(41) 地峡を越えて
「あれは……、もう小鬼って感じじゃないですね」
「主力となっているのは、エリートホブゴブリンだな。剣士タイプと、アーチャータイプが居るようだ」
ルージュと俺の視線の先には、タチリアの町へ通じる街道を監視するゴブリンの姿があった。伯爵領への唯一の入り口となる地峡を越えた地点のやや開けた場所であり、監視地点の選定としては理にかなっている。
「ゴブリンが監視任務に立つなどとは……。信じられん」
ドワーフの戦士、クオルツの言葉によれば、ゴブリンはその小知恵で群れを作り、人里を襲う程度までが限界だと考えられているそうだ。
そう考えると、やはり魔王の統率力なのだろうか。生成したのが魔王であるなら、配下への指示は可能だろう。俺にしても、言葉の通じないハッチーズに指示を出しているわけだし。
「タチリアの町からごく近くに強力なモンスターがいるのに、冒険者ギルドは削りに来ないのか?」
「ここはもう伯爵領なので、自由に活動できないんだろう」
俺の疑問に応じたのは、戦斧を左肩に担ぎ直したクオルツだった。
「冒険者ギルドは、世俗領主の勢力圏と連動してるのか」
「一応は独立している形だが、実際はそうもいかんようでな」
「ふむ。……タチリアの町の上位冒険者なら、あのゴブリンの群れを軽く捻れるか?」
「互角には戦えるだろう。けれど、さらなる上位となると厳しくなってくる」
「ロードとか、それ以上とだと?」
「きついだろうな」
その見立てが本当なら、フウカを含めた俺達の戦闘力は、タチリアの町のトップ以上となるのだろうか。オークとゴブリンとでは、話が違うのかもしれんが。
まあ、いずれにしても、俺達の動きを察知されるとやりづらくなるので、隠れて行動するべきだと思われた。森を抜けて、無事に通過する。
行軍の間も、斥候役を中心に警戒はしているが、中央にいる俺とその周辺にはやや余裕ができる。その時間は、雑談混じりの情報収集に充てるように努めていた。
「……じゃあ、魔物は必ずしも魔王が生成したものばかりではないってわけか」
「ええ。始まりの伝承によれば、神が動物と精霊と魔物をこしらえたそうです」
エルフ姉妹の姉の方は、族長に付き従う時間が多かった関係で、伝承に親しんできたのだそうだ。
「その伝承において、魔王はどうなるんだ? そして勇者は」
「そう言われると、確かに創世伝承には出てきませんね……」
考え込んでしまった彼女からは答えが出てきそうにないので、俺は話題を転換させてみる。
「精霊とは、ドリアードやノームなんかだよな」
「そういった高位精霊だけでなく、小精霊は世界にあまねく存在します。それに、わたくしたちエルフや、ドワーフ族なども妖精として精霊の範疇に入るとされています」
「人間は死んだら肉と骨に、魔物であるオークやゴブリンは塵となる。精霊はどうなる?」
「精霊結晶と塵になります。……ゴブリンやオークは、魔物と精霊の中間のような存在なのです。彼らも精霊結晶を残しますが、ごく小さいので塵に紛れてしまうようです」
そう言われれば、初期設定での魔王のタイプ選択でも、ゴブリンやオークは妖精扱いされていた気がする。
「魔王の支配下にない魔物は、野良として繁殖するのか?」
「さあ……。わたくしは、そこまでは」
話を引き取ったのは、妹の方の弓使いだった。
「おそらくそうよ。細々と生きていて、強い個体が生まれたときに、一気に勢力を拡大すると言われているわね。詳しくはわからないけど」
そんなよもやま話をしつつ進んでいるうちに、周囲に夜闇が下りてきていた。夜通し歩いた状態で強敵に遭遇しては目も当てられない。日が暮れきったところで、俺達は野営の支度を始めた。
食事は、各自が背嚢で持ってきた携帯可能な糧食で済ませる形となる。堅パン、干し肉、干し果物がメインで、手軽に栄養補給ができるように、小麦粉を蜂蜜と塩で固めた飴的なものも用意している。
セルリアが総指揮を取る状況下では、食事の準備などは補佐役的存在のルージュが見る形になる。火炎魔法の遣い手である彼女も含め、セルリアの配下には気が回る世話好きが多いようで、同行者のための食事や敷布などの手当ても手厚く行われていた。
潜入行なので、狩りをするのも火を起こすのも避けるとなると、携行食をそのまま食べるしかない。ぜいたくを言える状況ではないが、物悲しいのは確かだった。
夜に入って、方針を再確認する。姉妹が目指すエルフの集落と、ドワーフや他の亜人が住む地域はだいぶ離れているそうだ。事態は緊迫しているため、二手に分かれようとの話になった。
ドワーフや亜人の村には、魔王である俺と忍者のサスケ、冒険者を含むドワーフを中心にした面々が向かう。一方で、エルフの集落に向かうのは、白、黒、ハーフという多彩なエルフ達に、フウカと忍者数人を加えた陣容と決まった。
