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第1話 小物な俺と大物な彼女

 俺の目の前に髪の長い少女が立っている。


 場所はプールの水のなか。お互い制服で、当然ふたりともずぶ濡れだ。


 夕日の逆光と、濡れた髪が顔に張りついているせいで少女の顔はうかがい知れない。


 ――まさか……。


 俺はつばを飲みこんだ。


 ――『夕暮れの幽霊』……!


 恋に破れ、プールで命を絶った女生徒の亡霊。彼女は生者を水底に引きずりこむという。


 ――俺、誘われたのか……?


 恐怖で身体が動かない。


 夕暮れの幽霊は髪をかきあげ、笑い声をあげた。


 ――どうしてこんなことに……。


 頭のなかに、こんな状況に陥るまでの経緯が走馬灯のように駆け巡った。







「桝谷、一緒に食おうぜ」


 昼休み、学食に赴くと、クラスメイトの岡田に声をかけられた。彼と仲のよい友人三人もいる。


「あ、うん。日替わり定食でいい?」

「今日はカレーにするかな」

「じゃあ俺は天ぷらそば」

「俺らは日替わりでいいわ。な?」

「うん」

「了解」


 俺は券売機へ向かった。昼食時の学食は混む。ひとりひとり購入していたのでは時間がかかるから、俺がまとめて清算して、あとでみんなから金を受けとるのだ。いわばクレジットカードのようなものである。


「桝谷はほんとマメだよな」


 食券を受けとった岡田が感心したように言った。彼の友人たちも頷く。


「いやあ、ははっ」


 これくらい当然だ。彼らのような陽キャに誘ってもらえるのだから。


 自分で言うのもなんだが、俺はコミュニケーション能力が高くない。ともすればぼっちになりそうなものだが、うちのクラスはもとより、学校全体の雰囲気が和気あいあいとしていて、俺みたいな奴でもハブられることがない。


 ――いいところに来れたなあ……。


 ここなら俺でも高校生らしい青春が送れるのではないかと希望を持たせてくれる。


 席につき、昼食をとりはじめる。


「そう言えば、また出たんだって」

「なにがよ」


 岡田の言葉に、彼の隣に座っていた山澤が尋ねた。


「幽霊だよ、幽霊」

「何年か前、部活の先輩にひどい振られ方をしてプールで自殺したっていうやつ?」

「それ。夕暮れ時、びしょ濡れの女生徒が先輩を探してさまよってるって。で、『先輩は……?』って聞かれたら絶対に『もう帰った』って答えなきゃいけない。べつの返事をすると――」

「すると?」

「プールに引きずりこまれて、翌日、溺死体で見つかることになる!」

「その娘、可愛いかな?」

「見境ないのかっ」


 笑いが起きた。俺はちょっと遅れて「ははは」と小さな笑い声をたてた。


 それ以降も岡田たちの話題が尽きることはなかった。部活がどうの、前に遊びに行ったところがどうの、YouTubeの動画どうのと話しているのを、俺はにこにこと笑いながら聞いている。昼食に誘ってもらえたからといっていつも彼らとつるんでいるわけではないから、話に入っていけず、愛想笑いをするしかない。


 笑顔の下で、俺は焦りに焦っていた。


 ――駄目だ、こんなことでは……!


 ここで頑張って会話に入りこみ仲を深めていくことこそが、正しい青春を送るための第一歩だ。


「この前ゲーセン行ったんだけどさ、こいつ『小銭がないから』とか言って俺の金で遊び倒して、いまだに返さねえの」

「財布に小銭が貯まるのが嫌なんだよ。千円になったら(さつ)で返すから」

「俺はクレジットカードかよ」


 笑いが起きる。


 ――ここだ!


