(118) 西方への視線
◆◆◇龍尾台・天帝騎士団東方鎮撫隊根拠地◇◆◆◆◆◆◆◆
天帝騎士団東方鎮撫隊の副長を務めるジオニルに、青い鎧を着用した騎士が歩み寄った。霧元原で死亡した青騎士以外にも、彼の元にはベルーズ伯領出身の者たちが幾人も従っている。
「ジオニル様、ファイム殿宛ての書状が届いているようです。不在であったため、腹心の従者に託されたとか」
「入手できるか?」
「こちらに」
差し出された紙片を受け取り、ジオニルは当然のように読み始めた。
「それだけで、魔王との通謀の証拠となりますな」
青鎧の言葉は、既にその書状の中身を把握していることを示しているが、副長に咎めるつもりはないようだった。
「協力の申し出は軍監殿に拒絶されるだろうからいいとして、対オーク魔王戦では女性騎士の参戦を極力控えるようにとは、どういう意図だ?」
「捕らえられて繁殖の道具にされないように、との話のようですが」
「今に始まった話ではあるまいに。……いや、執着の度合いが強いのか。だとすると、使えるかもしれんな」
ジオニルの頬が緩む。
「邪魔な女騎士を囮にでも使いますか。今でしたら、死なせてもカンテーム殿に責任を押しつけられそうですが」
「ま、色々な方策は考えられるな」
副長の視線が、軍監役へと向けられる。そこには、中央教会から派遣された同年代の督戦使、カンテームの姿があった。通常時は各司教区を巡って不正を糺す巡察使を務めている、怜悧そうな雰囲気を漂わす人物である。
「教区勢の武門への優越原則を実戦に持ち込むとはな。こんな時代にバカバカしい話だ」
「まったくです。僧侶が戦さの指揮を執るとは」
平常時には、教会中枢の視線が天帝騎士団に向けられる事態はまず生じない。そのため、騎士達はほぼ自由な活動ができており、教区系の職分の者が実際に指揮する展開はまず考えられなかった。
けれど、魔王の大量発生という非常時に際して、教会中央は天帝騎士団への直接指示の方向に舵を切った。その一環として、比較的戦いに通じているとみなされた巡察使のカンテームが、督戦使として派遣される流れとなった。ただし、通じているとは言っても、戦記物の書物を何冊か読破した程度となる。この地での書物は非常に読みづらいもので、興味がなければ読了は困難なのも確かではあったが。その点で、魔王タクトの生贄出身配下であるサトミは。やや特殊技能持ちに近い状態とも言えた。
天帝騎士団は教会と信者を守るために発足し、魔王討伐に一人の有力な騎士を送り込んで名を上げた経緯がある。そして、神皇国侵攻の一翼を担い、天帝教の国教化に一役買う形ともなった。
けれど、帝皇戦争後は小規模な紛争と治安維持程度に活躍の場は縮小し、教会内での権力構造における序列は下降していた。往時の騎士団長が権力欲に薄かったため、元々が政事方面への口出しを避けていたためもある。
一方で、拡大期に布教の推進力となった修道会も、教会組織が帝王国の中枢を握って世俗への影響力を強める過程で影響力を弱め、現状は教区系の一強体勢となっていた。それは、意思決定機関である枢密教団のメンバーである枢密卿の人数構成にも反映され、天帝騎士団と修道会が一人ずつであるのに対して、教区系は人口の多い町に司教区が置かれていくに従って、人数を増やしていった。
枢密卿団は互選によって教主を輩出するだけでなく、補佐する役割を持っている。権力の座への道が広がったために、教区は多くの人材を吸い寄せる形となった。
そうなれば天帝騎士団及び修道会を志す者は手薄となり、能力差が顕在化しづらく出身家の家格が大きく影響する教区方面では上を狙えない者達が、一発逆転を狙って志願する動きも見られた。一般信徒からの登用組であるファイムが五席にまで上れるところからしても、騎士団の方が実力主義傾向が強いのは間違いない。
