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(71) 候領都ヴォイムにて


◆◆◇候領都ヴォイム・東街区◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 赤銅色の髪の少女が、周囲の光景から意識を外して小走りに進んでいく。ミリースは、できるなら目を閉じて耳を覆いたかった。その町では、凄惨な情景が展開されていた。


 少女の手には、ようやく入手したパンと干し肉とが握られている。彼女が従卒として担当する青騎士ツェルムのための食料だった。


 侯爵一族が率いる軍勢への追撃が空振りに終わり、青鎧勢は候領都ヴォイムに入った。既にゴブリンによって蹂躙されている都市に兵を進めると、ベルーズ伯爵は糧食を現地調達せよとの命令を発した。


 同時に、ヴォイムの住民は好きにしてよく、なにをしても罪には問わないとも表明した。


 それを聞いたツェルムは絶望の表情を浮かべ、自分の携行していた食料を従卒の少女に渡して、これで滞在中を凌ぐようにと頼んできた。自分の取り分を残している気配はなく、ミリースは青騎士が絶食するつもりだと理解した。


 けれど、渡された食料をそうですかと食べられるはずもない。危険を承知で、彼女は食料の確保に出かけたのだった。


 数日にわたるゴブリンによる蹂躙も激しかったが、総ての建物から人が引きずり出されたわけではない。


 けれど、その後にやってきた青鎧達は、人間の視点で隠された人や財物を探し当てた。その的確さは、難を逃れたかに見えた人々を恐怖に陥れていた。


 抵抗を試みた男は殺され、連れ出された女は犯され、子どもや老人は戯れにいたぶられ、殺された。


 閉ざされた扉の向こうに人の気配を感じ取ると、ためらわずに火がかけられた。火だるまになって飛び出してくる人々を、笑いながら斬り捨てる。そうやって楽しむ青鎧勢ばかりではなかったが、ゴブリンと競争で蹂躙の限りを尽くす者達も多くいた。


 ラーシャの者達への積年の悪感情があった上に、先般のビズミットとザルーツによる領域侵入への報復だとの想いも加わっている。さらには追撃戦が空振りに終わったため、高めた闘志の行き場が消失した影響もあったろう。


 殺戮を命じられたわけではないため、より凄惨な方向に振れてしまった面もあろうか。


 ミリースが手にしていたのは、焼け落ちた神聖教会の裏手の路地で見つけた、子どもたちの近くにあった食料である。青騎士の一人が哀れんで与えたものだったが、彼らにはもう食事をする気力もなく放置されていた。それを拝借した形である。


 この滞在が何日になるのか、その後は戦闘になるのか、伯爵領へと戻るのか。ただ、どのような展開になろうとも、絶食して生きていけるはずもない。一緒に食事をしよう。彼女はそう、心に決めていた。


 他の青騎士が手頃な家を陣所として使っているのに対して、ツェルムは馬小屋を滞在場所としていた。左の側頭部には、今日も盛大な寝癖がついていた。ミリースが戦利品を見せると、青騎士の表情が一気に曇る。


 穏やかな口調で詰問され、赤銅色の髪の少女は正直に答えるしかなかった。偽りに敏感な人物の前で、嘘を突き通せるとは彼女は思っていなかった。


 ため息をついたツェルムは、従卒の少女にその場に案内するようにと頼んだ。


 仕方なく連れて行くと、青騎士はミリースの前で、疲れ果てた様子の子どもたちに膝をついて謝罪を始めた。そして、食べ物を返した上で小刀を渡した。


「君たちを救えるわけではないが、せめて身を守るのに使ってくれ」


 うつろな表情で、少年が小刀を見つめている。当初は襲われるのではないかと危惧し、次いで死を選ぶのではないかと気を揉んだミリースだったが、絶望の中にいるらしい男児にはその気力もないようだった。


