(60) 戦乱の機運
エスフィール卿が候領都に戻らずタチリアの町へ入ったのは、叔父たちの争いに巻き込まれないようにとの思惑からのようだ。一方で、ゴブリン・クィーンを討滅した戦果は喧伝しているのだから、後継争いに参戦していく覚悟は固まったのだろうか。
俺の配下と亜人勢は予定通りに町外れの廃墟に入り、祝勝の宴はそこで行われた。物資の確保はマルムス商会と黒月商会が共同で行い、なかなかに豪華な宴となった。
俺の配下で酒を飲むのはサトミと忍者の年長組くらいだが、設営組も含めたドワーフ勢や冒険者達は痛飲していた。どうやら、マルムス商会がいい酒を揃えてくれたらしい。
一方で、料理や甘味、冷菓についても豊富に用意された。
甘味としては、森林ダンジョンの畑で収穫されたメロンも持ち込まれている。ドリアードであるミノリの加護を得ても元世界ほどの甘みはないので、カットしてはちみつをかけたり、氷菓にしたりといった食べ方になる。
また、枝豆の塩ゆでも供されており、おそるおそる食べてみて、止まらなくなった者達の姿が見受けられた。
宴が始まり、食事や飲み物が概ね行き渡ったくらいのタイミングで、一騒動が生じた。
「ソフィリア、ほんとにありがとう。キミはボクの命の恩人だよっ」
そういって銀髪のダークエルフに抱きついているのは、青い短髪の貴人だった。
「エスフィールしゃま、いけません。変な噂が立ちかねないでしゅ」
「言わせておけばいいさ。それに、タクトのところの姫君と仲良くなれば、両勢力の関係性も深まるってもんだろう?」
「わたしは姫じゃありましぇんっ」
「タクトの方は、そう思ってるんじゃないかな。キミが倒れてたとき、この世の終わりみたいに顔面蒼白になってたし」
「タクトしゃまは、配下を家族のように感じておられるのでしゅ」
「だから、娘なんだろ? 魔王の娘なら、やっぱり姫じゃないか」
「違うのでしゅー。タクトしゃま、お助けをー」
手を伸ばしつつ助けを呼ぶ声は、周囲に笑みをもたらしているようだった。侯爵家の後嗣が亜人の少女に抱きついているわけだが、不思議といやらしさを感じないのはどうしてだろう。
歩み寄った俺は、エスフィール卿の頭部を小突いた。
「やりすぎだって」
「ひどいや、タクト。父様にだってぶたれたことなんてないのに」
どこかで聞いたようなセリフを口にしながら、頭を手で押さえている。その動きで、ようやくソフィリアが解放された。
「いい気味でしゅ」
そう言いながら特に離れるわけでもないからには、関係性は深まっているのだろうか。
侯爵家の人間が、魔物の範疇に数えられるはずのダークエルフと親しげな様子は、強い印象を周囲に与えるだろう。赤備えのうち、柱石家出身の二人は欠席となっているが、タチリアの町の有力者は何人か出席している。
そう考えると、この振る舞いもそちら向けのアピールなのかとも思えるが……、いや、青い髪の人物の悪びれた様子のなさからして、そういった思惑は感じられない。考えた上での行動なら、他にやりようがあるはずだしな。
騒ぎが収まったために、周囲もそれぞれの話題に戻っていったようだ。近づいてきたモーリアとアミシュからは、二人がそれぞれ所属する冒険者パーティのメンバーを紹介された。
ゴブリン討伐の間も、タチリアの町の防備を完全に解除するわけにはいかず、そのために残留した者達がいた。彼らもその一員だったそうだ。本来なら赤鎧か衛士の仕事なんだがとぼやきながらも、納得はしているようだ。彼らにも、守りたいものはあるのだろう。
冒険者たちの多くは、現段階で一仕事終えた形となる。ゴブリン・クィーンの討伐に関しては、倒した数に関わらず冒険者ランクに応じた支払いが行われると決まっていた。同時に、ライオスや俺を含めた有力者が特に功績を認めた者には、追加で報酬が支給される。
ただ、ギルドの資金は無尽蔵ではなく、エスフィール卿にしてもさほどの資金が確保できているわけでもない。それを踏まえて、黒月商会とマルムス商会とで用立てる形となりそうだった。
侯爵家の係累は、そもそもが封土を分けられているので手弁当で問題ないのだろうが、冒険者や避難民上がりは危険に見合う報酬がなくては話にならない。そこを疎かにすれば、今後の協力が期待できなくなる。
冒険者が傭兵的な役割を求められるのは、この地ではめずらしくもないらしい。中央域には傭兵団も存在するようだが、領主が治めている土地では、戦時でもなければ成立しづらいのだろう。その隙間を埋めるために、冒険者概念は便利であるようだ。
別の一角では、赤鎧の「なまくら刃」の一人であるシャルフィスが商人系の年少組と話し込んでいた。
「よお、交流しているようだな」
「これは、タクト殿。楽しませていただいています。……それにしても、お人が悪い。彼らのような、商会で物流に通じた人材を抱えておきながら、後方に疎いだなんて」
「いや、通商での物流と、軍勢の補給は違うだろ。……違わないのか?」
俺の問い掛けに応じたのはナギだった。
「まったく同じとは言いませんが、重なるところが多そうです。違う部分は参考にできそうなのと、規模が大きくなるとまた変わってくるようで、お話を伺っていたところです」
加入を求めて俺と面談したときには、ややぎこちなかったていねい口調が、すっかり馴染んできているようだ。商人としての経験を積み上げてきたのだろう。
「大規模な場合とは、どれくらいの話なんだ」
「ラーシャ侯爵領だと千人単位止まりだそうですが、中央域ではもう一桁上だったそうで」
