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(75) 毛布と果実水



◆◆◇ラーシャ侯爵領・西部街道◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 毛布でくるまれた赤銅色の髪の少女に、椀に入った紫の液体が手渡された。周囲の草地では、同じく投降したワスラム一党の青鎧らが腰を下ろしている。罪人のように尋問魔法石の使用を強要され、多くの者の心は折れている。寒くもない穏やかな昼下がりなのに、幾人かが毛布にくるまれてもなお震えているのは、心理的な衝撃からか、飢餓症状が出ているのか。


 通りかかった尖り耳の少女、ソフィリアが若い青騎士の震える手からそっと椀を取り、匙を使って唇に運び始める。覚悟したのか、されるがままになっている。


「飲めましゅか? 一気に飲むと、お腹がびっくりしちゃいましゅから、ゆっくりとお願いしましゅね」


 こくこくと頷いた若者が、椀を両手で受け取ってごくごくと飲み始める。その様子を見て、周囲でも飲む者が出始める。


 毒かと疑う者もいたが、ここまでの扱いは、魔法石が使用された以外は丁重なものだった。剣も奪われていないのに、案内や配膳をする者達には丸腰の者が多い。


 覚悟を決めて、ミリースが椀を口許に運ぶ。流し込むと、舌を甘味が通り抜けていく。


「おいしい……」


 尖り耳の少女の言葉がなければ、一気に飲み干してしまっていたかもしれない。それくらいに、彼女の体は甘味を渇望していた。


 供されたぶどうの果実水は、あえて冷やさずに常温となっている。青鎧が領都に滞在した数日間、糧食は自力調達が求められ、飽食した者と飢えていた者とに分かれていた。サイゾウらの諜報でそれを把握していたタクトは、胃腸に優しいもてなしを目指していた。


 ミリースの目に涙が浮かぶ。それに気づいたのは、毛布と果実水の追加を運んでいた、緑髪の赤鎧の人物だった。


「どうかなさいましたか、お嬢さん。綺麗な顔に、涙は似合いませんよ。果実水のおかわりはいかがです?」


 問題なく美形の範疇に入れてよさそうなその人物、エクシュラの声は優しい響きを帯びていた。


「いえ、結構です。……どうしてよくしてくれるの? あたし達は、ひどいことをしたのに」


「青鎧勢全体として、暴虐な振る舞いをしたのは確かでしょう。けれど君らはラーシャの民を殺すなりいたぶるなり好きなようにできる状態にいながら、それをしなかった。充分に感謝に値するよ。この世界のみんなが君らみたいだったらいいのにな」


 どこか歌うような口調で語られる内容の、あまりの期待度の低さにミリースはまた泣けてきてしまった。けれど、嫌味を言っているわけではないのだと、彼女にもわかった。


「どうして、捕虜の世話なんてしているの。赤鎧を身につけているからには偉い人なんでしょう?」


「まあ、多少はね。でも、それを言ったらあそこの鍋の前で食事の用意をしているのは魔王……、この勢力を率いる一人ですよ」


「……魔王が、わたしたちのために料理をしているの?」


 通りかかったソフィリアが、笑顔で話に加わってきた。


「そうなんでしゅよ。略奪をよしとしなかった者ほど腹を空かせていると聞いて、張り切っているんでしゅ。ただ、いきなりの食事の摂取はよくないとかで、まずは果実水で我慢してほしいのでしゅ」


 器を回収した尖り耳の少女は、素軽い動きで離れていく。そして、負傷している騎士を見つけると、革袋の液体をかけた。緑色のもや状のものが広がっていく。


「ポーション? 捕虜にポーションを使うの?」


 彼女の認識では、ポーションとはひどく高価な代物である。ミリースが投降したのはワスラムの長の決定に従ったためで、実際には殺されるかもと危惧していた。それだけに、状況に追いつけていない。


「一般論として、自力で動いてくれた方が楽というのはあるにしても、ソフィリアの場合は自然にやっているんだと思います」


 エクシュラはそう言い残して、椀の回収に参加した。手伝うべきだろうかと思いながらも、ミリースはまずは従卒としての本分を果たそうと考えた。周囲に、見知った存在の姿を探す。


