第5話 便利な返事
翌日の犬飼さんはなんだか様子がおかしかった。
朝、俺と一緒に登校しているときも、今古賀さんたちといるときも、いつもどおりよくしゃべりよく笑うのだが、ときおりスイッチでも切れたみたいに真顔になり、黙りこむ。なにか気がかりでもあるみたいに。
それは下校中も同じだった。横を歩く犬飼さんは自分の足元に視線を落として歩いている。
「差し出がましいようで申し訳ないんだけど……」
俺が言うと、犬飼さんはぷっと失笑した。
「なにそのおじいちゃんみたいな言い回し」
「もしかして体調悪い?」
「体調? あ~、そうだね」
と、お腹のあたりに手をやった。
女の子。体調不良。お腹。
――……あ。
もしかして俺はやってしまったかもしれない。
「ご、ごめ……!」
犬飼さんはにやにやとする。
「いいけど。桝谷にはあれがないね。デリカシー」
「ほんとすまん……」
痛恨の極みにうなだれていると、彼女は突然笑いはじめた。
「え、ど、どうした」
「なーんて、嘘~」
「……はい?」
「だから、生理じゃないって言ってるの」
「あ、そ、そうか」
「赤くなっちゃって。純情~」
からかわれただけだったらしい。恥ずかしい思いはしたが、ひとまずそれはいい。
「じゃあ体調は悪くないってことか?」
「え? うん」
「なら、よかった」
すると、今度は犬飼さんがうつむいてしまった。
「ごめん……」
「なにが?」
「心配してくれたのに」
「心配というか……」
気になったというか。いや、気になったってことは気に掛けているってことで、心配してたのだろうか。自分でもよく分からない。
犬飼さんはしばしの無言のあと、口を開いた。
「ウザかったかなって」
「ウザかった?」
「LINE」
昨日のマシンガンみたいな着信のことを言っているらしい。
「なんか、桝谷ってあんまりLINE好きじゃないのかなって」
「どうして」
「だって、あんまり返事がなかったし。だから」
ちょっと口をとがらせて、ぼそぼそと言う。
――え、待って、ということは。
俺の返信が少なかったからヘコんでたってこと?
――可愛っ……!
いつも自信たっぷりな犬飼さんの意外な打ち明け話に胸がきゅっと苦しくなる。彼女に対してこんな感情を持つ日がこようとは思いもしなかった。
「なに笑ってるの?」
むっとした顔で抗議する犬飼さん。
「い、いや。違うんだ。勘違いしてる」
「なにを」
「俺はLINEが嫌いなわけじゃない」
「じゃあなに?」
「苦手なんだ」
「……同じじゃない?」
「全然違う!」
思わず大声が出た。びくっとする犬飼さん。
「むしろLINEをやりたい。憧れてすらいる。でも、できないんだ……」
「なんで? 書きたいことを書けばいいだけじゃん」
「簡単に言ってくれる……!」
ドスの利いた声になってしまった。
「めっちゃキレられたんですけど」
「書くことがどれだけ難しいか……! 相手を不快にさせないよう、書いては消し、書いては消し……。そうしているあいだに時間は刻一刻と過ぎ、待たせてはいけないと焦ってけっきょく相づちを打つことしかできない……!」
犬飼さんはぽかんとした顔で俺の訴えを聞いていた。
「え、じゃあ、あんまり返事をしなかったのは、面倒くさかったからじゃなくて――」
「悩んでたんだよ……」
犬飼さんの顔がひくひくと痙攣したかと思うと、ぷっと吹きだし、けらけらと大笑いしはじめた。
「そんなに笑うことないだろ……」
「ちがっ……、違くて……! 安心したらなんか笑えてきて」
胸に手を当て、「はー」と大きく息を吐く。
「慎重だとは思ってたけど、そこまでとは考えなかったなあ。――そうだ」
なにかを思いついたように顔を明るくし、犬飼さんはスマホを操作しはじめた。
俺のスマホが着信音を鳴らす。多分、彼女からのメッセージだろう。
「……なに?」
「いいから見てみて」
怪訝に思いながらメッセージを開くと、そこには、
『プレゼントが届きました』
の文字。『受け取る』のボタンをタップし、ダウンロードする。
「これ……」
猫のスタンプだった。ジト目の猫が『ニャー』と鳴いているだけのスタンプ。正面を向いて、横を向いて、あるいは振りかえりざまだったり逆立ちをした状態で『ニャー』と鳴いている。
犬飼さんは微笑んだ。
「文章を書くのが苦手ならスタンプを送ればいいんだよ」
「でもこれ『ニャー』としか言ってないんだけど……」
「だからいいんじゃん。イエスでもノーでもなくて『ニャー』。返事に困ったらとりあえずニャーって返すの」
「でもそれじゃあなにも伝わらないだろ」
「桝谷はどっちにしろなにも伝えられてないじゃん」
「ぐっ……」
痛いところを突かれた。
「返事に困ったらニャーって返してよ。わたしはそれでも嬉しいから」
「……」
犬飼さんはスマホの画面に指を滑らせる。すると俺のスマホにメッセージが来た。
『わかった?』
俺はちょっと考えてからニャーのスタンプを返した。
「そうそう、そうやって使うの」
と、歯を見せて笑う。
俺はつづけてメッセージを送る。
『ありがとう』
すると犬飼さんはちょっとびっくりしたみたいな顔をした。
「なんだ、ふつうに送れるじゃん」
「これくらいは、まあ」
この返事はするりと書けた。こんな感じで、犬飼さんとスムーズなやりとりができるようになれたらなと思う。
そうこうしているうちにマンションの玄関前に着いた。
「じゃあ、またLINEするから」
「ああ」
犬飼さんは手を振り、玄関のほうへ駆けていく。
そのときである。
身体が揺れるほどの突風が吹いた。
犬飼さんの短いスカートが盛大にめくれあがる。
――っ!?
彼女は両手でお尻を押さえた。そしてゆっくりと振りかえる。その目は、さっきもらったスタンプの猫みたいなジト目だった。ひとつ違うのは、頬が赤く染まっていること。
「……見た?」
俺は答える。
「ニャー」
「桝谷!」
犬飼さんが鞄を振りあげる。俺は回れ右して逃げだした。
全速力で走りながら俺は思った。
昨日、走りこんでおいてよかった、と。