(24) 初夏の湖畔
ユファラ村の北にあるユファ湖は、農業用水の源としては利用されているものの、あまり人は寄り付かないらしい。
麗らかな陽差しの下で、俺はサスケが準備してくれた釣り竿での魚釣りを楽しんでいた。目当てはワカサギのような小魚で、てんぷらにするとおいしいのは実証済みである。
てんぷらと称してはいるが、オリーブに近い木の実の油を使っているためもあって、記憶にあるものとではやや風味は異なっている。まあ、油で衣の中の食材を蒸し焼きにするのが本質なのだろうから、問題はあるまい。
少し先では、銀髪ダークエルフのソフィリアが、勇者の卵としての風格を備えつつあるフウカと一緒に、網で川エビを採っている。そうしていると、まるで姉妹のようで微笑ましい。のどかな時間が、ここには存在していた。
この世界の暦の夏一月というのは、どうやら日本での六月あたりに相当するようだ。三旬目に入って、だいぶ汗ばむ気候の日が増えてきた。
一方で、森林ダンジョンの中がそこまでではないのは、地下扱いとなっているのか。雨や風も外界ほどの勢いは感じられず、過ごしやすい状態なのは正直助かる。避暑地のようでもあるが、夏がもっと暑いのだとすると、出入りで体調を崩す危険も考える必要がありそうだ。
オーク・ロード率いる大群による猛襲を退け、ユファラ村と友好関係を確認する宴が開かれた翌朝、勢力レベルは4に到達していた。
新たに幾種類もの魔物が生成可能となったが、中でも興味深いのはノーム、ドリアード、ウンディーネ、シルフィード、イフリートの五精霊だった。
サトミの書物知識によれば、精霊たちの戦闘力はさほど高くなさそうなのだが、それぞれの得意分野について加護的な効果があるらしい。
農業を拡大させていくとしたら、草木を司るというドリアードだろうか。それぞれCP、創造ポイントは200必要となるので、その倍のCPを消費する名付けも視野に入れると、まとめて確保するのはむずかしい。もっとも、オーク討伐と勢力レベル上昇ボーナスや日次ボーナスなどで、CP残高は三千を超えているので、まるまる使えばコンプリートも不可能ではないのだが。
その他の新たな生成可能な魔物をざっと挙げると、ゴーレム、トロル、ホブゴブリン、地竜、ラミア、ローレライ、グール、レイス、マーダーベアー、リープタイガー、ヒュージスネーク、キラーホーネットあたりとなる。
ゴーレムやトロルは強そうだけれど、知的レベルはどんなものだろう? 虎や熊も、シャドウウルフたちのように賢いのなら、魅力的な存在となる。
強力そうな種族の名もあるが、皆の意見も踏まえてまず生成したのは、単体の戦闘能力の高さに加えて車も引けるという地竜で必要CPは50だった。最初の個体は、体が炭のように黒かったので、元世界での駿馬の名にあやかって「スルスミ」と名付けている。
それを受けて、ユファラ村から購入していた壊れた馬車を直し、地竜に引かせる竜車に仕立てる計画が進められている。
竜車の用途は、周辺の村を巡るためとなる。近隣には他に三つの村があり、そこでも商いができるようユファラ村の新旧の長が口を利いてくれるそうだ。
岩塩やハチミツ、ジャムに氷菓なども売れそうだが、実際には農具に注目が集まりそうだというのが、新たな長の見立てだった。クラフトが仕立て直した鋤や鍬などの農具は使いやすそうで、ユファラ村に急速に広まっていた。そうであるなら、サイクロプス印か一つ目印の農具とでもブランディングして売り出すとしようか。
そして、地竜のスルスミの他にも新たに加わった仲間がいる。フウカによって紹介されたのは、同じ孤児院出身のアクラットという少年だった。
目のくりっとした、いかにも頭の回りそうな容姿なのだが、初対面の際にまっすぐ視線を向けてきたのは驚きだった。実際には、その後で震えだしてしまって話は成立しなかったのだが、強い精神力の持ち主であるようだ。
