(119) 越えられた一線
◆◆◇龍尾台北東部・旧レクス子爵領南方◇◆◆◆◆◆◆◆◆
東方鎮撫隊で副長を務める蛇眼の人物が、先行する軍勢を見送っていた。その右側に寄り添うように立つのは、腹心の位置にいる青鎧の青年である。
「うまく進むとよいですな」
唇を微かに歪めたのが、白騎士の返事だった。視線の先にある急造の部隊は、教会中央から派遣されたカンテームが指揮を取っている。彼の前での幾度かの敗戦は、手を抜いたわけでもなかったのだが、結果として督戦使自らの出馬を促す形となった。
「先陣に立つじゃじゃ馬が、自然な流れを築いてくれればいいのだがな」
ようやく声を発したジオニルは、油断なく周囲に視線を送る。応じたのは、左側に控える白騎士の人物だった。
「軍監殿はともかく、シュクリーファ様はよろしいのですか。出身家の話もありますが」
「なあに、東方鎮撫隊でも随一の腕前との評もある騎士が、カンテーム殿と命運を共にするのはおかしな話ではないさ」
「ええ、なにやら嗅ぎ回っているようでしたし、消えていただいてよいのでは」
新参者の青騎士の言葉によって、ジオニルの以前からの側近たる白騎士の右眉が上がった。青鎧達を側に置くようになって、副長の言動は先鋭化している。彼のその現状把握は、だが、当人には自覚されていなかった。
戦いについての知識は書物から得たものが総てで、実戦に昏いのが明らかな督戦使に部隊を率いさせる。そこまでなら、本人の希望を踏まえれば、問題視される筋合いはないだろう。だが、その一軍を意図的に孤立させたとなると……。
もちろん、この混乱した情勢の中で、詳細な検分が行われるはずもない。そして、蛇眼の白騎士は結局のところ副長に過ぎず、責任者はカンテームによって遠ざけられてはいても、やはりファイムなのである。
督戦使と有力家出身のシュクリーファを戦場で死なせ、その責任は隊長に押し付ける。ジオニルの脳裏で描かれた絵図は、彼の中では完璧なものだった。一方で、長く彼に従ってきた側近の白騎士からすれば、近くに侍るようになった者たちの影響を受けた、甘い見通しの上に立つ下衆な策に映っている。
だが、彼はまた、このジオニルが自分の考えを否定する存在にひどく冷淡であるのをよく知っている。それは、他の者も同様で、思考が先鋭化していくのも無理からぬ状態なのだった。
シュクリーファの個体戦力は、ファイムと共に現状の東方鎮撫隊で双璧をなしている。そこからだいぶ離れてジオニルら数人が続く状態なのだが、副長の脳内では自分を含めた三人が並んでいる状態だった。
白金色の髪の騎士を失っても、東方鎮撫隊の戦力はさほど落ちない。自分が実権を握ってから逆襲すれば、オーク魔王など駆逐できる。ジオニルは、本気でそう思っていた。
「さて、転進の下知を出してもよろしいですかな」
青鎧の言葉に、副長が頷きで応じる。そして、戻れぬ一線が越えられたのだった。
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◆◆◇龍尾台・旧ジャムル侯爵領都近郊◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オークの三魔王の元に、戦況が刻々と入ってくる。オークにも、斥候に特化した進化種は存在しており、単純な戦闘であれば状況の把握は容易だった。
突出してきた白騎士の一軍は既に壊滅状態に追い込み、後は単身で抵抗を続ける騎士だけが相手となっていた。その戦いぶりから、相手の切り札的存在であるのは確実であり、彼らとしてはこの機に無力化してしまいたいところだった。
そして、その騎士はどうやら美形の女性で、白金の髪の持ち主でもある。そう考えれば、魔王たちの胸は躍るのだった。「魔王オンライン」の売りの一つは美麗グラフィックで、それはつまり、姫君や女騎士、村娘といった存在のあられもない姿だった。
