(72) 提案の行方
概況を聞き取ったエスフィール卿は、即時の出陣を指示した。行きがかり上、俺達も北へ向かうことになる。
領都外の情報は断片的だが、病身の当主もビズミット卿、ザルーツ卿も、追撃されつつも討ち取られはしなかったようだ。
領都内での市街戦は厳しいというのがアユムとトモカの一致した見解だったが、どう対応できるかとなると悩ましい。長期的な占領が目指されているのか、短期的な劫略なのかで話は変わるが、ゴブリンに領都を拠点にして繁殖されてしまうとすこぶる厄介である。エスフィール卿はもちろん、ルシミナやダーリオもかかり気味であるし、出たとこ勝負とならざるを得ないだろう。
領民の保護を手伝ってくれている青鎧の存在に関しては、赤備え勢の心には響かなかったようだ。厄災をもたらす野獣の中に、おとなしい個体が混じっているくらいの認識なのだろうか。被害が甚大なだけに、無理もない。
徒歩の者も含めると、タチリアの町から候領都までは急いで三日、夜を徹して二昼夜の行程となる。今回は進軍中に戦闘となる可能性もあるために、短めに夜営しながら進むことになった。
前進する間にも、避難民や合流を期す赤備え勢などと行き会う形になる。そのため、斥候組は大忙しとなっていた。
エスフィール卿は、避難民の手を取り謝罪の言葉を述べ、赤備え勢はそれまでの所属に関わらず歓迎している。政略的な意味合いもあるのかもしれないが、地なのだろうと思わせるあたりがにじみ出る人柄の良さなのだろう。
そうしている間に、街道の西方まで進出した偵察隊が、新たな軍勢を発見した。天帝騎士団の象徴たる揃いの白鎧を装備して、五芒星が描かれた白い長旗を掲げているからには、星降ヶ原の西隣の地に拠点を構える東方鎮撫隊なのだろう。
ざっと二千くらいの規模だそうだから、なかなかの大軍である。エスフィール卿は早速使者を立てると決めた。選ばれたのは、領都で住民の保護活動にあたっていた赤騎士シャルフィスで、俺発信の脳内通話を介してモノミから言伝てを受け取って、天帝騎士団の陣営へと向かう。
そこから、数度にわたる使者交換が行われた。こちらからは、包み隠さず情報を伝達する。魔王の出現状況、魔王と連携しての魔物討伐の経緯、ビズミット卿とザルーツ卿によるゴブリン討伐を目的にしたベルーズ伯爵領進出。それが侵略とみなされた可能性についても言及しつつ、ゴブリン魔王とベルーズ伯爵勢がそれ以前から連携していたらしいとも伝える。
先方からは候領都ヴォイムを占領しているベルーズ伯爵に詰問使を送るとの連絡が入った。
天帝騎士団は武力に加えて、帝王国の権威に直結していて、大きな影響力を持つ組織だという。ベルーズ伯爵は、ゴブリンを引き連れての候領都離脱を表明した。
青鎧とゴブリンとが候領都ヴォイムを離れる前夜、俺達は今後の対応の協議を進めていた。
「で、どう動くんだ。候領都を掌中に収めるか?」
エスフィール卿、傘下の赤鎧、冒険者勢代表のライオス、魔王である俺とその一味が参加しており、十人規模での討議となっている。
「いや、ボクとしては侵攻軍を討ちたい。もちろん苦しんだ領民の救援もしたいんだけど」
「その面は、天帝騎士団に期待できるのか?」
「残っているかもしれないゴブリンの掃討くらいは、やってほしいなあ」
「……ビズミット卿とザルーツ卿が戻って来られるかもしれませんぞ」
ライオスの声には、苦い響きがある。
「候領都を権力の源泉だと思っていそうだものね。それもやむなし、だよ。……叔父上たちを討てるわけでもないから」
少なくとも、跡目を争う気にはなりつつあるのだろうか。まあ、それも踏まえて、侵攻軍の撃退を優先するのはよい手筋なのかもしれない。
「なら、どう攻める。正面から決戦を挑むか?」
