(10) 「相手は魔王なんだもの」
◆◆◇ユファラ村・孤児院◇◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
孤児院に戻った真紅の髪の少女は、ひとつ下の弟分的存在であるアクラットに、魔王とのやり取りについての詳細な聴取を受けて閉口してしまっていた。
くりっとした目が特徴的な少年は、フウカが知らない売買の詳細まで把握しているようで、各商品についてのタクトの思惑や妥結した価格への反応まで問われても、彼女には答えようがない。興味を持つと夢中になるこの人物の気質を、通常のフウカは好ましく思っているのだが、直接攻勢を仕掛けられるとげんなりしてしまうのだった。
行商人が村娘に産ませたという出自のアクラットは、特に外界の情報に目がなく、今回も情報収集に余念がない。もっとも、フウカともうひとり、六歳年上のトルシュール以外を相手にする際には、理性的な情報収集に徹しているので、気の合う姉的存在にじゃれついている側面もあるのかもしれない。
フウカは弟分の質問をいなしながら、奥の部屋へと向かう。そこには彼女にとって弟妹的存在である小さな孤児達が過ごす部屋がある。
このユファラ村では、親を亡くした子が近所の家族に引き取られる場合も多い。それだけに、この孤児院に入るのは訳ありの子が多く、必ずしもいい環境とは言えなかった。食事が充分ではないのでなおさらである。
そんな中で、サトミが差し入れた物資は貴重だった。食材のうち、すぐに食べられるものを年少の子に与えると、にぎやかな笑声が生じた。
のどかな時間が過ぎる中で、扉がノックされた。現れたのは孤児院出身者で、現在は村の農家の婿となっているトルシュールである。優しげな面立ちには、心配げな表情が浮かんでいた。
「ファスリーム、また魔王が現れたと聞いたけど、無事だったかい?」
「うん。オークは、タクトの手下じゃないって」
「どうして、魔王の手下じゃないとわかるんだ」
「タクトがそう言っていたから」
フウカにとっては実際のところ、それが総てである。彼女とアクラットにとって保護者に近い存在だったトルシュールが孤児院を離れ、既に幾年かが経過している。孤児院の外で最も懐いていたメルイルファ改めサトミが、生贄として送り込まれた経緯がありながら親しくしている魔王は、彼女にとって信頼すべき存在となっていた。
トルシュールは、その感覚が理解できずに呆然としている。けれど、翠眼の少女は認識のずれの存在に気づいていなかった。
「それと、サトミがいろいろと差し入れてくれたの。いつももらってばっかりだから、蜂蜜とジャムをお裾分けするね」
「いや、それは小さな子たちにたくさん食べさせてあげてくれ。……サトミというのは、メルイルファのことなのか?」
「うん、そうよ。タクトがつけてくれた名前なの。私は、フウカ。タクトの故郷の言葉で、風が香る、という意味なんだって」
「村でつけられた名前を捨てるのかい?」
「棒を振るのを日課にしているのは確かだけど、名前にされていい気持ちにはなれなかったもの」
フウカのその言葉に、弟分的存在の少年が吹き出す。
「違いない。僕のアクラット……、旅人の息子って意味の名前は個人的には嫌いじゃないけど、強い悪意は感じるもんな」
年少の二人の言葉に、トルシュールが絶句する。気弱ながらも人柄のよいこの農夫にとって、孤児院時代にも村人からの風当たりはそれほど強いものではなかった。対して、さまざまな意味で村の住人として規格外の彼らにとって、このユファラ村は温かな場所ではないのだった。
農作業の手伝いへの積極性の差も影響して、実際のところ孤児院の孤立度はトルシュールがいた頃よりも高まっている。
「だが……、魔王に近づくのは危険じゃないかな」
「そうかな? 幼い子たちのご飯も増えてきてるし、いいことだと思うんだけど」
「差し入れは、頻繁なのかい?」
「それほどじゃないけど、手に入ったものを食べ尽くさない日も出てきているの」
差し入れ以外では採集に頼るしかない状況のため、孤児院の食生活を安定させるのは難しい。けれど、蜂蜜やジャムに干し肉などが入手できれば、だいぶ充実してくるのだった。