「その際には寄り合い所帯だったので、後方仕事も各勢力共同でこなしたのですが、厄介な場面もありました」
シャルフィスが話してくれたところによると、そこまでになるともう、兵站が町作りや街道敷設に近くなってくるそうだ。トラックがあるわけではないし、確かに苦労が多いだろう。
「一方で、商人の考え方はこちらも勉強になりました。今後も、色々と協力していけそうです。……かまいませんか?」
「ああ、もちろんだ。領主のゴリ押しで無理な要求をされる流れは避けたいところだが、あんたならだいじょうぶそうだしな」
「そうありたいものです。……ただ、残念ながら、上の方針次第で、商人の方々に迷惑をかける場合も皆無ではありません」
「よくエスフィール卿を教育してやってくれ」
「分を越えた話です。……が、協力し合える関係の構築は重要ですね」
涼しい顔でそう応じてくるあたり、頼りになりそうだ。と、ナギの隣にいたウィンディが口を開いた。
「タクト様、ちょっとご相談があるのですが」
彼女が持ちかけてきたのは、自分たちも戦闘に参加できないかとの相談だった。隊商の自衛のために場数を踏んでおきたいらしい。
「避難民からの志願者を訓練して、護衛につけるとかじゃダメなのか?」
「心強いですけど、最低限の自衛はできるようになりたいんです」
まあ、馬車をゴブリンに襲撃され、護衛がほぼ全滅した絶望的な状況で、物を投げつけて抵抗していた人物なのだから、むしろ自然な流れなのかもしれない。
訓練への参加と、狩りへの同行などを提案したところ、まずはそこからとの話になった。
話題がシャルフィスから補給隊の防衛手法を教えてもらう展開になったので、邪魔をしないように離脱する。と、その先にはアーマニュート、甲鎧人達の姿があった。
四人の戦闘参加組のうち、もっとも小柄なエリス嬢が食事に勤しんでいる。肉を頬張る姿は、どこかハムスターのようにも見える。
「楽しんでるかい」
「タクト様。ええ、もちろん。なにより、上質なご飯がありがたいです」
「肉が好物なのか?」
「おいしいのはもちろんですけど、成長期にたっぷり栄養を取ると、身体の鎧部分が硬くなるんですよ」
「そっか、そういうもんか」
「今後も戦闘に参加するなら、重要ですからね。……女の子だと、柔らかい方がいいとか言って、食事を減らす場合もあるんですが」
「まあ、そこは任せるよ。ところで、鎧が合わないよな。これまでは革鎧を使ってたけど、隙間だけを守る補助鎧みたいなものがあった方がいいか? 赤鎧の兵士が使ってるのを参考にすれば、実現できそうだが」
「もちろん、あれば助かります。ねえ、マモル」
「え、俺? はい、それはもう」
話を振られてびっくりしているマモルと、肉を二刀流持ちしているエリスがアーマニュートの若手戦士となる。他の二人、フセグとドリスは三十代後半くらいの男女で、食べっぷりもややおとなしいようだ。
エリスを中心に要望を聞き取ると、クラフトに脳内通話で伝達する。と、ミスリルを使った防具強化計画の一環として試作してくれるそうで、機会を見て工房で相談してもらう約束を設定しておいた。
いつの間にか、宴の会場を一巡りする形となりつつあった。最後の一角には、アユムが保護した狼人族の少女、アキラの姿があった。ヘルハウンド、シャドウウルフ、ワイルドドッグの犬系魔物に、犬人族の者達も密集している。
「アキラ、囲まれてるな」
「そーなの。アユムのところに行きたいんだけど、大移動が始まっちゃうから今日のところはもう、諦めようかと思って」
言葉ではそう言いながらも、視線はアユムを追尾しているようだった。犬人族の者達が持ってくる食事は、皆に行き渡っているようだ。これも、長的存在の威光なのだろうか。
「後で、アユムにこちらに顔を出すように言っておくよ」
「ありがとう、恩に着るわ。食事は足りてる? なにか取ってこさせましょうか」
その一言で、犬人族達が立ち上がって料理が置かれた机の方に向かいそうになる。謝絶すると、また座って食事が続けられた。
アキラは狼人族であるためか、すっかり犬系亜人、魔物のリーダー的存在となっている。頼もしいのだが、統率が万全な状態は、やや怖さを感じる面もないでもなかった。
ただ、特に斥候の場面で、この組織力と嗅覚の鋭さは非常に有利で、従来から中心となっている忍者勢に非常に重宝されている状態だった。
同じく獣系魔物でも虎と熊については、個体戦力は高いものの連携が難しいため、本拠付近で狩りや警戒に従事すると決まったのとは対照的である。
その活躍ぶりに報いるためにも、アユムを確保してここに送り込むとしよう。ご褒美は必要である。
……宴は賑やかに進み、特に酒の入ったライオスら冒険者組とドワーフ勢は、サトミも交えて大いに盛り上がりっていた。
年少組とエスフィール卿を送り出したところで俺も退出したのだが、酒が尽きるまで続けられたらしい。元気なことである。
宴の後は、少し穏やかな時間が流れたのだが、残念ながら長くは続かなかった。
ベルーズ伯爵領からラーシャ侯爵領へと、地峡を通過する軍勢の姿が捕捉されたためである。
その正体は、侵攻してくる魔王軍ではなく、敗走する領主の弟二人、ビズミット卿とザルーツ卿の手勢である赤備えの一団だった。
戦乱の機運が、星降ヶ原全体を包もうとしていた。
今回までが、第三章となります。第四章は、数日の感覚をとった後で再開の予定でいます。引き続きおよみいただけると、とてもうれしいです。