(58) 金色の瞳
遙か上空から、尋常ではない力が降り注いだのがわかる。ゴブリン・ロードが一瞬にして弾け飛び、血飛沫がソフィリアを紅く染めていた。ゆっくりと倒れるのを、追いついたサトミが受け止める。そのときになって、ようやく俺はその場にたどり着いた。
「なにが起きたんだ?」
「わからないの。ソフィリアが自分の身を捨ててロードを防ごうとしたみたいなんだけど……」
サトミの腕の中で、ダークエルフの少女は意識を失っているようだ。
「ソフィリア、だいじょうぶか」
俺の言葉に応じて、ソフィリアのまぶたがゆっくりと上っていく。けれど、そこから現れた瞳は、いつもとは異なる金色に輝いていた。
「汝が、この巫女の主君か。仮にも主であるのなら、このような無理はさせるな。いつも耐えられるとは限らんぞ」
「なにが起こったのか、聞かせてくれるか?」
「それすらわからぬのか。どうして、そのような者を主君に……。この者は、自分の身を代償に、精霊の力を借りたのじゃ。今回は、相手が小者だっただけに、しばらく休めば目を覚ますだろう」
「どれくらい?」
「さあな。数日か、数年か、あるいはもっとか。だが、大物を相手にしていたら、命を落としていただろうて。心することじゃな」
「もう一つ。あんたは精霊なのか? この子はノームとドリアード、ウンディーネら五精霊と一緒に暮らしているんだけれど」
「精霊にも位階というものがあってだな。……その様な知識すら失われておるのか」
「俺は、この世界につい最近、魔王としてやってきた者だ。物を知らずにすまんな」
「ほう……。まあ、この娘に同じことを幾度も繰り返させぬようにな」
「二度とはさせないつもりだ」
「好きにするがよい」
いきなりまぶたが閉じられ、ソフィリアは再び沈黙した。どうやら命の危険はないようだ。周囲でもゴブリンの波を退けられつつある。
配下達に脳内通話で後方の状況を知らせ、報告を求める。どうやら、殲滅戦に移行しつつあるようだ。
残虐なようだが、討ち漏らせばすぐに増えかねないからには、手加減はできない。修羅の道だろうと、やるしかなかった。
上位個体を討ち終えた後は、偵察隊を先に送りつつ、経験の少ない者達に戦闘を委ねる形とした。今回のゴブリン戦もおそらく続く上に、西方の情勢も気になる。タケルらしき魔王に統率されたゴブリンは、数と質が同じだとしても、格段に強力だと予想される。どうしても底上げが必要なのだった。
指示を終えてから、再びサトミのところに戻る。
「きつい状況に追い込んですまなかった。俺は、また同じ失敗を繰り返すところだった。ソフィリアが受けたダメージの大きさによっては、実質的には同じになるが」
「さすがにゴブリン投擲は、予測できなかったでしょう。でも、あのデカブツが自身と同じ大きさのゴブを投げ飛ばせていたら、さすがにヤバかったわね」
「ああ。後衛を軽んじた。むしろ、戦場の外に置くべきだったんだろうな」
「自分を責め過ぎないで。……トモカが戦闘方面の知識をだいぶ吸収しているみたい。彼女が助言できるようになれば、あなたの負担も少しは低くなるかも」
「ああ。今回も戦場外からでも見させておくべきだったな。間に合うかどうかわからんが、呼び寄せてみるか」
「うん、そうね。この戦場を見せて、推移を説明するだけでも意味があるんじゃないかしら」
マチも呼んでおくとしようか。そう考えている間にも、掃討戦は進展しているようだった。
「ねえ、タクト。わたしを……」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
言いたいことははっきり口にするタイプなので、本当になんでもないのだろう。ただ、釘を差しておきたいところだった。
「ところで、サトミ。徹底指示の判断まではよかったけど、その場に留まろうとしたんだって?」
「ええ。経験の浅い後衛じゃ、一拍入れないと総崩れになりかねないと思ったから」
「おそらくその判断は正しかったと思う。だが、生き残れそうなら、他がどれだけ死んでもいいから逃げてくれ」
「それは、ソフィリアがいたから?」
「ソフィリアにも、目を覚ましたらそう厳命するつもりだが、とにかく生き残ってくれ」
「エスフィール卿も含めて、たくさんの人が死んでも?」
「ああ。その責任を負うのは俺の役目だ。お前たちがいなくなったら、退屈じゃないか」
「そう……」
ほにゃっとした顔に困ったような表情を浮かべたサトミは、なにやら考え込んでしまった。
