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青い春 「ボクはいる」

 息苦しいほどの湿り気がまとわりつく梅雨の最中、三年一学期の定期考査が終わり、駿くんはまたもや担任の懐を暖めた。

 駿くんのゴミを見るような目にもめげず必死に食らいついた鎌田くんは、初のトップテン入りに感極まり、掲示板の前で駿くんへの愛を叫んで、駿くんからも周りからも遠巻きにされていた。真野くんは安定の七位だ。

 ちなみに美紗、真結、私は駿くんのおかげで三十位前後にかたまっている。ものすごい快挙だ。


 高三の夏に休みなどない。通常通り補習という名の授業が行われる。

 それでもお盆休みはある。おそらく教師たちのためだろう。担任がぐったりしながらそんな感じのことを言っていた。


「どうする?」

「やっぱ海か山に行きたい。少しくらい息抜きも必要じゃない?」

「だよなぁ」

 美紗に答える真野くんの声は優しい。

「今からホテル取れるかな」

「泊まるの?」

「どうせなら泊まりで行きたくない?」

 真結に答える鎌田くんの声にも甘さが含まれている。

「一泊は金銭的に厳しいかなぁ」

「じゃあさ、キャンプにする? うちに六人用のテントもシュラフもあるよ」

「いいね! 近くに温泉とかあるキャンプ場がいいなぁ。あと花火したい!」

「でもすげー荷物になりそうじゃね? それ持って移動すんのキツいだろ」


 いつものメンバーでいつものファミレスのいつもの席。

 一日くらい高校最後の夏を楽しもうと計画を立てている。三年になると授業が七限まであり、時々ファミレスで復習しながらご飯を食べて帰ることが多くなった。

 小山さんも誘ったものの、「カレ最優先」ときっぱり断られた。カレも一緒にどうかと誘う前に、「カレは人見知りだから無理」とこれまたきっぱり断られた。見せてもらった写真の中の小山さんのカレはなかなかのイケメンで、小山さんは色々必死らしい。


「レンタカー」

 ぼそっと言った駿くんに、真野くんが「誰が運転すんの」と少し呆れながら、ずこーっと音を立ててストローで残り少ないジュースを吸い上げた。

「駿くん、免許持ってるんだよ」

 慌てて補足すると、みんなの目がわかりやすく輝いた。

 時々真希さんに頼まれて運転もしているから、ペーパードライバーではない。

「いつ教習所行ったの?」

「去年」

「そういや、渡良瀬いっこ上だったな」

 思い出したと言わんばかりの真野くんに、鎌田くんが「身分証代わりに免許証はほしい」と少し羨ましそうに呟き「見せて」と駿くんに手のひらを差し出した。

「やだ」

「なんだよ、けち」

「変な顔なの?」

 美紗が興味津々とばかりに訊いてきた。

「変じゃないけど、前の駿くんだよ」

「ああ、あの偽バンドマンみたいな髪型?」

 思わず笑ったら、隣に座る駿くんに睨まれた。

 少し長めに、と注文した結果の髪型だったと、何かのついでに話していたことがある。

「そういえば、なんで渡良瀬ってダブったの?」

 鎌田くんの今更な疑問に、みんなの視線が駿くんに集中した。

「入院」

「え、渡良瀬病気だったの?」

「事故」

 真野くんの驚いた声に答える駿くんの声音は硬く、それ以上誰も何も訊かず、話は別の道に逸れていった。




「決めた?」

「まだ悩んでる」

 二度目の再面談時に担任からは、教師の道を目指してみないか、と提案された。

 同じ頃、愛理さんからは、うちの事務所で働かないか、と誘われた。

 愛理さんは個人事務所を構えている。双子のマネージメントと自分のマネージメントを行いながら、最近ではギフト用のカタログや、愛理セレクトや愛理プロデュースのウェブショップを開設したばかりだ。


「駿くんはさ、私に学歴って必要だと思う?」

「場合による」

 無性にフライドポテトが食べたくなって、放課後、わざわざ電車に乗ってハワイアンバーガーショップに寄った。ここのポテトは細めで好きだ。欲張ってオニオンリングも頼んでしまった。

