(105) コルデーとシャルロット
神聖教会の東方司教、ボルネイア猊下は、無事に霧元原の教会領に到着した。歓迎する者とそうでもない者とにはっきり分かれていた様子からは、彼女がこの地で辣腕を振るっていたのだろうと想像できた。
ダンピール魔王であるツカサは、レッサーヴァンパイアの配下と共に、しばらくオブザーバー的に同行する形となりそうだ。冷静でていねいな言動が特徴的だが、ソフィリアに絡まれても嫌がりもせずに対応してくれている。
トモカから発案された、森林ダンジョンの神聖教会領までの延伸についても、ツカサとしては反対する気はないようだ。神聖教会側からは強硬な反対意見も出たのだが、猊下によってあっさりとねじ伏せられた。
この地と星降ヶ原南方との間には、かつてオークが出没していた山地が横たわっており、山越えはなかなか困難である。ここまで森林ダンジョンを延伸できれば、通行が容易になり、撤退も増援も自由になる。参戦している各陣営と、ジード経由でのエスフィール卿の承諾を得て、実行に移す運びとなった。
ダンジョン増築処理は、俺自身が本拠の境界結晶前で行う必要がある。神聖教会の防衛はアユムとフウカを始めとする皆に任せて、俺は護衛役のサスケと共に地竜のスルスミに乗って本拠へと向かった。
こういう時、やはり空を飛ぶ魔物がいれば便利ではある。ハヤブサのカゼキリ、闇夜烏のヨカゼは戦闘経験を積んでいるが、進化したとしても人を乗せられる姿は想像できなかった。そしてペリュトンは、体格的にやや難しそうだ。
地竜はほぼ休みなしで数日駆け続けられる持続力を持つ。それでも小休止は取ったが、三日かけずに森林ダンジョンへと帰り着いた。
延伸処理を実施すれば、戻るのはダンジョン内を突っ切ればいいわけだ。退却路としての使用も想定されるからには、DPを使って道を作っておいた方がよいだろう。スルスミの休養も兼ねての一晩の滞在のみで、翌朝にはすぐに出立すると決まった。
出立してさほど日が経っていないだけに、サイゾウからの報告量も多くはない。一眠りしようかとしたところで、ポチルト経由で呼び出しが入った。コボルト執事は、家宰服がすっかり板について来ていた。
宿屋に顔を出すと、こちらも家宰服姿のミーニャが案内してくれる。その部屋には、相変わらず覆面姿の忍群魔王のシャルロットが、行儀よく座布団に座っていた。
「よお、こっちにいたのか。今回も出兵してくれて、ありがとな」
「こちらにも思惑があるので、問題ないでござるよ」
テーブルの上には、今日は中華風を目指した蒸し鶏などが並んでいる。と言っても、知識が家庭中華に留まっているだけに、いまいち豪華にならないでいる。中華の達人魔王がいたら、是非とも教えを請いたいところだった。
「なにか話があるのか? 食事の途中で覆面を着けさせてすまんな」
「いやいや、呼び出したのはこちらでござるしな。……ずっと覆面をしている理由は、気にならないでござるか?」
「聞いちゃいけないんだろうな、くらいに思っていたぞ」
「タクトの配下で訊ねてくる者は皆無だったでござる。連携勢力では、シュクリーファという女性騎士が興味深そうに問うてきたでござるが」
「ああ、やりそうだな。……なんかすまんな」
「タクト殿の謝ることではないのでござる。……この宿を取り仕切っているミーニャという娘は、猫人族でござるよな?」
「ああ、見ての通りだ。宿もそうだが、客対応のある商売全般を取り仕切ってくれていて、助かってるよ」
「この世界での、猫人族の立ち位置は把握しているでござるか?」
「過去の因縁で疎外されているらしいが、少なくとも魔物系は気にしてないからな。人間の客人たちも、魔王の拠点だと知っているからか、特にトラブルはないと聞いているぞ」
「先代魔王の参謀役が、猫系の魔物だったそうでござる。その縁で猫人族から魔王勢に参加した者が出たとかで、討伐後は亜人の中でもきつい扱いを受けたようでござるな」
「ほう。神皇国でもか?」
「激しかったのは、神皇国の領土の多くを呑み込んだ帝王国側でござるがな。支配された民の間での分断を狙ったのか、元々が差別的な者達なのかはわからないでござるが」
「ほほう」
話の転がる先が見えないな、と思ったところでシャルロットが覆面に手をやった。するするとほどかれると、猫耳が現れた。
「……初期魔王タイプで、猫人族を選んでいたのか」
「そうでござるよ。拙者が子どもの頃に夢中になっていたアニメに登場していた、ネコ娘忍者にちなんでの選択でござる」