タクトやアユムは半ば強制的にプレイさせられていた状態で、蹂躙派でなかったためもあってほとんど触れていなかったが、シャルロットは「魔王オンライン・クロニクル」の運営上、収集に関与していた。さらには、音楽やゲームシステムに惹かれて入ってくるプレイヤーも多くいたが、無料のアダルトゲームとして利用されていた面も確かにあった。もっとも、アダルトに特化したゲームのプレイヤーからすれば、失笑ものの出来と評されてはいたが。
アダルト用途のほか、CG収集を目的とする者も存在する。ゲーム内の美麗グラフィックを多く獲得するためには速攻蹂躙が効果的で、その欲求が魔王オンラインの勢いを支えていたのも間違いのないところとなる。そのセオリーからは、オーク三魔王の慎重な、緩やかな蹂躙と呼ぶべきゲーム運びはやや離れたものとなる。もちろん、魔王オンラインでのプレイスタイルと同じ行動を選択する者たちばかりではないにせよ。
だが……。いくら女性騎士を確保できそうな場面だとしても、抵抗は激しく、損耗は無視できぬ質と量になりつつあった。
既に、包囲状態のままで一昼夜が経過している。これまで連続して配下をけしかけている三魔王だったが、不眠不休での反撃で、そのたびに蹴散らされてしまっていた。
「なあ、どうするよ。ここまで戦力を投入して、仕留められませんでした、断念しましょう、じゃ話にならんぞ」
「だがなあ、これ以上精鋭を削られると、それこそ洒落にならんしなあ」
「待て待て、一人相手だと思うから、ひどくやられてる気になるだけだって。こいつが会戦の中で出てくると考えてみろって」
「悪夢だな……」
「だろ? 敵の切り札を単独で潰せる機会が得られたのを喜ぶべきだって」
「だがなあ……。さすがにこちらのエース級がぼこぼこやられてはなあ」
「ラスボスが単身で出てきて、だいぶ削れている。ここで倒しておけば、後が楽になるぞー」
「まあ、そう考えればな。だが、現状をどう打開する?」
「俺らが出るしかないだろ」
「まあ、そうだな」
三魔王の掛け合いは、自力でけりをつけようとの結論に落ちついた。客観的には、オークが額を寄せ合っている構図だが、本人たちに違和感はもはやない。慣れなのか、あるいは。
彼らは、自分たちが蹴散らした一軍が、中央から来た督戦使に指揮されていたなどとは知る由もなく、威力偵察に凄腕が参加していた程度の認識である。そして、ファイムは三魔王軍の主力との交戦はしておらず、結果としてシュクリーファを唯一無二の切り札だと捉えていたのだった。
慎重な三魔王は、自軍の中でやや余剰気味の戦力をぶつけて、女騎士の疲弊を誘ってからの対峙を目論むのだった。
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◆◆◇龍尾台・旧ジャムル侯爵領北部◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
相棒たる闇斬の剣が、悲鳴のような唸りを上げる。停滞気味の思考の中で、白金色の髪の女性騎士は思いを巡らせる。
今回の出戦では、督戦使カンテーム自身が布陣を決めていた。直衛としてシュクリーファを起用したのも、その周囲に有力な騎士を配したのも、間違った判断ではなかったはずだ。
だが、結果は魔王勢に包囲されて削りに削られ、主将も含めて生死不明の状態の中、彼女は完全に孤立していた。
既に最初の会敵から丸一日以上が経過している。当初は断続的だった戦闘は、夕方が近づくにつれて連戦となっていた。
昼前までは強靭なオークが相次いで挑戦してきて、返り討ちにする展開だった。相手はシュクリーファにとってもなかなかの強敵だったが、撃退によって一息つく時間は得られていた。
けれど、昼過ぎからは雑魚的な存在のオークが間断なく迫ってくる状態が続いた。一蹴できる敵でも、山のように訪れられては疲弊していくのは避けられない。