だが、督戦使が指揮を執る形が定着してしまうと……。騎士団からの枢密卿の椅子が迂回的に教区勢に奪い取られるとすれば、上昇志向の高い者たちには由々しき事態なのだった。
隊長であるファイムが疎外される現況は、ジオニルにとってはある意味で好ましい。一方で、カンテームによって騎士たちが苦戦していた状況が打開されたとなるのはうまくない。……ジオニルにとっては、魔王討伐も、根拠地の防衛すらも政事としての意味合いが強くなっているのだった。
と、彼らのところに、話題に出ていた督戦使、カンテームが歩み寄ってきた。蛇に似た目を持つジオニルとは別の意味で冷ややかな雰囲気をまとっている。
「なにをぼやぼやしているのです。魔物の軍勢など、とっとと打ち破りなさい。斜形陣でも敷いて各個撃破すればよいでしょうに」
使えない奴らだ、との思いが表情と言葉の裏側に濃密に張り付いている。
「申し訳ございません。ご指示の通りに」
憤然と立ち去った軍監役を見送るジオニルに、腹心の青鎧から問いが投げられた。
「よろしいのですか?」
「机上の戦法でも、先遣隊くらいは潰せるだろう。調子に乗ってくれればしめたものだ」
副長の蛇眼には、冷ややかな光が宿っていた。
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年明けだから冬の真っ盛りなのだろうが、ブンターワルト周辺は雪深いというほどまでは至っていない。
北の候領都での魔王討伐騒ぎも下火となり、星降ヶ原には穏やかな空気が漂っていた。春になって農作業が始まればにぎやかになるだろうが、そういう活気ならば大歓迎である。
東の霧元原も、南部をまとめるフウカ一味と北側のデルムス伯爵家残党が共同で安定化に励んでおり、はぐれモンスターや野盗などもほぼ一掃できた状態のようだ。中年妖精魔王の旧勢力圏と、勇者ルーシャルの活動域では爪痕がくっきりと残っているが、再建するにしても春からとなる。
ブリッツが治める形となっている月見里も、野良ゴブリンの討伐騒ぎがあったくらいで、穏やかに推移しているようだ。
これまでの天民が地民を虐げてきた関係性も、特権を取り上げられるのを恐れた攻撃的な者達が逃げるように移住していったため、ほぼ解消された状態となっている。
逆に、多数派となった地民側が天民を攻撃するケースは、皆無とまでは言えないが、ほとんど見られないそうだ。そう考えると、伯爵家からの圧力と、去っていった過激な思想の者達がいなければ、そもそも地民が虐待されることはなかったのかもしれない。
周囲に目を向けるとなると、その次に出てくるのは西方の龍尾台である。天帝騎士団が向かったその地では、南部で戦い合っていたオーク三魔王が、ある時に協調するようになったそうだ。
力を蓄えたオーク魔王連合は、龍尾台を南北に分ける河川を越えて、伯爵領をほぼ制圧しつつあるらしい。そうなれば、天帝騎士団東方鎮撫隊と正面から対峙する形となる。彼らの本気が見られるのだろうか。
二旬が経過しても、俺ら魔王勢はともかく、エスフィールや勇者勢にも支援要請は届かなかった。単独で活動する気なのだろう。
自分たちの勢力圏だった土地の奪回に、魔王はもちろん、世俗勢力や勇者の力を借りるのもうまくない、との判断なのか。
内政方面をこなしつつ、龍尾台についての情報収集を進めていく。よその土地での諜報は、やはり忍群魔王コルデーが長けており、選抜した忍者を研修的に受け入れてもらいつつ、情報を購入している状態だった。購入と言っても、実際には借りとして、食事の提供などで埋め合わせる展開となる。
龍尾台で猛威を振るいつつあるオークの三魔王は、だいぶ慎重な性格だった模様で、当初は目立っていなかったそうだ。龍尾台では、他に北方に魔王がいたのだが、特に誰かが討伐したとの情報もないままに姿を消したらしい。蹂躙生活に嫌気がさしてしまったのだろうか。
