は、半ばまで落とされた状態となっていた。
そうなると、攻めるにはまず堀を登る必要があるわけだ。ゴブリン達を木や岩などを持ってきて足場を作り、正門、搦手門のところまでは到達済みだそうだ。
そして、城壁までも人海戦術ならぬゴブリン海戦術で越えようとしている。
俺は、ワスラム一党のマザックとツェルム、それに先日の流用絡みでの会合での問答相手、シオリアを呼び出した。
「守備側に援軍の到着を伝える手段はあるか? 伝えられたなら、持ちこたえる目はあるだろうか」
「抜け道があります。試させてください」
応じたツェルムに対して問いを重ねたのは、トモカだった。
「んー、水はどうされてます? 地下水道があるのなら、そこから人は入れますか?」
ツェルムが、一党の長に視線を向ける。頷きは、説明しても良いとの許可だったようだ。
「地下水道はあるけれど、中はごく狭くて通行は難しい。さっきの話は、整備用の別の坑道を想定していた」
続いて、アユムが質問する。
「谷に川が流れているようですが、この配置なら上流に貯水池はあるかな? 水を貯めておいて、決壊させられるような」
再び青騎士達が視線を交わし合う。
「ああ、すまん。防備の話は、伏せた方がよかったか。……赤備え勢に外してもらうか?」
「……いや、元々はラーシャの城だ。……それには及ばん」
頭目の言葉に頷いて、ツェルムが説明を再開する。
「貯水池はあり、本来の満杯の状態で決壊させれば、確かに攻め口を押し流せそうです。けれど、長年の落ち葉などが溜まっていて、水量はほとんどありません」
「そうか。まあ、平和な時代が続いたのはいいことさ」
青騎士二人は、恥じ入っているようだった。
「あの、風向きはいかがでしょうか。谷の山側と逆側からの風は、時間帯によって決まってましゅか?」
ソフィリアの問いは、真剣な口調なのだが、相変わらずの舌足らずさが緊張感を損なわせる。答えたのは、女性騎士のシオリアだった。
「夜から朝までは山から、昼の温かい時間は下流側からがこの季節の基本線となります。それがどうかされましたか?」
「火攻めの際に有用な情報なのでしゅ。ありがとうございましゅ」
続いて、めずらしく前線まで来ていたナギが手を挙げる。城塞都市との道が開けば、物資のやり取りの可能性が出てくるため、シャルフィスと共に参加しているのだった。
「あの、油の備蓄状況はどんなものでしょうか。どうして、火攻めをしたり、熱した油を落としたりしていないのです?」
「防備に火を使うのは禁じ手と考えられています。油は、食料としての備蓄はあると思われます」
「やり方によるでしょうね。ありがとうございます」
「あー、細かい話は別途やるとして……、ツェルム、赤鎧と白鎧と魔王勢から一人ずつ連れて行く気はあるか?」
「それは……、世界中が援軍にやってきたような印象になるでしょうな」
「違いない。こちらは火の車状態なのにな」
さっそく選抜するとしよう。
◆◆◇城市ワスラム付近◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「どうして、赤備えからあなたが選ばれたの?」
白金色の髪の白騎士が、無遠慮な質問を投げかける。視線を向けられたルシミナは、やや表情を固くした。
「ご不満かしら。単純に、戦闘力からと考えていてだいてかまいませんわ」
「青鎧への敵意をあらわにしているのに、適任だというつもり? それに、強いと言っても「統率の」ラーシャの中での話でしょ」
「あら、試してみますか?」
あっさりと二人の間に立ち込めた殺気に、慌てたようにツェルムが口を挟む。
「……あの、それはぜひ、入城後にゴブリン相手に」
「意見するつもり?」
ルシミナに睨まれて、案内役を務める青鎧が首をすくめる。二人の女性騎士に声をかけたのは、ブリッツだった。
「なあ、姉ちゃん達がキレイなだけじゃなくて強いのはわかるけどさあ、もうちょっとだけ溜めておいてくれよ。狭い坑道の中なんだし。それより、携行食どう? 柑橘味を開けたんだけど」
「いただくわ」
幼い顔立ちの赤騎士が素直に応じたのに対して、シュクリーファの方はぷいっと顔を背けて先へ進んだ。彼女に同行している年若の女性騎士が、慌てた様子で追いかける。
前方は忍者たちが先行偵察をしているので、ひとまずは安全なはずだった。
「ブリッツ、ありがとな」
「あんちゃんも苦労するな」
そうして、小休止に入る準備が進められた。と、犬人族の一人が運んでいた荷物を取り落しそうになった。サイゾウが近寄って、身体ごと支える。
「気をつけるんだ。今回のところは、火種は別だが」
やや強い口調に、ルシミナが興味を抱いたようだ。
「危ないものですの? 中身はなんなのかしら」
「石脳油という油です。革袋に入れています」
「そうですの。相手の足を滑らせるためのものですか?」
「いんや、火種と毒枝と一緒に相手に投げつけるんだってさ。投擲器も運んでるし」
ブリッツは、どこかうれしげである。
「毒枝……ですの?」
「燃えると、死に至る毒が辺りに広がると聞いています」
「それは、凄まじいですわね」
祖国の都を蹂躙されたルシミナに、ゴブリンに容赦するつもりはまったくない。けれど、赤鎧の常識に照らすと、違和感があるのだろう。
「城塞都市が陥落して、魔王の根拠地になったら、再奪取にはすごい時間と犠牲が必要になりそうなんだってさ」
