068 ただいま
《宮野 奏視点》
――なんでなんでなんでなんでなんで!
何でバレた? ちゃんと注意して尾行してたのに。やっぱり佐々木さんは普通じゃない。
雨粒はどんどん大きくなり、ザーザーとわたしの体に打ち付ける。約八割ほどの力を使って走っているのだが、少しずつ距離が縮まっていた。
このままじゃ追いつかれてしまう。
だから体力はすぐになくなるけど、本気で走って逃げるしかない。地の利はこっちにあるしなんとか撒けるかも。
先程より足に力を入れて走り出す。後ろを振り向くほどの余裕はもうない。
しかしそれがいけなかったのだろう。久々に本気で走ったからか、足が絡まってしまった。
「――きゃ⁉」
反射的に声が出る。しかしわたしが倒れることはなかった。倒れる前にわたしの手を誰かが掴んでくれたのだ。
誰? いや、そんなの決まってる。こんな状況で手を掴める人なんて一人しかいない。
「佐々木さん……どうして追いかけてくるんですか? わたしには何も用はないはずですよね」
「あたしは初めから奏と話そうとしてたよ」
「嘘! それならどうしてわたしの家に行こうと……」
「奏を信じてたからだよ。奏なら気になってあたしたちを尾行するはずだって」
「それでも……何も話すことなんてありませんよ……。どうせ涼……荒川くんから全て聞いてるんですよね」
「うん。全部聞けたと思う。昔の奏のことも、クリスマス・イヴのことも」
「…………」
自然と唇を強く噛んでいた。なぜか強い怒りが身体の奥から湧いてきて、思わず怒号を発する。
「それなら! どうしてわたしを追いかけたんですか⁉ 今更過去のことを知って同情でもしてるんですか? 心配でもしてるんですか? やめてください。わたしの気持ちも知らない癖に……」
馬鹿だ。せっかく心配してくれてるのに。こんなことを言って……。
でも止まらない。わたしの怒りは決壊したダムのように溢れだす。
「いいですよね! どうせ佐々木さんは今まで大切な人を喪ったことのない、普通の人生を送ってるんでしょ‼」
はぁはぁと呼吸をして佐々木さんから視線を外す。やらかした……つい言ってしまった。
でもこれでいいはずだ。これで佐々木さんはわたしと関わろうとしないはず。こんな女と仲良くしたくないだろう。
……そのはずなのに、黙ってわたしの怒号を聞いていた佐々木さんが声を発した。
「あたしは普通……とは言えない人生を送ってきたよ。だからと言って確かに大切な人を喪ったことはない。それでもね、心配ぐらいさせてくれないかな?」
心に響く優しい声。そんな声を聞いて思わず膝から崩れ落ちた。アスファルトの道で作られている水溜りなんて気にならない。
「奏はずっと家族や荒川くんに会おうとしてなかったよね。『会いたくない』とか言ってたけど、本当にそうなの?」
「そんなの……決まって……ます。……そんなの……そんなの‼」
初めは小さな声だった。でもわたしの身体はどんどん熱くなり、大きな声を生みだす。
「会いたいに決まってるじゃないですか! 寂しいですよ! お母さんやお父さん、涼だって‼ みんなみんな……大切な人なんだから‼」
しかしそれまで大きかった自分の声が「でも」と言うと一気に小さくなった。上手く声にならない。
「怖いんですよ。また……わたしの前から……消えるんじゃないかって……。私を置いてどこか遠いところに。また、死にたくなるんじゃないかって……。また心に大きな穴が生まれて……何もかもがどうでもよくなるようなダメ人間に……なるんじゃないかって……」
掴まれていない腕で目元を隠す。でもそれでも止まらない。声も、涙も、降り続ける雨に混ざってわたしの顔を濡らす。
「わたしなんかの近くにいたら、また誰かが死ぬかもしれない。あの時みたいにわたしを庇って死んじゃうかもしれない。だから、独りになりたかったんです。誰とも関わりたくなかったんです。何も失うものがないんだから、悲しい気持ちにもならないって。前みたいにならないって。涼とも最低限しか接さず……髪も眼鏡も地味にして……独りの地味な高校生活を過ごそうって……そう思ってたのに‼」
目元にある涙を乱暴に拭いて佐々木さんを睨みつける。
全てわたしが悪い。そう思ってるのに、分かってるのに、わたしの声は止まらなかった。
「どうして……独りにさせてくれないんですか! どうして接するんですか! どうして……どうして……」
怒号がどんどん弱くなっていき、小さくなっていく。そして最後には小さな声で、わたしが今まで思っていた言葉を紡ぎだした。
「どうして……わたしなんかと仲良くしてくれるんですか……」
下を向き雨音に消されるような小さな声で呟く。
前々から疑問に思っていた。こんな地味な女子高校生にどうして構ってくれるんだろう。仲良くしてくれるんだろうって。
「――そんなの……友達だからに決まってるじゃん」
その言葉で思わず顔を上げた。佐々木さんはわたしの目を見て言う。
「友達だから奏と一緒にいるんだよ。友達だから仲良くしてるんだよ。友達だから心配してるんだよ。確かにわたしは奏の気持ちを知らない。大切な人を喪ったことなんてないんだから。だから同情なんてできない。変に同情なんてしたくない。でもね、想像ぐらいはできるんだよ……」
佐々木さんは手を離すとわたしの顔を胸に沈める。腕をわたしの頭に回して、優しく撫でられた。
