(62) 陣地を築く場所
領主の弟二人が候領都ヴォイムに戻った頃に、ようやくベルーズ伯爵領での顛末が伝わってきた。それぞれゴブリンの討伐を目指したものの苦戦に陥り、その最中に伯爵の軍勢の急襲を受けたそうだ。
ただ、軍勢の半ば以上を失う大敗だったにしても、ビズミット卿とザルーツ卿はどちらも健在で、公式には戦果を上げて帰還したことになっているらしい。そして、南方でゴブリン討伐を実施したエスフィール卿について、反逆を企てている旨の喧伝を始めたという。
彼らの敗北により、タチリアの町はあっさりと前線になってしまった。最悪の場合、すぐにも地峡からゴブリン魔王とベルーズ伯爵の連合軍が押し寄せかねない。
代官が候領都ヴォイムの状況を気にしてしまって頼りにならないとなると、エスフィール卿とライオス、それに商業ギルドの長チェラルと俺とで方針を相談していくしかなかった。
まず定まったのは、地峡付近への防衛拠点の構築だった。ゴブリン討伐に引き続きエスフィール卿が防衛の総指揮を執り、拠点工事は魔王勢が担当する。
ゴブリン・クィーンが巣食っていたダンジョンをここへ移転できればよかったのだが、本拠に接続させるのは可能でも、自由に移動させるわけにはいかないようだ。残念である。
今回も張り切ったのはサトミとクラフトで、ゴーレムも動員した工事を行うべく、準備が始められた。また今回も、ゴーレム達が黙々とシャベルを土に突き刺し続ける、なんともシュールな光景が目撃できそうだ。
続いては避難についてである。一般の市民は、囲壁の中で状況を見守るしかないが、余力のある者達は南方の四村や魔王の拠点である森林ダンジョンへの疎開を勧告する形となる。
特に商人やその家族は、森林ダンジョンへ招く形を取ろうとしていた。いや、決して焼け太り的な滞在CPの確保や、この地の商いの掌握を目論んでいるわけではないのだが。
タチリアの町防衛に関する軍議は、エスフィール卿とその臣下に、冒険者勢を束ねるライオス、それに俺とその配下とで行われる形となっている。
侯爵家の後嗣の周囲は、さまざまな出自の者が固めている。直属の配下からは見放されても、実際の戦場で言動を確かめて選抜できたと考えれば、むしろよかったのかもしれない。
「で、伯爵領はどうなる。ゴブリンと伯爵が手を取り合って仲良く暮らしていけるのなら、よい状態なのかもしらんが」
「まあ、それも不気味な話だけどね。……ベルーズ伯爵が切り捨てた土地は、おそらく蹂躙されちゃってるんだろう。その後は、こちらにゴブリン魔王をけしかけて来る可能性が高いと思う」
制止しないだけではなく、隣国に向けての侵攻を唆すとはなかなかだ。
「ラーシャ侯爵家とベルーズ伯爵家の仲が良くないとは聞いていたが、そこまでだったのか?」
「うん、まあ、色々あってね。叔父上達のゴブリン魔王討伐も、領域侵犯だと捉えられたかもしれないし」
「天帝騎士団のお声掛かりだったんだろう? ってゆーか、まさか事前通告しなかったんじゃあるまいな」
「どうかな。してたとしても……」
まあ、隣国同士なら確かに色々あるのだろう。魔王である俺には知られたくない事情もありそうだ。
「候領都の方の状況も微妙なようだな」
「ああ。この状況でもなお、ビズミット卿とザルーツ卿は反目を続けておるようだな」
ライオスの声には、呆れの調子が含まれている。
「付き従っていた者達の一部が離反しているそうじゃないか」
「さすがは早耳だね。一部は、ボクのとこに来ていた親族やらを頼って、こちらにつこうとしているようだよ。まだ、大きな流れにはなっていないようだけど」
顔をしかめたライオスが、鋭い眼光を年若い侯爵の後嗣に向ける。
「そのような者達を信頼してはいけませぬぞ」
「うーん……、タクトはどう思う?」
「まあ、その場の利益で動く者に全幅の信頼を寄せるのは間違いだろう。ただ、状況を見て鞍替えする者は、順境にあれば離反しないわけだからな。逆境に陥ったら裏切るものだと割り切りつつ、その範囲で扱えばいいんじゃないか」
「まあ、その考え方でならよいかもしれませぬ。選り好みしていられる状況ではありませんからな」
白髪の老戦士が苦笑して応じる。その様子に、エスフィール卿はやや安堵したようだ。現状では、ライオスをだいぶ頼りにしているのだろう。
「うん。心しておくよ。……ところで、砦を築く場所を変えるんだって?」
「ああ。地峡近くに設置してしまって、伯爵領の出口を防ぐべきではないとの意見が出てな。全力での攻撃を誘発しかねないというんだ」