俺の問いに、侯爵家の後嗣が応じた。
「いや、今のところは整然と退却しているし、退路を塞いで死に物狂いにはしたくない。追撃戦の形がいいな」
「ほう……。すると、伏兵を準備して一撃離脱したり、夜営中に魔法や矢で攻め立てたり、速度差が出て孤立した者達を各個撃破したりと、嫌がらせの限りを尽くそうというわけか」
「えげつな……。うん、でも、そういうことだね」
「じゃあ、今のうちから地峡の前に落とし穴でも仕掛けておくかな。もうすぐ帰れると思ったところで罠にはまって、包囲殲滅を仕掛けられるってのも、なかなか乙なものだろう?」
「タクトは、敵に回したくないな。……ただ、ベルーズ伯爵は殺すわけにはいかないんだ」
「そうなのか? 攻め込んできた主将だろうに」
「領主同士の私闘は、帝王国内では禁じられていてね。それでも各地で小競り合いは頻発してきたんだけど、当主を討つのはちょっとまずいんだ」
「ほう……。あちらは、討つ気満々だったようにも思うがな。まあ、できるだけ殺さないよう気をつけよう」
「うん、頼むよ」
そこで、トモカからの目配せを受け取った。
「……ただ、追撃戦にしても、人数が違いすぎる。連中に一丸となって戦われたら、正直なところ分が悪い」
「悪虐な者たちに遅れを取るつもりはありませんわ」
ルシミナの声はいつになく硬い。本来ならふっくらしているはずの頬があからさまにひきつっているのは、寝不足のせいなのだろうか。なんだか、嫌な迫力が感じられる。
「悪虐か正義かは勝敗に関係ないからな。要は、地峡に到着するまでに伯爵本人以外を殲滅、無力化すればいいんだろう?」
「ええ、そうなりますわね」
「ならば、まずはゴブリンと青鎧を分断したい。そして、青鎧の内部もできるだけ割りたい。……それはいいか? 敵に全力を尽くさせるのが騎士の本分とかは言わないよな」
「ええ。連中に死を与えられさえするなら、どうとでも」
薄桃髪の女騎士が、酷薄な口調で言い放つ。幼さの残る顔立ちに、ぞっとしてしまいそうな表情が浮かんでいた。
「ゴブリンを先に始末する理由を作りたい。そこで、青鎧のうち、虐殺、蹂躙に関わっていない者は助命すると伝えて、攻撃を猶予するふりをして分断するって策はどうだ?」
「先にゴブリンを皆殺しにするっての? ふりというのは?」
「青鎧に選択肢を与える状況を作り、まずゴブリンを遠隔攻撃で削っていく。陣を乱せば各個撃破もしやすくなる。青鎧は……、そうだな。今日の日暮れまで猶予を与えて、夜から攻め立てるってのでどうだ。連中が夜を徹して急いでも、地峡に着くのは明後日だろう。時間は充分にある。そして、青鎧から少しでも降伏者が出れば儲けもんだろう?」
「本気で助命する気?」
「虐殺にも蹂躙にも加担していなければ、捕虜にするまででいいんじゃないか? もう一段、傷つけたり財物を奪ったまでなら、奴隷化に留めるってのもありかもしれん」
「止めていなかったのなら、同罪ですわ」
ルシミナが鋭い視線を向けてくる。ここは、難しいところだ。
被害者側からは、皆殺しにして当然なのだろうが、蹂躙を許すとの命令がある中でそれを制止できる者ばかりではないだろう。
「そう明言して相手を窮鼠にしては、抵抗が激しくなるだろう。特に討つべき者を、効率的に潰したい。加えて、できるだけこちらの被害を少なくしたい」
「生じた事態を考えれば、復讐での被害は甘んじて受けるべきだとわたくしは思いますの」
思わず口を開きかけたトモカを、目線で制する。慎重に進めるべきだろう。
「この戦いが最後なら、それでいいかもしれん。だが、ベルーズ伯爵領には、ゴブリン魔王と、出兵していない青鎧がいるわけだからな。戦いが続く可能性が高い。それに、ビズミット卿とザルーツ卿との話もある」