サトミとも顔見知りだというので、同席を頼んで対話を進めると、商いに携わりたいのだそうだ。村ではやや浮いた存在となっていて、魔王の下で働くのも抵抗はないとの話である。いいのか、それで。
フウカとも相談の上、ひとまず仮採用的な形で加入してもらうと決めた。本人は現段階で名前をつけて欲しがったのだが、少し様子を見てからと断った。
遠くから、フウカのはしゃぐ声が聞こえてきた。魚が網にかかったのだろうか。そうしていると、年齢そのままの女の子なのだが。
俺達がこうして湖で釣りをしている間にも、地竜が引く馬車ならぬ竜車の準備は進んでいて、アクラットも参加しているはずだった。
隊商を仕立てての商いには、ダークエルフのセルリア、ルージュ、忍者のコカゲ、サスケ、そして勇者の卵のフウカと、元生贄のサトミも参加予定である。ネームレス勢からは情報収集が得意な男性忍者も常時メンバーとして加わり、それ以外は交代でとの想定だった。
戦闘面での主力の名が挙がっているのは、通商に巡ろうとしている村々の東方にゴブリンの影がちらついているためである。
出現規模は不明なものの、ゴブリン討伐、すなわち村の防衛を実行して恩の押し売りをしつつ、商いを進めようというのが当面の目算となっている。さらに、人間社会の蹂躙を見合わせる以上は、別口で戦闘経験をできるだけ積み上げておきたいとの事情もあるのだった。
オーク・ロード率いる勢力との戦いを経て、コカゲとセルリアはレベルが8に、フウカとサスケと俺はレベル6に到達した。
また、セルリアの氷結魔法レベルが2に上昇している。配下の魔法は俺や配下自身が選択できるわけではなく、自動取得のようだ。ステータスを見るとそれぞれの術ごとに熟練値が存在しているので、使用頻度で変わってくるのかもしれない。
魔法レベルが上がると、持続時間の長短や対象が範囲によって、だいぶ方向性の違う術もあったので、セルリアと相談の上で、威力の強い単体対象と威嚇目的の広範囲の術を優先して伸ばすことにした。
伸ばしたい術の熟練値を上げていく件は、ルージュら後続の魔術士にも伝えている。
「タクト様、釣れたでしゅか?」
いつの間にか近づいてきていたソフィリアが、俺の傍らにある手桶を覗き込む。
「そこそこだな。いい気分転換になったよ」
「それはよかったでしゅ」
言葉遣いだけ聞いていると、この娘が高い知性を持つのが容易には信じられない。けれど、既にその片鱗は見せつつあるのだった。
「こっちは大漁よ」
フウカの言葉通り、彼女が抱える手桶では満杯の川エビがびちびちと跳ねている。これはかき揚げにしがいがありそうだ。
食事当番は、忍者とダークエルフのうち、料理に抵抗のない幾人かに俺が指導する形になっていた。この土地の調理法も取り入れつつ、てんぷらやフライあたりの揚げ物系に、炒めものや鍋料理のたぐいも導入している。元世界で両親が健在だった頃、厨房を預かっていた経験が役に立っていた。
もっとも、数人分の食事を準備するのと、増えてきた配下全員の二十人以上分を用意するのとでは、手順がまったく違ってくる。かつてのユファラ村東方での防衛戦の折りには、俺に多人数向け調理の経験がなかったために、糧食供給がうまく回らなかった時期があった。あのときには、休憩に戻ったはずのセルリアが段取りを整えてくれて、どうにか配下を飢えさせずに済んだのだった。
ダークエルフの統率者はそういった手順の整備を得意としているようで、その際にまとめられた調理や配膳の手法が、今では厨房の指針となっている。一方で、当人の料理の腕前はからっきしらしいので、わからないものである。
釣りを終えた俺達は、のんびりと平地を歩いていく。初夏の陽射しは、なかなかに圧力を増しつつあった。と、行く手から走ってくるなにかがあった。
「竜車よね、あれ」
「ああ、試運転かな」