「さようですな。奪還の際に生じる犠牲を考えれば、なんとしても阻止したいところです」
「命を犠牲にしてもですの? 魔王殿は、過去に三人の部下を失った件をひどく悔いておられたようでしたが」
サイゾウが答えるよりも前に、少年勇者候補が口を開いた。前方からは、そぞろ歩きのような足取りでシュクリーファが戻ってきていた。あどけない顔立ちの茶の髪の騎士も一緒である。
「タクトのあんちゃんにそのつもりはないだろうけど、確かに攻城戦で無傷ではいられないよな。……でも、ここで死んだら、奪還後に城に俺らの名前をつけられちゃうかもな。サイゾウ城とか」
「ブリッツ城とかですな?」
「それは勘弁してほしいな。生きて守り切りたい」
頷いたサイゾウに向かって、合流した白騎士が強い視線をぶつけた。
「あなたは忍者なの?」
「いかにも」
「忍者とは……?」
不思議そうに、ルシミナが問いを投げる。
「闇に潜んで、情報収集や暗殺を行う、使い捨ての下賤な存在。亜人とは別の意味での、厭われる者達」
天帝騎士団に属する女騎士が、酷薄な口調で応じた。不快感を顔に出したのは、ブリッツだった。
「なあ、白騎士の姉ちゃん、ものには言いようってものがあると思うんだけどな」
「なに、かまいません。そう認識されてるのは間違いないようです。もっとも、タクト様もアユム様も、そのような扱いはされませんが」
穏やかに応じるサイゾウに、シュクリーファは強い視線をぶつける。
「あなたたちは魔王に作り出されたから忠誠を誓っているんでしょう。命じられたら死ぬの?」
「命じられれば、死地にも赴きましょう」
「命令には逆らえない?」
「直接的な指示には逆らえませんが、どう動くかはわりと自由裁量がありますな。まして、タクト様は部下に考えるように求めて、結果よりも過程を重視されます。仕えがいはあると思います」
動じない様子の美形の忍者に、薄桃髪の騎士も問いを投げた。
「反乱は、ありえますの? あなたがではなくて、生成された存在全般としての話としてですけれど」
「さて、どうでしょうな。我が造り手たるアユム様は、タクト様と共に歩む未来を選択されました。そういう意味では、新たな主に含むところはありません。けれど、もしも旧主が攻められた末に殺害され、仇の配下に組み入れられたなら、新たな主君に思うところは生じるかもしれません」
「指示には逆らえないけれど、面従腹背はありうるわけね」
「ええ、おそらく。ただ、少なくとも現状では、我々には考えづらいですな。……むしろ、考えた結果として、指示に反する場合の方が、我が陣営ではありうるかもしれません。そうあるように求められています」
「それは、どういう話ですか?」
興味深そうに、ツェルムまでが問いを投げこんでくる。
「そうですね……。今回、自分の身が危うくなったら、騎士の皆さんは見捨てて、落城も気にせず、生きて戻れと言われています」
「守られる気はないけど」
「その点は、仰る通りです。……当初のタクトさまの目論見では、ラーシャ勢と天帝騎士団からは、必ずしも有力ではない方々に参加して頂き、赤と白の旗を立てるところまでが目的だったと思われます。ただ、想定よりも身分の重い方に参加いただき、ブリッツ殿も来られたために、意味合いは変わってきました」
「……当初の想定では、あなた達も切り捨て対象だったと聞こえるけど」
「冷静な判断が可能だと期待されている。そう認識しております」
実際のところ、候領都ヴォイムに潜入した段階では、勢力内でのサイゾウの位置はそれほど重いものではなかった。
劫略の様子を偵察しつつ、できるだけ住民を保護すること。必要に応じての暗殺はありだが、やりすぎて民の虐殺といった全面報復は招かないように。
自身が下したその指示を、タクトは無茶な内容だと理解していた。
最善手だったかどうかはともかく、目の前で蹂躙される者達を場合によっては見捨て、青鎧の一部を利用し、ひとまずそれをやり遂げたサイゾウは、一気に幹部格としての立場を築いたのだった。コカゲもサスケも、自分たちだったら市街戦を招いていたかもとの自覚があり、既に一目置く状態となっていた。
小休止を終え、再び歩きだしたところで、サイゾウに声がかけられた。
「怒らないんですのね」
「タクト様は、人類社会との共存を望んでおいでです。よほどの悪虐な暴言ならともかく、あの程度でしたらなんの問題もありませんよ。シュクリーファ殿の亜人や魔物への忌避意識にしても、見境なく攻撃を仕掛けるわけではなさそうですし」
「タクト殿、アユム殿の言動とゴブリン魔王の動きを見ていますと、魔王という存在がよくわからなくなりますの」
「それは、魔王の配下たる我々としても同感です。……正直なところ、ゴブリン魔王の配下とならずに済んで、よかったと感じています」
やがて、水音が大きくなってきた。
「もうすぐ地下貯水場に到着します。そこから、梯子を登って井戸伝いで城内に入れます」
ツェルムのその言葉に、薄桃髪の女性騎士がふうっと息を吐いた。
「助かりますわ。さすがに狭苦しくて」
「軟弱なこと」
すかさずの白騎士の言葉に、ルシミナの視線がきつくなる。
「なんとおっしゃいました」
「素直な感想を口にしたまでよ」
諸勢力協調の前途は多難なようだった。
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