(81) 緒戦の結果
逃亡した民を偵察部隊が見つけてくる場合もあったが、エスフィール卿の紅龍旗を目指して山から下りてくる者も少なくなかった。特に年輩者だと、赤鎧を目にして感激しているようでもあった。
彼らは地民と呼ばれる、旧神皇国系の民なのだろう。農村で抑圧されてきた人々の中には、家族単位で山に入ってゴブリンの魔の手から逃れたケースも少なくないようだ。スルーラ村の婆さまから使い魔による連絡を受けて、すぐに村を捨てた者達もいたという。
一方で、町に多く住んでいたらしい帝王国系の天民の方は、包囲の上で蹂躙されてしまったのか、ちりぢりに逃げてきた状態が多いように見える。
彼らは赤鎧には敵対心を抱いているが、同行しているワスラム一党には信頼を置いているようだ。同じ領内の民でも断絶ぶりは激しそうで、その点を考えると少数でも青鎧が一緒にいてくれて助かった。
いずれにしても、町も村も荒廃している状態であるため、保護していく必要がある。ラーシャ領に送り出すわけにもいかず、比較的被害の少ない村で待機してもらうしかないだろう。
特に天民系で親と離れ離れになった子どもたちは、セルリアやルージュ、ブリッツと、やや意外にもルシミナが親身に世話をしていた。親世代と同様にラーシャ勢を毛嫌いする子もいるにはいたが、初めて身近に接した赤鎧が、幼さの残る顔立ちながら凛々しさも併せ持つ女性騎士だとなれば、今後の印象も違ってくるだろう。
あとは、アーマニュートのマモルとエリスが、アルマジロ人族の本領を発揮して丸まって見せて、子どもたちを笑わせていた。そこには地民の子らも混ざっていたのだが、その様子を天民の大人たちは苦々しく見守っていた。根深いものがあるようだ。
小高い丘の頂きからは、激突しようとする両軍勢の様子が見て取れた。天帝騎士団の総勢は千人を数えるが、戦闘要員は八百ほど。主力となる騎士は五百余りとなっている。
相手のゴブリンは上位個体も見られるが三百体程度で、遅れを取るとは考えづらい。俺はアユムとトモカ、コカゲ、セルリア、サスケと共に偵察に来ていた。地竜のスルスミとウスズミに分乗する形となっている。
当初は竜車を牽いて活躍してくれていた初期からの地竜たちは、今では地竜騎兵の主力となってくれている。単体での戦力もなかなかで、頼りになる存在だった。
ゴブリン勢との本格的な対峙は、これが初めてとなる。偵察隊はほぼ奇襲を実現できているため、被害はごく少なく駆逐できているが、今回はどうなるだろう。まあ、補給ついでに情報伝達はしているはずで、逆に奇襲を受けるわけではないが。
「んー、青鎧を着ているゴブリンがいますね」
「ああ。赤鎧ゴブを見たときも思ったが、どうしても浮かれた存在に感じられるな。深刻なのは確かなんだが」
「んー、まあ、人間勢力が鎧の色を揃えているのも、実用的な意味合いはあるものの、わりと滑稽ですよね」
「そうなのか。知り合いの騎士団が三つとも色を揃えていたから、この地方では一般的なのかと思ってたぞ」
「んー、まあ、赤と白はそれぞれ由来と伝統があるのですが、青鎧はこの地に封じられてからですから、ラーシャ家に対抗したんでしょうね」
一方通行の対抗意識ってやつなのだろうか。青鎧の色合い自体はなかなかよいものなのだが。
そんな話をしている間に、両者の前衛がぶつかろうとしていた。指揮系統を整えるほどの相手ではないと見たのか、上位の騎士が前に出ているようだ。
「シュクリーファ殿の剣勢は凄いですね。ファイム殿も劣りませんが」
コカゲの声には、どこか羨望めいた色合いが含まれているようだ。両者の得物はそれぞれ業物のようで、エフェクトを発しながらゴブリンたちを吹き飛ばしている。その背後にもうひとり騎士が続いて、二人での突貫が繰り広げられいた。
