(7) 二人目の来訪者
翌日、狩猟で入手した肉の一部を保存用に加工し、村に売りに行くアイス、シャーベットの準備が整ったタイミングで、二人目の来訪者が拠点である森林ダンジョンへのゲートをくぐった。先日の告知通り、脳内のウィンドウにその旨が表示されて点滅するのみで、システムアナウンスはなかった。
ウィンドウで映像を確認すると、痩せた子どもが一人、きょろきょろと周囲を見渡しながら歩いていた。年の頃は、十四、五くらいだろうか。
図書室の扉をノックし、中にいる女性に声をかける。椅子の背もたれに身を預けてだらけた姿勢で読書をしている様子に、元生贄としての面影はない。
「あー、サトミ? 十代前半くらいの子どもが侵入してきたんだが、心当たりはあるか?」
「髪色は赤? それなら、ファスリームかも」
心当たりがありそうなので、穏やかに出迎えるとしよう。
章の途中だからと、書物を手放すのを抵抗したサトミと攻防を繰り広げた関係で、今回も居館の入り口付近での対峙となった。結局、単独で来る羽目になっている。
「……あなたが魔王?」
真紅の髪の少年は、臆する様子なく顔をこちらに向けて来ている。けれど、目線が直接交わることはなかった。やはり、直視はしづらいのだろうか。
「ああ。魔王のタクトだ。用件を聞いてもいいかな」
「メルが……、メルイリファがどうしているかが気になって、訪ねてきたの。会わせてもらえる?」
静かな口調ながら、どこか張り詰めたような気配がある。
「ああ。一緒に連れてこようとしたんだが、読んでる本がいいところだからと抵抗されてな。まもなく来るだろう」
「……メルは、ここで本を読んでるの?」
やや毒気を抜かれたようでもある。やがて、後方からサトミがばたばたと駆けてきた。
「ファスリーム! 来てくれたのね。歓迎するわ。……していいわよね?」
「もちろんだ。二人目の客人だな」
俺達二人を見比べる翠色の瞳には、戸惑いの色が浮かんでいた。
ちょうど遅めの昼食の準備をしていたので、一緒にご飯を食べることになった。食堂に案内すると、ものすごくきょろきょろとしている。ユファラ村の家屋は、だいぶ素朴な造りだったので、この居館の雰囲気はものめずらしいのだろう。対して、サトミはすっかり館の主であるかのようにくつろいでいた。いや、いいんだけども。
接客モードが発動し、コカゲとセルリアは給仕する態勢に入ってくれているようだ。卓上には、じゃがいものガレットや鹿肉を焼いたもの、ポテトフライに山菜の揚げ物などが並んでいる。
「……メルは、いつもこんなご飯を食べてるの?」
「夜はもうちょっと豪華かな。ここでは、朝にたくさん食べる習慣はないみたいで、夜、昼、朝の順番に手が込んでいるのよ」
「まあ、畑仕事とかの肉体労働をするのなら、朝のうちの炭水化物大量摂取が効果的なんだろうけどな」
「一日三食……。これより豪華……」
翠眼の少年は、なにやらカルチャーショックを受けたかのようにぶつぶつとつぶやいている。端整な顔に浮かぶ表情に精彩はなく、生成された二人ともまた違う印象があった。
サトミの所作をまねて匙を使っているその子の腕も足も、そして体幹すら棒のようである。
「なあ、村では食べ物が足りてないのか?」
投げつけた問い掛けに、生贄として送られてきた村娘が食事の手を止めて応じる。
「そうねえ。潤沢ではないけど……。ああ、そうか。この子は身寄りがなくて、孤児院育ちでね。あまりいい暮らしはできていないの。ファスリーム、普段どんなご飯を食べているか教えてくれる?」
「んーと、朝晩に薄めの雑穀粥やカブのスープとか。たまに茹で芋くらいかな」
食べる勢いを見ると、身体が食べ物を求めているのがわかる。卑しくはないが、なかなかの食べっぷりである。
その様子に目をやっていたサトミが、ふっと息を吐いた。
「お嫁に行けば、また違うのでしょうけれど」
そうか、お嫁に行けば……。ん?