「あ、それはそうかも。地峡が唯一の出入り口となる地に封じられる際に、ベルーズ伯は交通の自由にだいぶこだわったらしいんだ」
「伯爵領と全面対決する気なら、むしろ地峡を塞ぐべきなんだろうがな。タチリアの町と地峡との中間地点辺りにある小山に築く方向で考えている。そうなると、迂回される可能性もあるので、タチリアの町の防備も固めてもらう必要があるが」
頷いたのは、白髪の老戦士だった。
「今から構築する砦で防ぐよりも、そこには一定の軍勢を確保しておいて、タチリアの町を攻めかかったところで背後を突くのだと考えた方がいいかもしれん」
こうして、生贄出身の参謀役候補トモカの提案はあっさりと受け容れられたのだった。
防御砦の建設予定地に向かうと、アユムとトモカの姿があった。今回の防備については、この二人に中心になって検討してもらっている。さらには本拠からアーシアも来ていて、何やら相談をしている。
「提案は通してきたぞ。ここで本決まりだ」
「んー、助かりました。地峡の出口に作るんじゃ、川を正面からせき止めるようなもんですからね」
個人の戦闘から大規模な戦争まで、戦い全般に興味があるという生贄出身の短髪の少女は、周囲を楽しげに見回している。大きなくりっとした目には生気があふれ、いたずら好きの男の子のような印象も漂う。
「一部をタチリアの町に向かわせて、それぞれで対応するとの考え方でいいか?」
「んー、相手がタチリアの町に興味を示せば、その通りです」
「示さなければ?」
「んー、そうですね……。タクトさまの拠点が把握されていれば南下もありえますが、実際には候領都方面に向かう可能性の方が高いんじゃないでしょうか。既に一度は大勝している相手ですし」
「その場合は、どう対応する?」
「んー、選択肢は多くなりますね。侵攻軍を追撃するもよし、逆に侵攻する手もあります。ただ、実際には、砦への寄せ手がどれくらいの数になるか次第ではありますが」
しゃべるたびに、んー、とつけるのは、トモカの口癖のようなものらしい。特に戦闘方面について考えていると頻発するようなのだが、まあ可愛らしさの範疇内ではある。
「仮に伯爵の手勢とゴブリン魔王が全軍でタチリアの町に攻め寄せてくれば、どうなる?」
「んー、持ちこたえられないでしょうね。籠城しても、援軍は期待できないですし」
アユムに視線を向けたところ、諦めたような頷きが返ってきた。
「ボクも同じ見解だよ。万全に統率された両者に連携されたら、現状では対応しきれない」
「なら、どう対処すべきだろう?」
「んー、それを考えるのは、タクトさまなんじゃ? 何から切り捨てますか? 候領都ヴォイムか、タチリアの町か、エスフィール卿か、四つの村か、あたし達か」
覗き込んでくるトモカの口調から、冗談の響きは感じ取れない。そう、この娘には容赦というものがないのだった。アユムも苦笑している。
「順番は今の通りでいい。村から拠点への避難の段取りを考えておくとしよう」
「んー、攻囲された時点で呼びかけたんじゃ、間に合わないかもですね。事前にその可能性を伝えておく感じでどうでしょう。山越えで拠点が急襲される可能性も捨てきれませんし」
「わかった、手配しよう。それで、構造の検討は、どんな感じだ」
「んー、それはですね……」
トモカによって検討されているのは、サトミとクラフトが好む砦形式というよりは、空堀を巡らせた土塁を連ねる防御陣地的なものに近いようだ。そして、空堀の一部は蓋をしてトンネル状にして、銃眼……、和式の城で言えば狭間と呼ばれる、矢と魔法を放つための穴を開けておく計画だった。それらの仕掛けで、できるだけ寄せ手の戦力を削るのが主目的となっている。
大地の精霊の助けを得つつ、ゴーレムと工兵隊を動員しての突貫工事となる。楽しげなアーシアにとっては、砂遊びのようなものなのかもしれない。
「機関銃でもあれば、旅順要塞みたいだな」
「騎士の戦いを目指すべきではないんだろうね。火砲や航空戦は先の話だろうし」
「……元世界でのお話でしょうか。そのあたり、もう少し詳しくお願いできると」
食い入るような目つきでトモカに見つめられると、圧迫感がなかなかである。んー、という口ぐせが消えているのも、なんだか怖い。
「えーと、空を飛んで攻撃するのが航空戦で、戦士を塹壕にこもらせて防備するのが塹壕戦で……、あれ? 塹壕は火砲がなければ必要ないのか? それ以前に、火砲がなければ城砦が実力を発揮するわけか。城を破壊するような魔法は、存在するのかな」
