(4) 名前の意味
その日は午後の間ずっと、メルイリファから背中合わせでこの世界の常識をレクチャーしてもらった。
魔王とは、数百年に一度の周期で現れる存在らしい。直近の出現は百五十年ほど前で、数十年にわたって人類社会を恐怖に陥れたが、勇者によって打倒されたという。
そして、彼女が聞いた限りでは、魔王が同時期に複数現れるとの話はなかったそうだ。まあ、人類に魔王として認識されたのは、魔王同士の争いを制した者だけだった可能性もあるけれど。
魔物は魔王がいない時期にも存在していて、普段は人里周辺にはいないが、たまに襲撃などもあるらしい。この辺りでは魔物が出没したら、最寄りの町タチリアの冒険者ギルドに討伐依頼を出すのだそうだ。
メルイリファの故郷である、俺が昨日訪れた村はユファラという名で、星降ヶ原と呼ばれるこの地にあるラーシャ侯爵領の最南端となるようだ。侯爵領の南方は、三方をほぼ山に囲まれた土地に幾つかの村が散在するのみで、ユファラ村から一番近いタチリアの町までは徒歩で三日行程らしい。村の長によって魔王討伐が依頼されていれば、最短で数日内には先遣隊がやってくるかもしれない。
ただ、魔王がよそでも同時に出現しているとしたら、話は変わってきそうだ。けれど、そのあたりの情報を得る手段は思いつかなかった。
再び果物中心の夕食を終えて、俺は居館の中にメルイリファとポチルトのための部屋を設置した。そして、寝床でDP、魔王ポイントを5使ってスキル【言語<魔物汎用語>】を習得し、眠りに落ちた。
翌朝には気のせいかポチルトが前日よりも人っぽくなっているように思えた。言語スキル習得によって、たどたどしいながらも話が通じるようになっており、いろいろと細かな事柄を依頼できた。とても助かる。
そして、情報収集のために、CP、創造ポイントを250使って新たな施設「魔王の図書室」を創造した。筆写本らしき書物が並ぶ様子を前にしたメルイリファは、目を輝かせて沈黙してしまう。自由に読むようにと告げると、食事以外は読書に没頭していた。やはり同類だったようだ。
俺自身も本を読んでいれば満足なタイプなのだが、本選びが苦手だったため、元世界では幼馴染の歩に任せきりだった。
日本語で書かれた書物ですらそうだったのに、こちらの書物はタイトルからの中身の予想が困難である。同様に苦労しているらしいメルイリファに頼むわけにもいかず、仕方なくDP、魔王ポイントの手持ちの三分の一、100ポイントの大枚をはたいてスキル【圏内鑑定】を習得してみた。説明によれば、自分の勢力下にある物品限定の鑑定スキルだそうだ。
懐事情的にはやや厳しい選択となったが、本を見つめるだけでテーマや貴重さが脳内に浮かんでくれるため、情報収集は捗りそうだ。優先して読むべき本をジャンル別に積み上げていくと、生贄から図書室籠もりへの転職を済ませたメルイリファが興味深そうに寄ってきた。
先に読みたいというので、読後に概要の説明を行うのを条件にOKする。と、そのやり取りの中で彼女のステータスが脳裏に浮かんだ。【圏内鑑定】スキルの効果だろうか。
体力や魔法は壊滅的だが、知性がB+とかなり高かった。本に没頭している様子を見ると、それも頷ける。器用さもそこそこであるようだった。
職業は「村人」で、所属欄には「魔王タクトの眷属」との表示もあった。明確な契約などはしていないはずなのだが、やり取りでそう判定されたのか。まあ、生成した配下も放逐できるようだから、人間の眷属もおそらく同様だろう。
そうそう、生成した配下については、不要になった場合は放逐と還元とが選べるそうだ。還元の場合は、創造時の半分のCPが戻ってくるらしい。
昼食後、俺はポチルトと一緒に森を散策した。既にだいぶ見て回ってくれていたようで、案内される形になりながら、目についた物を片っ端から鑑定して回る。