初手から協調していたわけではなく、相争っていたという三魔王は、戦いの中で友情が芽生えたのか、連携を深めていったようだ。そして、あるときからは、互いに戦闘を繰り返して配下を強化していったのも間違いのないところとなる。
アユムとの合流前に、模擬戦闘をした際にも経験値はなかなかに得られたし、人類勢力との訓練でも同様だった。実際に殺し合えば、精鋭が生まれていきそうだ。さらには、そこから繁殖も実施しているならなおされだ。
また、一人の魔王が制圧した土地を、別の二人が奪っていく動きが見られるそうで、一粒で三度おいしい的な展開も実施しているっぽい。土地の獲得によるプラスはあっても、奪われてのマイナスはないか、少ないのかもしれない。
……なんか、仕様の裏をつく感じの動きをすると、システムによるしっぺ返しが来そうで怖いと思ってしまうのだが、実際には有効そうだ。すぐに取り入られるとしたら、コルデー、ツカサの配下との模擬戦を盛んにするくらいだろうか。
三魔王が、龍尾台中央域の小諸侯と一進一退の攻防を繰り広げていたのは、今となっては擬態だったものと思われる。中央域を制圧するや、北上して龍尾台の最大諸侯である伯爵領へと侵攻し、一蹴した動きから、意図的に力を溜めていた気配があるためである。
伯爵家の残党を討ち果たし、天帝騎士団を駆逐すれば……。残るは南方の小諸侯のみで、龍尾台地域の制圧は完了となる。南方が後回しにされているのは、おそらく地域内では貧しい地域なのが理由だろう。
東方の霧元原に派遣されていた天帝騎士団東方鎮撫隊主力が急に帰還したのは、オーク三魔王の北方侵攻の時期に重なる。さらには、その頃に中央域から軍監的な立場の人間がやってきたそうだ。
今回の情報の伝達は、覆面をかぶっているために魔王コルデー状態のシャルロットからの直々に行われた。同席しているのは、ジライヤ、サスケ、コカゲら忍者の主要メンバーに、アユム、ツカサと俺の魔王勢、そして生贄出身のサトミとトモカに、セルリアやセイヤ、その他幹部陣らとなっている。
三魔王も脅威だが、ハイオークと呼ばれる状態にまで育った精鋭個体も強力であるようだ。魔法個体、弓個体も揃っていて、そうなると確かにこの辺りの騎士団ではなかなか対抗しづらいだろう。
さらに、人間出身の魔王たちは、オークと姫騎士的な存在という取り合わせに、嫌な予感しかしない状態だった。ただ、この概念を説明するのはなかなかむずかしい。
「ファイムへは、女性騎士対応の話は知らせたんだよね?」
「ああ、返書があった。ただ、指揮権が奪われた状態らしい」
頷いたのは、覆面魔王のコルデーだった。
「中央からきた軍監のカンテームとやらが、純血派とはまた違う家柄至上主義の持ち主のようなのでござるよ。平民出身のファイムは、家柄の点では論外扱いで、外されているのでござろうな。さして重要でもない拠点の防備に回されているでござる」
「せめて一兵卒として前衛に投入すればいいのにな、もったいない話だ」
「それで手柄でも立てられたら、それはそれで業腹なのでござろう。間抜けな話でござるな」
「まあ、そうなると、手出しする筋合いはないか。天帝騎士団とは関係なく攻め込んでもいいんだが」
と、サスケが手を挙げて発言を求めた。
「ラーシャ公爵家には、龍尾台南方の小諸侯の何人かから救援要請が来ているらしいよ。南部が健在のうちに仕掛ければ、多少は分断できるかも」
「なるほどな。天帝騎士団がやられるのを待つのも、なんだかなあという感じではあるし。トモカ、どうだ?」
「んー、そうですね。月並みですが、引き続き様子を見定めつつ、出戦準備を整えておく形でいかがでしょうか」
「天帝騎士団が持ちこたえたら?」
「そのときは、会戦演習でも実施しましょう」
「だな。内政と兼任の人材は後回しにしつつ、急襲部隊を組織しておくか」
そうして、ブンターワルト勢の対応方針がひとまず定まった。ラーシャ公爵家、フウカとブリッツのところにも話を通しておくとしよう。