(43) 合流
ドワーフ族、犬人族らの避難民を引き連れての脱出行は、幼子対応など苦労も多かったが、追撃が小規模に留まったため、脱落者を出さずに伯爵領の外れの地峡近くまで到達できた。
道中では、人間の避難民も少数ずつではあるが合流していた。命からがら逃げてきたのだろう。例外なく疲れきった様子だった。
エルフの集落からの避難組も、まもなく合流できる見込みとなっている。距離はそちらの方があるのだが、セルリアの報告によると襲撃が急だったため、身軽な者しか脱出できず、逆に行動が速くなったようだ。
そして、ついに配下から犠牲者を出してしまった。育ちつつあった配下を三人失った上に、フウカは失意のために凶暴化しているという。
今回の行動で救えた命は多いのかもしれない。けれど、犠牲に見合うだけの意味があったとは到底思えない。少なくとも、俺の中ではそうだった。
こぼしたため息に反応したのは、ドワーフの族長ナクトルムだった。
「つらそうだな」
「ああ。俺が下した命令で、大切な配下が命を落としてな」
「そうか……。下手な慰めは、得意ではないが」
「いや、あんたも村の仲間を死なせたところだったな」
「ああ。つらいものだ。……エルフたちは、もう近いのか」
「程なく合流できるだろう。……仲が良くないとは聞くが、この情勢下で揉めるのは勘弁してくれよな」
「ああ、そこは抑えるさ」
抑えないと噴出するだけの悪感情はあるわけか。
やがて、偵察兼先触れの忍者に続いて、セルリアとフウカが避難民の前段を連れて到着した。別の一まとまりはルージュと、先んじて合流済みのモノミが案内しているはずだった。
翠眼の少女は、強行軍の疲れと心労もあってなのだろう、きつい目をしていた。その近くにはセルリアと、姉妹を含む白エルフ達の姿があった。
「よく戻ってくれた」
俺のねぎらいに応じたのは、沈痛な表情を浮かべたセルリアだった。
「申し訳ございません。預かったタクト様の配下のうち三人を失いました」
言葉を探していると、初見の柔らかな印象の白エルフが口を開いた。
「……タクト様ですね。わたくしは、集落を束ねていたティーミアと申します。わたくしたちのために犠牲を生じさせてしまい、申し訳ございません」
「あの者達は、白エルフなぞのために死んだわけではない。あの者達の命は、主様のために。……そしてフウカのために」
気色ばんだセルリアも、どうやら限界に近い精神状態のようだ。そうでなければ、エルフの族長と俺との間に割って入ったりはしないだろう。だが、咎めるつもりはもちろんなかった。
ティーミアと名乗った白エルフにも気分を害した気配はなかった。
「それでも、あの方々の行動で、多くの同胞が命を落とさずに済んだのは間違いありません。危地から救ってくれた恩を、わたくしたちは生涯にわたって決して忘れません」
応じる黒エルフの声は、冷ややかなものだった。
「望んで為したわけではない。そもそもは、主様の意志です」
「ですが、実際に行動してくれたのはあなた方です。一族を代表して、心からの感謝を捧げます」
セルリアも、さすがに感謝の意までも拒絶する気はないようだ。それでも低い声で応じる様子には、複雑な感情が溶けているようだった。
「好悪の念は抜きにして、亡き者達への配慮には感謝します。……多くの犠牲を出したからには、あなた方にしてもそれどころではないでしょうに」
「確かに犠牲は出ましたが、あなた方が来てくれていなければ、全滅しかねなかった状況でした。命を落とした者の中には長い寿命を倦んでいた者もおりましたが、あのような形での死は望んでいなかったでしょう。ましてや将来ある若い世代の者たちは……。こうして多くの者が生き残れたことを、魔王タクト様に感謝致します。お望みなら、この身の忠誠を」
恭しい言葉を聞かされた俺の身を、強い苛立ちが包んでいた。
「忠誠などいらない。配下の命を代償に何かを得たくはないんだ」
「お心のままに」
頭では八つ当たりだとわかっているのだが、感情がどうにも追いつかない。息をひとつ吐き出して、俺はエルフの族長に向き直った。
「無事に伯爵領を抜けられたらの話だが、引き続きエルフを統べてもらいたい。仮住まいは提供できそうだが、望まない者たちを配下にするつもりはない。ただ、そうだな。できればダークエルフと和解を。せめて、憎しみを抑えてくれ」
