(77) 街道を南へ
朝日に照らされたベルーズ伯爵率いる軍勢は、陣形が乱れた状態で停止していた。
夜通し進もうとの判断は、状況を考えれば間違いだったとは言い切れない。こちらが執拗に削りに専念し、緊張の中で一晩を過ごす羽目になるとは想像できていなかったのだろう。
俺らとしては、当然ながら相手のペースに付き合う必要はない。攻撃を仕掛けない時間帯を意図的に作り、弛緩を誘ってまた仕掛けるとの狙いもあって、隊を幾つかに分けて交代で休養する形をとっていた。
夜が明けきれば、もう一度投降勧告を行う予定となっている。その間にゴブリンへ攻勢を仕掛ける算段は、既に固められていた。
青鎧が総攻撃をかけてくる危惧はあったが、コカゲが探った範囲ではその気配はないそうだ。俺は、雄大なゴブリン討伐に参加するために、前方へと向かった。
ゴブリンへの夜間の攻撃は、休養させないのを目的とした、嫌がらせに近い程度に留めていた。それでも、寝不足状態ではあるだろう。
朝になってからの主戦級による本陣突撃で、激戦の末に打倒した最大級の個体は、ゴブリン・コマンダーだった。だいぶ大粒の妖精結晶は、黒く妖しく光っている。
「フウカ、見事な戦いぶりだったな」
俺の言葉に、翠眼の少女がすっと頭を傾けてくる。応じてぽすんと撫でると、ややふっくらとしてきた頬にうれしげな笑みが浮かんだ。彼女のレベルは、昨日のうちに25に到達していたが、「勇者の卵」との表示のままで進化の気配はなかった。進化は生成配下に特有の仕組みなのか、あるいは必要レベルが異なるのか。
「でも、コマンダー討伐では、ルシミナの方が手数が多かったかも」
話を向けられたゆるふわ髪の女騎士は、涼しい顔で大剣を振って血を飛ばしている。夜から朝にかけての大車輪の活躍で、少し吹っ切れたのかもしれない。
「一撃の重さは、フウカさんの方が上でしょう。それに手数でしたら、コカゲさんには敵いません」
「いやいやいや。ボス級相手じゃ、あたしのはどこまでいっても牽制だもの。邪魔にならなかったのなら、よかったんだけど」
三人ともに、一番手柄を主張する気はないようだ。息の合った攻撃ぶりは、そういう関係性も影響しているのかもしれない。
「みんな、すごい戦いぶりだよ。おいらは、どうすればそうなれるんだか……」
大物近くのノーマルやエリートあたりの排除を担当していたブリッツが、どこか途方に暮れたような声を出す。俺は、その肩をぽんと叩いた。
「経験も違えば、武具の差もあるからな。それが総てとは言い切れないが、成長しているのは間違いないんだから、気に病むな」
「武器ねえ……。いい剣があればいいんだけどな」
夜のうちに倒した青鎧の武具は、今頃忍者隊が回収してくれているだろう。そのまま分配するのもなんなので、クラフトらによって打ち直してもらう予定である。
武具は、最低のFランクとE,Dでもだいぶ違うが、Cランクになると、一気に手入れの容易さや強度が増す印象がある。そう考えれば、主力にはC以上の武器を与えたいのだが、揃えられてはいないのが実情だった。
「まあ、ブリッツの場合は、まずは一歩ずつだろうな。これからロードを各個撃破して、それが済んだら殲滅戦だ。そちらにも参加してくれるか? 相手は、ノーマルからホブゴブリンくらいまでになってしまうが」
ロードを仕留めて、咆哮さえなくせれば、ブリッツら二番手組が経験の浅い者たちを率いても危険は小さいだろう。俺の問いに、勇者の卵の少年が真顔になった。
「もちろんさ。こいつらは、家族やみんなの仇だ。おいらの手で一匹でも多く殺したい」
その目のあまりの冷たさに、背筋にすっと寒風が吹いたように感じられた。この少年が特別なわけではなく、同様な想いを抱いている者は多いだろう。それを軽んじるわけにはいかなかった。
魔王タケルの配下は、主の指示に従って動いているはずだ。仮に俺が人間の虐殺を命じれば、生成すぐの配下はためらいなく従うだろう。そう考えれば恨むべきはゴブリン達ではなく、タケルなのかもしれない。
けれど、そんな理屈を口にするべきではないのだろう。少なくとも、俺だけは。