「ちょっと待て。男の子が嫁に行くのか?」
サトミの目が勢いよく見開かれた。やがて、咎めるような声音がその唇から漏れた。
「この子は女の子よ。こんなに可愛らしいのにわからなかったの?」
真紅の髪の男の子……、いや、少女が向けてくる視線がきつい。失言だった。
「あー、コカゲ。そろそろデザートを持ってきてくれるかな」
「かしこまりました」
応じる声に、やや笑みが混じっているようでもあった。
気まずい沈黙の中、やがて持ってこられたのは卵アイスとベリーのシャーベット、二種盛りである。卵アイスは、卵白を泡立てたあとに黄身と蜂蜜を混ぜて冷やしたものとなっている。牛乳が手に入れば、さらにいい味にできそうなのだが。
ややふくれっ面気味だった客人の少女が、匙で卵アイスを口に運んだところで固まった。そして、ベリーのシャーベットも持っていくと、いきなりその目から涙がこぼれ落ちた。
「おいしい……」
泣くほどなのだろうか。その姿を見るサトミの表情は、ややせつなげであった。
「夏に冷たい食べ物ってのもめずらしいけど、なにより甘みは辺境の村では貴重品なのよ。果物も近くにあるものは大人が先に取っちゃうしね」
「それで、ハチミツやジャムが受け入れられたのか。ハッチーズ……、キラービーたちのおかげだなあ」
「ほんとにね」
「そんなに貴重なら、岩塩とハチミツを村に売って食べ物を買えば、とりあえず食べてはいけそうかな。あとは、じゃがいもが育ってくれたら」
「村で植えてるから、だいじょうぶだとは思うけどね」
真紅の髪の少女が氷菓を食べる手を止めて、不思議そうな声を発した。
「奪うのが魔王なのかと思ってたけど、物々交換をするものなの?」
「うーん、奪うだけの魔王もいるのかもしれない。でも、俺としては、みんなと仲良くできれば、それに越したことはないな」
ふーん、と応じた少女は、再び匙を熱心に動かし始めていた。
食べ終わった彼女に、この世界の子どものサンプルとして、将来の希望を聞いてみる。返ってきたのは、「強くなりたい」との言葉だった。
苦笑したサトミが、説明を加えてくれる。
「この子は、村で修行する相手がいないのよ。騎士志願の若いのを打ち負かしちゃってね。それ以来だれも相手をしたがらなくって」
痩せた少女に敗れるというのは、村の若者にとっては確かに望ましい事態ではないだろう。
「サトミは、剣の相手にはならないだろうしな。……ここにいるコカゲやセルリアなら、相手をしてくれると思うぞ」
侍していたコカゲが、ぎこちない微笑みを浮かべて頷く。少女の翠色の瞳がはっきりと輝いた。
読み進めていた書物から意識が外れると、俺の目線は動きのある方へと吸い寄せられた。顔を上げると、麗らかな陽光がこぼれる草地で、真紅の髪の少女がコカゲとセルリアを相手に木剣を振るっているのが見えた。図書室には、ポチルトが入れてくれた薬草茶のよい香りが漂っている。
「あの子は、そんなに剣の稽古が好きなのか」
その姿に、どこか幼い頃の自分が重なっているように思えた。
「ええ。別に誰が仕向けたわけでもないのにね」
「師匠はいるのか? 剣筋は確かなようだけれど」
「ううん、いないはず。だれかの剣技を見て、まねしているのかも。……ありがとね。あの子を受け容れてくれて」
「生け贄でもないのに魔王と馴れ合うのは、どうかと思うがな」
俺の言葉に、サトミは微笑みを返してきた。
庭に出ると、気づいた三人が立ち合いを中断した。コカゲとセルリアが跪く。
「この子との手合わせはどうだった?」
翠眼の少女の相手をしていた二人が、それぞれ応じてくる。
「筋がいいように見受けられます」
「体格の割に太刀筋の鋭さと重さに目を見張るものがあります」
「なら、軽く手合わせするか」
「うんっ」
少女はいい笑顔で頷き、機敏な動きで木剣を構える。俺もコカゲから得物を受け取り、師匠の所作を思い出しながら構えを取った。