「お、俺も!」

「ん? どうした桝谷」

「岡田に百五十円返してもらってない」

「そうだっけ?」

「五月二十五日、三百五十円のカレーを食べたときに『また頼むかもしれないから』って多めの五百円を渡された。で、六月三日に四百五十円の日替わりランチを食べたときにも多めの五百円。で、今日、六月十日、カレーを食べて、『いままで多めに渡した分で足りるだろ』って言ってたけど足りてない。それが百五十円」

「お、おう。悪い」

「それから山澤が三十円」

「え、俺?」


 山澤が目を丸くした。


「六月三日にかけそばを頼んだだろ?」

「そ、そうだっけ……?」

「でもそのとき頼んだのは、実際は三百三十円の天ぷらそばだったんだ。でもかけそばの代金三百円分しかもらってない」

「す、すまん」

「それから――」


 さらに話をつづけようとしたのだが、みんなが水を打ったように静かになっているのに気づいた。


 岡田が苦笑して言う。


「ええと……。――桝谷、ほんとマメだな」

「っ!」


 マメ。昼食前に口にしたのと同じ言葉のはずなのに、ニュアンスが明らかに違う。しかも悪い意味で。


 山澤がうんうんと頷いた。


「まあ、お金は大事だからな」

「そ、そうそう」


 などとフォローするようなことを言うが、その気遣いがかえって俺の心をざくざくと傷つける。


「あ、あ……」


 ――あああああああ!!


 青春の一歩目で捻挫した。


「べ、べつに催促してるわけじゃないから! いつでもいいから!」


 いたたまれなくなり、日替わり定食をかき込むと、


「用事を思いだした!」


 そう言い残し、学食から逃げだした。


 正しい青春を送るには溢れるエネルギーが必要だ。なのに俺は――。


 教室にもどり、席に座った。机の物入れからペンケースをとりだして開く。シャープペン、ボールペン、消しゴム、シャープペンの替え芯が入っている。


 各二セットずつだ。紛失したときに備えて予備を用意している。本当なら誰かに貸して借りパクされたとき用にシャープペンとボールペンはもう一本ずつ入れておきたいのだが、ペンケースがぱんぱんになるのであきらめた。


 ――だから駄目なんだ俺は……。


 青春の本質は、金勘定や予備の文房具には存在しないのだ。


 自分でもよく分かっている。でも――。


 ――気になっちゃうんだからしょうがないだろうが……!


 細かい、慎重、神経質。一言で言えば『小物』。つまらない、些細なことにせっかくのエネルギーを浪費しているから、青春にまでエネルギーが回らないのだ。


「はぁ……」


 俺は小さくため息をついた。


 岡田や山澤みたいに、明るく朗らかで、細かいことは気にしない、そういうものに俺はなりたい。


「先輩振ったん!?」


 ほとんど悲鳴みたいな声が聞こえて教卓のほうに目をやった。


 数名の女子たちがきゃっきゃと騒いでいる。明るい髪色、空港の金属探知機に引っかかりそうなアクセサリーの数々、手首に巻かれっぱなしでアイデンティティーを失っているシュシュ。


 一目でやんちゃと分かる集団だ。


「振ったっていうか、無理って言っただけ」


 犬飼さんが悪びれもしない口調で答えた。


 アッシュグレーのロングヘア、すらりとしたスタイル。複数刺さっているピアス、てかてかした爪はいかにも派手だが、不思議と嫌味にはなっていない。


「振ったんじゃん! 王子だよ、王子」


 そう食いさがったのは、犬飼さんとよく話している今古賀(いまこが)さんだ。


「なにそれ」

「知らないの? 二年の浅見(あざみ)先輩って言ったらバスケ部のエースで背も高くて頭もよくて、童顔で優しくて、でも意外と筋肉があって、あとちょっぴりドジなところがあって、でもそれが可愛くて、あと、あと――」

「落ち着けー」

「とにかく! ついたあだ名が『王子』なの! それを振るなんて……」


 彼女は犬飼さんの肩をつかんで揺さぶった。


「どこが! 無理だと!」

「いやー、なんかさ、あのひと、『犬飼さんに好かれる僕になりたい』とか言ってきてさ」

「可愛いじゃん!」

「ええ、そう? なんかイラッとして、『自分ないんですか?』って言っちゃった」

「きっつ!」

「そしたら『じゃあ犬飼さんを振り向かせられるように頑張るから』とか言いだして。『じゃあ』ってなんだよ『じゃあ』って。だから『あ、無理です』って言ったよね」

「もったいないよ~……」

「そう? わたし、自分のない奴、無理」


 と、肩をすくめる。


「とか言って、中学のころは男を取っかえ引っかえしてたじゃん」

「は、はあ!? 人聞きの悪いこと言うな。あのころはわたしも若かったっていうか……」

「まだ十六じゃん」

「付きあったっていったって四、五人だし、平均して一週間くらいで別れてるし。とにかく、深い付きあいとかはしたことないから。高校に入ってからは全部断ってるし」


 犬飼さんはちらっとこちらを見た。


 ――やべっ。じっと見てたの気づかれたか……?


