(21) 泉の乙女
泉の端で見た幻視についてソフィリアと話し合っていると、当の本人である翠眼の少女がやってきた。
やけにリアルだった映像での血塗られた状態とはまるで違うし、表情も柔らかである。……フウカは、こんな表情をする子だったろうか? どこか険のようものが感じられていたのが、抜け落ちているようでもあった。
「ソフィリアと仲良く手をつないで、どうしたの?」
接近してくると、今度は口調に険が生じていた。あわててつないでいた手を離して、幻覚について説明する。けれど、泉の中にそれらしい剣は見当たらないとも。
ふーんと言いながら、彼女は泉の中に手を入れて、顔までつける。
「ぷはっ。……なんかあった」
顔を出してそう告げた濡髪の少女が、右手を泉から出す。握られていたのは、鞘に収められた剣だった。
すらりと抜き放つと、まさに先ほどの映像で目にした細身の美しい剣が姿を現した。そして、空に向けて眩く細い光の柱が伸びる。【圏内鑑定】が発動し、「泉の乙女の剣」との銘が見えた。種別には、聖剣とある。
抜き放たれた刀身を見つめると、胸の奥の、根源あたりから恐怖がせり上がってきた。
「あー、すまんが、俺には向けないでくれると助かる」
頼む口調が、真剣なものになっていると実感される。
「あなたに向ける剣はない。……けど、怯えるタクトは、見ていてちょっとおもしろい」
にっと笑ったその表情には、いつにないいたずらっぽさが宿っていた。聖剣が鞘に収まると、俺の心に安堵が訪れた。今ならば、伝えられそうだ。
「なあ、フウカ。今後についてなんだが……」
小首を傾げて聞いているのは、続きを促しているのだろう。
「フウカは、戦いに身を置きたかったわけじゃなくて、強くなりたかったんだよな? そうであるなら、この村を守って……」
「私は、タクトが行くところに一緒に行きたい」
意地を張っているわけではない、自然体の口調のようだ。
「俺と来るとしたら、こことは違う場所で、別の目的で戦うことになるだろう。攻められたら、人間とも戦うかもしれない」
「それは当然だと思う。……タクトは、罪のない人を蹂躙する?」
「したくないとは思う。でも、今後配下が増えてきたときに、完全に制御できるかどうかはわからない」
「それを理由に、私を放り出すの?」
そう考えるくらいには、この少女は既に俺の眷属であるようだ。突き放すわけにはいかないか。
「いや、いたいと思うだけ、いてくれていい。戦力という意味では助かるけど、無理に戦わなくてもいいんだぞ」
「うん。どう生きていくかは、考えていきたい。……それでね、まずはこのユファラ村から離れて、あの森で暮らしたいの」
「まあ、俺としてはかまわんが、新たな長に確認してみよう」
その後の交渉であっさりと了承が得られて、フウカは森林ダンジョンに居を移すと決まった。
前日の激闘から、野営しながらの夜通しの警戒、偵察行、そして酒宴に至るまで強行軍が続いていた。最後が酒宴だっただけに、精神的には余裕があっても、配下達に疲労が溜まっているのは間違いない。
こうなると予測していたわけではなかったが、配下の疲労に対応するためポチルトに準備を頼んでいた新たな施設の用意が整った。露天風呂である。
生成対象の湯治施設としては、現時点では日本風の露天風呂と、ローマ風の室内浴場が選択可能だった。ローマ浴場も捨てがたかったが、両方設置する余裕まではなかった。
入浴のマナーを徹底させると、露天風呂の運営が開始された。当然ながら男女別で、クラフト、サスケを始めとする男性配下たちと湯に浸かる。居館に風呂はなく、せいぜいが沐浴程度だったので、久々の愉悦の時間だった。
「はー、風呂はいいよな、風呂は」
「これはなかなか乙なものじゃな」
クラフトもどうやら気に入ってくれたようで、一つ目を閉じてゆったりと湯に浸かっている。
サスケとの雑談として、ヘルハウンドとシャドウウルフの習性の違いについて話し込んでいると、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。
「待て、フウカ。壊すな」
物騒な言葉が漏れてきたところで、背後の木製の壁から鋭い風音がした。そちらを見やると、斜めに線が入っているようだった。
そして、壁がゆっくりとずれていき、出現したのは真紅の髪を束ねた少女の裸身だった。手には聖剣が握られている。
「おお、あれが噂に聞く聖剣じゃな? なんとも見事な迫力じゃ」
額に手をやって観察するクラフトは動じていないようだが、サスケはあっけに取られているようで、同時にやや怯えの色も見られる。忍者も魔族の一員として、聖剣の圧迫を受ける存在なのだろう。
「フウカ、どうした?」
「さびしいから、一緒に入ろう」
聖剣を鞘に収めた少女は、そう告げて迷わず男風呂に飛び込んでくる。まあ確かに、覗くなとは伝えたが、壁を聖剣で突破するなとは言わなかった。
「すみません、止めたのですが」
「そうなのです。どうにも聞き入れてもらえず」
そんなセリフを口にしながら、コカゲとセルリアも相次いで男湯に突入してくる。
「もう、今日のところはいいから、せめて前を隠すように」
混乱がありつつも、どうにか三人に湯浴み用の布で前を隠させることに成功した。まずは一安心……と思ったのは油断だったろうか。湯けむりの中に、やや笑みを含んだ声が響いた。
「タクトは、慎み深い女の子が好きなんだって。歪んだ性癖よね」
そう断じたサトミは、裸体を隠す気もなく俺の隣に入ってくる。
「だから、前を隠せと……」
「あたしは別に、タクトに気に入られなくてもいいもの」
そう言いながら腕を取られると、間近に広がる情景から視線を逸らすしかない。その流れを見ていたフウカが、むすっと頬をふくらませる。
「……なんか、納得がいかない」
「気にしなくていいのよ」
サトミの言葉は、どう受け取られただろうか。
「だから、離れろって」
「あら、興奮しちゃった? 元々は生贄なんだから、いつでもいいのよ」
その言葉に、コカゲがにじり寄ってきて、逆側に収まる。
「あ、あの、しもべたる私も」
挟まれる形になって困っていると、フウカがにまっと笑った。
「タクト、人気者ね」
いや、勘弁して欲しい。助けを求めて周囲を見回したところで、救い主が現れた。
「シャーベットをお持ちしました」
すっかり給仕役が板についたポチルトが、盆に載せた冷菓の入った器を運んできている。女性陣は歓声を上げ、あっさりとそちらに向かっていった。助かった。
冷菓を楽しむ配下達の姿を微笑ましく見やりながら、俺は頭上に広がる夜空を見上げる。天井を透過しているのだろうが、いずれにしても星の煌めく様はたまらなく綺麗だった。
まだほんの小勢力ではあるが、この仲間たちとならやっていけそうな気がする。ぜひ、そうありたかった。
今回までが、第一章になります。この後は、間章的な短めのエピソードを二本挟んでから、第二章へとつながります。
第一部は、五章構成となっています。よろしければ、お楽しみいただけると幸いです。
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