野営の準備が整ったところで、斥候に出ていたモノミから強力そうな個体が目撃されたとの報告が入った。ゴブリン・プリンスよりも、さらに強そうだとなると穏やかではない。
一気に攻め寄せるべきとの考え方もあるが、状況の確認が万全でない以上はそうもいかない。もはやこちらの存在を隠匿する必要はなく、半ば強襲気味の偵察が進められているので、その成果を待つとしよう。
ソフィリアは意識を失ったままだが、寝顔は安らかである。竜車に仮設の寝台を設置して、ゆっくりと休ませなくては。
全体での死者は、十六名を数えている。ゴブリンを数百匹単位で倒したと考えると少ないのかもしれないが、かなりの数のポーションを配布した状態にしては多いとも言える。
その大半は、最後の同族投擲に伴う後衛の撤退時の混乱によるものだったので、俺の油断も影響している。一方で、ソフィリアの身を捨てた行動によってこの人数に留められたというのも、サトミの指摘の通りだろう。
死者の内訳は冒険者が七人に、呼びかけに応じた赤備え勢の小者が四人、そして避難民からの参加者五人となっている。慰霊はエスフィール卿が中心になり、合同で行われた。
そして、多くの者達が戦闘経験を積み上げられたのも、間違いのないところとなっている。
上位個体の多くは、勇者候補のフウカ、指揮しつつ戦闘にも参加していたコカゲ、冒険者勢のライオス、クオルツに、当初から防衛で活躍していたアユム、赤備えのルシミナ、アクシオムの戦士勢が、攻撃魔法使いや弓使いらと共同で討ち果たしている。
その結果、ステータスの確認ができない元ギルマスと赤備え勢を除けば、全員がレベルアップを果たしていた。
アユムの鉄壁の防御力は、俺達に欠けていた堅い前衛方面にうまくはまってくれた形で、アーマニュート、甲鎧人の面々にもそちらでの活躍が期待できそうだ。
槍で中距離攻撃を仕掛けるライオスと、戦斧で力強い攻防を行えるクオルツも同様である。
赤備え勢のルシミナとアクシオムも、高い戦闘力を発揮してくれている。盾を使いつつ大剣を振るう戦闘スタイルは俺達にとっては目新しいが、二人の動きの良さは傍目にもわかった。そして、凄腕なだけに、戦列での一致した戦闘を志向するラーシャの軍勢では、浮いた存在だったのだと思われた。
そしてフウカは、一時の力任せの猛攻ぶりが抜け落ちたために、より凄みが増していた。いつか討たれるのならこの子に、との気持ちはあるが、それにしても俺も腕を磨いておいた方がよさそうだ。
アユムも魔法は捨てる方針のステータス構成となっており、現状では全体として魔法方面が脆弱と言えるのかもしれない。そのあたりは、ひとまずはダークエルフのルージュとセルリア、冒険者勢のリミアーシャ、そして白エルフらに期待するしかない。魔術耐性を持つ装備なども、意識して入手していく必要がありそうだ。
戦勝の流れで、野営は賑やかなものとなっていた。夕食の支度が順次整う頃には、目撃されたプリンス以上と思われるゴブリンがダンジョンらしき洞窟に入っていったとの報告がもたらされていた。
「ダンジョン戦か、あるいは封じ込めるかかなあ」
食事を取りながらの会合には、各勢力の主だった人物が揃っている。だれにともなく投げかけた問いは、白髪の老紳士、ライオスによって拾われた。
「ゴブリン・プリンスすら初めての遭遇であるのに、さらなる上位種となるとどう戦っていいのか検討もつかん。なにか案はあるのか?」
同行している配下からは、いい考えは出てきていなかった。俺は、脳内通話の中継で得られた見解を出してみる。
「こちらに向かっている、生贄出身の人物から意見が出てきている。単体として脅威なのは間違いないにしても、総攻めだったと思われる今日の戦いに参加しなかったわけで、絶対的な切り札ではない可能性も考えられる。攻勢を継続すべき、というものだ」
「トモカからの提案?」
「ああ。そう言われてみると、今日の戦場に参加していてプリンスを投げ込まれていたら、やばかったな」
「ほんとだよ。ボクも含めて後衛は殲滅されていたかも」
エスフィール卿の口調に暗さはない。命を賭け金として戦場に投入する覚悟はできているわけか。
「あるいは、ソフィリア殿がより傷つく形で対応していたか、だな」
頬の三本傷が特徴的なドワーフの戦士、クオルツの中ではソフィリアは一気に尊敬すべき存在に到達しているらしい。いや、俺としても感謝しきれない状態だが。
「ダンジョン攻略は得意分野じゃないけど、防衛力で押し通すという意味では変わらないからな。ボクが前に出て、後方から支援してもらえば、大事故にはならないと思う」
アユムの言葉に、周囲は納得の表情を見せる。それくらい、今日の戦闘で示した鉄壁ぶりは印象的だったのだろう。