ネコ娘が忍者修行をして悪の勢力と戦うどたばたコメディー「ネコくノ一たま」は、日本国内でもヒットしたものの、海外での方が受けがよかったとの話は聞いた覚えがある。こんなところにまで、影響があるとは。
「なら、覆面はそのコスプレだったのか」
「それもあるでござるが、猫人族だとわかると、特に人間勢力の対応が変わってくるので、隠していたでござる。……でも、タクトのとこでは、隠しておくのがなんだかバカバカしくなってきてしまっていたのでござるよ」
「まあ、各種亜人に、魔物も普通に暮らしているしな」
「ローレライが歌手デビューすると聞いたでござるが」
「ああ。なにか聞きたい歌があるか?」
「できれば「ネコくノ一たま」のテーマが聞きたいでござる」
「リクエストしておくよ」
シャルロットは満足そうに、蒸し鶏の一片を口に放り込んだ。
「今後は、覆面を取って暮らすのか?」
「覆面をつけた状態は魔王コルデーとして、外した状態は忍者シャルロットとして活動しようかと思うでござるが、いかがでござろうか?」
「かまわんが、【隠蔽】スキルは修得済みなのか?」
勢力レベル4のスキルで、アユムもツカサも習得できていなかったそうだ。眷属魔王であるアユムには、俺がかければ効果があるので、常時発動させている状態となっている。
「ばっちりでござる」
俺が発動していると知っているからには、自分の勢力レベルが4以上だと明かしてもかまわない心持ちになったのだろう。まあ、友好勢力の懐事情を過度に探る趣味はないが。
話は霧元原の情勢分析へと転がったので、俺も食事をここで済ませてしまうことにした。天丼を持ってきたミーニャは、客人の覆面を外した姿は初めて見たのだろうが、特に反応は見せなかった。
「で、確保ダンジョンを利用し、森林ダンジョンを霧元原まで伸ばして、退路を確保しようと思ってな」
「現状の確保ダンジョンでは、ぎりぎりでござろうに。しかも、退路は同時に敵方の侵攻路ともなりうるのに、思い切ったでござるな」
「まあ、森林ダンジョンは開放してる状態だし、城郭部分も防御力は弱いしな。第二層以降が本拠だと割り切るしかないだろう」
「魔王のツカサ殿は、信頼できそうでござるか?」
「勢力圏内でも、人類勢力への攻撃はしてないわけだし、隣接している魔王勢力を本気で攻略する気もなかったようだし、なにか思うところがあるんだろう。魔王本人の戦闘力は、かなり高かったな。……シャルロットは面識なかったのか?」
「拙者も、魔王の総てを把握し、接触しているわけではないのでござる。ゴブリン・クィーンが巣食っていたというダンジョンも把握できていなかったでござるしな」
「妖精魔王……、小さなおじさん魔王は知ってるか?」
「ごく初期に接触を試みて、配下を殺された因縁があるのでござる。初めて生成した忍者でござった」
俺にとってのコカゲのような存在だったわけか。
「討伐することになると思うが、自ら手にかけたいとかはあるか?」
「恨みに思っているわけではござらん。いきなり魔王の配下が訪れれば、警戒して攻撃するのは無理もない話でござる。こちらの失態でござった」
「そういや、うちのとこにも客っぽい感じでシャルロット配下の忍者がやってきたな」
「あの折りに誰何されて、ようやく他の魔王配下がダンジョンに入ると警告が発せられる仕様を把握したのでござる」
「なるほどな。……ところで、小さなおじさん魔王は、やっぱり元世界の年齢を反映して、中年妖精になったわけだよな。そう考えると、なんか周囲に年若い魔王が多いような気がするんだが」
目の前にいるシャルロットもそうだが、俺、アユム、タケルに、今回遭遇したツカサも十代半ばといった年齢層である。
「それは当然でござろう。大人の分別があれば、いきなりの魔王召喚に応じるはずもないでござるよ」
「俺は、手が滑ったんだがな。そのとき話していたアユムも、それで巻き込んでしまった」
「そういう事情でござったか。魔王らしくなさも、それで納得でござる。……どういう形であれ召喚に応じた中で、魔王としての役割を果たせる者は、そう多くない感触でござるよ。そして、適応できるのは、年若の者が多いとの話でござろう」
「魔王を演じられなかった者達はどうなった?」
「一部は殺されたでござろうし、身を隠している者もいるようでござるな」
俺が向けた視線を、シャルロットは正面から受け止めた。そういうことか。
「実年齢だけでなく、少年少女の心を残しているかどうかが鍵でござろうかな。……それとは別に、望んでこの世界に来た者は、よりたちが悪そうでござるが」
猫人族の魔王は、どこか遠い目をしていた。なんとなく立ち入ってはいけない気になった俺は、窓外に目をやった。上空には、星空が広がっていた。