「専門知識が必要な職もある」

「んー……そこを目指していなければ?」

「どっちでも」

「駿くんは高卒の奥さんでもいい?」

「ボクが、じゃなくて、花歩が、どうしたいか」

 それじゃダメなことはわかっていても、誰かに決めてほしくなる。

 ベーコンバーガーにかぶりつく駿くんの向かいでローストターキーサンドを頬張る。

「学校の先生って私に向いてないよね」

「ないね」

「だよね」

 教師という職業はきっと私の傷を抉る。それを乗り越えてこそ、と考える人もいるだろうけれど、私はそこにこそ触られたくない。そこを避けて通れるなら一生避け続けたいと思っている。


「やっぱり就職かなぁ」

 どうしても学歴以上に大学に行く意義を見出せない。学費が無駄になるような気がする。

 愛理さんからの提案はまだ担任には話していない。愛理さんも私が決めるまでは話さないと言ってくれた。

 事務所のスタッフはできれば身内で固めたい、と愛理さんは言っていた。だからなのか、今のスタッフは愛理さんのお母さんだけだ。

 お給料や待遇の話もきちんと聞いた。駿くんが一緒にいてくれたので、私の気付かないところまで駿くんが訊いてくれた。

「かなりいい条件」

「やっぱり?」

「うん」

 駿くんはここに来てようやく志望校を担任に伝えた。

 第一志望はうちから一番近い国立大学で、堺さんの出身校だ。第二志望が全国一の国立大学なのを自分の出身校でもあることから担任はひどく勿体ながった。


 駿くんの賢さは、努力によるものだ。一緒にいればなんとなくわかる。

 ぱらぱらとページをめくっているだけに見えるせいで必死感はないものの、予習復習を欠かさない。暇さえあれば問題集を解いている。


 食べきれないサンドイッチに駿くんが手を伸ばしてきた。

 駿くんはいつも私が食べきれない分を見越して、自分の分は少なめに注文している。そういう暗黙の了解がいつの間にかできている。


「駿くん、ひとつだけ訊いてもいい?」

「ん」

「後遺症とかはないの?」

「ない。一年もリハビリした」

 何の支障もなく動いているように見えるし、体育の授業も出ている。どこにも後遺症はないように思えるけれど、内臓や精神的なものについてはわからない。

「でも、四階が無理」

「高所恐怖症?」

「少し違う。建物の四階が無理」

 はっきりと顔をしかめている駿くんにこれ以上訊こうとは思えなかった。

「私はね、女の人のヒステリックな声が怖い。あと、狭くて暗いところも苦手。今は駿くんがいるから平気だけど、一人で寝るときは電気消せなかった」

 それと、三十センチの平たいスケールは痛みに直結している。透明で少し重いアクリル製──思い出した瞬間、背中に過ぎし痛みが走る。思わずテーブルの上の手を駿くんに向かって伸ばせば、指先が軽く絡まった。それだけで痛みが大人しく過去に戻る。