一般のエルフである、いわゆる白エルフは、黒エルフにもハーフエルフにも隔意を持っているらしいが、ドワーフや人間、さらには魔王が向かうのもまたややこしくなるそうだ。手を差し伸べようとしているのに、厄介な話である。
エルフの集落に向かう隊は、俺との脳内通話の都合もあり、セルリアが総指揮を取り、ルージュが補佐する形となった。もちろん、白エルフ姉妹と、ハーフエルフの冒険者魔術士、リミアーシャにも協働してもらうとしよう。
二日をかけてドワーフの村に到着してから、一昼夜が経過しようとしていた。村を捨てる決断をするのが困難なのはわかるが、この場合の時間は非常に貴重である。
族長はその事情を重々に承知しつつ、取りまとめを図っている。同時に、周辺の亜人の集落にも彼の名で話を通してくれており、そちらは大きな時間の節約になりそうだった。犬人族らの一部は、既に旅装を整えて村を離れつつあるという。
そんな中で、ドワーフ族の長ナクトルムが俺達の滞在する小屋を訪れた。整えられたその建物は、鍛冶仕事の際の待機向けに使われているようだ。ナクルトムは顎の大きさが特徴的な人物で、同族の冒険者クオルツと同様に戦斧の使い手らしい。
一族のうちの四分の三ほどが移住に賛成し、残る強硬な反対派も残留するわけにはいかず、一時的な退避に同意したそうだ。そして、周囲の集落からも避難希望者が集まっているが、どこも一枚岩ではないらしい。
移住に反対するのは、魔王への忌避感が理由だそうで、その影響が他種族にも広がっているそうだ。憎々しげに俺の方を見据えてきた顎の細いドワーフがいたが、残留派の一人なのだろうか。
長命なドワーフ族には、かつての魔王が世を騒がせていた時代を経験している者も居るはずだ。族長もそうなのかもしれないが、昔話をしている余裕はなかった。
準備は間もなく整うそうで、その日の夕刻に出立しようと話が固まった。事態は、その前に大きく動いた。
エルフの集落に向かったセルリア達は、この日の昼頃に目的地に到着したそうだ。脳内通話でそちらの状況を確認したところ、同じように集落内が割れているらしい。
やはり、魔王が関わっているところが問題なのだろうか。現段階では秘匿しておいて、侯爵領に連れて行ってから明かすとの考え方もあったのだが、到着後に反発が起こると以後の生活に目処が立たなくなってしまう。まあ、考えても仕方がない。後悔は余裕ができたときにするとしよう。
夕方に出発するからには、少なくとも夜半まではできるだけ進む流れになるだろう。腹ごしらえを済ませたところで、警戒に出ていた忍者の一人が小屋に飛び込んできた。
「緊急事態です。近隣の亜人の村に、ゴブリンが迫っています」
「住人は残っているか?」
「いえ、犬人族の村だったため、ほぼ脱出している模様です」
俺はサスケの方に視線を向けた。
「族長に、すぐに退避を始めるように伝えてくれ」
「承知」
風のように、年若の忍者は姿を消した。なんとも忙しくなりそうだった。
……緊急で出立すると言っても、ドワーフと近隣の亜人を加えて百数十人規模の人数となるからには、即応は難しい。
ドワーフ族の長と相談して、準備が整った者から出発させているのだが、それでも混乱は激しいものとなった。
「魔王の口車に乗せられて拠点を捨てるなど、口惜しい限りだ」
爛々と目を光らせ、怒気のこもった声で吐き捨てたのは移住反対派のネリックで、以前こちらを睨みつけてきていた人物だった。
俺に話しかけているわけではなさそうなのでスルーしていると、それがまた顎の細いドワーフの怒りを誘ったのか、ドスドスと足音を立てて去っていった。
「嫌われているな」
「ああ。あのネリックは、かつての魔王と因縁があったようでな」
「まあ、魔王という存在を十把一絡げに捉えた差別だと言い立てたところで、仕方がないんだろうなあ」
独り言めいた俺のセリフに苦笑したのは、ドワーフの戦士クオルツだった。頬の三本傷が、笑みによって揺れている。
「本当に、お主は魔王らしくないのお」
「暴虐の限りを尽くさないと、らしくないってか? ……これまで、平穏な交流を求めたり、暴力をよしとしない魔王はいなかったのかな」
「さあのお……。儂らにとって魔王と言えばすなわち直近の、まさに悪辣だったあの魔王グリューゼンなのさ。その前の話は、古老か、それこそ竜にでも聞いてみるがいい」
「ここには古老はいないのか?」
「人と交わろうとしている時点で、さほど古い者ではないの。古老は森の一族にしかおらん。エルフでもそうだろう」
そういうものなのか。こうして話している間にも、徐々に集まってくる避難民の様子を眺めつつ、警戒は続けていた。