(100) 魔道具を手に
避難民による魔王討伐要求騒ぎの裏には、反エスフィール勢力の思惑の存在が推測されている。対抗するための諸々の策は、サイゾウ、モノミを中心に進めてきていた。
ハンバーガー作戦としては、修道会側の提案を受け容れて、魔王バーガーブランドを前面に押し出しての無償配布を続けている。ハンバーガーはもちろん、スープやジュースの類も好評だった。
この件は、修道会の独自の活動である上に、天帝教信徒の避難民はむしろ魔王バーガー作戦を手伝う方向に動いたため、教区司祭の影響力はさらに低下したそうだ。
商人についても、反魔王活動を援助して焚き付けている連中が判明したので、商売敵となりそうな若手や中堅商人と手を結び、彼らの販路を奪う動きを進めている。尖鋭化させる危惧もあったが、放置よりはいいとの判断からだった。
天帝騎士団のジオニルらは、敗退の影響で動ける状況ではなくなっている。シュクリーファ嬢も意識を霧元原での戦いに向けているようだ。
問題は民衆蜂起の後ろ盾となっていそうな二つの柱石家で、現時点での排除はできるなら避けたいとの要望がエスフィール卿から入った。確かに、派兵を視野に入れている状態で、比較的兵力を温存している有力家を取り潰しにはしづらいだろう。
なんにしても、集会で要求を叫ぶまでならまだしも、蜂起が実行されれば捨ててはおけない。ジード経由でエスフィール卿と連絡を取り合い、手勢を率いて現場に急行する運びとなった。
蜂起した集団は、中央広場まで到達していた。結構な割合で得物を持っているからには、避難民の自発的行動ではないのがばればれなのだが、そのあたりは気にしていないのだろうか。彼らと睨み合っているのは、ルシミナ、ダーリオが率いる赤鎧勢だった。
民衆の先頭に立っているのは、あでやかな金髪の若者だった。線が細いがなかなか整った容姿で、旗頭になるのもなんとなく納得してしまいそうである。
と、モノミがすぐ近くに現れた。膝をついて報告しようとするのを、立ったまま近くに来るようにと強く念じる。
「あの先頭に立つ若者は、かつての領都劫略の際に見かけた顔です。青鎧を身につけて、略奪に励んでいました」
「青鎧が、撤退せずに紛れていたのか?」
「いえ、身分を疑った他の青鎧を背後から刺殺していましたし、おそらく化けていたのかと」
「ふーむ。まあ、劫略の場面で青鎧を殺すのはかまわんし、変装するのまではいいとして、略奪はいただけないな」
続いて現れたサイゾウは、劫略の際にはあでやかな金髪の若者を認識していなかったそうだ。一方で、避難民としての彼については探っていたという。
「あの人物は、領民に物資を分配して蜂起派の旗頭の位置を得たようです。それだけの資力がありながら、なぜ避難民のままでいるのが不明で、柱石家か商会とのつながりを疑っていたのですが、そういう話でしたか」
「元手は略奪した金品ってわけか。……だが、この段階で告発してもなあ」
「はい、謀略だと言い募られたら、逆に口実を与える形になりかねません」
不本意だが、ここは様子を見ておくしかあるまい。
赤鎧の手勢を率いるルシミナとダーリオは、それぞれ平静を保った状態で群衆と対峙しているようだ。斥候の報告では、他の二家の姿が見えないそうで、露骨な動きではある。一方で、侯爵家を急襲する動きもないようなので、嫌がらせ的な仕掛けなのかもしれない。
今回の件は、どこまでもラーシャ候領で起きた騒動であり、俺らが武力で介入できる筋合いのものではない。乱戦になったら制止する方向に動く構えで、どちらかと言えば治癒系の面々を中心に引き連れてきている。
推移を見守っていると、魔王バーガー作戦にも関わっていた天帝教の小柄な修道尼ヴィリスと、月影教団の護月衆の一員で長身のルードが姿を現した。彼らが連れてきたのは、豪快な笑いが似合うご婦人、ネイアだった。
彼らは赤鎧の統率役二人のところを訪れ、次いで蜂起した民衆のもとへと向かった。その頃には、ファイムが率いる天帝騎士団も到着して、俺らの隣に陣取った。
と、民衆側と話し終えたらしいネイアが、なにやら筒を二本取り出してしゃべり始めた。
「これは、声を大きくする魔道具よ。民衆を率いるクルート殿に主張を述べてもらいつつ、質問をしていくわ」
クルート? どこかで聞いた名のような気もするが、まあ、気のせいか。それにしても、メガホン的魔道具とは……。欲しいな、あれ。
やがて、あでやかな金髪の若者が、筒を手にしてしゃべり始めた。
「領都ヴォイムを蹂躙したのは、魔王が率いるゴブリンだった。容赦なく町を破壊し、住民を殺戮した。彼らは、天帝騎士団によって追い払われたが、今でもこの星降ヶ原の南部には、魔王が拠点を築いている。侯爵家を継ごうとしているエスフィール卿は、その魔王を討伐することなく見過ごし、あまつさえ連携しようと画策している。そう、魔王と手を組もうとしているのだ」
なかなか滑らかな語り口で、よく通る声をしている。声量増大の魔道具なしでも、広場内ならば届いたかもしれない。