「知ってる」

 驚きから、絡まり合う指先から視線を上げると、駿くんはいまにも泣き出しそうな顔で笑っていた。

「花歩は女の人の怒鳴り声だけじゃなくて、子供の泣き喚く声も苦手でしょ」

「え、そうなの?」

「うん。びくってなってる」

 気付かなかった。子供の泣き喚く声が苦手というよりは、きっとその後のことを無意識に思い出してしまうからだろう。

「ボクはもう、花歩のことはだいたいわかってる」

「そっか。そうだよね、一緒にいればわかることってあるよね」

 不意に駿くんは世の中の全てを見透かしたような表情になった。

 その瞬間──遺産、休学、入院、事故、四階、背中の傷痕、自殺未遂の噂、両親が無理、半年間半分死んでいた──頭の中でこれまで聞いた様々な言葉が入り乱れた。


「花歩、瞬きして」

 慌てて瞬いたら、涙が滲んだ。ぱちぱち瞬いて目を潤していると、駿くんが心配そうな顔でのぞき込んでいた。


 ああ、そうか。そういうことなのか。

 たくさんの欠片が集まって、何かが閃いて、何かを見せ付けようとする。

 慌ててその欠片を散らした。今はまだいい。駿くんが言ったように、だいたいわかっていればそれでいい。


 それでも、シミのように浮かび上がる輪郭。きっと私も同じだ。


 思い出した金切り声に身体が強張る。思い出した痛みに血の気が引いていく。思い出した暗闇に何もかもが遠退いていく。

 同時に、混沌とした悲憤が湧き起こる。そんなものに支配されたくない。あの人のことでもう二度と感情を動かしたくない。

 もう二度と、自分がいらない人間だと思いたくない。


「ボクはいる。花歩だけは絶対にいる」

 力強い声と視線と指先に伝わる体温に引き戻され、あっけないほど簡単に、混沌がぱちんと弾けて消えた。

 目の前にいる揺るぎない存在、繋げられ合わさった手のひらから染み込んでくる体温、それらが自分の在処を教えてくれる。


 ここがお店でよかった。家だったら気を抜きすぎて叫いていたかもしれない。意識して殊更ゆっくり息を吐き出す。

「もしかしたら、もう大丈夫なんじゃないかって思ってたんだけど……」

 父に大見得切ったのに、まだ大丈夫じゃなかった。一生大丈夫にはならないかもしれない。

「心がやわらかいときに刺さった棘は一生抜けない」

 優しく聞こえた声と容赦ない言葉に納得するしかない。きっとことあるごとに思い出しては、今の私を引きずり込もうとするだろう。

 思い出した澱みを心の奥に押し込める。


 駿くんはどうやって平気になったのだろう。

「どうして駿くんは……」

「ボクもわりと必死。花歩を守りたいだけ」

 なんとも複雑な表情でそう言った駿くんにきっと嘘はない。

 彼は私よりずっと先を歩いているように見える。頼ってばかりで、寄りかかってばかりで、守られてばかりで──。


「私、弱いなぁ」

 情けなさに声が震えた。きっと恥ずかしいほど情けない顔をしているだろう。目の前の駿くんも情けなく眉を下げて薄く笑った。

「ボクも弱い」

 互いに小さく溢れた笑み、それにどんな意味があるのかは自分でもわからない。

 こんなこと訊くのは間違っていると思うのに、訊かずにはいられなかった。

「私は駿くんを守れてる?」

 守られている気はしても、守っている気がしない。

 それなのに、こんな面倒なものを抱えた私のそばにいてくれようとするのはどうしてだろう。ただ好きなだけじゃ支え合えない。

「守られているのはボクの方だと思う」

 目の前に座る駿くんの目をじっとのぞき込む。真っ直ぐ見返してくる目に、出逢った頃のような揺らぎはない。あの頃にはなかった自負が見えた。


 ふと気が付いた。

 目が覚めるような感覚に、束の間、目眩にも似た心許なさを感じた。


 同じだ。

 不安なことはたくさんある。少し先の自分の未来も決められない。とんでもなく弱くて脆い。

 そんな私が面倒なら駿くんも相当面倒だ。

 それでも、目の前にいる確かな存在が私を強くする。この人さえいてくれるなら大抵のことは平気──そんな風に思えて心が安まる。なんとかなるさ、と笑える気がする。

 さっきもパニクらずに済んだのは駿くんがいたからだ。今までなら過呼吸くらいは起こしていた。


 私の考えを読んだかのように、目の前に座る駿くんがふわっと笑みを溢した。


 彼という存在を得て初めてわかった。

 安心は誰かの想いによって与えられるもので、けれど、どれほど想いを込めたところで、受取手にとってそれが必ずしも心安らぐものになるわけじゃない。

 今の私にとって一番心が安らぐのは駿くんがそばにいるときで、そばにいなくともその存在を思い出すだけでほっと息を吐ける。

 それはきっと私にとって本当に奇跡のようなことだ。


「帰ろう」

 席を立ち、セルフサービスのテーブルを片付け、手を繋ぎながら帰路に就く。

 一人じゃない。同じ家に帰れることをこれほど心強く思ったことはない。




「でさ、今更だけど花歩と渡良瀬って一緒に住んでんの?」

 美紗の発言にざわめきの中にあるテーブルのひとつが一瞬静まり返った。


 夏休みに入り、補習でくたくたの身体を引き摺って、いつものファミレスに集まっているのは、唯一の楽しみであるお盆休みのキャンプについて話すためだ。


「だって、二人とも同じタイミングで匂いが変わるんだもん」

 匂いって……シャンプーか。あ、柔軟剤かも。そんなに強い香りのものは使っていないはずなのに、どうしてわかるのだろう。あ、そういえば美紗は匂いフェチだった。

「たまに花歩が気に入ってるボディローションの匂いが渡良瀬からしてるときもあるし」

「駿くんもあれ使ってるの?」

「たまに」

「えー! あれすごく高いんだよ。ちょっとずつ大事に使ってね」

「ん。次買う」

 愛理さんからいくつかサンプルでもらったボディローションがどれもすごくいい香りで、高いの覚悟で思い切って買った。美紗と真結にもサンプルを分けていたこともあって、嬉しさのあまり買ったことを自慢していたのが運の尽きだ。