朝方からの再度の投降勧告に応じたのは、三十余名だった。
所属がばらばらの騎士や従士が中心の彼らを、ワスラム一党ほど信用するのは難しい。魔法石での尋問を済ませ、武装解除をした上でツェルムに管理を任せる。
ここから先は、殲滅を目的とした戦いとなる。候領都から出発した際には二千を越えていたという青鎧勢も、投降と戦死とで千を割り込む規模となっている。
昼の間は遠隔攻撃に徹して、夜に再び仕掛ける形になりそうだ。ダーリオが預かっている新参の赤備え系の者達からは、一気に決着をつけたいとの要望も出ているようだが、その必要はないだろう。もはや、大勢は決している。
昼過ぎには、ゴブリンと青鎧が合流して、一体となって反撃を試みるようになった。動きが読みづらくなる面はあるが、追撃の当初に実施されていたならともかく、現時点では効果は限定的だった。
そのまま夜に入り、断続的な襲撃によってさらに数を減らしていく。彼らが地峡近くにたどり着いたのは、朝方だった。特にペースを制御してそう仕組んだわけでもないのだが、深夜ほどではないにしても、落とし穴には気づきにくい時間帯だっただろう。
計画通りに先頭が落ちたところで、後方から一気に攻め立てると、ほとんどの生き残りが落下した。ベルーズ伯爵本人も例外ではなかった。
落とし穴と言っても、身長の二倍程度で、刺突武器なども仕込んでいない。総大将に当てないように矢を射かけていると、配下を踏み台にしてベルーズ伯爵が穴を抜け出した。それを合図代わりに、本格的な殺戮の時間が始まった。
「凄まじいな」
配下達は落ちた敵兵の攻撃には参加せず、地峡周辺で新たな侵攻の警戒にあたっている。
伯爵通過後の退路の封鎖は、落とし穴内の敵への攻撃に引き続き、ダーリオ率いる新参の者達が担当する。そこが破られたら、ようやく俺達の出番となる。
最後の局面での新参組の投入は、後方を扼す役割を担っていたため、敗残兵狩りしか貢献できていない彼らの不満解消のためなのだろう。同時に、ダーリオに指揮経験を積ませる意味合いもあるのかも。政略を考えつつ統率せねばならないエスフィール卿には、別の大変さがありそうだ。
この段階まで投降しなかった以上、容赦をする必要は皆無となる。地峡の向こうには、青騎士もゴブリン魔王の配下も多くが残っているかもしれず、合流させるわけにはいかない。
ワスラム一党は、さすがに追撃戦には参加させておらず、タチリアの町近くで野営中となっている。当然ながら意気消沈しているそうなので、ひとまず森林ダンジョンに連れて行って、休養させるとしよう。
事実上、ベルーズ伯爵に対して反旗を翻した状態なのだから、侵攻時には彼らにも役割を担ってもらいたいものだ。追撃戦でも犠牲がごく少なく留まったのもあって、エスフィール卿は侵攻を視野に入れているようだった。
戦闘……、いや、虐殺を終えた俺達は、ひとまずタチリアの町近くにある出城に向かった。地峡から軍勢が突出してくる可能性が皆無ではないため、その手当ての意味もあった。
一息ついていると、天帝騎士団の主力が南下してきているとの報があった。早速、対応のための打ち合わせを実施する。
「じゃあ、俺達はいったん離脱するぞ」
「どうしてさ。まだ決着はついてないよ」
エスフィール卿が、ふくれ顔で問うてくる。難詰という表現が合いそうな口調である。
「だがな、魔王と一緒にいるところを天帝騎士団に見られるのは、ちょっとうまくないだろう? それに、連中に伯爵領のゴブリン魔王を退治してもらえばいいじゃないか」
「だめ。タクトはボクと一緒にいて」
そう言われましても、と思っているうちに、白鎧の使者が接近してきたとの報が入った。こうなっては、逃れようがない。
ついに、亜人排斥の総本山の方から来た連中と遭遇する羽目に陥ったわけだ。もちろん、排除する対象は亜人だけではなく、魔王こそがより重要な標的なのだろうが。
ただ、ここはぜひ、当座の間だけでもお手柔らかに願いたいところだった。
今回で、第四章まで終了となります。次の第五章は、また数日のお休みをいただいてからの再開予定です。