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プロローグ ギャルの押しかけ奴隷がいる日常

 しとしと雨が降る暗い空を、玄関の(ひさし)の下から見あげた。


 運動系部活動の連中が慌てて校舎へもどってくる。傘を忘れた帰宅部の連中は校舎から駆け足で出ていく。


 俺はそれを悠然と眺めていた。なぜなら鞄には折りたたみ傘が入っているから。


 朝の天気予報によると、この時間の降水確率は三十%。まあこれくらいなら降らないだろう、と皆は判断したのだろう。


 しかし俺は違う。


 降水確率(ぜろ)%でないかぎり、俺は必ず傘を携帯する。七月は天候は不安定だ。さっきまで晴れていても直後に土砂降りなんてことは充分あり得る。


 まして三十%もの高い確率だ。傘を持たないなどというギャンブルに打って出る心境が理解できない。勝ったところでなにを得られるというのか。ハイリスクノーリターンだろう。


 勝ち誇ったような気持ちで傘を開き、庇の下から出ようとしたところ、玄関のほうから大きな笑い声が聞こえてきた。


 明るい髪色、短いスカート、そしてピアス。いわゆるギャルの集団だ。


 グラウンドから逃げ帰ってきたソフトボール部の女子たちが、集団のなかのひとりに目をとめて言った。


「うわ、なにあれ、やっば、頭()っさ!」

「ほんとにうちらと同じ生き物? 骨格違いすぎない?」

「遺伝子操作してるとか」

「してそ~。てか脚長っ。十分の一でいいから分けてくれ~」


 などと口々に言いあいながら校舎のなかへ入っていった。


 ――たしかに、ほんときれいだよな……。


 こんなどんよりした天気だというのに、彼女の周りだけまるで快晴かのように輝いて見える。


 その彼女がはたと俺を見た。そして友人たちに申し訳なさそうな顔で手を合わせてから、小走りに駆け寄ってくる。


「駄目じゃん、桝谷(ますたに)


 同じクラスの犬飼(いぬかい)さんだ。


「傘、わたしが持つよ」

「え? いや、さすがにそれは」

「一日一奉仕がわたしの使命なんだからさ」

「そんな一日一善みたいに言われても」

「望むなら二奉仕、三奉仕も思うがままだよ?」


 と、悪戯っぽい笑みを浮かべる。


 ――いや、今日、四奉仕目なんだけど。


 しかもべつに俺からは望んでいない。完全に犬飼さんの自発的行動――忖度である。


「わたしは桝谷の『奴隷』なんだから」


 と、手を差しのべる。


「弱みを握られてるかぎり、ね」


 彼女の鞄からは折りたたみ傘の柄が覗いている。傘を忘れたから入れてもらいたいというわけではなく、本当に奉仕が目的らしい。


 ――弱み、か……。


 犬飼さんは俺に弱みを握られており、だから俺の言いなりにならざるを得ない、らしい。


 らしい、というのは、その肝心の弱みとやらがなんなのか、握っているはずの俺にまったく記憶がないからだ。


 直接尋ねてものらりくらりとはぐらかされるので、ひとまず犬飼さんのやりたいようにやってもらいながら探りを入れる機会を窺っているのだが、いまのところ成果はなにもない。


 などと考えこんでいたところ、傘を奪われた。


「あ」

「では帰りましょう、ご主人様」


 うやうやしくお辞儀をし、にっと笑う。弱みを握られている者とは思えない良い笑顔だ。


 ――まあ、いいか。これも探りを入れるチャンスだ。


 そう考えたのだが、それがまちがいであることにすぐ気がつくこととなった。


 犬飼さんはけっして背は低くないが、俺との身長差はおそらく十五センチ以上ある。くわえて折りたたみ傘の柄は短い。


 故に、傘を差すために彼女は身体を俺のほうに向け、伸びあがるような姿勢をとらざるを得ない。


 そうすると必然的に、当たる。犬飼さんのとても柔らかいものが肘にすごく当たるのだ。


 ――待て、違う。


 むにゅ、ぱっ。むにゅ、ぱっ。むにゅ、ぱっ。


 歩いているから身体が揺れていて、当たっては離れ、当たっては離れしている。


 つまりこれは、ただ当たっているわけではない。


 ――バウンド……!