「やっぱり一緒に住んでるんだ」

 真結の楽しそうな声に渋々認めた。

 真野くんと鎌田くんのからかうような視線に、駿くんが顔をしかめている。

「みんなには……」

「言うわけないでしょ」

 ぐるっと見渡せば、みんなはわかってると言わんばかりに、にんまり笑っている。

「もしかしてたまに渡良瀬いい匂いしてるのってそれ?」

「たぶんそれ。でもいい匂いだけあってちょっと高いんだよね、あれ」

 鎌田くんに真結が答えると、真野くんが美紗に「半分ずつ出し合う?」と提案している。

「こーんな小さいのにひとつ三千八百円もするんだよ?」

「そこまで高くないじゃん」

「高いよ!」

 女子三人の声が揃う。余計なことを言った、とばかりに真野くんの顔が引きつっている。

 バイトもできない女子高生にひとつ三千八百円、税込み四千円を超えるボディローションは超高級品だ。普段用はドラッグストアで買える千円以下だ。しかも容量は倍。

「ほかにもローズとか、ラベンダーとか色んな香りがあるんだよ」

「ローズはちょっとなぁ」

 ローズ好きな美紗に反論する真野くんが渋い顔をしている。確かに真野くんにローズは合わない。


 一緒にいるのに嫌いな匂いを漂わせるのもどうかと思い、駿くんにも訊いて香りを決めた。まさか彼も使っているとは思わず、どうやら同じタイミングで使うとどっちから香っているのかわからなくなるらしい。

「駿くんも気に入ってるの?」

「わりと」

 んー……それなら一緒に使えばいいか。

 勝手に使って、と少しは責めたいところだけれど、私も駿くんが凝っているドラッグストアではあまり見ない珍しいハミガキをこっそり使ったりしているのでおあいこだったりする。

「私が駿くんのハミガキ使ってるのバレてる?」

「うん」

 やっぱり。へらっと笑いながら誤魔化すようにおねだりする。

「次買ってくれる?」

 ん、と笑う駿くんがなんだかちょっとかっこよく見えて少し照れる。

 最近こんな風に訳もなく駿くんがかっこよく見える瞬間がある。


「それより! キャンプ場の予約はできてるんだけど、台風来そうなんだよ、来週」

 そうなのだ。鎌田くんが見付けた海岸そばのキャンプ場は、すぐ近くに温泉もあってかなり条件のいい場所だったのに、その日は台風が直撃しそうなのだ。しかも日本縦断という史上最悪の台風らしい。


 駿くんがバックパックからタブレットを出して天気予報を見ている。鎌田くんがそれをのぞき込みながら、絶望的な顔をした。

 駿くんの鞄の中には、スマートフォンもタブレットもノート型PCも入っている。代わりにノート類は一切持たない。必要なことは全て教科書の余白に書き込んでいる。


「キャンプは無理だな」

「今から泊まれるとこ探す?」

「お盆だよ、無理じゃない?」

 ひとまず鎌田くんがキャンプ場の予約を取り消すために席を立ち電話しに行った。

 理由が台風直撃なので今回はキャンセル料は発生しなかったと、戻って来た鎌田くんがほっとしている。本来なら条件のいいキャンプ場だからか、予約直後からキャンセル料が発生するらしい。

