(65) 街道を北へ
初回の攻勢は、さほどの苦労なく撃退できた。コカゲが指揮する搦め手の方も、同時期に撃退に成功したとの報告が入った。
ただ、ゴブリン側の次の攻勢準備がすぐに始められているようで、この出城から外に出られる状態にまでは持ち込めていない。
サスケが率いる別働隊との連携は脳内通話で可能だけれど、やはり人が行き来できた方がいろいろとやりやすい。まあ、移動手段はあるにはあるのだが、いざというときのために取っておくべきだろう。
第二陣がすぐに押し寄せてくるわけではなさそうなので、主だったメンバーと今後の相談に入る。地図の前で顎をつまんでいるのは、生贄出身のトモカだった。
「んー、順調な滑り出しですが、あちらも戦い方を変えてくると思われます。夜間の攻勢も含めて、警戒は怠るべきではありません」
「ああ。別動隊にも活躍してもらおう。……で、地峡を越えた全軍がこちらに向かってきたのかな。コカゲ、わかるか?」
「軍勢が動いている状態でしたので偵察はままなりませんでしたが、攻め寄せているのが集結していたゴブリン達なのは間違いありません。サスケからの報告はいかがですか?」
「あちらも、掴みきれてはいないようだ。南方に進出した百体足らずの一群は討伐したようだがな」
「んー、そこは気にする必要もないでしょう。南方に向かった敵を撃滅できたのはなによりです」
ゴブリンが向かったのは、南だけだろうか。まあ、数十体程度が北へ向かったところで、影響は限定的と思われるが。……ただ、南方への数十匹が防げなかったら、どうなっていたのか。
そのとき、正面のゴブリンが第二線にたどり着いたとの報告が入った。今度は三百ほどだそうだが、ゴブリンは戦力の逐次投入をする習性でもあるのだろうか。今回は魔王の手勢のはずだが、直接指揮でないので影響が限定的なのかもしれない。
首をひねっていると、トモカが覗き込んできた。
「んー、夜のうちに何度も攻撃を仕掛けて疲れさせ、明朝に大攻勢をかける気かもしれません。油断は禁物です」
「そうだな。ゴブリン魔王の配下なら、なにか策略を使ってくるかもしれん。注意しつつ、撃退するとしよう」
山と積まれたゴブリンの死体は塵に還ってはいない。どこを防衛線にするかでトモカとアユムの意見が分かれたが、ゴブリンの死体の山を過ぎたところで迎撃すると定まった。
今回は、初手からフウカを含めた前衛組の主力が出て、できるだけ早期の撃退を目指す。そして、二回戦が始められた。
◆◆◇ラーシャ侯爵領・西部街道◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
夜のうちに地峡を越えたベルーズ伯爵率いる軍勢は、そのまま北へ向かい、昼過ぎにようやく小休止に入っていた。
ラーシャ領内もこの辺りはさほど開拓されておらず、小川に沿って伸びる街道の左右には岩場が広がっていた。もう少し先に進めば、荘園内の畑が散在している。
野営地として指定された土地の岩に腰を下ろした青鎧姿の騎士は、名をツェルム・ロクシズと言う。髪には盛大な寝癖があるが、綺麗に揃って跳ねているためにわざとそうしていると思われる場合もあった。
物憂げな表情を浮かべるその人物は、ワスラム家の寄騎衆である家を若くして継いだばかりだった。
周囲では、青騎士やその従者が興奮気味に会話をしている。そんな中で、ツェルムの周囲だけは見えない壁でも存在するかのように、他者と隔絶された状態だった。
そんな不可視の障壁をあっさりと貫いて走り寄ったのは、赤銅色の髪の少女だった。寝癖持ちの青騎士の従卒ミリースが運ぶ椀の中では、麦粥が湯気を立てていた。
「ツェルムさま、お待たせしました」
「ありがとう。君はもう食べたのかい?」
「いえ、これからです」
そう応じた少女は、腰につけた布袋から干した果物を取り出した。