 弾んでいると表現するのがしっくりくる。


 ――いや、馬鹿か俺は。


 犬飼さんの言う『弱み』を探すのではなかったのか。おっぱいの適切な形容を探してどうする。


 肘へのファーストタッチがあった瞬間から我を忘れてしまった気がする。やはり男には、あの豊満と弾性の魔力に抗う術はないのだろうか。


 ――それに……。


 犬飼さんはそもそもエロい。ぷっくりとしたくちびる、開いた胸元、短いスカートから伸びるしなやかな脚。容姿や肢体だけでなく言動も挑発的で、俺はいつもどぎまぎさせられる。


 しかし今回のように、彼女自身も意図していないエロが発動したときの無防備な様子のほうが、より俺の心をかき乱すのだ。


 こんなときの彼女はふだんの大人っぽい印象が薄まって、子供っぽい無垢な表情になる。そのギャップに俺の胸はきゅっとなってしまう。


「どうしたの、難しい顔して」


 犬飼さんが小首を傾げて俺の顔を覗きこむ。


 ――や、やめろ、そんな純粋な目で見るな……!


 そんな目で見られたら――。


 ――余計興奮しちゃうだろうが!


「い、いや、なんでもない」


 俺はぶるぶるとかぶりを振った。


 ――このまま流されてはいけない……!


 俺は理性を総動員し、身体を少し斜めにした。肘の位置がずれてバウンドしなくなる。


 ――よし。


 なんとか冷静さをとりもどし、雑談でもしながら探りを入れていこうと思ったのだが、今度はべつの方向から邪魔が入ってきた。


 道行く人びとから投げかけられる視線である。


 俺と犬飼さんがいちゃこらしているように見えたのか、男たちは俺に対し嫉妬と敵意の、女たちは少女に傘を持たせていることへの軽蔑の視線。


 ――うわあ……、色んなタイプの視線が突き刺さるぅ……!


 とてもじゃないが、この状況で落ち着いて会話できるほど俺のメンタルは頑強ではない。


「犬飼さん、あの……、傘、俺が持つから」

「え!? ほんと!?」


 と、顔を明るくして言った。腕でも疲れて交代ほしかったのだろうか。


 犬飼さんははっと息を飲み、慌てて訂正した。


「で、でも、それじゃ奉仕にならないし」

「いや、充分奉仕はしてもらったから」


 主に肘に。


「ほんとに?」

「本当に」

「じゃあ褒めてよ」

「傘持てて偉い」

「そういうんじゃなく! もっと、ちゃんと、さ……。ね?」


 と、懇願するような上目遣いで俺を見る。


 どくっ、と心臓が跳ねた。そのいじらしい素振りが俺の理性をむしばむ。


「いいよ。じゃあ、こっち」


 犬飼さんの手首をつかみ、ぐいっと引っぱる。


「あっ」


 彼女は短い声をあげたが、逆らうことはしなかった。


 人気のないせまい路地へと連れこみ、犬飼さんを壁際に追いこんだ。


 彼女は身をすくませている。そのおどおどとした様子が余計に俺の本能を刺激する。


 犬飼さんに向かって手を伸ばす。彼女はびくりと身体を固くする。


 伸ばした手を彼女の頭に置いた。そして、柔らかくすべすべとした髪の感触を楽しむように、ゆっくりと撫でる。


 こわばっていた表情が徐々にほぐれていく。


 いつも自信満々で、物怖じせず、不敵な犬飼さん。少し前まで遠くから眺めることしかできなかった憧れの存在。そんな彼女がいま、俺に撫でられ、油断しきった表情を浮かべている。


