(70) 従妹への想い
◆◆◇候領都ヴォイム・西門◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
魔王タクトが激戦の末にゴブリンによる攻勢を防いだ翌日。候領都ヴォイムには別口のゴブリンの軍勢が迫っていた。
赤い鎧を身に着けた個体が混じっているのは、出城を攻めた群れと同様である。その様子を目撃した赤鎧は、暗然とした思いに捕らわれてしまうのだった。
ゴブリンによる一軍で出城を攻めつつ、その裏で候領都を目指したのは、青鎧とゴブリンの連合軍だった。出城攻めは必ずしも陽動ではなく、一蹴してタチリアの町を攻め潰すのが本来の目算だった。
ラーシャ侯爵家の当主は病身で、後嗣を差し置いて権力闘争を行っていた弟二人はベルーズ伯爵領に進入して大打撃を受けている。攻め込む側としては、二正面作戦を採用しても撃破できるとの想定だったのだろう。
ゴブリンの群れが接近する候領都の防備は、事実上皆無だった。そうなったのには、理由があった。ろくでもない理由ではあるけれど。
「……しかし、若。どうしてこうなっちゃいましたかねえ」
馬上の赤鎧が、信頼する従士の言葉に応じる。
「まったくだ。病身の当主が退避する。それは、まあ仕方ないかもしれん。けれど、当主が立てた後嗣による爵位継承を否定し、自らが継ぐべきと名乗りを上げたビズミット卿とザルーツ卿が、共に領都を捨てて逃げ出すとはどういうことだ」
「一時的な転進だと言っておられるようですがな」
「領都の民を置き去りにしての転進か……」
嘆く声に力はない。若と呼ばれた赤鎧は四柱石家に数えられるサズーム家の出身である。当主だった伯父が、ビズミット卿の配下としてベルーズ伯爵領で討ち死にをした結果、当主代行的な立場になっている。
サズーム家は、今回の後継争いは両睨みの形で臨んでいた。有力な四家のうちの二家は、それぞれの縁戚である方の当主の弟を全面的に支持している。他の二家は、両陣営に分かれる形となっていた。
これは、生存戦略であると同時に、両者が手切れになった場合の緩衝材になる意味合いも含まれている。諍いは仕方がないが、内戦に陥るのまでは避けたいと考える者は多かった。
その状況を踏まえれば、ビズミット卿とザルーツ卿のどちらかが、この領都の危機にあたって身を挺して守ろうとすれば、一気に支持を集められた可能性もある。けれど、それは実現しなかった。
「爺が亡き父上とともに従った先代であれば、どうされていただろうか」
先代のラーシャ侯爵は、中央からの圧力を受け流しつつ、出兵で改めて赤備えの名声を轟かせた人物である。
「そうですなあ。禿頭殿の総ての選択が最善だったわけではないですが、納得はできましたな」
若い頃から髪が薄くなった先代は、従軍した赤備えの者達から禿頭殿とあだ名で呼ばれ親しまれたという。従士はもちろん、小者とも気さくに接し、彼らが担う補給の重要性を息子に説きもしたそうだ。
それに比べて……、との若い赤鎧の思いは愚痴に近いものとなる。仰ぐべき主が無能なのは、悲劇でしかない。
「エスフィール卿なら、どうしていただろうか。南方のゴブリンは寄せ集めの兵力で討伐したようだが」
「少なくとも、民を置き去りに転進はしなかったでしょうな。……ただ、あのお方は女性だとのもっぱらの噂ですが」
「領都を守ってくれるのなら、女性だろうと幼児だろうと問題ない。むしろ、赤子でもいれば、全柱石家で奉じて動けるのだがな。……噂に聞く魔王であっても、民を守ってくれるのならよろこんで従うさ」
「魔王の配下ですか……。ぞっとしませんが、まあ、しかし、守るべき民を残して転進されるよりはましですな」
「爺……、意外と根に持っているんだな。さて、出陣するか」
「我らがここを守り切れれば、それが一番よかったのですがな」
「残念だが、無理だな。領都を離れる民の数をわずかに増やし、逃げ場のない者が隠れるためのほんの少しの時間を稼ぐのがせいぜいだろう」
「死に甲斐がありますな」
「ああ。ゴブリンに喰われようとも、満足して死ねるさ」
