(78) 人間中心主義
天帝教の教義の一つとして、人間中心主義が掲げられている。元世界でなら、さほど違和感のない語感だけれど、亜人や魔物が存在するこの世界では、捉え方によってきつい意味が生じる余地がありそうだ。
神聖教会内でもその教義に対する立場はさまざまなようだが、こと天帝騎士団においては人間至上主義、他種族排斥主義とされる傾向が強いという。顔合わせ的な会合の参加者達は、どのような立場を取る者なのだろうか。
開催されたのは追撃戦が完遂された日の夕刻で、場所はタチリアの政庁だった。白騎士達は、町の近くを宿営地と定めていた。
天帝騎士団の東方鎮撫隊を率いる白騎士ファイムは、優男然とした三十代くらいの人物だった。さすがに隊長だけあって、気さくそうに見せながら隙のない感じである。髪色はオレンジ系だが、冒険者のアミシュよりは濃いめで柿渋くらいの色合いだった。
着用している鎧は白鎧と称されているが、胸甲の部分が白いのみである。そして、左胸には五芒星が描かれてもいた。
ジオニルと名乗った副長は、ファイムよりは年長に見えるので四十代といったところか。細い目から鋭い眼光が発せられており、冷徹と陰険の間くらいの印象だが、実際はどうだろう。目の感じだけでなく、全体としても蛇が連想された。長細いわけではないのだけれど。紺の長めの髪は、後ろ頭で束ねられている。
他の三人の参加者の中では、シュクリーファ・ヴァルミオと名乗った女性騎士が悪目立ちしていた。こちらは、あどけなさを備えつつも、勝ち気さと高慢の間で後者寄りといった風情である。ただ、白金の髪に碧眼という目立つ取り合わせの印象に負けぬほど、容姿が整っているのも間違いなかった。
対する星降ヶ原勢としては、エスフィール卿が中心となる。周囲には、赤備え勢からダーリオ、ルシミナ、エクシュラ、シャルフィスの姿がある。
相変わらずダンディーなライオスは、引き続き冒険者勢を束ねつつのエスフィール卿の相談役といった立ち位置である。タチリアの町での開催のためか、新たに冒険者ギルドの長となった、切れ者風の人物を連れている。その関係性は、かつて事情聴取を受けた際のギルマスと副ギルマス時代からそのままであるようだった。
俺の近くには、フウカとアユム、トモカと、急遽本拠から呼び寄せたサトミもいる。加えて、警護役としてコカゲ、セルリア、サスケが控えている。そう言えば、ジードは平然とした顔でエスフィール卿の護衛兼側近に収まっていた。まあ、いいんだが。
先方の注目は、客将扱いの俺の周辺に集まっていた。魔王だと名乗ったので、無理もないのだが。
声を発したのは、副将のジオニルだった。目をさらに細める様子からは、強い警戒心が感じられる。
「エスフィール卿と冒険者ギルドの元ギルマスのライオス殿はよいとして……。魔王本人なのですかな? 他の方々は?」
本来なら、エスフィール卿の臣下の顔触れや、元ギルマスとは言え冒険者が諸侯と騎士団の会合に参加している点など、つっこみどころは他にもありそうなのだが。
俺の同行者については名前しか告げていなかったので、改めて紹介する。
「サトミとトモカは、村から生贄として送り込まれた人物だ。有能なので、働いてもらっている。フウカは、サトミの友人だな。卵だけど、勇者だ」
「その子が勇者なの?」
特に嘲るような調子でもないのだが、白金色の髪の女性騎士に心底不思議そうな表情で言われるとなかなかに癇に障る。
「聖剣持ちだぞ。見てみるか?」
「ええ、是非」
騎士団の中で上位者なわけではなさそうなのに、平然とそう応じるあたり、いい家の出身なのか、単にそういうキャラなのか。