 レンタカーの予約はぎりぎりキャンセル料が発生しなかった。

「あのさ、その日花歩たちの家に泊まりに行ってもいい?」

「それいいな。どうせ台風ならどこにも出掛けられないだろうし」

 美紗の声に反応した真野くんと鎌田くんが一気に盛り上がり、駿くんがものすごく嫌そうな顔で「嫌だ」を連発している。残念なことに盛り上がった男二人は聞いちゃいない。

「ごめん、私たちだけのつもりで言ったんだけど……」

「いいよ。たぶん駿くんもそこまで嫌がってないから」

 実はこっそり楽しそうだと思ってしまっている。結局はどこかに行きたいというよりも、高校最後の夏をただみんなと一緒に過ごしたいだけなのだ。

 駿くんも同じだろう。その証拠に「嫌だ」の声が少しだけ弾んでいる。嫌そうにしながらも少しだけ目が笑っている。




「ねえねえ、花歩っていつから渡良瀬のこと好きだったの?」

「ちょっ、聞こえるから」

「聞こえないよ。あっちはあっちでなんか盛り上がってるし」

 リビングで頭を付き合わせている男三人は音楽の話で盛り上がっている。


 窓の外は雨粒が窓ガラスを打ち付け始めた。台風は今日の深夜に上空を通過するらしい。


 お昼過ぎ、まだそれほど強くない雨の中をやってきたみんなは、興味津々とばかりに家の中を見渡し、駿くんが寝室だけは開けるなと、リビングと寝室の間の引き戸をぴっちり閉め、どこで買ってきたのか「KEEP OUT」と黒字で書かれた黄色いテープを幾重にも貼り、それにみんなが「必死すぎる」と爆笑していた。


 とりとめのない話を散々し、迫り来る台風がいつもより早く夜を連れてきたところで、女子はキッチンで夕食の準備に入った。

 とはいっても、みんながそれぞれ一品ずつ持ち寄ってくれたので、私と駿くんはご飯と味噌汁、サラダを作っただけだ。一応炊き込みご飯にした。


「なんか、ちょこちょこ会っているうちになんとなく?」

「そもそもなんで会うようになったの?」

 美紗と真結から、逃すものか、という雰囲気がぷんぷんしている。

 あの日直の日のことから校外学習のこと、一緒に海外ドラマを観ていたことをざっくり話す。これまでもちょこちょこ話してはいたものの、初めの頃の話はしたことがなかった。

「初めて話したのに家に呼んだの?」

「やっぱりダメだった?」

「んー、他の人ならダメだろうけど、渡良瀬だからなぁ」

「私も駿くんならいいかなって思ったんだよね」

「それってその時点ですでに意識してたってことなんじゃないの?」

「どうかなぁ。そのときは単なる興味だけだった気もするけど……ほっとけないとは思ったかな」

「それを他の人に置き換えてみなよ、たとえばうっきーとか」

 うっきーがどんな人だかイマイチわからなくて、私は本当に他人に興味がないのだなと、今更ながら実感した。人としてダメな気がする。

 だから余計に、駿くん以外だったら、と考えると、間違いなく一緒にご飯を食べようとは思わなかっただろうし、そもそも送ってもらうなんて思わなかった気がする。

 どうして駿くんは違ったのだろう。初めはただ気になって仕方がなかった。だからといってほかの誰でもそうだったかを考えると……よくわからなくなる。


「根本的に合う合わないってあるよね」

「美紗もそうだった?」

 元々美紗はひとつ上の先輩が好きだったはずだ。

「去年の夏休みの始めに好きだって言われて、そしたらなんか妙に意識しちゃって。で、色々あって段々気持ちが傾いていって、夏休み終わる頃には好きになってたっていうか。初めから合わない人ならその場で断ってたと思うんだよね」

 照れる美紗の顔が赤い。思わず真結と顔を見合わせにやにやしてしまう。

 真結は元々同じパートである鎌田くんとは仲がよかった。くっつくべきしてくっついた感じがしなくもない。


 次々と電子レンジで温められていくおかずをお皿に盛り付け、炊けたご飯や味噌汁をよそい、テーブルに並べていく。

「それにしても渡良瀬は暗号のくせに図々しい」

「なんで?」

「だって絶対最初っから花歩のこと狙ってたと思うもん」

「そうかなぁ」

「少なくとも初めて話したときには間違いなく意識してたよね」

 真結に、ね、と顔を向けられた美紗が、うん、ともっともらしい顔で頷く。

 それまでまるで接点がなかったのだから、初めて話した日がお互いほぼ初見だったと思う。駿くんは私以上に他人に興味がないから、意識も何もなかったと思う。


 四人掛けのダイニングテーブルに六人は少し窮屈だけれど、洗面所や寝室にあるスツールを持ってきて、なんとかそれらしく準備が整った。


 男三人の食欲は、それはもうすごかった。

 駿くんももりもり食べる方だと思っていたけれど、真野くんの食べっぷりがすごい。鎌田くんももりもり食べる。「俺らは小食な方だよ」という真野くんの言葉に同意するのは男子だけだ。

 とにかく炭水化物の摂取量がすごい。ご飯茶碗が足りなくて小丼を使ってもらっているというのに、おかわりされた。いつもはおかわりしない駿くんまでつられておかわりしている。