乾いた覚悟が、若い赤鎧の言葉には含まれていた。
「若……。今更ですが、若だけでもエスフィール卿のところへ行かれませぬか」
「ここで転進……、いや、逃げ出すような騎士は、エスフィール卿の役には立たないだろう。総大将に逃げられた以上は、その選択を否定はしないが、俺は嫌だ」
「そういうところは、亡き父上に似られましたな」
「勘弁してくれよ」
サズーム家の若い赤騎士が、苦笑しつつ不本意そうな表情を浮かべる。その様子は、老齢の域に達している従士にとってひどくなつかしいものに感じられていた。
「さて、統率を離れた我が力を、ゴブリン共に見せつけるとしよう」
城門から進み出る赤騎士に従うのは、三十名ほどの手勢だった。いずれも中年以上で、表情は明るい。馬上の一人が背にする竿には、赤い長旗が括り付けられている。
本来なら彼に従うべき若手の従属騎士や従卒は、既にエスフィール卿のいるタチリアの町へ、脅して叱りつけた上で送り出している。周囲にいるのは、父親の代から仕えてきた者達だった。
「本来なら、経験豊富な者達こそ生き延びさせたいのだがな」
そのつぶやきは、従士の耳には届かなかった。
馬を進めると、赤い長旗を閃かせるもう一群の集団があった。
「ホックス家のようですな。どうされますか」
「最後の共闘相手だ。あいさつするとしよう」
そう告げた若い赤騎士は、馬をそちらに向けた。呼応するように現れたのは、壮年の赤鎧だった。有力四家の内、サズーム家と同様に今回の後継争いに両睨みで臨んだ家の当主である。
「ご無沙汰しております。本日はご一緒させていただきます」
あいさつを受け取った壮年の赤騎士は、重々しく頷いた。
「久しいな。ビズミット卿とザルーツ卿が袂を分かって以来か。……その若さで、この道を選ぶか」
「領都に敵が迫るこのときに、赤騎士が誰も立ち塞がらないのでは、末代までの恥ですからな。あんな連中を仰いだ時点で、同じではありますが」
「違いない。……青鎧は、彼らの追撃に入ったらしいな」
「そのようです。領都に迫るのがゴブリン共だけとなると、より凄惨な事態になりかねません」
「ならば、若いそなたらは壁内での抵抗をしてはどうかな」
「小者にはそう命じております。防御を固めるのにも、脱出のためにも少しでも時間を稼がなくては」
「そうか。……一部の領民たちは、南方へ向かうようだな。無事に逃げ延びてくれるとよいのだが」
「エスフィール卿が無碍にはしないでしょう」
穏やかな声音に、ホックス家の当主はやや意外そうな表情を浮かべた。
「後嗣殿は、魔王と組んだと聞いておるが」
「その魔王というのが、自らの判断で民を守るために手勢を動かし、犠牲が出たら泣きそうな顔で悼んでおるそうです。気難しい我が従妹殿がすっかり懐いているようでして」
「従妹殿と言うと……、ああ、薄桃姫殿か。あの娘御は、ようやく戦列の軛から逃れられたわけか。サズーム家もしたたかだな」
「それが、女騎士など不要だとザルーツ卿に放逐された次第でして。居場所を見つけてくれたようでなによりです」
「ほう……。エスフィール卿はどう動かれるかな」
「従妹殿から得た情報によれば、戦力的にはタチリアの町を防衛するのが手一杯だと思われます」
「ふむ……、領都への侵攻を防げなかったのを気に病んで、無謀な動きをされないとよいな」
「叔父御たちが、逃げた自分達を棚に上げて責め立てそうですからな。……あのお二方が力を合わせてここで防衛をして、エスフィール卿に救援を要請すれば、撃退できたかもしれません。たとえ敗れたとしても、多くの領民が逃れられたでしょうに」
「確かにな」
「愚痴でしかありませんな。……さて、力不足ではありますが、打って出るとしますか」
「ああ。一合分でも時を稼げば、幾人かが逃げ出せるだろう。死に急がれるな」
「はい」
別れのあいさつをして、サズーム家の当主は手勢の元へと戻っていく。遠い空の下にいる従妹の薄桃姫……、ルシミナに思いを馳せながら。
「爺、待たせたな」
「いえ。参りましょうか」