既に確保してもらっている果物のほか、無毒で食べられそうな山菜に、里芋に似た芋などを採集していくと、奥まったところにある岩場に到達した。そこで【圏内鑑定】スキルを作動させると、純度の高い岩塩の層を見つけた。調味料が入手できる目処はなかったため、とても助かる。
岩場ではその他、鉄鉱石やミスリルという金属の鉱石も見かけたが、現段階では利用できそうになかった。
戦利品を持ち帰ると、DPに比べると余裕のあるCPからの125ポイントで「厨房」を設置して芋と山菜を塩ゆでしただけの簡単な料理を作る。図書室に滞在中のメルイリファに届けると、生返事で片手だけ伸ばしてきて、芋に触れるや「熱っ」とうめきを発したが、そのまま本を読み進めている。うーん、これはまあ、農村で厄介者扱いされても仕方ないかもしれん。
けれど、集中して読み進めて、鑑定よりもう一段深い概要を知らせてくれれば、手間が省けるのでよしとしよう。
夕食後には、気分転換がてら居館の初期施設である武器庫を覗いてみた。
さまざまな形の剣、日本刀、槍、斧、弓矢といった武具に、革鎧や鎖帷子、胸甲、盾といった防具もある。刀身や鏃、鎧などの金属部分が例外なく黒色なのが印象的だった。
品物を確かめていくと、そこにあるほとんどの品がFランク評価だった。けれど、よく探していくとCランクの刀である「風裂」と、同じくCランクの弓の「旋風」を筆頭に、いくつかの高ランク品が混在していた。見た目には他との差がまったくわからなかったので、普通なら同じものと考えてしまいそうだ。これも、【圏内鑑定】スキルの威力なのだろう。
【圏内鑑定】スキルは、どうも情報レベルに依存しているようでもあるので、ある意味では当初の狙い通りだとも言えそうだ。錬成はほぼ捨てた状態なので、とても助かる展開だった。
翌日の昼過ぎ、背中合わせで本を読んでいたメルイリファが、唐突に立ち上がった。
「ねえ、この状態で過ごしてていいの? 魔王が現れたんだから、冒険者や騎士団が討伐に来るかもわからないでしょうに」
御説ごもっともではあるが……、この生贄の女性がそんな冷静な判断力を備えているとは見誤っていた。
「うーん、まあ、情報収集と現実逃避を足して二で割っていたのは確かだな。……村に現れた魔王がパンを脅し取って、生贄を受領して満足しているらしい、ってのは脅威度が低そうだが、すぐに領主や冒険者ギルドに通報するかな?」
「どうかしら。あたしがどうなるかで見極めようとするかも」
「あっさり喰われてたら、魔王である俺がおかわりを求めてくるかもしれないしな。近場で他に活性化している魔王がいたら、話は変わってくるんだろうが。……まあ、いずれにしても、確かに戦力を整備する必要があるな。魔物の特性について、書物も含めた知識はあるか?」
「どんな魔物でも召喚できるの?」
「現状だと、ゴブリン、オーク、ワイルドドッグ、ポイズンアント、コボルト、シャドウウルフ、キラービー、スライムってとこだ。森林を拠点としているだけに、遠隔攻撃が可能な戦力を揃えたいけど、現状では難しいな」
「ゴブリンは悪辣で、オークの方は悪食な魔物だと聞くわね。この中なら、シャドウウルフ?」
「そうだな」
謁見の間の奥に向かった俺は、境界結晶に向けて念を込めシャドウウルフ……、影狼を五匹と、キラービーの群れを一つ生成した。ポチルトも含め、拠点を防衛しつつ好きに過ごすようにとの指示を出しておく。
「その構成で、防衛できるの?」
ついて来ていたメルイリファは、俺と向き合わない角度を維持しながらも、現れた魔物には興味津々な様子である。
「いざとなれば、俺が出るさ」
「安心……していいのかしら?」
疑わしげな声音に、苦笑するしかなかった。元世界の姿のままであるからには、確かに強そうにはまるで見えないだろう。
生贄としてやってきた翌日で、直視もできない相手に対してこれなのだから、なかなかに肝が据わった人物のようである。
次の日、ポチルトと森林ダンジョン内の様子を見て回っていると、シャドウウルフ達が少し高台になったところで律儀に警戒態勢を維持していた。なんとも頼もしい。