「と言うと?」
「領都を捨てて逃げるような連中に、この地を任せるつもりなのか? それを阻止するためには、エスフィール卿の勢力を保持し、強めていかなきゃいけないんじゃないのか」
「政争のために、節を曲げろと?」
「魔王がよそにも出現している。ここ星降ヶ原が平穏になっても、戦乱の時代は続くだろう。一戦士として生きるなら、何もかも捨てて復讐を目指すのもいいが、今のあんたはそういう立場なのか?」
汚い言い方であるのは自覚している。このルシミナ嬢は主だった親族を相次いで失い、家を継がざるを得ない立場にあるようだ。四柱石家に数えられる家柄なだけに、個人の感情で動ける立場ではもはやない。だが……。
薄桃髪の女騎士が顔をしかめると、泣き出しそうにも見える。優しい声で彼女を制したのは、エスフィール卿だった。
「ルシミナ、気持ちはわかるけど、最善手を探りたいんだ。協力してほしい。……蹂躙に加担していない人を助命するとして、どう判別する? ゴブリンと組んだ騎士たちが何を誓おうが、信じるわけにはいかないよ」
「確かにな。……なあ、ライオス。ギルド登録の時の真否魔法はこういう場面でも使えるのか?」
話を振られた白髪の元ギルマスが、重々しく頷いた。
「ああ、対応できるぞ。ギルドの登録証は元々が、重罪人向けの尋問魔道具を転用したものだしな。雑に扱っていい冒険者向けだから使える、というのが実情だ」
「ほう。まあ、今回は重罪の容疑者だから、問題ないな。……なら、ヴォイムの領民を殺すか犯すかした者は殺す。傷つけたり奪ったりした者は奴隷に落とす。どちらもしていないなら捕虜として命までは取らない、ってのでどうだ?」
俺の言葉に、ライオスはやや渋い顔をした。
「盗賊ならそれでよいが、騎士相手にとなると、抵抗があるかも知れんぞ」
「拒否するなら、殺す。それでいいじゃないか」
いつになくまじめな表情で、エスフィール卿が見つめてくる。
「その条件なら、なんとか皆を抑えられると思う。……ただ、皆殺しの方が簡単だね」
「違いない」
捕虜を取るとなれば、その扱いに人手が取られるし、糧食も必要となる。だが、今後ありえそうな侵攻戦を考えると、意味を持ってくる可能性はあった。
ここまで黙っていたダーリオが、ようやく口を開いた。
「なら、ゴブリンと、その条件での降伏に応じない青鎧と従者は、遠慮なく皆殺しでかまわんな。ベルーズ伯爵本人だけは、できるだけ生かすとしても」
兄達の生死にもよるが、どうやら九男の身で柱石家のひとつ、ホックス家の当主になりかねない情勢は、この人物に意識改革を迫っているらしい。家格が軽いシャルフィス以外に常識人が見当たらなかったので、いい傾向なのだろう。本人に無理がなければだが。
青い髪の少年貴族も、話をまとめようとの意図を是としたのだろう。頷いて口を開いた。
「うん。少なくとも、直接の加害者を許すつもりはないよ。多くの知己が殺されたり、自死に追い込まれたりしたと思う。ボクも、自分の中に渦巻く殺意の強烈さに戸惑ってるよ。……それで、タクト。捕虜はどうする?」
「事情によるな。小者や、主人について来ただけの従者なら、解放してやってもよい気がするが」
「いずれにしても、タクトの方で管理してね。ラーシャ家中で青鎧を前にして、平静でいられる者は少ないと思うから」
「マジか。相手が高位の騎士でもか?」
「うん。ってゆーか、ベルーズ伯爵の有力家臣が、ラーシャ家や魔王に膝を屈するとは思えないよ。だから、せいぜいが小者や下級騎士止まりだと思う」
「うーむ」
ちょっと面倒になってきたが、言い出した以上は対応するとしよう。
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