彼らの行く手では、ゴブリンの大群が雑然と進んできている。
そのやり取りが、若と呼ばれた赤騎士と、爺と呼ばれた従士の今生での最後の会話となった。
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情報が錯綜しているものの、俺達が出城で防戦している間に、青鎧とゴブリンの連合軍が北へ向かったのは間違いないようだ。青鎧だけでも千人を越える規模らしい。
サイゾウ、モノミらがシャドウウルフ騎兵も含めた斥候隊を率いて向かっているが、まだ捕捉できていない。
ただ、侯爵の弟達の手勢は、ベルーズ伯領で痛撃を受けたにせよ、残留組も含めれば半数以上が残っているはずだ。地の利があるからには、普通に戦えば少なくとも一蹴されはしないだろう。
そんな中で、俺は北方へ向かうメンバーを決めかねていた。今回は、ゴブリンだけでなくベルーズ伯爵家の青鎧との戦闘も予想される。
出城に青鎧が攻め込んできていたら、もちろん撃退するために戦っていただろう。けれど、侵攻してきた他領の軍勢を追いかけて野戦をするとなれば、意味合いはだいぶ異なってくる。
戦争を忌避するわけではないが、魔物の撃退と人類勢力同士の紛争への加担とでは、やや次元が違うのも間違いない。
参加するとして……、俺の配下には、対人戦に抵抗はないだろう。冒険者も盗賊退治だけでなく、都市防衛の傭兵的な役割を果たす場合もあるようなので、希望者は募れそうだ。
けれど、ベルーズ伯爵領で暮らしていた亜人勢やブリッツは。その他の志願者は。そして、フウカは。
それを踏まえたエスフィール卿、ライオスらとの協議は難航した。
赤鎧を中心にした、とにかく全戦力での進軍を主張する面々と、積極的に抵抗するトモカとで、話し合いはやや険悪な状況に陥っていた。
「どうしても、協力はできないというのか」
「んー、そうは言っていません。でも、それって結局のところ、伯爵家と侯爵家の争いですよね。我らが魔王勢が介入すべきなのでしょうか」
「相手はゴブリンと組んで、荘園を蹂躙しているんだぞ。倒すべき魔物じゃないか」
「んー、なんだかあたしたちがゴブリンと戦うのは当然だと言っているように聞こえますね。そもそも、領内に出没するゴブリンを倒すのは、あなた方の役割じゃないんですか?」
「ゴブリン討伐は冒険者の仕事だ」
「んー、ならばギルドに依頼を出されてはいかがですか。ゴブリンと青騎士の討伐として」
「そんな金は……」
「んー、タクトさまは封土を与えられているわけではないのです。あなた方とは立場が違うので、タダ働きというわけには……」
「トモカ。気持ちはうれしいが、少し控えてくれ」
「んー、タクトさまがそう仰るのでしたら」
俺の制止で軍師役が口を閉ざすと、エスフィール卿が小さく息を吐いた。
「確かに、虫のいい話だよね」
「金が欲しいわけじゃない。トモカは、筋論を並べて俺を援護してくれたんだ。悪く思うな」
「ううん、こちらこそ勝手なことばかりで。……でも、できれば協力してほしいな」
「しかし、魔王と組んで領都に向かう形で本当にいいのか? 共通の敵が現れた以上、叔父二人と共闘の道を探るべきじゃないのか」
「共闘……ねえ」
「実現するとしたら、その際に俺と連携していたら邪魔になるだろう。違うか?」
「違わない。でも、今さら叔父上達となんて……」
「二人いっぺんにとは言わん。どちらかと組めたら、今後も有利になるんじゃないかな。それに、それぞれに従っている者達がいるんだろ?」
「うーん……」
エスフィール卿は考え込んでしまう。アユムほどではないものの、間違いなく美少年であり、どこか絵画のような雰囲気となった。
手詰まりとなりそうな空気を察したのか、ソフィリアが口を開いた。
「こうして話していても、埒が明きません。タクトしゃまの軍勢は、ゴブリン討伐を主な目的として北上する、くらいの雑な決めごとまでで、後は臨機応変に動けばいいんじゃありませんか?」
「まあ、そうだな」
「それは確かに……」
流れは固まり、ひとまず星降ヶ原北部への出兵自体は決まりとなった。