(13) 響いた鳴き声
サトミと別れて前線へと向かい、指揮役二人と今後についての協議を行った。その間も、シリウス達シャドウウルフを中心とした哨戒が続けられている。
「戦闘自体は、より強い個体が混じってきても、当面はこなせそうです」
忍者の少女の言葉に、セルリアが頷いて補足を始める。
「ただし、強さによるのと、その強い個体が多くのオークを引き連れてきた場合には、一匹も通さずというのは難しいかもしれません」
日本語とは音が違うため、多くのオークという言い回しは駄洒落としては成立していない。念のため。
「そうだよな。……できれば防衛したいが、二人と配下たちの生存を優先してくれ。ここが最後の戦いなわけでもないからな」
頷きで応じた二人だったが、コカゲがややもじもじしている。言いづらいなにかがあるのかと見守っていると、セルリアが静かに口を開いた。
分を越えた話かもしれませんが、との前置きで言い出されたのは、昨晩加わった六人の戦闘力についてだった。
自分たちと同等との想定で、六人いれば安心だと考えていたのだけれど、魔法や礫といった飛び道具対応まで入ったときには、戦力的にやや不安だという。交代で休養を取らないと連戦はこなせないが、前衛と支援のバランスもやや欠けており、配置が悩ましいそうだ。
確かに、コカゲとセルリアに比べると、個体のステータス値だけ見てもだいぶ差があるようだ。朝の時点での戦いぶりの違いについての印象は、二人ともが同様に感じていたものだったらしい。
まあ、逆に言えば、コカゲとセルリアの能力が高過ぎるのかもしれない。乱数だと想定すると、たまたまとも考えられるが、種族ごとの最初の一体にはボーナスが設定されている可能性もある。
今回の新規生成組が、ダークエルフと忍者の標準的な個体だと仮定した場合のさらなる戦力増強について、二人の意見を聞いてみる。
他の魔物という選択肢もありうるが、現状は実戦投入まで間がない。連係が重要となるからには、忍者とダークエルフ、それにシリウスの指揮で活躍しているシャドウウルフを中心とするのが望ましい。そんなコカゲとセルリアの見解を聞いているタイミングで、ハヤブサの「カゼキリ」の声が背後から響いた。
「カゼキリには、警戒を頼んでいます。村になにかあったのかも」
「セルリア、ここは頼む。コカゲは、二人連れて来てくれ。シリウス、群れの半分連れてこい」
そう告げるなり、俺は走り出していた。見上げる空には、うっすらと煙が立ち上っていた。
◆◆◇ユファラ村◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
魔王と村外れで言葉を交わしたあと、オーク討伐に向かう背中を見送ったフウカは、日課である剣術の稽古を始めた。
人のあまり来ない泉のほとりで棒を振る鍛錬を、翠眼の少女は以前からずっと続けている。先日、魔王の拠点でタクトとコカゲによる手ほどきを受けてから、その動きにより鋭さが増していた。
魔王によって伝授された型をなぞるように、棒を振り下ろす。当初はゆっくりと。そして、鋭く。さらに鋭く。
少女は無心に棒を振り続けている。風を断つその音だけが、泉のほとりに響いていた。
一刻ほどが経過した頃、汗を泉の水で洗い流したフウカが帰路についた。村の南西に位置する泉から彼女の住む孤児院までは、村の外周柵沿いとなる。
南側の外れの辺りには、このユファラ村の中でも一段と寂れた風景が広がる。律動的な歩みをしつつも、フウカは現状に思いを巡らせていた。
魔王であるタクトが最初に村に登場したとき、大人たちの狼狽ぶりはフウカの目には情けない姿として映った。物語の中の存在だったはずの魔王が、よりにもよって自分たちの村に現れたのだから、無理もない部分もあったろうが。
一方で、オークの出没については、だいぶ軽んじられているようなのが、少女には不思議であった。魔物の出没自体はめずらしくはないにしても、百匹規模となると重大な事態のはずだと言うのに。
孤児院で彼女のひとつ下のアクラットは、そのあたりの事情について、魔王が防衛しているという異常な事態が話を複雑化させ、村長らの思考力を奪っているとの見解を抱いており、フウカにもそう伝えていた。
ただ、翠眼の少女には弟分の言う意味がいまいち実感できずにいる。孤児院では単独派閥となる武闘派に属する彼女は、考えることを不得手だと自認しており、決断を他者に委ねる傾向があった。
その点、行商人が村娘に産ませたという出自のアクラットは、村の権力構造に興味を持っており、今回も情報収集に余念がない。いずれこの地を離れるつもりである彼は、文字や計算を独学で習得しており、それがまた村の子との差異を際立たせて、浮いた状態となっている。
フウカにしても、騎士を目指すと公言する村の若者と仕合いをして、あっさりと打ち倒した経緯から、特に若者たちからは距離を置かれる状況にある。そうでなくても孤児院出身者となれば、やや敬遠される面があるのだった。
フウカにとって孤児院関係では、五歳年上のトルシュールも身近な存在だった。幼い頃から世話になったその人物は、農家に婿入りの形で迎えられているが、孤児院について気にかけ続けているようだ。