そう考えている間にも、クルートというその人物は、魔王討伐をけしかけるていで、エスフィール卿の弾劾を続けていた。やや飛躍気味なところはあるが、完全な破綻には至っていない。ヴォイムを蹂躙した今は亡きタケルと、南部にいる俺とは別人ならぬ別魔王だが、そこは故意に混同するように狙っているのだろう。ただ聞いているだけなら、もっともだと思う人が多そうだ。
満足したのか、彼はやがて口を閉ざした。続いて、ネイアが進み出る。
「では、質問に入りましょう。……この筒を捻って延ばすと、さらに声が聞き取りやすくなるわよ」
そう前置きして、自ら伸ばしてみせる。あでやかな金髪の若者も、それに倣った。
と、人をかき分けるように、白鎧に身を包んだファイムがやってきた。
「おい、ありゃあ、あんたの仕掛けか?」
「ん? ネイア殿の動きか? 俺は別に噛んでいないが」
「そうなのか。まったく、ものの見事に人を騙すなあ、あのおばさまは」
そのまま隣に立ったファイムは、物見遊山のような雰囲気を醸し出している。
「知り合いかい?」
「ああ、元気なご婦人さ。無事だったとはな」
「ヴォイム劫略時に、神聖教会と月影教団の合同避難を裏で仕切ってたらしい。月影教団の地下聖堂に潜伏したとか」
「それはまた、ひどい禁じ手を。まったく、やんちゃさ加減にもほどがある」
周囲に視線を巡らせたネイアが、ゆったりとした表情で問いを投げつけた。
「ねえ、クルート。あなたは、ヴォイムがゴブリンとベルーズ伯爵勢に蹂躙されてた時、青鎧を着て略奪してたわよね?」
「そんなことはしていない。でたらめだ」
クルートの持つ筒の持ち手付近が、なにやら赤く妖しく光っている。だが、本人に気づいた様子はなかった。
「あたしゃ、あのときヴォイムにいて逃げ遅れた人たちを匿うのを手伝っていた。略奪していないなら、あんたは領都で何をしていたんだい?」
「巻き込まれて、逃げていたんだ」
また、筒の下方が赤く光る。その後も、ご婦人のねちっこい質問は続き、クルートの声がやがて焦れだした。
「邪推ばかりぶつけて来やがって、何様のつもりだ。下賤な存在が気安く話しかけるんじゃない」
「あんたは、地位が高いってのかい? 略奪者が偉そうに」
「ふざけるな。お前なんかを相手にしているほど暇じゃない。エスフィール、出てこいっ」
「あら、エスフィール様を呼び捨てなんて、不躾ね。……もしかして、自己紹介がまだだった? 私の名はボルネイア・ルヘッツ。この潜龍河流域を任地とする、神聖教会の東方司教を務めているわ」
マジか……。そうならば、平然と人を使っていたのも頷けるが、なぜ教会内で顔が知られていないんだ?
同感だったのか、愕然とした表情のクルートが呟いた。
「うそだ」
「本当さね。ねえ、ファイムの坊や」
いきなり話を振られた天帝騎士団東方鎮撫隊の長が、苦笑しつつ応じる。
「坊やはやめてください。消息を絶ったと聞いていましたが、お元気そうでなによりです。東方司教猊下」
この場での神聖教会の権威と言えば、ファイムが随一である。その彼が恭しく騎士礼をしたことで、ネイア……、いや、ボルネイア東方司教の身元は確認された形となった。
「さて、もう少し質問に付き合ってもらうとしようか。あんたは避難民に物資を与えていたそうだが、その元手はどうしたんだい?」
「貴族だった両親の遺産だ」
引き続き、クルートが握る筒の下方が赤く光った。そして、あの輝きの感じには見覚えがある。どうやら、単なる音声増幅の魔道具ではないようだ。
「あんたは、ユファラ村の農夫の息子だろう? 資金源は、虐殺で得た物品なんじゃないのかい?」
「略奪なんかしていない」
筒の下方が再び赤く妖しく光る。
「その筒の持ち手には、尋問石が仕込んであるって話はしたっけ? もう一度聞こうか。略奪はしたのかい?」
あでやかな金髪の民衆指導者は、愕然とした様子で筒の持ち手を見つめ、勢いよく投げ捨てた。
「聖職者が人を騙すなんて、間違っている」
予測通りに、よく通る声は魔道具なしでも広場に響き渡った。
「聖典には悪魔に対峙する際には、知恵を働かせるようにとの教えがあってね。それに従わせてもらったよ。……あんたは死者から剥ぎ取った青鎧を使って、ベルーズ伯爵の家臣になりすましてヴォイムでの略奪に参加し、また住民を殺戮した。それで合ってるかい? 違うなら、その筒を通してそう言ってご覧よ」
呼びかけは、勝ち誇った風でもなく淡々とした風情で行われた。
そして、蜂起の指導者は膝をついて倒れた。付き従っていた者達は、まるで憑き物が落ちたかのように、ひどく困惑した様子を見せていた。そして、軍勢に囲まれているのをようやく認識したのか、ほとんどの者が得物を地に打ち捨てた。
あの武具、もらえないかなと思ってしまったのは、我ながらさもしい精神作用と言えるだろう。実際問題、白日の下で魔王勢が隙を逃さず武装強化をする姿を見せるのは、うまいやり方ではないだろう。
やや怯えたような雰囲気に包まれた人々は、東方司教の勧めに応じてやがて散っていった。
こうして、我らがブンターワルト勢の討伐を声高に主張していた勢力は、ひとまず表舞台から姿を消した。
ただ、柱石家は温存されているし、彼らが使っていたと思われる諜者も野放し状態である。そちらの手当ては、別途進める必要がありそうだった。