 やがて見つけた青騎士ツェルムは、弱った小者の少年の世話を焼いていた。跳ねた髪は相変わらずである。


「ツェルムさま。あたしが替わります。まずはご自分の体を労ってください」


「やあ、ミリース。食事の用意がされているようだから、少し休んでいていいよ」


「果実水をいただいたので平気です。ツェルムさまはもう飲まれましたか?」


「いや、まだ。……彼にも飲ませてやりたいな」


 赤銅色の髪の少女は、小走りに先ほど言葉を交わした青騎士のところに向かった。椀を二つ受け取って戻ると、片方をツェルムに押し付けて、小者の少年の口許へと運ぶ。


 ついてきたエクシュラが尖り耳の少女を呼び寄せ、少年の周囲に緑のもやが立ち上った。


「助かりました。怪我をしながらも元気だったそうなのですが、急に体調を崩したようで」


「緊張状態だったのでしょう。無理もありません。……連れてこられただけの少年に罪はありません。彼の命を奪わずに済んでよかった」


「ですが、敗走中の陣中にはまだ……」


「でしょうな。個人的には、どうにかしたいものですが」


 と、そこにつかつかと歩み寄ってくる人物の姿があった。薄桃髪の幼さの残る容姿の女性騎士、ルシミナだった。その鎧はゴブリンの血で濡れているが、気にする様子もない。


「エクシュラ、何をしていますの?」


「なにって、投降した彼らの世話ですよ。人手が足りないようでしたので」


「赤鎧として取るべき行動だとは思えません。……攻め込んできた張本人達の世話より、優先すべき事柄があるでしょう」


「夜に向けて英気を養えと指示されていますのでな。自分なりの英気の養い方を実践しておるのですよ」


「こんな……、こんな者達のために、何かをしてやるべきではないのではありませんか」


 冷ややかな視線を向けられて、ミリースが身を竦める。そう、その反応が普通よねと思いながら。けれど、エクシュラに動じる様子はない。


「でしたら、タクト殿にこそ言われてはいかがです?」


 鍋の方に視線を向けたルシミナは、ぷいっと去っていく。その様子は容姿のせいもあって、拗ねた幼女のようにも見えた。


「申し訳ありません。彼女は、従兄に当たる家長を、ゴブリンとの戦闘で失ったのです。母親も私邸の使用人を逃がそうとして殺されたらしくて、気が立っておりまして」


「それは、無理もないです」


 肩を落としたミリースに、青騎士の青年が気遣わしげな視線を向ける。


「まあ、戦いは世の常です。彼女の従兄が領都に迫るゴブリンに寡兵で立ち向かう羽目になったのも、彼らが主と仰いだ人物が無能だったからです。連中が阻止を試みていれば、敗北したとしても今回ほどの惨状にはならなかったでしょう」


「あたし達を、恨んでいないの?」


「うーん、先ほどの話通り、君らは少なくとも民を蹂躙しようとはしなかったわけだし。……ただ、手が汚れていてもいなくても、投降しない人達は、生きて故郷の土を踏めるとは思わないでほしいね」


 この人物の家族は、無事だったのだろうか。それを訊くのはミリースにはためらわれた。


 やがて、椀に盛られた食事が運ばれてきた。タチリアの屋台で供されているミネストローネ向けの食材を転用した、トマトベースの肉とじゃがいものスープだった。消化によいように、具材は細かくして炒めた上でよく煮込まれている。


 ミリースから椀を渡された青騎士は、しかし匙を持とうとはしなかった。


「ツェルムさま、どうされました。あーんしましょうか?」


「食べていいのだろうか」


「いいんじゃないのか。腹は減っているだろう?」


 ミリースには、その黒装束の人物が突然現れたように感じられた。髪の跳ねた青騎士が、驚きの表情を浮かべる。


「あなたは、あのときの」


「また会ったな」


 微笑むその忍者とは、ツェルムが候領都で月影教団の地下の避難所に一緒に赴いて以来の再会となる。彼の後ろには、黒髪の少年の姿があった。


「サイゾウ、彼がそうなのか?」


「ええ」


「奴隷志願の人物がそうだったとはな」


 タクトの声には、苦笑が混じっている。魔法石による尋問実施からここへの誘導まで、ツェルムの果たした役割は大きい。大将格のマザックが細かな指示を苦手としているだけに、より際立つ状態だった。


「奴隷って、なんの話ですか?」


 従卒の少女の疑問に、タクトが応じる。


「こいつが、領民を傷つけたから奴隷にしてくれって求めてきたんだ。実際にやったのは従卒だったけど、自分の罪だからと」


「それは、あたしの行いです。ツェルムさま、勝手に替わろうなんてひどい」


 彼女は、略奪と住民を傷つけたと自己申告したものの、聴取の結果として咎めなしと定められていた。


「そうは言うが、従卒が自分のためにした行為は、騎士自身が責任を取るべきじゃないか」


 言い合う主従を放っておいて、タクトは信頼する部下に視線を向けた。


「サイゾウ、状況は把握しているか」


「はい。……食べ物を奪われた子どもに対し、ツェルム殿が返還し謝罪しておられたところ、襲いかかっているのだと誤解した別の子が殴りかかって、そこの少女に制止されました。多少手荒ではありましたが、許容範囲かと」


