(36) 伯爵領から来た少年
早くも五日後には、ハンバーガーのテスト販売が開始された。拠点側でのソフィリア、マチあたりの仕切りが良かったようだ。もっとも、脳内通話でセルリアに何件か相談し、アドバイスをもらった状態ではあったが。
食材方面ではトマトも実り始めていて、テスト販売向けの輪切りとミネストローネ分は確保できた。この地では野菜を食べる習慣はあまりないようで、それだけに取り入れていきたいものである。
調理は俺とナギ、セイヤが行い、ウィンディとコカゲが販売を担当する。売り子の服装としては、清潔なものとの観点から、エプロンのような装備をと要望したところ、どこかメイド服風なものが用意された。狙ったわけではないのだが……。
ハンバーガー以外の販売対象候補となる革袋入りのポーションについては、薬屋にサンプルを持ち込んで話を通したところ、物資不足なので気にせず販売していいが、値下げはしないようにとの要望があった。そちらについても、ハンバーガー同様に厨房つき竜車を屋台的に使って販売するとしよう。
ハンバーガーとポーションを扱う、黒月印をトレードマークにした屋台は冒険者の需要を狙ったものだった。そちら方面の支持は獲得できたのだが、意外にも冒険者だけでなく町の住民にも好評で、本格販売開始初日の設定数はどちらもあっさりと完売した。これならば、もう少し数を増やしていってもよさそうだ。
そして、黒月商会の名で売っても、CP、創造ポイントは魔王の勘定に入ると判明した。一方で、魔王の財布と商会との資金移動での増減では発生しなかった。両者は一体との判定なのかもしれない。
このあたりを検証していけば、実情以上のCPを得る手段があるかもしれないが、自然体で行くとしよう。召喚されてきたときの説明から、どうもズルをするのは危険であるように、俺には感じられているのだった。
ハンバーグや野菜、ポーションを運ぶために本拠地からタチリアの町への定期輸送路が設定されたわけだが、同時に各村から運ばれてくる物資も増えてきた。
この地でジュースに近い飲み物としては、果物を素朴な感じに発酵させた果実酒があるほかは、水に果物を投入して香りをつけた果実水が富裕層向けに存在したくらいだったらしい。町では夏場には冷えた水を入手するのも困難なこともあって、果物をふんだんに使い、はちみつで甘味を加えた冷え冷えの飲み物は、一気にこの夏の流行の最先端となっている。氷菓載せバージョンに至っては予定数瞬殺が続き、時間帯ごとの整理券を導入する事態に陥っていた。
ポテトフライもまた、ハンバーガーの付け合せとしてだけでなく、単体でも食べたがる人が多く出た。じゃがいもは、芽の周囲や傷んだところ、変色した部分に毒が発生してしまう。そのため、この地では有毒認定されており、収穫直後に食べられる農村以外では出回っておらず、目新しい食材との扱いになるようだ。
こちらは芋さえ手に入れば増産は容易で、揚げ物専従要員が欲しいくらいの状態である。
村々からの果物、じゃがいもは直接タチリアの町へ運び、薬草は森林ダンジョンでポーションに加工する形となる。
じゃがいもの確保については、春作のうち農村で廃棄されかけていたものや種芋向け備蓄分を買い上げつつ、増産を働きかけている。今後のできによっては、マッシュポテト状にしたものを揚げる形にするかもしれない。
果物にしても、狩猟での獣肉についても、これまでは地元での消費向けで特に商品化されていなかったものが、一気に需要が高まる形となって、各村が潤う形となった。友好勢力の購買力が高まれば商いも活発になるわけで、それ自体は喜ばしい話である。
岩塩はマルムス商会経由で捌いているが、ハチミツについてはやや不足気味となったためにジュースや氷菓向けを優先すると決めた。ハッチーズの一族は順調に勢力を拡大しているようなので、今後の増産に期待したいところである。一方で、地域を棲み分ける形でどこかに別のキラービーを配置するのもありかもしれない。
商い方面と並行して、クエスト対応組も活動を開始していた。ただ、冒険者ギルドとしての有事対応への優先度が上がっているためか、通常よりは依頼の多様性に欠けているそうだ。
勝手がわからずに様子見をしていたところ、拠点まで偵察に来た冒険者、アミシュとモーリアが声をかけてきて世話を焼いてくれた。なんでも、二人のそれぞれの所属パーティが、主力をギルド主導の防衛任務に駆り出されて開店休業中なため、時間的余裕があるのだという。