「ジオニルの戦いぶりも見事だな。堅実で陰湿で」
「そして、他の騎士の質も高いですね」
セルリアの視線はトップ級ではなく、標準的な者達に向けられているようだ。確かに、特段の指揮を受けずとも、上位個体を含むゴブリンをきっちり倒していっている。
「標準戦力の強さではずば抜けていそうだな」
「心強いです」
「んー、手強いですね」
コカゲとトモカの反応が重なった。信頼する忍者の頭領が、しまったと言いたげな顔になる。
「現状は友軍だから、頼りになるのは間違いない。ただ、いつか戦うとなれば、確かに手強いな」
俺の言葉を聞いたコカゲはややうなだれて、少女軍師の方はやや皮肉な笑みを浮かべていた。
話している間にも、突出したシュクリーファが舞い踊るように周囲の敵を斬り捨て、主力の先頭に立つファイムがゴブリンの群れを裂くように進んでいく。緒戦は完勝となりそうだった。
「負傷者が出てるけど、治癒はしないのかな」
アユムの問いに応じたのは、トモカだった。
「んー、天帝騎士団は治癒術士は同行させておらず、ポーション頼みのようです」
「ん? 神聖教会には神官という治癒術士とは別系統の連中がいると聞いたが。町で治癒を施したり、冒険者に派遣したりしていて、治癒術士を圧迫しているとか」
「んー、どうなのでしょう。天帝騎士団はポーションでの治療すら嫌がる場合があると聞きますが」
話に入ってきたのはサスケだった。
「あ、その話は聞いたな。なんか、天帝への貢献の証だから、大事にする場合があるんだとか言ってたよ。怪我だけじゃなくて死もそんなあつかいらしい」
「それは……、イカれてるな」
「ホントだよ。……まあ、かすり傷でも四方からポーションを浴びせられるうちも、ちょっとどうかと思うけど」
ポーションは霧になって消えていくので、びしょ濡れになるわけではないが、男の子的にはプライドが傷つく面があるのかもしれない。まあ。優先順位の問題なので諦めてもらおう。
「サスケ、神官についてなにか把握してるか?」
「存在としては聞くけど、実際動いている姿は見たことないなあ。ジライヤ経由で、コルデーの姐さんに聞いてみる? 人間社会の話は、少し時間がかかるかもしれないけど」
「頼む。できれば、治癒術士との関わりもな。後は、治癒術士が武器を持てないとの話についても」
かつてソフィリア経由で闇の精霊に問うたところ、治癒術が刃物を含めた武器によって阻害されるといった話はないらしい。文献上でも治癒術を使う騎士についての言及が見られるため、どこかで話がおかしくなっている可能性があった。誤って伝わったのか、誰かが意図的に捻じ曲げたのか。
書物は存在しているし、青騎士のツェルムのように文献による検証を試みる者もいるにはいるが、多数派ではなさそうだ。まあ、書物の内容が正しいとも限らないのだが。
話している間も、スルスミが突撃しなくていいのかと言いたげな視線をちらちらと向けてくる。もはや駆逐段階に入っており、急襲の必要はなさそうだ。首を撫でてその意を伝えると、地竜特有の巻き舌っぽい鳴き声が発せられた。
「さて、白騎士様たちは落武者狩りなんてしないよな」
「ルシミナ達なら一匹残らず殺せと叫びそうだもんね。当事者意識の差かな」
アユムの返事に、サスケがにまっとする。
「ここからは俺らの出番でね。削りつつ、どこに戻ろうとするか探るよ」
そう告げた少年忍者は、身軽に手近の木に飛び付くと、あっさりと姿を消した。さすがである。
偵察遊撃で各所に散っている忍者と犬人族を主力とする者達は、これまでも順調に小集団の討伐を重ねて来ている。今回の群れの規模から考えても、主力は俺らのいる東方には投入されていないのだろう。域内の両勢力の争いが激化しているのかもしれない。