「しつこいようだけど、危険じゃないかな。まさかとは思うけど、毒とか……」
毒というやや強い単語に反応したのはアクラットだった。
「でも、村の酒場で魔王から買ったものを出してるんだろう? トルシュールの家にも、塩くらいは行ってるんじゃないか」
「そういえば……」
思い当たるところがあったのだろう。若い農夫の細い目が、考え込むように閉じられた。
「心配してくれてるのよね、ありがとう。でも、魔王としてこの村を蹂躙するつもりなら、こんな回りくどいことはしないと思うの」
「わかった。……また来るよ」
思考を続けているようだが、トルシュールは長居をせず帰っていった。主力作物である小麦、大麦の収穫は済んでも、農作業はいくらでもある。
がっしりとした造りの玄関から年長の親しい存在を見送ったアクラットはつぶやいた。
「ありゃあ、納得してないな」
「仕方ないよ、なにしろ相手は魔王なんだもの」
姉貴分の軽い口調に、少年は苦笑を浮かべた。
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その日の晩、俺は食堂に主だったメンバーを集めて相談を持ちかけた。着座した皆を見回して、口を開く。
「ユファラ村の東方にオークが出没しているそうだ。その件の対応……、具体的には討伐実施の是非について意見を聞きたい」
数秒の沈黙の後、口を開いたのはセルリアだった。
「討伐なさりたいのですか。理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「俺という魔王が近くにいる状態でオークが村を襲えば、仲間だと誤解される懸念がある。そうなれば、関係性が一気に壊れるだろう」
尖り耳の質問者は頷いて沈黙した。次いで、口を開いたのはクラフトだった。一つ目を瞬きさせて、俺を見つめてくる。
「タクト様は魔王なのじゃ。思う通りに命令されるべきじゃろうて」
その声は淡々としていて、意図が読み取りづらい。
「最後に責任を持って決めるのは、俺の役目だ。だが、決定するにあたっては、皆の考えを聞きたいんだ。……俺は、鍛冶仕事にくわしくないが、その状態でどういうやり方で何を作るか決めたところで、いいものができるとは思えない。状況を把握し、皆の持つ情報を聞いた上で、決定したいと考えている」
そこまででいったん言葉を切り、出席者を見回してから言葉を続ける。
「また、そうする過程で意図を皆が理解してくれれば、認識のズレも少なくできるだろう。……意見があれば、聞かせて欲しい」
ちらりとコカゲを見ると、彼女は口を開いた。
「オークやゴブリンは邪悪な存在です。主さまが配下にされるのなら別ですが、そうでなければ退治するのに抵抗はありません。まして、村人に恩を売れるのでしたら」
彼女の口調に苦渋の色合いは感じ取れない。本心からの言葉なのだろう。
「同意です」
「ああ、オーク共など、殲滅するがよいじゃろう」
セルリアとクラフトの言動からも、オークという存在への親近感は見当たらず、討伐には賛成のようだった。
サトミからは、書物で収集したオークの特性の伝達があった。ゴブリンと共に世が乱れたときに現れる存在とされ、雑食な上に殖え方が激しく、対応を誤ると大きな災いになるという。オーク同士でも殖えるが、異種族の女性をさらって、子を産ませる場合も多いそうだ。難民の集団や村が丸ごと襲われれば、餌として、また繁殖の道具として、凄惨な状態になるという。
オークやらゴブリンやらって存在は、著名なだけに元世界でも登場する作品によって描かれ方の振れ方が激しかったが、やっぱりそっちの方か……。さらには、異種交配では上位種が生まれやすいらしいとなると、それはもう放置するわけにはいかない。
「わかった。それでは、オーク達には悪いがXPの獲得もしたいし、積極的に討伐するとしよう。そのやり方については、コカゲとセルリアを中心に相談させてくれ。……今後も、自分で判断して動いてもらう場面が増えていくだろう。そのためにも、どうしたいか、どうすべきかを考えるようにしてほしい」
求め過ぎだろうかと危惧しながらも、俺は心からの要望を告げていた。