地竜の動きは独特だが、荷台が揺れにくい特性があるらしい。馬車馬よりも戦闘能力がある上に、牽かれる車輌の乗員の負担が少ないのだから、地竜の価値は高そうだった。さらには、名付けによって俺から限定的にしても直接の指示が可能そうなのも魅力的である。今はまだ、名付け効果は出ていないようだが。
竜車を牽引するスルスミの背後の御者台からは、コカゲが手を振っているのが見えた。
試運転を問題なく終えて派遣された最初の隊商は、一旬ほどで無事に帰還した。首尾よく商いと戦闘を終えてきたそうだ。
商売面では、今回巡った二つの村のどちらでも甘味系の食料とクラフトによって改修された農具が歓迎され、塩についても順調に買い手がついた。
魔王タクトの無害さアピールについては、そこそこの進展度合いだったというのがサトミの見立てだった。まあ、こればかりはすぐに効果を出すのは難しいだろう。
どちらの村も畑作が中心ではあるが、隣のソイト村ではオリーブ的な木の実や柑橘、りんご、ぶどうなどの果樹栽培に、奥のタック村では牧畜に力を入れているそうだ。牧畜としては、農耕馬、馬車向けの馬に、豚、山羊、羊などが飼育されているそうだ。肉の確保は難しいかもしれないが、乳製品や果物で食卓が多彩にできそうなのはとても助かる。
両方の村から再来訪の要請があったそうで、継続して取引していけるだろう。特産品を買うようにすれば、こちらが一方的に売るだけの関係とはならなさそうだ。
戦闘面では、湖を越えた北方には平坦な土地が広がっていて見晴らしがよいため、東方から移動してきたゴブリンの群れの捕捉に成功して撃滅したそうだ。
武装した大柄なゴブリンが率いていたというから、既に上位個体が出現する状態と思われる。オークにおけるエリートオークやマスターオークがそうであったように、より強力なモンスターだとは想像できた。
その群れがどこかの村に到達したら、惨劇が生じていただろう。そう考えると、ユファラ村のときと同様に、東方に防衛線を構築するべきか。
一通りの報告を受け終えた俺は、食堂にサトミとコカゲ、それにセルリアを呼び出した。
「おつかれさま。全般的な話もそうなんだが、アクラットについて確認しておきたくてな。どんな様子だった?」
「馴染んで楽しそうにやってたわよ。ねえ、コカゲ?」
「はい、忍者の一人とコンビを組んで、掛け合いしながら商いを進めてました」
「ええ。商売相手の懐に飛び込んでいく技量は、なかなかのものと存じます」
セルリアからも肯定的な評価が出てくるからには、いい動きをしていたのだろう。
「一緒に組んでいた忍者というのは?」
「情報収集系を得意とする忍びですね」
「ああ、あのにこやかな。……名前をつけるかな。コカゲとセルリアは、配下の名前がなくて不便じゃないか?」
「あ、それがですねえ……」
コカゲが口ごもると、なんだか悪いことをしてしまった気になる。とりなすように口を開いたのはサトミだった。
「その件なんだけど、配下同士でだけ通じる符牒めいた名前をつけてるのよ。さすがに名無しだとわかりづらくって。でも、タクトには伝えずにおくべきだって、ソフィリアが」
「ほう」
「なんか、タクトがその名を認識してしまうと、不利益が起こるんじゃないかって言ってて」
確かに、生成した配下に勢力内で名前がつけられたなら……。それを俺が認識した状態で友好度が高まれば、名付け同様の状態となって意図せぬCP消費が発生してしまう可能性がありそうだ。
「ソフィリアに、そのあたりのからくりを話した覚えはないんだがな」
「みんなに名前をつけてないのは、そうなんだろうって」
推察力、というわけか。
この三人からは他の件についても話を聞いて、それとは別に、フウカにも弟分の様子を確認する。彼女の目からも、アクラットは生き生きとして見えたようだ。
俺は、改めて当人との面談を設定した。