「俺さ、渡良瀬と同じ大学狙うことにした」

 満腹顔の鎌田くんのいきなりの発言に、思わず真結を見れば、小さく頷いている。

「で、渡良瀬の下で働くことにした」

 いきなりすぎてついていけない。にこにこ笑っている鎌田くんは一体何を目指しているのか。駿くんも初めて聞いたのか、目を丸くしている。


 彼らは大学のオープンキャンパスを一緒に回っている。三人の志望校がほぼ同じだからだ。


「うち母子家庭だからさ、本当は安定の公務員とかがいいんだろうし、大学なんて行ってる場合じゃないんだけど、父親の保険金あるから行けって言ってくれるし、せめて国立入ろうと思って。で、弁護士は向いてないからパラリーガルになっていつか渡良瀬の補佐する」

 鎌田くんのお父さんは、鎌田くんが高校二年の春に突然病気で亡くなったらしい。真結の存在が支えになり、駿くんに色々相談しながら母親とまだ小学生の弟を守っているのだとか。駿くんがちょくちょく堺さんにアドバイスをもらいながら相談に乗っていたらしい。前に「相談している」と鎌田くんが言っていたのは、そのことも含めてだったのだと、鎌田くんは少し照れくさそうに話している。


 何も知らなかった自分が恥ずかしくなった。そんな素振りを見せなかった鎌田くんや真結が自分よりずっと大人に見えた。

 自分だけじゃない。誰だってひとつやふたつ傷を抱えている。


「知ってた?」

 美紗に聞かれ首を振り否定する。そんな美紗を見た真野くんが口を開く。

「俺も聞いたのわりと最近なんだ。鎌田は偉いと思うよ、家のことや先のことちゃんと考えてて。俺なんてとりあえず大学行けばいいって思ってるから」

「俺もそうだったよ。渡良瀬がしっかり将来のこと考えてて、相談しているうちに色々考えるようになったんだよ」

 確かに駿くんは出逢った頃から弁護士になることを決めていた。


「で? なんで二人は一緒に住むことになったの?」

 真結のひと言になんと答えればいいか迷っているうちに、駿くんがぼそっと呟いた。

「婚約」

 間違ってはいない。間違ってはいないけれど、みんなが固まっている。

「は? なに? 婚約? してんの?」

 全ての語尾を上げながら、真野くんが瞠目している。

「二見になる」

「へ? 婿養子?」

 鎌田くんの裏返った声に頷く駿くんはなぜか自慢げだ。

「いつ結婚すんの?」

「司法試験終わったら」

 思わず「そうなの?」と訊いてしまった。いつ、はまだ訊いたことがなかった。

「いい?」

「いいけど、大学卒業までには名字変えるんじゃなかったの?」

「卒業までには合格する」

 そんなに簡単じゃないと思う。それなのに、駿くんなら合格するような気がするから不思議だ。

「渡良瀬が大学卒業と同時に弁護士になったら、俺すげー大変じゃん。ついていけるかなぁ」

 愚痴をこぼした鎌田くんにみんなが笑う。

「俺さ、大学在学中に起業できたらいいなとか夢みたいなこと考えてたんだけど、なんかできそうな気がしてきた」

 真野くんがそう言って、不敵に笑った。


 みんなちゃんと将来のことを考えている。

 自分だけが置いてけぼりになったようで、急に不安になった。

 美紗を見れば小さく首を振った。真結もだ。自分だけじゃないことにどこかほっとしてしまう。


 駿くんたちが後片付けをしてくれている間に、私たちはシャワーを浴びる。その際、着替えは寝室のクローゼットなので立ち入り禁止のテープを剥がして引き戸を開けたら、美紗と真結が抜かりなく覗いていた。


「何このでかいベッド!」

 美紗の声に、真野くんと鎌田くんがキッチンからすっ飛んできて、遠慮の欠片もなく引き戸を全開にした。

「エロい」

「だな、エロい」

 駿くんから鎌田くん、真野くんの順にげんこつが落とされ、二人ともすごすごキッチンに戻っていった。

「元々真希さんが使ってたんだよ」

 ここに来る度に、真希さんと一緒にこのベッドで寝ていた。大きなベッドが嬉しくて、ひそかにお姫様気分だったことを憶えている。少し大きくなって真希さんにそのことを伝えたら、私も、と二人で笑い合ったのはいい思い出だ。

