(19) 守れたものと、守れなかったもの
◆◆◇ユファラ村東方の山中◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オーク・ロードが率いた数百匹にも及ぶオークとの戦闘の翌朝。魔王タクトとその配下達の主力は、ユファラ村東方の山中へと分け入っていた。
彼らが通った道中に動物の気配はなく、木の実や可食部のある草なども多くが食べ尽くされているとのコカゲからの報告を受け、タクトは考え込んでしまう。昨夜の猛襲は、飢餓状態でのものだったのかと。そして、オークやゴブリンが飢餓に陥った場合には、共喰いに至るケースもあるというのは、サトミからの書物知識で把握されていた。
また、最後の戦場に残った死体を調べた結果、ノーマルオークのざっと三割ほどがゴブリンとの混血らしい個体だったことも、昨晩のうちに判明していた。両者が通婚するものかどうかは、実際のところ彼らには不分明である。だが、純然たるゴブリンの死体もなかったため、群れに合流していた可能性は低いと思われた。
そんな中で、フウカは別の種類の緊張感に包まれていた。同行している村の大人たちからの視線が、自身に集まっているように感じられたためである。
やがて到着した集落は、建物は残らず焼け落ちている無惨な状態だった。ひときわ大きな建物跡には、焼け焦げた死体が重なっていて、人間なのか亜人なのかも容易には判別できない状態だった。オークの死体は塵に還るわけなので、犠牲者たちなのだろうとタクトらは推測していた。
忍者らによる偵察で得られた情報と併せて考えると、オーク達がこの集落を襲撃して根拠地にしたのは確かなようだ。当初は集団内から溢れる形で弱い者達がユファラ村方面に行き着き、最後には全体で新天地を目指したというところか、と彼らは想像する。南方には急峻な山脈があり、東方も北方も山深いからには、開けた西方へ向かうのは自然であるとも考えられた。
実際、集落からすぐの荒れた山肌の上から見渡してみると、遙か西方にユファラ村に至る林が視界内に入ってくる。その北側には、ユファ湖が陽光に照らされて輝いて見えていた。
飢餓状態の魔物がここに立ったならば、山を降りれば何かが食べられると考えそうだとは、タクト達にも想像できた。まして、共喰いの餌食から逃れようとしていたなら……。
そして、今後についても検討が為された。集落の再建は早々に断念され、この地に通じる小高い丘に監視拠点を設置しようとの方向で話が進む。
そのあたりの交渉は、コカゲとサトミが魔王勢を代表する形で、同行している村人たちと行う形となっていた。やり取りを眺めながら、フウカはなんとなく落ちつけずにいた。サトミももちろんだが、年齢もそんなに違わなさそうなコカゲが大人たちと対等に接している姿は、彼女には眩しく映っていたのである。
やや気詰まりな思いを胸に、フウカは湖の見下ろせる辺りへと足を向ける。と、村からの同行者の一人で、見覚えのある農夫が声をかけてきた。
「ファスリームよ……、いや、今はフウカと名を変えたのだな。少し話してもいいか」
「ええ」
そう応じながらも、翠眼の少女の心は緊張で満たされていた。
「先日の襲撃で命を落としたトルシュールの最期に居合わせたのは、君だけだと聞いている。すまんが、聞かせてくれんか」
フウカの胸の鼓動がさらに速くなった。けれど、答えないわけにもいかず、彼女は心を決めて口を開く。
「自警団の人たちが村に逃げ込んできたとき、トルシュールは最初に襲われるだろう孤児院辺りに警告を発しに来ていたみたい」
「そのようだな」
顎を撫でながら、赤銅色の肌の農夫が頷く。
「会ったときにはオークと戦っていたの。私を見るや、孤児院を守るようにと叫んで」
頷きによって、続きが促される。脳内に再生される情景が、フウカの胸を締めつける。
「でも、孤児院には既に侵入されちゃってたの。私が半ば絶望したとき、トルシュールが戦いながら後退してきて……。傷だらけで苦戦していたの。状況を見て取ったのかな。剣を私に投げてよこして、孤児院の子たちを救うようにって」
農夫は目をつぶって、なにごとかをつぶやいた。翠眼の少女は、激しい思いを抑えられずにいた。
「きっと自分が殺されたら、剣を奪われてより凄惨な事態になると考えたのね。それに、私の方が剣を使えて、孤児院の子どもたちを救えるかも、とも」
ゆっくりと、彼女の痩せた頬を涙滴が伝っていく。
「トルシュールは、オークの首を折りに行ったわ。見たことのない表情で。その体に、別のオークが食いついて……。私は……、私はトルシュールを見捨てて、孤児院の子らを助けに行ったの。だから、おそらく生きながら喰われたのだと思う」
少女が再び口を開くまで、農夫は沈黙を守った。
「孤児院を襲っていた三匹のオークを屠り、トルシュールを殺したオークたちが襲ってきたのを倒したところで、剣を持ったエリートオークが襲ってきたの」
「ああ。どうやら自警団の若者が逃げ出した際、捨て置いた剣だったようだ」
「そうだったの……。必死で戦っていたら、タクトがやってきて加勢してくれて、そいつを倒してくれたの。でも、私は結局……」
彼女の肩に、農夫の無骨な手が置かれた。
「つらい経験を思い出させてしまってすまない。だが、実際に話を聞いてみないと、わからないものだな。フウカよ。村を守ってくれて、ありがとう」
深々と下げられた頭に、翠眼の少女はあっさりと首を振る。
「いいえ。守ったのはトルシュール。それなのに……、私は見殺しに……」