「承知しました。……ただ、あの二人は、命を賭してあなたに仕えるつもりのようです」
白エルフの長が指し示したのは、奴隷として購入した姉妹だった。理知的な言動が特徴的な柔らかみのある顔立ちの姉の方が、力強い声音で宣言する。
「一族を救ってくださったあなた方に、心からの感謝を。この身は、タクト様に捧げます。どうか、わたくしたちに名をお与えください」
勝ち気な印象の妹の方も、すっかり印象が改まって真剣な瞳をしていた。二人の決意は固そうだ。セルリアに目線で問いかけると、表情こそ硬いものの頷きが返ってきた。
「……後日、改めて名を付けよう。その前に、死んだ者達に名を贈らなくてはな」
セルリアの頬を、二筋の涙が流れ落ちていった。
信頼するダークエルフが負った心の傷のケアは引き続き行う必要があるが、より深刻なのは、ここまで一言も発していない翠眼の少女の方だった。
「フウカ、よく生きて戻ってくれたな。俺の見込みが甘かったばかりに、すまなかった」
「……オーク・ロードと渡り合えたのでいい気になって、増長してしまっていたみたい。まるで歯が立たなかったの。あれは、魔王だったのかな?」
「エルフ族が怯えていたと聞いたし、おそらくな。……どんな容姿だったか教えてくれるか?」
「大きさ自体はオーク・ロードと大差なかったんだけど、身の詰まり方がすごくてね。攻撃の重みが桁違いだった」
「顔に特徴はなかったか?」
「少し藪睨み気味な感じがあった。あと、右の頬に傷があったの。あの強さで、誰が傷をつけたのかと不思議だったのを覚えている」
「そうか……」
先日のベルリオの話と合わせて、どうやら間違いなさように思えた。元世界で俺と歩に「魔王オンライン」内での上納プレイを事実上強要してきていたタケル、木下武尊だろう。関わりは、オンラインだけではなかったが。
あいつがいるのなら、歩も近くにいてくれればうれしいんだが。……いや、応諾ボタンを押さずに巻き込まれていない方がいいか。
「フウカが剣を交えた魔王が、俺が考えている通りのヤツだったら、執念深い追撃だっただろう。ここまでよく凌いでくれた」
「それは、セルリアの指揮で」
「フウカがよく戦ってくれたと聞いている。ありがとな。ただ、タチリアの町へ戻るまでは、気が抜けないが」
今回は逃げ切れたとしても、いずれタチリアの町が蹂躙され、正面から向き合わざるを得なくなる事態も考えられる。ただ、そのあたりは出たとこ勝負で進めるしかないだろう。
「私が残るべきだったのに、彼らが……。あの三人では絶対に敵わないとわかっていたはずなのに」
「誰に命令されたわけでもなく、そこでフウカを死なせるべきでないと判断したんだろう。彼らの覚悟と判断があったからこそ、フウカはここにいる」
セルリアは自分が追い込んだと悔いていたが、経緯を聞く限りでは三人は自ら死地に赴いたのだろう。結果として、俺達はフウカという貴重な戦力を失わずに済んだわけだ。大局的に見れば、彼らの判断は正しかったのかもしれない。けれど……。
そのような判断をしてしまうまでに育っていた配下を、名前すらつけないままで死なせてしまった俺の悔恨は強い。だが、フウカを立ち直らせるにあたっては、それを表に出すわけにはいかなかった。おそらく、セルリアも同様の心持ちだったのだろう。辛い役回りをさせてしまった。
「でも……、ゴブリン魔王にまるで歯が立たなかった私なんて」
涙声でそう口にしながら、少女の頭が俺の胸にぶつかってきた。髪に手を置くと、小刻みな震えが感じ取れる。
「フウカが強いから助けたかったのか、単に死なせたくないと思ったのかは、今となってはわからん。ただ、彼らの想いを、……願いを無駄にはしないで欲しい」
フウカに向けた言葉が、俺自身の胸にも染み通っていくように思えた。そして、この少女には為すべきことを示しておいた方がよいだろう。
「地峡の前の街道を見張っているゴブリンには、定期的に何者かと交信している気配がある。おそらく、魔王との脳内通話による定時連絡なのだろう。次で仕掛けて全滅させたい。協力してくれるか」
「ええ、もちろん」
聖剣の柄を握った少女の翠色の瞳には、狂気じみた光が宿っていた。ゴブリン達には、発散対象になってもらうとしよう。