(110) 感情と理性と
伯爵令嬢のリモネアは、中年妖精魔王と勇者ルーシャルを霧元原全体の脅威として捉え、南方の諸侯に戦闘参加を呼びかけた。
檄を飛ばした本人には自由にできる軍勢はほぼなく、それがまた帝王国系のデルムス伯爵家、ユルン子爵家の不在を強く印象づける形となった。
ダンピール魔王に事実上庇護されていた形の南部諸侯にとっては、そのツカサが今回の連合に参加しているのも作用したのだろう。
また、伯爵家の当主が命を落とした影響もあったようだ。どうやら、だいぶ疎まれていたらしく、その娘が命令ではなく要請する形としたのも意味を持っていそうだ。
かくして、中年妖精魔王の混成魔物軍と、勇者ルーシャル、星降ヶ原勢プラス霧元原南部連合との三つ巴の戦いが開始されようとしていた。
中年妖精魔王の率いる軍勢には、ラーシャの誇る戦列とコカゲが率いるブンターワルト勢の主力、そして南方諸侯軍が相対する形となる。
現ラーシャ侯爵閣下(仮)が跡目争い中に、独立勢力として活動している間は、柱石家出身で戦列に思い入れを持つダーリオが指揮を取る流れに異論は出なかった。それは、柔風里への派兵に際して、柱石家出身の二将が加わっても、同様だった。
だが、侯爵家で事実上の継位が行われたために、叔父二人が抱えていた者達も自動的に傘下に入ったわけだ。柱石家のうち、サズーム家はルシミナが、ホックス家はダーリオが当主として新たに立ったが、他の二家は上の世代の当主が健在である。侯爵家の主力たる戦列も、新たに加入した年嵩組が仕切る形となったそうだ。
ダーリオは、手勢を率いて本陣の防衛にあたっている。そちらには、ボルネイア猊下や伯爵令嬢のリモネアらがいるので、重要な役割だった。
今回は、軍師役のトモカも、連絡役のモノミとともに本陣に配置している。俺が対勇者にかかりきりになる可能性があるので、そこで全体感を見てもらうためだった。
サズーム勢の方は、主力はエクシュラが率いる形でヴォイムに残り、当主たるルシミナは手練れを率いて単独行動を取っていた。なかなかの打撃力が見込める一隊となっている。
正直なところ、中年妖精魔王戦線は、負けないように進めてもらえれば問題ない。ルーシャルと決着をつけ、そちらに軍勢を振り向けたときが、反攻機となるだろう。
勇者ルーシャル対応としては、フウカとブリッツの勇者勢、天帝騎士団からのファイムとシュクリーファ。そして、アユムと俺がいて、ソフィリアも同行する手筈となっている。ヒナタとホシカゲの白黒の妖精は、ドルイドをサブ職とするソフィリアの髪の中にいた。いつの間にか、そこが定位置となっているらしい。
最初に戦端が開かれたのは、ラーシャの戦列と中年妖精魔王の軍勢だった。……正直なところ、まだその姿を見ていないので、どれだけ「小さなおじさん」なのかはわかっていないのだが。
コカゲのところに入った情報では、戦列は本来なら防御向きだろうに、打って出た気配があるらしい。領都を捨てたとの汚名を雪ごうと必死なのだろうか。水鉄砲ならぬポーション鉄砲は、ダーリオとルシミナのところには配備済みだが、戦列組からは特に要望もないため、供給していない。この機に数を減らせとまでは思わないが、反魔王運動を支援していたらしい彼らを全面的な味方と捉えるのは難しかった。
状況を周囲に伝え終え、脳内通話での主力勢への点呼を進めていると、斥候のモノミから反応があった。勇者ルーシャルの所在が知れたようだ。
「ほど近い場所に現れたようだ。向かおう」
勇者の卵二人はシャドウウルフにまたがり、アユムと俺とソフィリアは地竜のスルスミで向かう。天帝騎士団の二人は愛馬と一緒だった。
スルスミの背で、俺はソフィリアの髪の中に向けて話しかけた。
「で、勇者が身に纏っているだろう闇のオーラは、中和できるのか?」
「ある程度まで打ち消すことができるくらいよ」
「はい、その後は実力勝負になります。聖剣は、それでも油断できない存在です」
ホシカゲとヒナタが答えを返してくる。生成配下でありながら精霊である彼らは、やはり知識量が他の魔物系とはだいぶ異なっている。
「想定通り【欺瞞】で魔王認識を阻害できれば、聖剣の活性化は避けられるはずなんだが、それでもな」
「そうでしゅねえ。さすがに、うっかり自分で魔王だと明かしはしないでしょうけど、シュクリーファさんにばらされないといいでしゅねえ」
「いや、まさか、そんな」