家庭を築いて三年ほどになり、息子も生まれたのだが、うまくやっているのだろうかとフウカはやや心配している。孤児院出身者が結婚できても、どこか伴侶やその生家から軽んじられるというのは、以前から聞く話である。彼女が目を閉じてトルシュールを思い浮かべると、決まって困ったような笑顔なのだった。
一方で、アクラットの目下の関心は、一直線に魔王タクトの行動に向けられていた。元々が村の外の世界に興味を持っていたわけで、商い相手として、また、村の防衛に携わる存在として、気になるのはむしろ当然であろう。けれど、フウカにしてみれば、自分が把握していない事柄まで根掘り葉掘り聞いてこられても答えようがない。
自分が間に入るよりも、いっそ森の居館に連れて行ってしまおうか、ともフウカは考えている。オーク騒ぎが一段落してからであれば、タクトならきっと訪問を許容してくれそうに彼女には思えるのだった。
孤児院がフウカの視界に入ってきたとき、遠くからなにか叫び声が聞こえてきた。耳を澄ましながら彼女がそちらに目を向けると、武装した村人たちが走っている。自警団に所属している面々で、その中にはフウカが剣の稽古で打ち倒した、やたらと鮮やかな金髪の若者の姿もあった。
自警団は、南方の守備を受け持つとの話だった。彼女がその点に思い至ったとき、そちらの方角からうっすらと煙が上がっているのが見えた。急激に湧いた焦りの感情が、フウカの胸中で渦巻いた。タクトたちは東の防衛を固めているはずだ。となると……。
そのとき、彼女の背後から影が近づいた。
「おい、ファス。すぐに建物の中に逃げろ!」
叫び声は、フウカの五つ上の孤児院出身者、トルシュールのものだった。いつもは鍬を持つ手に、今日は剣が握られている。
そして、その人物の後方からは、異形の者達が迫っていた。オークの姿を間近で見るのは、フウカにとって初めての経験だった。
アクラットを、そして小さな子らを守らなくては。方向を転じると、真紅の髪の少女は全力で走り始めた。
孤児院はなかなかに堅牢な作りで、正面の扉さえ閉めれば、防御は固められる。扉さえ確保できれば。
そう考えながら駆け寄ったフウカの眼前には、絶望的な情景が展開されていた。扉の辺りでアクラットがほうきを構え、オークと渡り合っている。だが、内側を気にしているからには、どうやら既に侵入を許してしまったようだ。中には幼い子らがいるのだと、フウカにはわかった。
背後に目を向けると、オークに押されたトルシュールが後退しているのが見えた。農夫の全身が、オークの牙やら石やらにやられて血塗れになっている。
慣れない戦闘に意識を持っていかれていたのか、再び親しい存在の姿を認識し、彼の目が見開かれた。その隙を衝いて、オークたちがさらに攻撃を加える。
「ファス、これを使え」
そう叫んで、トルシュールは振るっていた剣をフウカに向けて投げつけた。剣があっても苦戦していたのに、得物を手放してまともに戦えるはずもない。
そもそも、お人好しとして知られているこの人物は、戦いにはまったく無縁な存在のはずだった。けれど、瞳に覚悟の色合いを浮かべて、目の前のオークに組み付く。そして、そのまま首折りを試みた。
だが、果たせずに押し合いを続けるうちに、その身体に他のオークたちがしがみつく。そして、生きたまま農夫の肉を喰らい始めた。状況は、絶望的だった。
「ファスリーム、行くんだ!」
フウカは、無理やりに意識をその戦いから外した。剣を拾うと、孤児院の玄関付近へ走り込む。
アクラットに噛みつこうとしていたオークが、一刀のもとに斬り捨てられた。へたり込んだ年若の少年を気遣う余裕はなく、フウカはそのまま室内に向かう。
短い廊下を駆け抜けると、幼い子らが隠れているらしい部屋に対して、二匹のオークの強襲が繰り広げられていた。扉には、既に裂け目が入っている。
口から声にならない叫びが漏れ出ているのを気にせず、翠眼の少女は間合いを詰めて剣を振り回す。二閃で生きているオークはいなくなった。フウカにとって、住み慣れた室内に異形の肉体が転がるさまは、なんとも表現し難い光景だった。
その時、扉の隙間から、幼い子らの姿が見えた。無事だったのかとほっとしかけた彼女だったが、その瞳に浮かぶ怯えた視線に胸が締めつけられる。
「ファス姉!」
生じた激情に浸る間もなく、親しい存在の悲痛な叫びの方に向けて走り出す。
そこでは、扉を閉めようとするアクラットと、防ごうとするオークたちの攻防が繰り広げられていた。
ためらわずに隙間に剣先を滑らせると、手応えは気にせずにそのまま扉を蹴り開ける。剣の閃きが、オークたちを死体へと変えていった。
目撃した数は、これで総て倒したはずだ。村の中はどうなっているのか。そして、トルシュールは。
そう考えたフウカの心情を、油断だと決めつけてしまうのは厳しすぎるだろう。けれど、結果的には危機的状況は未だ去ってはいなかった。
背後から勢いよく降ってきた剣を、フウカはどうにか受け止める。地に転がって態勢を立て直すと、そこには革鎧で身を固めた、オークにしては大きすぎる魔物の姿があった。
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