ジリ貧状態の中で、彼女はレミュールの不在を強く感じていた。周囲の者からは、どうして格段に下がる実力の騎士を連れているのかと訝る声もあったが、シュクリーファにとっては背中を預けられる彼女は、他と比べるのもバカらしくなるほどに大きな存在だった。失って、それがより強く感じられてもいる。
彼女の中では、もしもレミュールが生きて身近にいたなら、今回も敵を蹴散らして生還を果たせていたとの認識だった。実際のところ、シュクリーファの戦いぶりは、かつてよりもだいぶ鈍い状態となってきている。
無限に続くかと思えた雑魚オークとの戦いは、いきなり途絶えた。足の踏み場もなくなってきたため、彼女は移動を図った。
と、シュクリーファの視界に、体格のいいオークが直進してくる姿が映った。やや低下した意識レベルの中でも、警報級の気配が感じられる。
彼女が感知した脅威は、オーク魔王が放つ存在感によるものだった。しかも、オークの背後には直列状に二体の魔王が続いている。この連携攻撃は、彼らの必殺技的な戦法だった。
元世界では武闘派などという言葉とはかけ離れた実生活を送っていた彼らだが、こちらに来てからは充分な戦闘経験を積んでおり、単身でもなかなかの戦力となっている。さらに、先頭には三者の中でもっとも大柄な魔王が位置しており、後続の二者は視認しづらい。
その状態で先頭の魔王が斬撃を浴びせつつ駆け抜けると、次には新たな一体が出現し、同じ展開もう一度を凌いだとしても、三魔王に囲まれる形になる。対等の個体戦力であれば、初見で破るのはなかなかに難しいだろう。
シュクリーファの至近まで到達したオーク魔王が強烈な斬撃を放つ。彼女の得物が魔剣との邂逅に武者震いのような、畏れのような震えを発した。
受け止めて、跳ね上げるための予備動作を彼女は仕込んでいた。けれど、剣がぶつかり合った瞬間、シュクリーファは亡き親しい存在の声を聞いた気がした。
レミュールの呼びかけの意味合いを読み取る前に、白金色の髪の剣士は手首を返し、斬撃を受け流しにかかった。そして、途中で突き放すと、相手の腿に乗って飛躍する。その先には、新たな魔王がいた。
油断した相手に斬りかかるはずが、詰め寄られた状態でありながら、そのオークの魔剣は鋭く反応した。繰り出した斬撃がシュクリーファの脇腹をかすめる。
白騎士は応じず左に飛びすさった。そして、三体目のオーク魔王を視認し、闘気をみなぎらせる。
実際のところ、不休で戦闘を続け、手負い状態となっているシュクリーファは、三魔王を圧倒できる状態には程遠い。いや、完調であってもレミュールを欠いていては、正面からの対峙でも分が悪かったろう。
だが、万全を期しての連携策が破られた事実が魔王達を萎縮させていた。元々が戦闘向きの者達ではない。さらに、手負いの女騎士は鬼気迫る闘気を維持している。
それでも仕掛けてみたものの、その攻撃に必殺の勢いはなかった。やがて、三魔王の間で目配せが交わされ、揃って引いていく。
場に立ち込めていた戦機が薄れた。すごすごといった風情で立ち去る三体のオークの後ろで、シュクリーファが立ち尽くす。魔王との対峙に、彼女は残る気力の総てを投入していた。
これでどうにか、生き延びる目が現れた。そう思った刹那、彼女の緊張が途切れた。
どう、という音を耳にして、オーク魔王の一人が振り返る。そこには、倒れた女騎士の姿があった。
やがて三魔王が、うつ伏せに倒れて意識を失ったシュクリーファの顔を覗き込む。
とどめを刺すのは容易だった。けれど、彼らからそのつもりは消え失せていた。
「……待望の女騎士だが、どうする?」
オーク魔王の視線が絡み合う。
「きつい女は苦手だ」
「同感だな」
「なら、下げ渡すか」
「ああ、いいかもな。強化にもつながりそうだし」
こうして、彼女の送られる先は定まったのだった。
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