「あたしの大切な人がもしも死んでしまったら……。そう考えるだけでね、胸が苦しくなったんだ。でもあたしの想像なんかよりもっと奏は苦しんだはず。だからそんな経験をした奏には今を笑って、楽しく過ごしてほしいんだよ」
佐々木さんはわたしを優しく抱きしめて言葉を続ける。
「だからさ、自分のことをもう卑下にしないで。もっと自分を大事にして。もう独りになろうとしないで。周りには奏のことを大事に思ってる人が沢山いるんだからさ」
耳元で囁かれる優しい声。そこにはちゃんとした人の温もりがあって……今まで冷やし続けていた心が一気に温まっていくのを感じた。
「あ……ぁぁ……」
思わず嗚咽を出してしまう。我慢しようとしても止まらない。
「奏はよく頑張ったよ。ずっと独りで寂しかったよね。いつも大切な人が死んじゃうかもと思い続けて怖かったんだよね。大丈夫。奏にはあたしも、ゆづも、荒川くんだっているよ。ちゃんと近くにいるよ。だから今は泣いて、自分に正直になって」
そっか。わたし……寂しかったんだ。ずっと独りになろうと頑張って、でもわたしはやっぱり誰かと一緒じゃないと嫌で。
ずっと自分に嘘をついてた。独りがいい、独りになりたいって。
――わたし、もう独りじゃなくていいんだ。みんなと笑って、楽しんでいいんだ。
そう思うだけでわたし自身が救われた気がした。わたしは何も考えずに泣き続ける。その間佐々木さんはわたしを抱きしめて背中を擦ってくれた。
――わたし……心峰高校に入ってよかった。
気付けば雨は上がっており、夕日が顔を出していた。オレンジ色の光が雨で濡れたわたしたちを照らす。
泣き止んだわたしに差し出された右手を掴んで、わたしは立ち上がった。
「ごめんなさい。わたしなんかに構ってビショビショに濡れちゃって」
「わたし……何て?」
「? ……あっ! すみません。いつもの癖で」
「本当にやめてよ。せっかくあたしが恥ずかしいこといっぱい言ったんだから」
「全然恥ずかしいことじゃありませんよ! とても良い言葉でした。わたし……感動しました!」
「……そ、ならいいんだけど。それで奏はどうする? 自分の家、帰ってみる?」
そう言って佐々木さんは伸びをする。
お母さんには会いたい……。でも、まだわたしにはあの日のお母さんが脳裏に焼き付いている。
……怖い……。また、「貴方誰?」って言われるかもしれない。
――なんて、以前のわたしなら我慢して行かなかっただろう。
わたしは繋がれた手を見つめる。でも、今のわたしなら……。
「はい、行ってみます。久々にお母さんに会いに行ってみます」
「分かった。じゃ、行こうか」
わたしたちは手を繋いだまま歩き出す。少し子供っぽいが、手から感じる温もりがわたしを安心させてくれる。
するとわたしの家であるマンションの前に立っている人が目に映った。その人はキョロキョロと辺りを見渡している。
それは……わたしがよく知ってる人物だった。ずっと会いたかったわたしのお母さんだ。
思わず足を止めてお母さんを眺めていると目があった。するとお母さんはわたしに向かって走り出し、近くまで来るとわたしを抱きしめる。
その反動で繋いでいた手が離れた。代わりに全身を温もりが包んでくれる。
「え? え?」
何が起きたのか分からずに困惑してしまった。だってわたしは能力で認識しづらいはずなのに。
「奏ったらどこに行ってたのよ! 心配してたんだから」
「えっと、わたしのこと見えてるの?」
「何当たり前のこと言ってるの。お母さん、どれだけ心配したと思ってるの?」
その言葉に目頭が熱くなり、涙が込み上げてきた。
「こらこら、何泣いてるのよ」
「だって……だってぇ……」
「もう、まだまだ子供なんだから」
お母さんが優しくわたしの頭を撫でてくれる。
「でも良かったわ。無事に帰ってきてくれて。本当に安心したわ。……それで、あなたは奏のお友達?」
「あ、はい。そうです。佐々木 華と言います」
「そう、じゃあ華ちゃんが奏を今まで泊めてくださったのかしら?」
「はい」
「ありがとうね。奏の面倒を見てくれて」
「いえ、あたしも奏にはお世話になりましたから。それと……奏のお母さんのところに一人、桃髪の女の子が来ませんでした?」
佐々木さんの質問にお母さんはすぐに答える。
「来てるわよ。結月ちゃんよね。あの子には色々と奏の学園生活を聞かせてもらったわ。今はリビングにいるわよ。あなたも来るわよね」
「行きます。それと、出来ればシャワーを浴びさせて貰えませんか?」
「それぐらい良いわよ。というか結月ちゃんの提案でお風呂沸かしてあるから二人とも入ってきなさい」
「ありがとうございます」
佐々木さんはお母さんに礼をするとマンションに向かう。それと同時に抱擁は終わった。
気持ちが落ち着いたわたしは佐々木さんの後を追う前に、もう一度お母さんの顔を見る。
「お、お母さん!」
「ん? 何?」
「えっと、ただいま!」
「ふふ、何よ改まって。おかえりなさい」
それからわたしと佐々木さんはお風呂に入った。そして望月さん、佐々木さんと一緒に家で夕食を食べることに。
どうやらわたしが家にいなかった時、お母さんは仕事が忙しくてわたしのことが頭から離れていた……らしい。
お父さんが単身赴任で帰ってくるのは九月だし、唯一家にいるお母さんがわたしを忘れてしまったという偶然でわたしの話は終わった。
真実はもっと非現実的なことなのでわたしからしてもその終わり方でいい。
こんな非現実的な過去はわたし、望月さん、佐々木さんだけの秘密だ。