 そして彼女は、ツェルムが少し残念そうに目を伏せたのを見逃さなかった。


 と、路地の奥から棒を持った、座っている子どもよりは年長の少年が走ってきた。


「青い悪魔め。その子から離れろ」


 叫んで殴りかかってくるが、ツェルムは動かない。赤銅色の髪の少女は、襲撃者の棒を持つ手を打ち据え、足をかける。


「ミリース、やめるんだ。傷つけてはいけない」


「でも、こいつが……。ツェルムさまは食料を返して謝っていたのに、悪魔だなんて」


「悪魔さ。少なくとも、悪魔の同類ではある」


「でも……、でも、あたしたちはラーシャよりも上位の存在で、奪われたものを取り返す権利が」


「ミリース。本当にやめるんだ。我々は、魔物と組んで平和に暮らしてた人々を虐殺し、蹂躙している悪虐な存在だ。認めるしかない」


 ほうっと息をついて、青騎士が少年を助け起こす。その足が蹴られたとき、路地の入口から声が聞こえた。


「よう、お楽しみのところ、邪魔するぜ。狩りの人数を競ってるところで、得物を探してるんだ。ひー、ふー、みー。いいねえ。殺さないなら、譲ってくれよ」


 現れたにやけ顔の人物も、青鎧で身を包んでいた。襟の印は、伯爵の直属部隊の一員であるのを示している。


「ダメだ」


「なんでだ? 殺すお許しは出ている。邪魔立てされる理由はないぞ。……それともやるってのか? 別に、首さえあれば、そこの従卒のお嬢ちゃんでもいいんだぜ」


 身構えるツェルムだったが、主君の命令が彼を縛っている。住民は好きにするように、何をしても罪には問わない。彼には、野獣めいた振る舞いをする同僚を制止する理由は見つけられなかった。


「ツェルムさま……、短気は控えてください」


 ミリースは震える手で、騎士の袖を握りしめる。にやけ顔の人物が、さらに顔を歪めて剣を振り上げる。


 ツェルムの体が反応しかけたとき、路地を風が吹き抜けた。


 現れた影が子どもたちの近くに達したとき、にやけ顔の青騎士は崩れ落ちた。影によって刀が振られると、血飛沫が宙を飛ぶ。


 ゆっくりと近づくその存在を感じながら、ツェルムは身体から力を抜いた。ミリースが見上げると、青騎士の顔には柔らかな表情が浮かんでいた。


 間合いが詰められると、影は黒装束の人物の姿になった。意外そうな声が、青鎧の喉から発せられる。


「殺さないのか? ああ、ただ、この子は見逃してもらえると助かる。子どもから食事を奪ってしまったようだが、俺のためだったんだ」


「ツェルムさま、死んではいけません」


「駄目かなあ」


 本気なのだと、ミリースには感じ取れた。


「……隣の街区の地下に、住民の生き残りが潜んでいる。この子達を、そこに合流させたい。ゴブリンの姿をした鬼と、青鎧を身に着けた鬼を近寄らせないようにできるか?」


 黒装束の人物は、青鎧を見つめている。その視界の中で、ツェルムはゆっくりと首を振った。


「伯爵から直々に、領都の住民を好きにするように、殺しても犯しても罪には問わないと命じられている。邪魔はできない」


 そこで少し、不自然な間が空いた。数十秒が経過した頃、再び声が流れ出した。


「命令は、領都の住民を好きにするように、なのか? なら、お前が好きにすればいいだろう」


「いや、殺したいとも犯したいとも思わない」


「ああ。別に、殺せとも犯せとも命じられていないのだろう?」


「そうか。安全に匿うのも自由というわけか。確かに虐げろとは言われていないな。……わかった、やろう」


 黒装束の男が合図をすると、さらに幾つかの影が現れた。子どもたちを抱きかかえて、先導していく。


 周囲に視線を配った後に、壁の中へと滑り込んでいく。その先には、隠された階段があった。


 彼らを迎えたのが、神聖教会の女性司祭と月影教団の導月師だったことが、ツェルムを驚かせた。


 神聖教会は在来宗教である月影教団や各種の精霊信仰を邪教と規定し、帝王国に排除を求めている。そうなれば、天帝教こそが騒乱を招く存在だと反発が起きるのは自然で、両者は仇敵に近い状態のはずだった。


 やはりと言うべきか、言い争いを始めた二人をどやしつけたのは、平服の中年女性だった。ネイアと名乗ったなかなかの貫禄の人物は、実務者的な存在として神聖教会の若い小柄な修道尼と、月影教団側の護月衆だという長身の青年を紹介してくれた。青鎧であるのに、あっさりと信用されているようなのは黒装束の人物に連れて来られたからだろうか。


 薄暗い地下聖堂には、多くの人々が避難しているようだった。


「食料は足りているのですか?」


「節約すれば、しばらくは保ちます。……ただ、現状でも二旬が限界です」


 応じた修道尼ヴィリスの表情は、やや悩ましげである。どこかげっ歯類を思わせる風貌は、憂いを含んでもなお可愛らしい。


「では、人を増やしてはまずいのでは」


「いえ、そういうわけには。ですよね、ネイアさま」


「なるべく受け容れたいところさね。ただ、そこは任せるよ。緊急性が高ければ、どうにかするさ。見つからない範囲で、弱い者達を連れてきておくれ。取捨選択は任せる。全員を救おうとして、全員を失うわけにはいかないからね」