「従卒には食事は出ないのか?」
「小休止ですから、食事は騎士と戦士だけです。夕方の大休止のときには、出る予定らしいですよ」
「夕方には大休止があるのか」
「何でも、この先にある荘園の集落が攻略される予定で、食料も手に入るとか」
「そんな話まで流れているのか」
「まあ、お偉方付きの従卒もいますからね。……ツェルムさま、せっかく確保してきたんだから、食べてくださいよ」
「ああ、わかった。……しかし、荘園を攻め落として糧食を奪うとか、まるっきり山賊だな」
「先に攻めてきたのは、ラーシャの赤い外道どもじゃないですか」
赤銅色の髪の少女は、急に語調を鋭くさせた。濃いめの眉が、ややきつい印象となる。
「連中が伯爵領に分け入ってきたのは確かだろうが、こんな情勢下で攻めてくる理由はない。ゴブリンを討伐しに来たんじゃないのかな」
「以前もそう仰っておられましたよね。でも、仮にそうでも、ゴブリンを討伐するふりをして村を襲うなんて言語道断です」
「いや、それもなあ。ゴブリンが襲ったと考える方が自然じゃないか?」
「ツェルムさま……。古い書物ばかり読まれているので、浮き世離れされちゃってるんじゃないですか? 襲撃は連中の仕業です。みんな、そう言ってます」
「みんなが言ってたら正しいってもんじゃないだろ。……仮にそうだとしても、ゴブリンと協調して攻め込んでどうするんだ」
彼が物憂げな視線を向ける先では、友軍であるゴブリンの群れが進軍していく。ベルーズ伯爵はゴブリンを統べる魔王と盟約を結んで、共同でラーシャ領に攻め入っているのである。
「ラーシャの赤い外道どもよりは、ゴブリン魔王の方がまだ信用できる、という話のようですね」
漏れ聞こえてくる話によれば、この侵攻で得た占領地の一部をゴブリン魔王に与え、代わりに彼らが柔風里から退去するとの合意が取り交わされたらしい。ラーシャ侯爵家を憎む者達からすれば、ゴブリンを彼らにけしかけ、同時に近くから立ち去らせる一石二鳥の計画と見られていた。
そこまで極端な立場の者でなくても、ラーシャの軍勢が侵攻してきて農村を蹂躙したとのベルーズ伯爵の説明により、それならばやむなしと考えた者も多かった。
「魔王が統べていても、ゴブリンはゴブリンだろう。彼らが町を蹂躙すれば、ラーシャの領民たちはただじゃ済まない」
青騎士の従卒を務める少女は、やや意外そうに首をひねる。
「ですが、ラーシャの民は、我々が得るべき財貨を奪い続けてきた者達じゃないですか。天罰を受けるべきです。わたしたちがそれを為す役回りなんじゃないですか?」
「いや、それは違うぞ。初代ベルーズ伯がこの地に封じられる際に、戦乱で荒廃した北部ではなく、豊かだった現在の領地を望んだんだ。その頃の書物には、現ラーシャ侯爵領の飢餓を嘲笑する記載が残っている」
「なら、どうして敗者であるラーシャが栄え、勝者であるベルーズの富が失われたのですか」
「ラーシャが騎士家主導で開拓に務めたからさ。その間、ベルーズ伯爵家は地民を搾り取る対象として扱って、自分たちは豪奢な生活を続けてきた。結果に差がつくのは、むしろ当然だよ」
「地民は敗者の末裔です。搾り取るのは当然です」
赤銅色の髪の娘は、硬い口調で応じる。
「仮にそうだとしても、それで畑が荒れて農業が立ち行かなくなれば、困るのは天民の方だろうに」
「……そのような発言を繰り返されると、居場所がなくなりますよ」
「かまわんさ。ゴブリンと共に他領に侵攻するなど、末代までの恥辱だ」
「ツェルムさま……。戦争なのです。大人になりましょうよ」
ミリースは「まったくもう」とでも口にしそうな表情だった。ツェルムからすると、従卒であるにせよ自分との対話に付き合うこの少女は、やや不思議な存在である。