「なら、裁定通りお咎めなしだな。自衛まで否定するつもりはないぞ」


 タクトの言葉に、我が意を得たりとばかりに赤銅色の髪の少女が言い募る。


「ツェルムさまは、そのときも子どもに小刀を渡して、殺されようと企んでいました。ひどいのです」


 苦笑を浮かべた魔王が、ツェルムの瞳を覗き込む。


「奴隷志願の件といい、自傷願望が強いのか。気持ちはわからんでもないが……」


 そこで言葉を止めて黙考するタクトを、青騎士はまっすぐに見つめ返す。


「どうせ身を捨てるなら、同胞のために使わないか?」


「同胞のため、とは?」


「ベルーズ伯爵は、主力を連れて領外に出たんだよな。その間、ゴブリン魔王がおとなしくしているとは、俺には思えない」


「町や村に攻め込んでいると?」


「ああ。亜人の集落や、地民だったか? の人間の村のように」


「確かに、残っているのは主力とは言い難いですが……」


「それでも、ゴブリンに遅れは取らぬか? まあ、それならその方がいいんだが。……いずれにせよ、伯爵領内でのゴブリン討伐は行われるだろう。俺らも巻き込まれる可能性が高い。討伐軍に赤鎧が参加していると、拒否反応が激しくなるだろ?」


「それは確かに」


「あんたらが同行してやれば、多少は円滑にものごとが進みそうに思える。まあ、無理にとは言わんが」


 あくまでも他人事だとの立ち位置を取ろうとしているが、だれが主導権を握っているのか、ツェルムは既に把握済みである。


「赤鎧が、我らとの同道を許容するでしょうか」


「させるさ。参戦するとなれば、危険はできるだけ排除しなくてはならん。そこに文句は言わせない」


「魔王であるあなたが、どうしてゴブリン魔王を攻めるのですか」


「理由は幾つかあるが、最大のものは生存戦略だな。人類勢力に力を見せつつ、共存可能であると示していく必要性がある。……ただ、先走るのは良くないな。まずは、領都の蹂躙に参加した青鎧勢を皆殺しにしてからだ」


 淡々とした宣言を耳にして、ミリースが肩を落とす。彼女が見知った従卒仲間も、まだ陣中に残っている。投降のために離脱したのは、ワスラム勢だけだった。


「皆殺し、ですか……」


 ツェルムの声にも、どこか戸惑いの調子が含まれている。


「できないと思うか? 実際には、ベルーズ勢の勝機は、俺らの姿を見てすぐに、ゴブリンと連携して蹴散らすしかなかっただろう。ゴブリン削りは進行中だ。あんたらワスラムの投降で、青鎧勢にも動揺が走っている。まして、地の利はこちらにある」


「いえ。そこに疑念はありません。ただ、どうにも頭が状況に追いつかず……」


「そんなもんか。……整理がついてからでかまわないが、要請を伝えておくぞ。日暮れまでに、蹂躙に加担していない者達の投降を促してほしい。特に非戦闘員……、そちらで言う、小者や従卒らは、巻き込まれたようなもんだろうから、助けたい。悪いようにはしないぞ」


「それは……、しかし……」


「一緒にラーシャの民を保護した人々を誘ってはいかがです」


 サイゾウの言葉は、穏やかな色合いに包まれていた。


「応じてくれるだろうか」


「やりようはあるだろうさ。……ところで、トマトベースのスープは苦手か? 俺の料理が食えないってのか?」


「いや、いただきます」


 そう応じると、ツェルムは椀のスープを勢いよく食べ始めた。従卒の少女に論難されるまでもなく、これまでの彼はどうやって死ぬかばかりを考えていた。


 けれど、死ぬ前にすべき何かが形になりかけると、彼の身体は猛烈に食事を求めてきていた。


「焦らずな。食事も、考えをまとめるのも」


 言い残して、タクトがその場を去ろうとする。と、そこで足を止めた。


「それにしても、ホントに見事な寝癖だな。……エクシュラ、ちょっと整えてやってはもらえまいか」


「そうしたいのは山々ですが、整え方を存じません」


 綺麗に整えられた緑の髪を手で撫でながら、美形の赤騎士が応じる。


「見事に整えられているように見えるんだが」


「さて、朝起きたらこの状態ですからな。そういう体質なのでしょうか」


 冗談ではなさそうだと考えたタクトが、いつの間にやら主の側にいた従士を見やる。アクシオムがすっと目をそらした。


 何かを察した魔王が、遠くにいたシャルフィスを呼び寄せて対応を依頼した。


「おお、見事な跳ねっぷりですな。油を使って撫でつけましょう」


 懐から取り出した容器から手に取られたのは、いい香りのする固形の油だった。見る間に跳ねていた髪が整うのに感嘆したミリースが弟子入りを志願すると、シャルフィスはまんざらでもなさそうだった。


 のどかな空気が流れている一角の様子を、周囲の青鎧達は気にしているようでもある。そして、遠くからはルシミナがにらみつけていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆




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