最悪のシナリオは、両者による共同での迎撃だったので、まずは安堵すべきなのだろう。この地の民にとっては災難だろうが。
天帝騎士団がゴブリン勢を退けた翌日。主力は前進させつつ、俺は少人数で別の道を進んだ。向かったのはエルフの集落の近く、フウカがゴブリン魔王と対峙し、三人の部下が命を落とした地点である。
「……関係者のみのつもりだったんだがな」
俺が想定していた同行者は、フウカとセルリア、ルージュらの当時現場に居合わせた配下の面々に加えて、コカゲ、ソフィリア、エルフ族のキュアラとシューティア、亜人冒険者のクオルツとリミアーシャあたりまでだった。
けれど、実際には俺に親しい者達からでも、ブリッツ、トモカに、本拠を預けているはずのサトミまで来ているし、商人組として今回の補給方面に携わっているナギとウィンディも参加していた。それ以外からも、エスフィール卿と、ルシミナ、シャルフィス、エクシュラの赤鎧勢に、忍群魔王のシャルロットとその配下のジライヤ、青鎧のツェルムと従卒のミリースの姿もある。ジードは、エスフィール卿の護衛の一員としてこの場にいた。
極めつけとしては、どこから聞きつけたのか、天帝騎士団の一隊を率いるファイムまで顔を出している。一方で、アユムとその配下は気を使って留守中の軍勢の統括を買って出てくれた。
人数こそスルーラ村の追悼より少ないが、濃いめのメンバーとなっている。
「俺、関係者だよな?」
ファイムのあからさまな軽口に、ゆるふわ髪の騎士が首を傾げる。
「確か、白騎士の皆様とは、たまたま方向が一緒になっただけで、一緒に行動はしていないんじゃありませんでしたか?」
「たまたま一緒の方向に攻め入るくらい、通じ合ってるんだから、それはもうただならぬ関係だよな。なあ、ツェルム殿」
「面白半分に話を振らないでいただきたい」
薄桃姫にジト目を向けられた青騎士は、生きた心地がしていないようだ。まあ、無理もないだろう。
特徴的だったツェルムの跳ねた髪は、シャルフィスの整髪油でややおとなしくなっているが、そもそもが短く切りすぎて立ってしまっているようでもあった。
そんな会話が展開されている間に、先導したセルリアが振り向いた。哀しみの色合いが、瞳に溶け込んでいる。
「ここか……」
当時、俺はドワーフの集落の救援を担当していたため、訪れるのは初めてとなる。
初期の配下では飛び抜けて朗らかな人柄だった、スズカゲと名を贈った近接系の忍者は、存命ならコカゲを補佐するまとめ役的存在になってくれていただろう。また、仲間の武具整備を積極的にやっていたからには、鍛冶や錬成方面に進む未来もあったのかもしれない。
セルリアに懐いていた可愛らしい顔立ちの弓使い、コバルティアには、意外と手薄な射手系の束ねを任せられたと思われる。さらには、良き理解者としてセルリアを助けてくれていただろう。
カーミアと贈り名した目の細いダークエルフは、ちょっと口は悪いながらも人望はあったようだし、魔法剣士として新たな領域を切り拓いていてくれたかも。
有能だったから悼んでいるわけではないが、いずれも惜しい人材であるのは間違いなかった。
セルリアの隣に、フウカと俺が進む。背後にはシューティアとキュアラがいて、挟まれる形のソフィリアが鎮魂の祈りを捧げだす。
「みんな……、ありがとう。わたしは……」
涙ぐんでいるフウカの声は、かすれて風の中に消えていった。この少女は、どこへ向かうのだろう。いつか道を分かつ時が来るのだろうか。
そう考えていると、真紅の髪の少女が俺の手を握った。彼女のもう一方の手は、セルリアとつながれている。
そちらを見やると、冷静なダークエルフの瞳が涙で潤んでいるようだった。俺の視線に気づいて、そっと微笑む。
そこに言葉は必要なかった。やがて、祈りを捧げるソフィリアから、柔らかな光が周囲に放たれた。