(1) 「魔王オンライン」
画面の中で、魔王が率いる軍勢が領主の城を攻め落とした。主力が遠征に出て手薄になっていたにしても、あっけない陥落だった。
「魔王オンライン」というこのゲームで、俺、柴田 拓斗は魔王を操り人間世界を圧迫している。悪虐な振る舞いを楽しむゲームなんだろうが、正直なところ趣味に合わない。グラフィックや音楽は上質なのだから、せめてもう少しだけでも戦略性があれば……。
そんなことを考えながら、別画面に視線を走らせる。そちらでは並行してプレイ中の架空世界での建国ゲームで、侵攻してきた蛮族の撃退に成功したところだった。
「タクト、例の城を落としたんだね。これで、今週の上納ポイントのノルマはクリアかな?」
ヘッドセットから流れる涼やかな声は、幼馴染のアユム……、明智 歩のものだった。
「ああ。このくらいまでで満足してくれればいいんだがな」
「うーん、でも、踏み台プレイもこれだけ長くなると、さすがに飽きてくるね」
画面に映る歩の勢力圏には、人類の軍勢が攻め込んでいる。どうやら勇者は含まれていないようで、防衛を得意とする歩の敵ではなさそうだ。
「そちらも順調みたいじゃないか」
「まあ、この程度なら。……実際のところは作業ゲーだよね」
「勇者でもいなきゃ、張り合いがないか」
「低レベル勇者じゃ、ボクの相手にはならないって。まったく、タケルの奴も何が楽しいんだか」
やるせなさを孕んだ吐息が耳元に届くと、歩の形の良い唇が脳裏に浮かんだ。窓に視線をやると、夜風と一緒に月明かりが入ってきていた。狭苦しい部屋の中に、どこか幻想的な色彩がたゆたう。
歩と俺がこの「魔王オンライン」をプレイしているのは、人間関係の上でのやむを得ない選択だった。高校二年の俺達は、どちらもいろいろな意味で弱みを抱えている。そのため、強い立場にいるタケル……、木下 武尊のご機嫌を損ねないために、奴のお気に入りのこの「魔王オンライン」で踏み台的にゲーム内ポイントを上納するのを日課としていた。
上納しつつも、本気でやればタケルよりもゲーム内ランキングで上に行けるかもしれない。奴はおそらく、勢力拡張よりも蹂躙と付随するご褒美とを優先していそうだし。
けれど、タケルより上位になったとしても、なんの得もない。奴が暴れ出さない程度のポイントを献上できれば、それでいいのだ。そう考えると、惰性でできるのはこのゲームのいいところである。
俺が調べ物をしつつ、さらに別のゲームをしながらやっているのと同様に、歩は読書なり勉強なりとの並行プレイのはずだった。そして、気が向けば雑談ができるこの状態は、意外と居心地がよい。
画面内では、歩のダンジョンに攻め込んだ人類側の侵攻軍が順調に数を減らし、俺が陥落させた城の周囲では配下が残敵の掃討に励んでいる。このあたりをシステムに任せられるのも、助かるところである。残敵掃討を完了すれば、勢力圏に収めた町や集落の処遇選択画面が表示される。虐殺、蹂躙、支配、放置とあり、それぞれで今後の展開が変わってくる。俺はいつも通りに「すべて支配」を押下した。
エルフ、ドワーフといった亜人も含めた人類陣営は、システムによって操られているために動きに予想がつきやすい。警戒すべきは、他のプレイヤーの分身である魔王達の動向だった。
このゲームでは、プレイヤー同士では不干渉というのが基本スタイルなっている。行動ポイントの獲得対象となるのは人類陣営の攻略のみで、他の魔王を削っても実益がないためである。例外となるのは、連係して人類陣営の国を攻める際か、獲物を争ってぶつかる場合が多い。
マップは固定されているわけではなく、定期的に再配置が行われる。さらに、ゲームの基軸となる攻略モード以外にダンジョン構築モードもあり、そちらではソロプレイで人類からの攻略隊を迎え撃つ形となる。
攻略モードでの再配置の際には、ざっくりとしたレベルごとに希望を出す形となるのだが、歩と俺のようにつるんでいるケースは稀なようで、周囲の魔王はほぼ総入れ替えとなる。
攻略期間が始まると、プレイヤーのうち蹂躙派と呼ばれる者達は、ゴブリンやオークといった低コストモンスターを動員して、人類陣営を壊滅させつつマップを切り裂いていく。一方の支配派と呼ばれるプレイヤーたちは、周囲の勢力圏をじっくりと固めるわけだ。
棲み分けができれば問題ないのだが、プレイの邪魔になる場合には歩と共謀の上、蹂躙派魔王の拠点を攻略して始末させてもらうことも幾度かあった。
退場した魔王は、次の再配置までは攻略モードが封じられ、ダンジョン構築、防衛方面での限定されたプレイしかできない状態に陥るそうだ。となれば、プレイヤーキルを仕掛けてきた俺達は恨まれている可能性がある。始末した魔王の名前などいちいち覚えてはいないが、プレイヤー名は変えられる。まったくの初顔合わせと思える魔王が、こちらに強い復讐心を抱いている可能性もあるのだった。
そういった事情も踏まえて、念入りに新旧の拠点周辺の索敵コマンドを実行する。二秒後にいい声のシステムボイスが敵の存在が見当たらない旨を伝えてくれたので、俺は別画面の建国ゲームの方に意識を集中させた。
と、ヘッドセットが、かすかな吐息の音を耳朶に伝えてきた。またなにか、考え込んでいるんだろうか。
「あと二年……」
やがて聞こえてきたそのささやきは、どうやら俺に向けたものではないようだ。考えごとが漏れ出てしまったのかもしれない。
二年後の春に、歩と俺は高校を卒業する予定だ。その先をどうするか。この町を出るのか、それとも残るのか、迷っているのだろう。肉親がいない俺とでは、条件が違いすぎる。焦らせるべきではないように思えた。
しばらく間を置いて、俺は問いを投げてみた。
「どうした、AA。なんかあったか?」
「……次にAAと呼んだら、飛んでいって張り倒すからね。そして、シバタクって呼んでやるから」
怖い、怖い。AAというのは、単に歩のイニシャルなのだが、本人的にはよくないイメージを抱いているようで、そう呼ぶと報復として、俺に往年のアイドルっぽいあだ名をつけようとしてくるのだった。
しばらく流れた心地よい沈黙は、歩の声で破られた。
「ねえ、画面見てる?」
視線を「魔王オンライン」のゲーム画面に向けると、なにやらメッセージが開いていた。
「何だこりゃ。転生イベント? ……ゲーム内の別世界への召喚の招待ってことか。運営がマンネリ打破のために期間限定ゲームでも立ち上げるのか?」
「そうだったら、タケルは絶対やりたがるだろうねえ」
「だろうなあ。一からだとすると、また時間が取られるな。……お、御大からメッセージだ」
文面は「やるよな?」の一言だった。こうなっては、俺らに選択肢は事実上存在しない。
「しょうがないなあ」
カーソルを、承諾ボタンへと滑らせる。
「……タクト、ちょっと待って。なんかこれ、嫌な予感がしてきた。スクロールさせると、一方通行とか今の人生から逃れてとか書いてあるし」
「え?」
いつにない真剣な声音にびっくりした拍子に、思わず承諾ボタンを押下してしまう。
「……押しちゃった?」
「ああ」
次の瞬間、俺の視界からゲーム画面だけでなく、その他の総ても消え去っていた。