 俺は慌てて窓の外に目をやる。


「じゃあさ、どんな奴となら付きあうわけ? やっぱワイルド系?」


 今古賀さんが質問した。俺の全神経が聴覚に集中する。


「やっぱってなに? ――控えめで、縁の下の力持ちみたいなひと」

「意外すぎる」

「ぐいぐい来られるの嫌いだし。でも、いざというとき頼りになるひとがいい」

「でもそういう奴はわたしらみたいのは好きにならなくない?」

「そう、ビビられちゃうんだよね。でもいざとなったら、どんな手を使っても好きにさせる」

「押して駄目なら引いてみな、みたいな?」

「押して駄目なら押させる」

「圧が強え~。だからビビられるんじゃん?」


 どっと笑い声が起こった。


 ――すげえな……。


 なんというか、犬飼さんはエネルギーに充ち満ちている。自尊心が強く、物怖じしない。俺とは正反対の大物感が溢れだしている。


「はぁ……」


 またため息が出た。


 ――俺もあんなふうに大物のオーラを醸しだしたい……。


 そうすればきっと俺も、甘酸っぱいとかなんとか噂に聞く青春とやらを送れるのではないか。


 ――まあ……。


 そんな夢みたいなこと考えている場合ではない。現実を見よう。昼休みはあと十五分もすれば終わってしまう。五時限目に向けて、昨夜予習をした部分を復習しておかなければ。


 俺は数学の教科書とノートを開いた。







「桝谷~」


 放課後、教室を出て玄関に向かう途中、犬飼さんに声をかけられ、俺はどきりとして立ち止まった。


「いつも帰るの早いね」

「あ、うん」

「誰かと遊ばないの?」

「あ、うん」

「じゃあ、家に帰って勉強してるの?」

「あ、うん」

「『あ、うん』ばっかじゃん!」


 犬飼さんはからからと笑った。


「あ、うん。――あ、いや、そう」

「ふうん。わたしは梶井センセに呼びだされててさ。なんか目の敵にされてるっぽいんだよね」

「そ、そう」


 とりとめのない会話。どうやら盗み聞きには気づかれていなかったらしい。


 犬飼さんはとてもフレンドリーで、こうやってちょくちょく話しかけてくれる。しかし情けないことに俺はなにを話していいのかまったく分からず、いつも口ごもってしまう。


「じゃ、じゃあ」

「待って」


 立ち去ろうとしたところ、呼びとめられた。


「なに?」

「聞いたことある? 夕暮れの幽霊」

「あ、うん。ええと、ある」

「ちょうどこんな日なんだって。その娘がプールで亡くなったの。初夏の、よく晴れた日」


 低く落ち着いた声。赤々とした日の光が犬飼さんを血の色に染めている。


「強かった西日がやっと和らいでくるころ、その娘は現れるんだって」

「……」

「あとでちょっと見に行こうかな~」

「……危なくない? 引きずりこまれるって聞いたけど」

「信じてるんだ?」

「いや、信じてるわけじゃ……。でもこういうのって少しだけ真実が混ざってたりするだろ。ここのプールに構造的な欠陥があって事故が起こりやすいとか」

「大丈夫大丈夫。それより幽霊に教えてあげないと。『先輩は卒業したから探しても意味ないですよ』って。親切でしょ?」

「でも……」


 犬飼さんは腕時計に目をやった。


「先生との面談が終わるのは十七時くらいかな」

「……」

「そろそろ行くね」


 スクールバッグを肩にかける。ハーバリウムのキーホルダーがちゃらちゃらと音を立てた。


「じゃあ、またね」


 手を振り、職員室のほうへ去っていった。


 それを見送り、俺は玄関のほうへ歩きはじめた。


「……」


 足を止める。しばし考えたあと、くるりと方向転換して図書室のほうへ向かった。


 ――いや、これは集中して勉強をしたいから図書室に行くだけだし。


 けっして十七時まで学校に残る口実が欲しいわけではない。

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