コカゲによって持ち込まれた聖剣が、翠眼の少女の手に渡る。すらりと抜かれると、それだけで白鎧らから感嘆の声が上がった。手練れであればこそ感じられるものがあるのだろう。
そして、フウカはにっこりと笑って、俺の方に剣先を向けてくる。聖剣からはからはうっすらと青いもやのようなものが生じていた。
「だからー、こっちに向けるなって言ってるだろ。うっかり浄化されたらどうするんだ」
「ごめん、焦る様子がちょっとおもしろくって」
まったくもって、いい笑顔である。
「アユムも嫌がってるじゃないか」
模擬戦で何度か手合わせしているとはいえ、親愛なる魔王の綺麗な顔が、やはり微妙にひきつっている。
「タクト本人よりも、アユムに向けた方が効きそうね」
やや表情を改めた真紅の髪の少女は、ゆっくりと剣を鞘に収めた。
そのやり取りを聞いていたジオニルが、冷ややかながらもどこか俺に対するのとは違うトーンの声をまだ幼い剣士に投げかけた。
「そこな魔王が非道を行えば、フウカ殿に滅していただけるとの理解でよいか?」
フウカは、心底不思議そうな表情を浮かべて即応する。
「ううん。私は、タクトに仇なす者を討つ。あなた達が仕掛けてくるなら、相手になるわ」
「なんと、洗脳されているのか」
吐き捨てるような副長の言葉に、苦々しい口調で応じたのはライオスだった。
「お前達がそれを言うのか。これまでの自らの行いを踏まえれば、そう見えるのは無理もないが」
口振りからして、含むところがあるのだろう。ジオニルが、目を怒らせてにらみつける。そうすると、蛇じみた印象が更に強くなった。
「聞き捨てなりませんな。我らが神聖教会を侮辱……」
「あー、いいからいいから」
明るい口調で割って入ったのは、興味深そうに推移を見守っていたファイムだった。
「いや、しかし、生涯のうちで勇者と魔王の対峙が見られるとは思わなかったぞ。じゃれ合いじゃない、真剣な状態ならなおよかったんだが。……で、話を進めていいか?」
私はいつでも真剣なのにとのフウカの呟きは、隣に座るサトミと俺くらいにしか届かなかっただろう。
けれど、収まりがつかなかったようで、なおも天帝騎士団の副長が言い募る。
「そもそも、なぜ軍議の席に魔王がいるのです。エスフィール卿の傘下であるなら、同席の必要はありません。退席していただこう」
のんびりした口調で応じたのは、エスフィール卿だった。
「いや、タクトはボクの配下じゃないよ。元々魔物討伐はタクトが南部の村から頼まれてやってたわけで、ボクはそこに参加させてもらっただけだ」
「それは正確じゃないな。南部四村が自衛を目指して、俺たちはそれに協力したにすぎない。現状では、エスフィール卿が主将を務めている」
「というのは、名目でね。実態としてこの地を守ったのはタクトなんだ。だから、フウカは彼のために命を張るんだよ」
侯爵家の少年の言葉に、反応したのは若い女性騎士シュクリーファだった。
「でも、領都は蹂躙されたんでしょう? 守れていないじゃない」
「タクトの中での優先順位の問題だよ。そうだよね?」
「ああ」
「へえ……、この地の都より優先すべきものって何があるの?」
不思議そうな表情を浮かべる白金の髪の女騎士は、単に思い浮かんだ言葉を口にしているような風情である。
「仲間と、ユファラ村。次いで近隣の三つの村に、ゴブリン討伐で共闘した人々だな。その後にタチリアの町だ。候領都は、領主が倒れた後に実権を握っている弟達と家宰とやらの守備範囲だろ? エスフィール卿には悪いが、優先順位はだいぶ落ちる」
ほう、と声を上げたファイムが、話を引き取った。
「はっきりしているな。……なんにせよ、今後の話をしよう。悪虐なゴブリン魔王は討たねばならん。そやつらと共闘したベルーズ伯爵の非は鳴らさねばならん。エスフィール卿は参加されるか?」