町の防衛には守備兵がいるものの、どちらかと言うと人間同士の戦争向けで、魔物相手となると高ランクの冒険者の方が適しているらしい。
彼女らによって場所と内容からお勧めされたクエストの中には、カマキリ系モンスターの討伐案件があった。どうも、ゴブリンに押されて人里に降りてきてしまったらしいのだが、人間と遭遇すればためらいなく捕食を試みるので、討伐するしか無いそうだ。場所は、タチリアの町からは北東の湿地帯で、ゴブリン警戒砦の北端からは北西となる。
首尾よく発見して、戦闘に先立って魔物汎用語で意思疎通を試みたのだが、反応はなかった。生成した虫系モンスターなら、ハッチーズたちキラービーのように交流できそうなのだが。
討伐後の冒険者二人へのお礼としては、ハンバーガーや俺の作る賄いの提供を求められた。どうやら、元世界風の料理をだいぶ気に入ってくれたようだ。
砦のサスケ達に、ゴブリン以外の魔物をどう扱っているかと問うたところ、遠方では見かけるものの、気配を察しているのか、砦方面には近づいてこないらしい。そうなると、北へと向かう形になって、タチリアの町近辺やその北東にある荘園群辺りに出没しがちなのかもしれない。
ある日、おもしろそうなクエストを探して冒険者ギルドに向かうと、扉を開けた瞬間から異様な空気が漂っていた。
窓口には幼児を含めた子どもを幾人も連れた少年がいて、ギルド職員から説明を受けている。その様子を、大人たちが遠巻きにしていた。
居合わせたアミシュになにごとかと訊ねてみると、肩をすくめて説明を始めてくれた。
「なんでも、ベルーズ伯爵領から来た子たちらしいんだけど、ちっちゃい子まで連れてるってんでからかった奴がいたのよ。子どもの来るところじゃないぞって」
それはまた、大人げない話である。
「それだけで、こんな空気にはならないだろう」
「あの子が、無言で剣を抜いて近づいていったのよ。慌てて職員が仲裁に入ったんだけど、あのままなら、たぶん斬りかかっていたと思う。そういう目をしていた」
なんだ、そのかっこいい武勇伝的展開は。
「からかった方もよく引いたな」
「お調子者だけど、本来は気のいい奴なのよ。悪いことをしたとへこんでたわ」
そう考えると、この冒険者ギルドでは新参者の俺達に突っかかってくる者もいないし、わりと平穏な雰囲気である。
元世界で言うところのサイコパスめいた凶暴な登録者もいるらしいが、大抵は自己完結していて必要以上に他者とは絡まないそうだ。魔物相手に命のやり取りをしているために、発散できているのかもしれない。
それだけに、窓口の少年はどこか別世界の空気感を醸し出しているのだった。
クエスト掲示板の方に向かうと、自然と窓口に近づく形になる。聞こえてきたのは、少年のやや硬く響く声だった。年の頃は、十三、四といったところだろうか。応じているのは、魔王偵察仕事を終えたモーリア達が最初に概要を報告した、実直そうな年輩の窓口係だった。
「金がいるんだ。登録して、稼げる仕事がしたい」
「えーと、活動するのはお一人ですか?」
「ああ。小さな子どもでもできる簡単な仕事があれば助かるんだが」
「いえ、残念ですが……」
少年が肩を落とす。年少の子らの汚れた様子からして、困窮しているのだろうか。
「で、どれくらい稼げる?」
「能力次第ですが、未経験の単独活動ですと登録料と装備を整える費用を考えると、さほどは……」
正直な窓口係である。少年の隣で聞いていた女の子が泣きそうな顔なのは、内容を理解しているのだろう。
「主さま、声をかけてみますか?」
声を潜めて問うてきたのはコカゲだった。
「まずはどんな状況なのか、把握してからにするか」
「では、ジードに後をつけさせます」
頷いた俺は、クエスト探しに集中した。残念ながら、よさげなものは出ていなかった。
……やがて逗留先に戻ってきたジードの話によると、ベルリオという名の少年と、彼が連れた年少の子どもたちは、町外れで野宿生活をしているという。聞き込み情報によれば、タチリアの町からは西の地峡を抜けた先にある、ゴブリンによって襲撃を受けた村から脱出してきたそうだ。地峡の向こうならば、ベルーズ伯爵領なわけだ。