キラービーの方は、居館の裏手に巣を作っていた。握りこぶしほどの大きさの蜂たちは、ビーというだけあって蜜を集めてもいるようで、一部を分けてもらえた。
果物と煮込んで作ったジャムはいい味で、メルイリファが本を途中で置いて、試食のおかわりを欲しがるほどだった。村で売れそうだと言うので、他にも商材を見繕ったところ、ジャムの他にはちみつ、岩塩が候補に上がった。
「食べ物と交換してくればいいの?」
行く気満々のようなので、任せてみようと決めた。戻らなければそれまでだし、生贄に逃げられる魔王との評判が立てば、より軽んじてもらえるだろう。
こちらから攻撃するつもりはなく、できれば継続して取引したいとの伝言を頼みつつ、状況はありていに明かしてもらってかまわないとも明言しておく。図書室で本を読み耽る魔王というのは、どういう印象を与えるものだろう。人類殲滅の計画を練っていると捉えられる可能性もあるけども。
帰ってきたメルイリファは、小麦粉、卵、じゃがいも、油、干し肉が入った布袋を携えていた。これだけ食材があれば、いろいろと雑な食事が作り出せそうだ。
今はこちらの暦では夏一月と呼ばれる月で、小麦や大麦の収穫があらかた済み、じゃがいもの収穫が進む時期だそうだ。小麦は納税作物だが、大麦やじゃがいもは村での消費用なので、ここからしばらくは比較的食料が豊富になり、同時にカブやキャベツなどの野菜や、雑穀類も栽培中だという。
早速、じゃがいもを細切りにして、干し肉と焼き固めたじゃがいもガレットに、あとはオムレツ、パンケーキ、ポテトフライを準備して、食事にする。シャドウウルフ達も食堂に呼び、炒めた干し肉を与えてみた。
「なにこれ、おいしい!」
その場にある食材でざっくりとした料理を作るのは、かつて元世界で一家の料理担当だった頃に培われたスキルである。調味料が塩しかない状態なので、お世辞にも良い出来とは言えないが、喜んでもらえたようでなによりである。ポチルトとシャドウウルフ達も食べっぷりからして満足してくれているようだ。
「あとはハッチーズ……、いや、キラービーたちにもなにかあげたいな。今度、外に連れ出して花の蜜を集めてもらうか」
反応したのは、背中合わせに座る眷属の女性だった。
「ハッチーズって?」
「キラービーたちにつけた、あだ名みたいなものだな」
「ふーん。……ねえ、あたしに名前をつけるとしたら、なんてつける?」
「さあなあ。メルイリファって名は、どんな意味なんだ」
「そうねえ。「無駄な知識」くらいの意味かしら」
「なんだそりゃ。誰がつけたんだ?」
「まあ、揶揄を込めた名前よね。子どものうちは雑につけた幼名を使って、本名はある程度成長してからというのがこの地のやり方よ。名付けのときには、もう両親はいなかったから、周囲の大人たちがつけたんだと思う」
「ひどいな」
流れた沈黙を破ったのは、朗らかな調子のメルイリファの声だった。
「それで、あなたが名をつけるなら?」
その明るさが心からのものなのか、装われたものかは、俺には判断がつかなかった。
「うーん、故郷の言葉で良ければ。……智恵で『チエ』だとそのまますぎるか。聡い……、聡くて美しい……、『サトミ』かな」
「なら、ここでのあたしはサトミね」
そういった彼女は、いつの間にか席を立って回り込み、俺の目をまっすぐに見つめていた。ここ数日の交流で慣れたのか、恐怖感はだいぶ薄れているようだった。まあ、言動はしばらく前からだいぶぞんざいなものになっていたが。
じっくりと容姿を見たのはほぼ初めてだったが、やや垂れ気味の目とほにゃっとした顔立ちの取り合わせは、優しげな印象を醸し出している。茶の髪を雑に束ねておでこを丸出しなため、実年齢より幼く見えていそうで、元世界のキャリアウーマン風メイクでも施せば、かなりきっちりとした感じとなりそうにも思える。
まあ、そんな状態で近くにいられると気が休まらないだろうから、現状を維持してほしいものだ。