「してもいいけど、ボクの単独参加じゃ戦力にならないよ。タクトも一緒でいいの? 本人が承諾したらだけどさ」
即座に反応したのは、冷ややかな表情を維持するジオニルだった。
「魔王と共闘など、とんでもない。人間のみで戦うべきだ」
「亜人もダメなの?」
「ああ、もちろん」
「そうかあ。冒険者勢も、主力に亜人がいるしなあ。じゃあ、協力はできそうにないや。応援するね」
エスフィール卿の言葉は軽く聞こえるが、含まれる覚悟には重みがある。実際問題、優先すべきは領内の安定であって、ベルーズ伯爵領への対応は防備を固めることに専念する手もあるのだった。
「そう言わず、人間だけでもどうだい?」
対する騎士団隊長の言葉の軽さは、どこまで本気なのだろうか。ただ、話を部下にかき回されているようでありながら、こうしてしっかり食い下がってくるのだから、さすがは一組織の長といったところか。
「いやあ、そうそう切り離せるもんじゃないよ。実質的な総指揮は、そこにいるタクトの配下のコカゲとセルリアが担っていたわけだし。セルリアはダークエルフだもんね」
護衛として控えていた俺の配下達に、エスフィール卿が視線を走らせる。
「亜人が人間を指揮していたですと?」
ジオニルの口調がやや変わり、なにやらどす黒い雰囲気が漂っていた。気にする様子なく、侯爵家継嗣の少年は続ける。
「だねえ。中級指揮役なら冒険者のドワーフやハーフエルフもいたし、魔法も弓も主力はエルフ勢だったし。……ラーシャ家からの参加者は、お飾りのボク以外は、みんなその指揮を受けていた。今さら組み直しちゃ、機能しなくなる」
口調がやや真剣なものになると、白鎧勢がやや気圧されたようである。ただ、ファイムは気にする様子もなかった。
「それはそれとして、糧食についてはどうだ?」
「うーん、ボクらの軍勢向けは、その大半をタクトが率いる黒月商会と、クォーターエルフを祖に持つために散々嫌がらせを受けてきたマルムス商会が担ってくれている。魔王や亜人がらみの商会が提供する食糧は受け取ってもらえる?」
ファイムが副長に目線をやるが、苦々しげに沈黙している。糧食は必要だが、応諾もできない状況だろうか。
その時、コカゲが近寄って耳打ちしてきた。
「ソフィリアから報告があるそうです」
それだけ囁いて、一礼して去っていく。俺は早速、脳内通話をつないだ。
【情報が得られたか】
【はい、コルデー殿からの使者が到着したのでしゅ。東方鎮撫隊についてでしゅが……】
忍群魔王に依頼した天帝騎士団に関する情報収集が、どうにか間に合ってくれたわけだ。
得られた情報の概略は、次のようなものだった。
人間至上主義を唱える純血派が主流の天帝騎士団の中で、東方鎮撫隊を率いるファイムはごく少数派閥である融和派に属しているそうだ。
だが、副長であるジオニルや、名家出身であるために階級以上の影響力を持つ女騎士シュクリーファを含めた強硬派の目があって、自由にできない状態にあるという。
そして、跡目争いを続けていた当主の弟二人に侵攻するように強く求めた白鎧とは、先行して乗り込んできていた副長のジオニルだそうだ。そう言えば、それらしい報告がサスケ達から来ていた覚えもある。
あの優男の隊長が融和派であるなら、ちょっとつついてみるとしよう。停滞気味の話が途切れていたところだったので、切り出してみる。
「ところで、ベルーズ伯爵がゴブリンと共にラーシャ侯爵領に侵攻し、候領都を蹂躙した背景なんだがな。それに先立っての、ビズミット卿とザルーツ卿の軍勢がベルーズ伯爵領に立ち入った件が影響したようだ」
「それがなにか?」
すぐに応じたのは、ジオニルだった。