「では、事前に偵察組でなるべく押し込んで、明日仕掛けてみるとしようか」
「我が主の仰せのままに」
胸に手を当てて一礼したのは、恭順の意を示すアユムなりの配慮なのだろう。けれど、正直なところむずがゆさが強かった。
夕食後には再び模擬戦で盛り上がったものの、夜も更けぬうちから多くの寝息が重なり始めていた。
味方の死と、虐殺に近い掃討戦の及ぼす影響は、どのくらい打ち消せただろうか。まあ、殺し合いなんて通常の神経でできるはずもない。出家をしたくなる者が出るなら、早い方がいいのかもしれない。
ソフィリアの様子を見に行ったところ、引き続き昏睡状態が続いていた。サトミとキュアラが付き添ってくれていて、意識を取り戻す気配はないものの、悪化する兆しもないそうだ。無理をさせてしまったが、今は見守るしかないのだろう。
俺の足は、自然と今日の戦死者の遺体が安置された草地に向かった。横たえられた死者の周囲には、食事や花が供えられていた。
よほどの貴人でもなければ、出兵先での死者はその地で埋葬するのがこの辺りの流儀らしい。この人数なら、無理をすれば運べなくもないが、今後について考えると対応しづらいのが実情だった。
ラーシャ侯爵領での宗教は、必ずしも天帝教一色というわけでもないようだ。精霊信仰も残っていて、それぞれの流儀で祈りが捧げられていた。俺も、死者の前で手を合わせる。
激戦の末に多くのゴブリンを討ち果たしたからには、十六名という死者数は少なかったのかもしれない。ただ、多寡の話じゃないのも間違いのないところだった。
祈りを捧げていると、近づいてくる足音があった。赤鎧の騎士、ダーリオだった。柱石家という貴種の一員のわりに言動が雑なのは、九男で継位の可能性が低いからだろうか。ただ、一族を代表する形で一勢力に送り込まれている以上、必ずしも軽んじられているわけでもないように思えるが。
「あいつは、無事なのか?」
「あいつとは?」
「あの娘だ。ソフィリアとか言ったか」
「ああ、昏睡状態だが、命に別条はないようだ。……心配してるのか? あんたが言うところの野蛮な亜人だろうに」
「人間を重視し、魔族と通じる亜人を排斥すべしとの天帝教会の教えが間違いだとは思わない。ただ、一緒に戦えばわかることもある。あそこを突破されたら、崩れた戦列は蹂躙されていただろう。エスフィール卿も命を落としていたかもしれない」
「そうか……」
相変わらず目つきは微妙なのだが、言葉に棘はない。どうやら、本心からの言葉らしい。
「サトミという丸腰の女性も、周囲を激励して第一撃を吸収しようとしたようだし、ゴブリン・ロードが迫るあの状況で、活路を開こうとしたのが女性たちだったというのもな。……結果としては無謀だったにしても、打って出ようとしたエスフィール卿もだが」
「ああ。女性ばかりではないわけだな」
星明りの下で、若い騎士はちょっと意外そうな表情を見せたようだった。けれど、すぐに表情が改まった。
「俺は……、戦列を支えられなかった」
そう口にしたダーリオが、横たえられた遺体に視線を向ける。ソフィリアの行動がなければ、ここに安置される死者の数は、倍では収まらなかっただろう。
「まあ、なんだ。今回のは、あくまでも即席だったわけだからな。エリートまでのゴブリン相手がせいぜいだってのは事前に話していた通りで、そう考えれば本来は戦場に配置するべきではなかった。欲をかいて、戦いの空気だけでも感じせたい、できるならノーマルゴブリン相手に経験を積ませたい、なんて考えた俺のミスだ。責任は、どこまでも俺と、その方針を是としたエスフィール卿にある。気に病むな」
いつにない早口でまくし立ててしまった。相手は年長者なのだが、偉ぶっていた人物が落ち込んでいるのをいい気味だとも思えない。
「……ラーシャの戦列は、あんなもんじゃないんだ」
絞り出すような声が、夜の草地にこぼれ落ちた。
「ああ、大陸に名を轟かせる戦法に、見るべきところがないはずがない。いずれ、その威力を見せてもらうとしよう。……俺自身が戦列によって討伐されなきゃいいがな」
「そうなったら、エスフィール卿が体を張って守るだろう。まあ、共に滅びる未来が待っているかもしれんが」
その声音には、どこか傲岸な響きが感じられた。唇には、特徴的な歪んだ笑みが浮かんでいる。調子を取り戻したというところだろうか。
「そこは制止してやれって。まあ、いずれにしても戦列の威力には期待しておくよ」
手を上げて、俺はその場を離れた。空では細い月が薄桃色の光を放っていた。