 彼女の声にある覚悟が、青鎧の若者にも伝わっていた。この場だけは、どうしても守らなくてはならない。ツェルムは、そう心に決めた。


「ミリース。頼みがあるんだ。俺にはできないことだ」


「なんでしょう」


「この場を守るために、信頼できる者を集めてほしい。身分は問わない。……恥ずかしながら、俺には誰が何を考えているのか、よくわからないんだ」


「ツェルムさまは、他者に興味を持たな過ぎなんです。わかりました、任せてください」


 ようやく本当の意味でこの人の役に立てるのかもしれない。そう感じたミリースの胸中には、柔らかな想いが生じていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◇◆◇◆◇◆



 候領都ヴォイムの様子を探りに向かったのは、サイゾウ、モノミが率いる偵察隊で、戦闘力重視の選抜となった。


 赤備え勢からは同行志願が相次いだが、想定される状況に耐えられるかが定かでないため、最年長の「なまくら刃」ことシャルフィスのみとした。


 もたらされた実情は想像以上に凄惨なもので、皆殺しにされたわけではないものの、多くの死傷者が出て焼き討ちも多発していた。


 当初はゴブリンのみが襲来し、後になって青鎧もやってきて蹂躙に及んだという。ゴブリンのみであれば逃げおおせたはずの者達も、青鎧によって引きずり出され、殺されたり犯されたり、また略奪も激しかったようだ。


 偵察隊を手練れ中心にしたとはいっても、状況を覆すだけの力はない。また、全力で阻止してしまっては、虐殺的な動きを招きかねない。露見しない程度の阻止と、隠れている人々の支援に注力するしかなかった。


 一方で、サイゾウとの対話の中で、青鎧の中に領民への加害の制止を目論む者が見出だされ、隠れている住民を守るよう依頼したいとの要望があったため、OKを出した。さすがに、全員が悪鬼のような存在ではないようだ。


 その者達とのやりとりから、ベルーズ伯爵からは領民を好きなように扱っていい、罪は問わないとの指示があったと判明している。まさにその時、サイゾウと脳内通話がつながっていたので、好きなように扱っていいなら、守ってもいいんじゃないかとの屁理屈を提示してみたところ、受け容れられたという。言ってみるものである。派手な寝癖を気にしていないようなので、よほどの変人なのかもしれない。


 さて、得られた情報をどう伝えるかだ。脳内通話については、エスフィール卿とライオスにのみ情報開示済みとなっている。


 軍議には赤備えの面々も入るため、情報を共有するためには明かす必要があった。得られた情報をエスフィール卿だけに伝えるというのも、立場的にうまくなさそうだ。状況を踏まえて、秘匿事項として開示を行った。


 領都で展開されている惨状の詳細を知り、彼らは一様に言葉を失った。衛士が組織的な抵抗を断念し、多くの住民が犠牲になったのも、衝撃だったようだ。


 皆殺しになったわけではないし、宗教施設に隠れている人たちもいるとも説明しても、空気は軽くはならなかった。


「騎士街の状況は、どうなってるかな」


「青鎧が参加してから、集中的に狙われたみたいだな。抵抗して命を落とした者も多いようだ」


「ビズミット卿とザルーツ卿は、ゴブリンの侵入を防げなかったのでしょうか」


「病身の当主が退避してすぐ、二人とも軍を率いて去っていったらしいぞ。わずかな人数で侵攻を遅らせ、逃亡や退避のための時間を稼いだ赤鎧もいたようだが」


「それが誰だったかはわかる?」


「ちょっと待ってくれ、聞いてみる」


 俺は、モノミから聞き取った家名を幾つか伝える。その中に、聞き覚えのある響きがあった。


「ホックス家とサズーム家の赤騎士の個人名はわかるかしら」


 ルシミナの声に、いつもとは違う調子が含まれている。聞き取った名を告げると、薄桃髪の騎士が声にならない悲鳴を上げ、ダーリオが肩を落とした。


「両家の家長と跡取りだ。ダーリオの父上と、ルシミナの従兄殿だな。それぞれビズミット卿とザルーツ卿に従っていたはずだから、離脱したんだろう。きっと、衝撃を緩和してくれたはずだ」


 エスフィール卿の声も、いつになく暗いものだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] ツェルムさんみたいなまだギリギリ良識が残っていた青鎧達の行動で、負けた場合の伯爵領民(天民)の扱いが、ゴブリン扱いから、ミリースの言う『地民』以下くらいにはなる可能性が出てきた?……貴族や兵…
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