「侯爵の跡目争いに血道を上げていたビズミット卿とザルーツ卿が、急に関係性の微妙な隣国、ベルーズ伯爵領に向かったのには、天帝騎士団からの要請があったからだと聞いたのだが」
「根も葉もない話だ」
ジオニルの応えは短い。そこで反応したのは、鎮撫隊の隊長だった。
「そうなのか? 俺が受けている報告では、そうでもないようだがな」
沈黙した副長を横目に、俺はもう少し畳み掛けるとしよう。
「帝皇戦争の因縁もある間柄だけに、魔王討伐のためにしても軍勢を進めてはまずいというのは、連中にもわかっていたはずだ。それにも関わらず侵攻したのはなぜなのかが不思議でな。……何らかの見返りがあったとか、かもしれんな」
ファイムがじとっとこちらを見てくる。言い過ぎただろうかと思ったところで、発言した者が出た。
「より功績を上げた方を、侯爵の後継者して推挙すると言われた、とか?」
シュクリーファ嬢がさほど興味なさげに吐いた言葉に、ジオニルは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。わかりやすい。
「まあ、仮にそうでも、おそらくそれは善意からだろう。善意が、候領都が劫略される遠因になるとは、恐ろしい話だな」
実際問題、なにがどう影響してそうなったかなんてわからない。現状は、可能性の指摘で用は足りる。俺は、言葉を続けた。
「それはそれとして、今後の対応だが……、まずは糧食についてだな。商人はなにもマルムス商会と黒月商会だけではない。それ以外の商会が集めた物資を、騎士団で使われるがよかろう」
実際には、両商会からの物資が迂回して納入されるだけかもしれないが、形式は大切である。その件については、特に文句はなさそうだ。
「で、ベルーズ伯爵領への対応だが……、天帝騎士団は単独で進めばいいんじゃないか? 俺達は、たまたまエスフィール卿と一緒に、同じ頃に伯爵領へ向かおうと思う」
「まあ、その辺が落としどころかな」
ファイムが応じると、副長が苦しげな声を発した。
「前面に立つのは、我が天帝騎士団であるべきです」
事実上の容認といったところだろうか。
「功績争いをするつもりはない。好きにするがいいさ。……エスフィール卿も、そんな気はないよな?」
「うん、もちろん。領民の安全さえ確保できれば、誰が討伐したのであろうとかまわないよ。それに、ラーシャ侯爵家に連なるボクが、ベルーズ伯爵を討つわけにはいかないし」
「まあ、その心配は要らないんじゃないか?」
「どうしてさ」
「伯爵家なんて、とっくにゴブリン魔王によって滅ぼされてるんじゃないかな」
がたっと音を立てて席を立ったのは、ジオニルだった。蛇のような眼から強い視線が放たれている。
「なんだと……、ベルーズ伯爵はゴブリン共と同盟関係にあるんじゃないのか?」
「いや、ゴブリンとの約定を信じる方がどうかしているぞ。主力が留守にして、その間に何も起こらない方が考えづらいだろ。……ラーシャ侯爵領を荒らす絶好の機会を得て、目が眩んだってとこかな」
一応は推測の形を取っているが、実はこの点も先ほどのソフィリア経由での忍群魔王からの言伝ての中に、未確認情報として含まれていた。
この情報が正しければ、伯爵領はタケルらしきゴブリン魔王に制圧されたわけで、できるだけの戦力で攻め込みたいのだった。そう考えると、うまく誘導できたと言えそうだ。
ふっと息をついたところで、申し入れが飛んできた。
「ところで、魔王殿。一度お手合わせ願えないかな。同じ戦場に出る以上は、互いを知っておくべきだと思うんだが」
東方鎮撫隊の隊長が、意味ありげな視線を送ってきていたので、俺は要請を受け入れると決めた。