「あー、ちょっと整理しないと、トモカの処理能力を超えちゃいそうだね」
確かに、短髪の少女がぶつぶつと思考を漏らしながら検討しているようだ。
「なんか、迫力あるな」
「こうなりそうだから、今回の状況に合致する範囲までの説明にとどめていたんだけど……。まあ、いい機会だから、説明しちゃおうか。幸い、工事の方向性は固まったし」
アユムによれば、ゴーレムも既にこちらに向かっていて、確実なところから陣地づくりを始めるそうだ。
二人の記憶をすり合わせて、元世界の戦史の概略を固めてみる。俺の知識は単発のところが深くて、アユムはどちらかと言えば全体を線で捉える方向性となる。
原始的な歩兵同士の戦いに弓兵や投槍が加わり、隊列を組んだ歩兵の一体運用に、槍と盾を使ったファランクスなどが生まれた。騎馬隊が戦場に参加すれば、それを利用した包囲殲滅戦が生まれる。また、騎兵に弓を装備させた弓騎兵も考案された。
城も攻め手の攻撃方法によって進化していき、攻城兵器もさまざまに生まれ、発展していく。
さらには、科学技術の発達も影響し、蒸気機関から内燃機が生まれれば、蒸気船、自動車に発展し、それぞれが装甲を得て、軍艦、戦車に至る。
火薬は爆弾から銃、大砲となり、軍艦や戦車にも装備されていく。
大砲は塹壕戦を生み、今回の防御陣地のようなトーチカを備えた要塞が歩兵を寄せつけなくなる。
平地の塹壕は戦車に蹂躙されるが、戦車はやがて現れる航空戦力の標的となる。そして、ミサイルが現れて、さらには戦略兵器が……。
一方で、毒や病気を使った兵器は、原始的な毒矢なども含めればごく初期から存在し、凶悪な発展も遂げた。
どこまでを伝えるべきか迷いながらも、俺達は元世界の知識をトモカへと伝えていった。耳には届いているようなのだが、反問もなく聞き入って黙考している。その瞳は、どこか焦点を失っているようでもあった。
「ただ、俺らの元世界には、魔法と魔物は存在しなかった。亜人すらいない、人間同士の殺し合いさ。……そう考えると、この世界よりもよほど修羅の世界って気もしてくるが」
「そういう一面はあるよね。逆に、異なる種族がいるこの世界の方が、話を単純化できるのかも」
黙って聞いていた地の精霊、アーシアがゆっくりと首を振った。
「この地でも、魔王がいない時期には人間同士で血みどろの争いが生じていたのじゃ。変わりはなかろうて。……それで、お前達のその世界はどうなった?」
「一撃で相手の国を壊滅させられる兵器が生まれて、睨み合いの中でさすがに大規模な戦いの機運は去ったところだった。教育の普及も影響していたかもしれん。将来どうなったかはわからんけどな。……この世界は、そうはしたくはないものだ」
「ダンジョンの防御力によっては、話が変わってくるだろうけど、確かにそういう展開は避けたいね」
トモカは、なにやら言葉にならない独り言を吐き出し続けている。
アーシアも交えてしばらく雑談していると、だんだんと独り言が小さくなってきた。
「落ち着いたかな? 冷たいものでもあると、少し収まるのが早くなるんだけど」
熱暴走かよと苦笑していると、短髪のミリオタ少女の瞳がゆっくりと光を取り戻した。
「んー、咀嚼しきれませんが、まずは一つだけ。シャドウウルフと地竜を使った弓騎兵や魔法騎兵は有効そうですね」
「あー、オークの追撃戦の時に、サスケやフウカがシャドウウルフの背に乗って猛進してたな。あれは、二人の身体能力があってこそだったかもしれないが」
「でも、地竜なら二、三人くらいは乗れそうだし、耐久力も大きい。シャドウウルフについては、馬具……じゃなくて、狼具? 名前はともかく補助具を作って小柄な人だけでも乗れるようにできれば、機動力は凄いものになりそうだね。戦闘時もそうだけど、偵察や狩猟にも」
「確かに。……地竜は、魔法使いと射手と護衛の三人組とかもありか」
「防御魔法編成や、治癒術使いを急派するのにも」
「んー、防衛中に撹乱に使えれば、とても有効そうです。それと、科学技術? については、サトミも興味を示しそうですね」
「ああ。将来を考えると、サトミに限らず興味を持ちそうな人材を集めていくのはありかもな。それと、ものづくりの職人も」
「ふむ。楽しそうでなによりじゃ」
アーシアのまとめで、その場の話はひとまず区切りとなった。ただ、トモカからの執拗な聞き取りは、アユムと俺とをしばらく悩ませたのだった。