 彼女は気持ちよさそうに目を細め、さらに求めるように首を伸ばした。


 ――やべっ。


 このままで理性がもたない。


「はい、おしまい」


 俺は慌てて手を引っこめた。


「え、もう?」

「充分だろ。あんまりやりすぎるとハゲるぞ」

「それは困るけど……」

「ほら」


 手を伸ばすと、犬飼さんは渋々といった様子で傘を差しだした。


 それを受けとり、俺たちは路地を出る。


 これで憂いがなくなり、ようやく雑談を開始できる。


 と、思ったのだが。


「そういえばそろそろテストだな」


 横を歩く犬飼さんに尋ねた。


「……え?」

「テスト」

「テストがなに?」

「いや、そろそろテストだなって」

「うん」

「……ど、どう試験勉強は」

「うん。……うん?」

「いや、試験勉強」

「試験勉強がなに?」

「調子はどうかなって」

「うん、まあまあ」

「そう。まあ俺もひとのことを心配してる場合じゃないんだけどな」


 ははは、と空笑いする。


「うん」


 犬飼さんはそう一言だけ返事した。


「え、ええと……。テストが終わったらいよいよ夏休みだな」

「うん」

「犬飼さんはなんか予定ある?」

「うん」

「へえ。どっか行くの」

「え?」

「いや、夏休みの予定」

「うん、ない」

「ま、まあ俺もまだないんだけどな」


 ははは、と空笑いする。


「うん」


 犬飼さんはまた一言だけ返事した。


 ――生返事がすぎる……!


 彼女の頬は上気し、なんだかぽわんとした表情をしている。いかにも上の空といった感じだ。


 なんとか言葉を引きだそうと必死に話しかけるものの、やはり犬飼さんは生返事。コミュ強ではない俺がひとりで長々としゃべりつづけられるわけもなく。


「……」

「……」


 やがて弾は尽き、沈黙が訪れた。


 傘に当たる雨音だけが聞こえる。やがてその雨音は徐々に早く、強くなっていく。


 対面から歩いてきた大学生くらいの男が、目だけこちらに――というか、犬飼さんのほうに向けている。まるで注意深く観察するかのように目をすがめて。


 ――あ。


 彼の意図を察し、俺は犬飼さんのほうを見た。


 ――よかった、大丈夫だ。


 犬飼さんはシャツの胸元をはだけているので、ふだんから男女問わず胸に視線を吸い寄せがちではあるが、おそらく彼は、雨脚が強まったことで彼女の夏服が濡れて、下着が透けているのではないかと期待してあんな必死な顔をしているのだろう。


 俺は犬飼さんが濡れないように傘を傾け、男に非難の視線を送る。彼は目をそらし、ばつが悪そうな顔で通りすぎていった。


 ――まったく……。


 ひどくむかむかする。


 公共の空間で生身の女性にいやらしい視線を向けるとは理性の欠片もない。ああいう輩がいるから男性全般がけだものだと勘違いされるんだ。


 などと考えたものの、俺の怒りの源はそこではない感じがした。


 以前、犬飼さんの透けた下着を目の当たりにしたことがある。俺と彼女がいまの関係になったのはそのときだ。


 だから、ほかの男にそれを見られるのが嫌だったのだと思う。


 嫉妬心か、独占欲か。べつに彼女は俺のものではないのに。


 ――まずいまずい。


 犬飼さんがあまりに奴隷奴隷と口にするものだから、どこかで俺も本気にしてしまっている部分があるのだろう。でないと、この気持ちに説明がつかない。


 やがて犬飼さんの住んでいるマンションに到着した。


 もやもやしたり、むかむかしたり、なんだかとても疲れる帰り道だった。


「ありがとね」

「? なにが?」

「傘」


 傘を差したかったのは極めて自己中で保身的な理由であったため、ストレートに感謝されていたたまれない気持ちになる。


「い、いや、こちらこそ。――じゃあ」


 短く挨拶をしてマンションの玄関を逃げるように離れようとしたところ、


「桝谷、それ」


 と、犬飼さんが呼びとめた。


「なに?」

「肩が……」

「肩?」


 自分の肩を見る。シャツがびしょびしょに濡れてぴったりと張りついていた。犬飼さんのブラ透けを守りきった代償に俺の下着が透けてしまったようだ。


「これは……」


 口を開きかけたが、説明するにはあの嫉妬心や独占欲のことを吐露しなければならず、それはなんだかとても恥ずかしい気がした。


「俺、昔から傘差すの下手なんだ」


 だからごまかした。


 犬飼さんはぽかんとする。


 ――やべえ、俺、嘘下手すぎ。


 彼女は顔を伏せた。表情はうかがい知れないが、ほんのり頬が紅潮しているようだ。


「ど、どうした?」

「また――」


 ちょっと困ったような、それでいて嬉しそうでもある笑みを浮かべて言う。


「また弱みが増えちゃった」


 そして逃げるようにマンションに駆けていった。


「ええ……?」


 弱みの正体を探ろうとしたら、知らぬ間に弱みが増えていた。しかもその内容もさっぱり分からない。


 ――なにがなんだか……。


 俺はしばらくのあいだマンションの玄関前で呆然と立ち尽くした。

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