シュクリーファとの関係性は微妙なままだが、天帝騎士団の幾人かを手にかけているらしい勇者ルーシャルを、わざと活性化させたりはしないだろう。……ぜひとも、そう願いたい。
心配の念を含んだ俺の視線を感じたのか、白騎士ファイムが馬を寄せてきた。スルスミには、まったく動じる様子はない。
「なにか心配ごとか?」
「なあ、俺はシュクリーファ嬢に殺したいほど恨まれてるかな?」
「さあなあ。まあ、しかし、根拠地の危機であるのに残留して義理を果たそうとしてるんだから、心配する必要はないんじゃないか?」
「……根拠地の危機って、隠してたんじゃなかったのか」
「なに言ってんだ。覆面魔王がとっくに探り出してるだろ」
ごもっとも。
「なあ、勇者に対して、俺が魔王だって言うなよ。絶対に言うなよ。アユムについてもだぞ」
「ほう、それが弱みなのか。いいことを聞いた」
にやけた笑みを残して、東方鎮撫隊の隊長が離れていく。まあ、ファイムについては心配ないだろう。
斥候からの情報によるルーシャルとの遭遇予想地点で下馬……、下竜、下狼を済ませ、彼らには少し離れていてもらう。誇り高そうな天帝騎士団の騎馬たちも、スルスミの仕切りに従ってくれているようだ。
そして、遭遇待ちの間に、俺はこちらも誇り高い……との表現とはややずれるかもしれない、シュクリーファ嬢との対話を試みようと決めた。
歩み寄ると、なかなかに強い視線が飛んできた。そのきつい目つきには、狂気に近い彩りが感じられる。
「今回は、残留してくれてありがとう。心強いよ」
「あなたのためじゃないわ。勇者にレミュールが……、妹分の騎士が殺されたので、その復讐をしようと思ってね。辱しめられて、惨殺されたらしいわ」
「それは、痛ましい話だな」
応じた俺に、白金色の剣士はムッとしたような表情を浮かべた。
「心にもないことを言わないで。ゴブリン魔王に虜囚にされた女たちと何が違うんだと嗤っているんでしょう?」
「いや、命を賭して戦った結果がそれでは、やりきれないと思ってるぞ。もっとも、ただ死んだのなら許容するわけでもないが」
「……わたしの対応が違うのが正しくない、とは思わないの?」
「縁遠い人がひどい目に遭ったのを穢れだと切り捨てるのも、身近な存在が同じことをされたら犯人に強く憤るのも、生の感情としてありうるのは理解できる。理性では、誰を相手にするのであれ、加害は非難されるべきで、被害者は保護、追悼されるべきだと思うけどな」
「感情と……、理性?」
そこから説明するのは難しそうだ。
「心の中から涌き出る想いと、頭で考えたあるべき姿、くらいの感じかな」
「人は、あるがままに生きるべきじゃないの? 天帝教の教義ではそう定められている」
「程度によるけど、それじゃ獣と同じじゃないか。獣を全否定するつもりはないけど、人として……、考える存在として生を受けて、他者の言いなりではあまりに悲しい気がするが」
「考えて生きろって言うの?」
「堅苦しく考えなくてもいいさ。なりたい自分を目指すだけでもいいと思う」
「でも、教義では……」
「天帝教がそうだとは言わないが、宗教の中には、一般信徒には理詰めで考えさせず、ただ教祖の言うことをそのまま受け入れろと求める場合もあるようだな。まあ、それで幸せに暮らせるのなら、悪いとは言い切れないが」
「それは、従順な獣、つまり家畜の生き方だと言いたいのね。……あなたは魔王なのに、その理性とやらを持ち合わせているの?」
「魔王でも魔物でも、人間でも亜人でも、いい奴もいれば、悪い奴もいる。どうあるべきかを考えるのもいれば、衝動のままに生きる奴もいるだろう。……できればみんなで仲良く暮らしたいもんだ」
シュクリーファ嬢は、なにやら考え込んでしまった。言い過ぎただろうか。
「それでだな。できれば、あちらの勇者、ルーシャルには俺が魔王だと明かさないでもらえると助かる。聖剣は魔王と対峙すると活性化する。そうなると、危険なんだ」
「わかったわ。それをやったら、復讐が果たせないものね」
「だな。……なあ、ルーシャルを殺さないと収まらないか? それとも、他の魔王を攻める道具としてなら許容できるか。それもまた、別の復讐の形だと思うんだが」
「その時になってみないとわからない。でも、考えてみる」
「頼むよ。……さて、お出ましかな」
「みたいね」
シュクリーファの持つ業物が抜き放たれ、周囲に威圧感が満ちた。
この人物と正面から戦うことになれば、なかなかに苦労を強いられるだろう。そう思いながら、俺は親しい者達のいるところへと戻っていった。