「不可能なことを、できなかったと悔いるべきではない。君は最善を、いや、それ以上を尽くしたんだ。トルシュールの望んだよりもさらに上を。それだけでなく、昨晩の襲撃からも再び村を救ったんだ」
「でも……、トルシュールは守れなかった」
「トルシュールの守りたかったものは守ったんだ」
フウカは唇を噛みながら、眼下の光景を見つめていた。
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ユファラ村の東方に幾つか監視拠点を設置して、村側と共同運営するという話に持ち込めたのは収穫だった。村一つとはいえ、人類勢力との事実上の共存体制の確立に成功したわけである。
支配を除く人類との連携は、「魔王オンライン」ではどうやってもできない仕組みとなっていたが、この世界では異なるのだろう。そうであるなら、今後に望みをつなげるのだが。
オーク達の根拠地だったらしい山中の集落は、まだ燻っているからには、オーク・ロードが出陣するのと同時期に火がかけられたのだろう。根絶は果たせていないかもしれないが、少なくとも徒党を組めるほどは残っていなさそうに見える。
一方で、この小規模な集落を拠点にあれだけの大勢力に発展したのだとしたら、単純に食料確保と繁殖能力の結果ではないのかもしれない。サトミが得た情報にあった共喰いによる強化だったりする可能性もあるし、油断をするべきではなかった。
焼け焦げた死体は、ざっと見で数十体というところである。魔物であるオークの死体は、塵となって消えるようであるからには、人間か亜人かなのだろう。この集落の住民だったのか、近隣から連れてこられたのか。いずれにしても、なんとも痛ましいことである。
死者のための祈りは自由参加としたのだが、村人達はもちろん、配下の多くも参加した。襲撃はためらわなくても、死者を冒涜するつもりはないとの切り分けなのだろうか。
その他では、ゴブリンとの混血の件も不気味ではあった。もっとも、仮に雌ゴブリンが大量に確保されていたとしても、その死体も塵になって跡形も残っていないはずだ。
いずれにしても、ひとまず危機が去ったようであるのは間違いない。まずはそれを喜ぶべきなのだろう。
視線を巡らせると、フウカがユファラ村の農夫と話をしているのが見えた。村の大人たちに隔意を抱いているのが懸念点だったので、交流が行われているのはよい流れだった。
邪魔しないようにと山道を歩いていると、追いかけてきたのはサトミだった。
「ねえ、タクト。聞いてもいい?」
「ああ。なんだ?」
「あなたは、この先なにを目指すの?」
まっすぐに向けられてくる視線には、敵意は感じられない。
「力を蓄える必要があるな」
「そういうもの?」
「魔王が弱ければ、討伐されるしかない。ユファラ村が生贄としてサトミを送ってきたのにしても、脅威だと捉えたからだろう? 畏怖させる力がなくって、もっと幼い子どもだったら、打ち殺されていたさ」
「ちっちゃいタクトだったら、あたしなら可愛がっちゃうけど……、そういうことじゃないって話よね」
「ああ。歴代の魔王達の災厄度合いを考えれば、まず殺そうと考えるのは自然だからな。共存できない脅威であるオークを討ち滅ぼすのと何も変わらない。……だからこそ、守りたいものを守るためには、力がないとな」
「何を守りたいの?」
「自分自身と、親しくなった連中に、生成した配下達にも責任がある。元世界での友人が魔王としてこの世界に来ていたら、そいつも守りたい。……だいぶ優先度が下がるが、人間一般が死ぬのも、あまり見たくはないぞ」
「魔王なのに?」
「元世界では、普通の人間だったからな。いきなり魔王だと言われて、そう振る舞えるわけでもない。……その素質があった奴もいるだろうが」
「ユファラ村の人達は、もうあなたを襲いはしないと思うけど」
「星降ヶ原には町もあるし、領主も居るんだろ? さらには、領主を封じる存在もどこかにいるわけだからな」
「オークの駆逐は済んだのよね」
「ああ。他に魔物がいなければ、しばらくは警戒と商業とに力を尽くす局面になるかもな」
ただし、討伐隊が送り込まれてくれば反撃せざるを得ないだろう。そのあたりはあえて言葉にするまでもなく、サトミには通じているように思われた。
「あなたが何を目指すとしても、ユファラ村をオークから守ってくれたのは間違いない。でも、畏怖混じりの感謝は得られたとしても、あなたを誉めてくれる人はいないのよね」
つぶやくようにそう口にしたサトミの手が、俺の髪に触れる。優しく撫でられる感触はひどくなつかしいものだった。
「……きつかったんじゃない? よく考えたら、あなたの周りにいるのは、従うのが当然な配下達なのよね。それに、あたしもフウカも、あなたに心配させていたんだろうし」
この世界に来てからの俺は、きつかったのだろうか? もしかすると、そうなのかもしれない。思い返せば元世界でも、家族を失ってからはどう現状を打開しようかとばかり考え続けていた気がする。
「あたしとあなたが対等だなんて言うつもりはないけど、少なくともあたしは褒めてあげる。あなたはよくやったわ」
俺は、胸の奥で動いた感情に蓋をして、ニヤリと笑った。
「うむ。褒めちぎるが良いぞ」
「もう、茶化さないでよ。……配下のみんなにも、もっと頼っていいと思うのよ。あたしにも、フウカにだって」
「ああ、頼りにしてるよ」
南方の山脈からの風が弱まり、西風が吹き始めているようだった。風向きによって、雲の流れる先も変わるのだろう。さて、俺はどちらへ向かうのだろうか。