「君の考える大人とは、ろくでもない存在に思えるがな。……ヒゲ親父殿は、今回も政事に口を出さず、黙って従うおつもりなんだろうか。だが、これはもはや政事の範疇ではないだろうに」
ツェルムの意識の中では、今回の侵攻に名分は皆無である。彼が集めた情報によれば、領内に出現したゴブリン魔王が地民と呼ばれる旧皇国の民や亜人を蹂躙、虐殺し、ベルーズ伯爵はそれを黙認したと思われる。ラーシャ側からの侵攻は、ゴブリン魔王討伐のためであったようなのだが、ベルーズ伯はゴブリンと共闘して侵攻軍を撃退した。
ここまででももろもろの問題はあるが、領内の裁量権を行使しただけと言えなくもない。けれど、ゴブリンと盟約を結んで他領に攻め込むとなると……。
「マザック様は、無言で進軍されているそうです。さすがは蒼槍のワスラムと噂になっております」
「単に一本の槍であることを自らに課しておられるのだろうが……。高潔な主君の槍として生きるならともかく、悪虐な賊の槍では目も当てられん」
青騎士のその言葉を、ミリースは仕方のない人だなあとでも言いたげに受け流している。
少女の狭い世界の中では、地民は搾取されるべき者達だし、ラーシャは赤備えも領民も含めて、皆が邪悪な存在である。その認識に異を唱えるのはツェルムだけで、彼は周囲から変わり者、いや、困った存在だと目されていたため、その言葉を信じる気にはなれない。一方で、人柄はよいために世話する分には手のかからない相手なのだった。
「さて、そろそろ出立の頃合いかと。まさか、戦場を放棄されるわけじゃあないんですよね」
「ああ。騎士の誓いだけでなく寄騎衆としてのしがらみがあるからな。一族の命運がかかるとなれば、勝手なまねはできん」
しがらみがなかったらどういう選択をするのかにちょっと興味はあったが、訊ねないだけの良識は持ち合わせているミリースだった。
小休止を終えた彼らが進軍を再開すると、前方にうっすらと煙が立ち上るのが見えた。
さらに進むと、家々が燃えているのが見えた。と、前方の誰かが走ってくる男を見つけた。農夫であるらしいからには、集落から逃げ出してきたのだろう。
その背後からは、ゴブリンが追っている。荘園の襲撃には、ゴブリンも参加したのだろうか。状況からして、急襲だったのは間違いない。そう考えたツェルムの表情がさらに暗くなる。
逃げていく農夫に向けて、ゴブリンが槍を投げた。狙いは誤らず、背中から串刺しとなる。青鎧の軍勢から歓声が上がり、拍手の輪が広がった。お調子者らしいゴブリンが、それを察して手を振って応える。
赤銅色の髪の少女は、周囲のうれしげな反応と絶望的な表情のツェルムとを見比べている。
「俺に気を使わなくていいんだぞ。うれしいと思うなら、拍手して笑うがいい」
「はい」
ミリースが浮かべた笑みは、引きつったものだった。濃いめの眉が寄せられると、やや困ったような表情にも見えた。
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感想欄で読者様から不自然な点のご指摘をいただきまして、記述追加での修整を実施しました。それでもなお違和感は拭えないかもしれませんが、従来より多少は改善するかと考えております。
以下が追加部分となります。
ツェルムとミリースによるゴブリンとの連携についての会話部分への挿入になります。
漏れ聞こえてくる話によれば、この侵攻で得た占領地の一部をゴブリン魔王に与え、代わりに彼らが柔風里から退去するとの合意が取り交わされたらしい。ラーシャ侯爵家を憎む者達からすれば、ゴブリンを彼らにけしかけ、同時に近くから立ち去らせる一石二鳥の計画と見られていた。
そこまで極端な立場の者でなくても、ラーシャの軍勢が侵攻してきて農村を蹂躙したとのベルーズ伯爵の説明により、それならばやむなしと考えた者も多かった。
コメントを頂戴した方、まことにありがとうございました。