当初は持参した金目の物を売って凌いでいたらしいが、親切そうに近づいた者に買い叩かれて困窮してしまったらしい。世知辛い話ではある。
キッチンカーで準備した食料を持ち、俺は少年たちの滞在場所となっている廃墟に向かった。できたてのハンバーガーとポテトから漂う匂いが食欲をそそるのは、元世界と変わりはない。
ジードが指し示すところに、先ほどの少年の姿はあった。こちらに見覚えがあったようで、声をかけてきた。
「冒険者ギルドにいたよな。何か用かい?」
「ああ、ちょっとベルーズ伯爵領の話を聞きたくてな。これは、手土産だ。よかったら食べてくれ」
「……施しを受ける理由はないよ」
硬い口調で言い捨てて立ち上がった新米冒険者の腕を、年若の女の子の手がつかんだ。彼女の視線の先には、より幼い子どもたちの姿がある。
「情報料の先払いだ。お前らは、魔王と遭遇したんじゃないか?」
魔王という単語に接して少年は殺気を閃かせかけたが、やがてあきらめたように頷いた。コカゲとフウカが、粗末な服を着た少女の案内で、子どもたちに食事を配り始める。
「で、何が聞きたいんだ」
「襲撃の様子と、敵の情報だ。どんな些細なことでもかまわない」
沈んだ声で話された襲撃の様相と村人たちの選択は、なんとも凄惨なものだった。淡々とした口調であるのは、幾度となく反芻したためだからだろうか。
「すると、そのお婆さまの見立てでは、魔王による直接指揮だったわけか」
「ああ。小鬼の動きが、整いすぎていたそうだ。それに……」
「それに?」
「逃げるときに、大柄なゴブリンの姿を見た。藪睨み気味の目が特徴的で、右頬に傷があったあいつは、たぶん魔王だったんだと思う。おいらの連れていた子どもたちはみんな、見ただけで怯えてた」
藪睨みで右頬に傷のあるゴブリン魔王……。心当たりがあり過ぎる。外れてくれているといいのだけれど。
「……もういいか?」
「ああ、持ってきた食料分以上の情報を得られたよ。……冒険者ギルドからの依頼は、受けられそうか?」
「単独行動じゃ、どうにもならないってさ。おいら一人なら、死を覚悟した依頼も受けられるんだが」
ハンバーガーを食べ尽くして放心している子どもたちの姿が、彼の視線の先にはあった。俺は、少年に合図して連れ立ってその場を離れた。コカゲとジード、それにフウカが少し離れてついてくる。建物から出ると、西の空は茜色に染まっていた。
「名乗っていなかったな。我が名はタクト。このタチリアの町からは南方に当たる村々周辺に出ているゴブリン討伐クエストを受けている。それに参加する気はあるか? 食事と初期装備の費用はこちらで出し、討伐した分のギルドからの報酬はそのまま渡そう」
「うまい話には裏がある。身を持ってそれを思い知らされたところだ。そちらにどんな利がある?」
「人手が欲しいだけだがな。報酬を先払いしてもいいぞ。……金を稼ぐだけじゃなくて、ゴブリンとの戦闘で経験を得たいんじゃないのか?」
「やる。強くなって、魔王なんてぶっ倒す。」
離れて待機していたコカゲとジードが、微かな緊張感が漂わせた。対して、フウカは穏やかな表情を維持している。
「魔王を皆殺しにしたいのか、伯爵領を蹂躙する魔王に復讐したいのかは、どちらだ」
「まずは、あのゴブリン魔王からだ」
「なら共闘できるかもしれないな。……実は、俺も魔王なんだ」
【隠蔽】スキルを解除した瞬間、少年から殺気が放たれた。俺を直視したまま、臆せずに斬りかかってくる。
「黒月」を顕現させて、刃こぼれのひどい剣にぶつけた。力を込めて突き放すと、飛び退ってこちらを睨んできていた。
「すまんが、今のところは殺されるわけにはいかない。南方でゴブリンの攻勢を食い止めているのは、俺の眷属だ。主である俺が死ねば、戦線が崩壊して、村々はお前の故郷のように蹂躙されかねない。挑戦してくるなら、東方のゴブリン討伐を済ませてからにしてほしい」
「……倒すべきは、あの魔王だ。共闘させてくれ」
「わかった。保存食も持参している。それは、情報の超過料分だ。明日、また来る」
俺は、信頼すべき仲間たちのところへと歩み寄った。一方のベルリオ少年には、連れの少女が駆け寄っていった。それを見届けて、フウカに問いを投げる。
「あれは、勇者かな」
「わからない。……けど、なんと言うか、近いものを感じる」
「それだけで充分だ」
俺を斬るかもしれない剣が二振りになったとしても、後悔はなかった。