 ちなみに父はこの部屋の玄関より先に足を踏み入れたことはない。ここは私の避難所でもあったからだ。

「真希さんってお父さんの再婚相手の?」

「そう。このマンションも元々真希さんのだし」

「だからか!」

 真結が腑に落ちた顔をしている。一人暮らしには贅沢すぎる空間に、どうつっこめばいいかわからなかったらしい。

 今は二人暮らしだけれど、引っ越したとは聞いていないし、マンションの前までは二人とも来たことがあったせいか、元々この部屋に住んでいたのだろうと思いつつも、それにしては広すぎると首を傾げていたらしい。

「なんだ、こんなに広かったんならもっと早く遊びに来ればよかった」

「狭いワンルームだと持ってたから」

「そっか、言えばよかった」

 ホントだよ、と二人とも笑う。もっと早く言えばよかった。そうしたらもっとたくさん話せたのに。


 真結、美紗、私の順にシャワーを浴び、続けて男子がシャワーを浴びる。


 見られたならもういいやと開放した寝室に女子が集まる。

「志望校決めた? 真結は鎌田と同じ?」

「別々になると思う」

「私も別の大学だなぁ。うちは親が大学行けってうるさいし」

 同じ大学に行けそうだと幸せそうに笑っていたのに、それでも真結は納得しているようだった。

「私ね、専門学校に行こうと思ってる」

「なんの?」

「インテリア系の。元々好きだったし、よくよくよーく考えたらそれしかないなーって思って」

 少し恥ずかしそうでいて真っ直ぐ前を見ている真結が羨ましかった。

「真結もちゃんと決めたんだね」

「うん。なんかさっきの賢吾の話聞いて、私も覚悟決めた。花歩は?」

「んー、ちょっと迷ってる。大学行こうか就職しようか。弁護士の奥さんが高卒でいいのかなって思っちゃって。でも大学行くのも違う気がして、悩んでるとこ」

「花歩はどうしたいの? 渡良瀬とは関係なく」

「んー、愛理さんの事務所で働かないかって言われてて、条件もよくて、正直自分でお金稼ぎたいっていうか、自立したいって気持ちが強いから……」

 急に目の前に美紗と真結の顔迫ってきた。なぜか二人とも身を乗り出している。

「え、なに?」

 思わず眉間に皺を寄せながら少し仰け反った。

「愛理って、あのモデルの愛理? 真希さんのいとこと結婚した?」

 担任の奥さんだということは内緒だ。うっかり口を滑らせた。

 恐る恐る頷くと、二人揃って小さく歓声を上げた。

「芸能事務所ってこと?」

「違うと思う。マネジメントは愛理さんと愛理さんの子供だけだって言ってたし」

「それを芸能事務所と言うんでしょうが」

「そうなの?」

「そうなの!」

 でも仕事内容は経理事務だ。華やかなことなど何もない。


「あ、そういえば、二人の写真を見せたことがあって、受験が終わったらバイトしないかって言ってた。ウェブショップのモデルだって。できればカレと一緒にって」

 二人が奇声を発した。ちょっとうるさい。

 開け放たれた先にいる駿くんと真野くんが何事かと視線を寄越した。なんでもないと首を振れば、二人の視線が外れた。

「うちらでいいの?」

「うん。きれい系の美紗とかわいい系の真結だからちょうどいいんだって。ウェブショップのモデルは読モみたいな素人っぽい方がいいみたい」

 モデル代が安く済む、と言っていたのは内緒だ。

「バイト代は期待できないかもだけど」

「バイト代より愛理に会える方が重要!」

「それから真結、真希さんインテリアプランナーだよ」

「マジで!」

「うん。会ってみる?」

「お願いしていい? だからか、ここのインテリア、全部デザイナーズ家具だよ。リビングのソファーなんてイタリアの有名ブランドで百万以上するはず。花歩んちっていうか、真希さんってすんごいお金持ちなの?」

「あ、元は展示品だって言ってた。社割で八割引になるって」

 真結が目を剥いた。鼻息荒く、え? 百万が二十万? 十万が二万? 一万が二千円? とぶつぶつ呟いている。場合によっては九割引やタダでもらえたりもするらしい。

 子供の頃からここに出入りしていたせいか、確かにおしゃれっぽいとは思っていたけれど、真結がここまで興奮するほどだとは思っていなかった。

 美紗までもが「道理でなんかおしゃれだと思った」と感心している。

「こんなインテリアに囲まれて、花歩は興味ないの?」

「んー、あんまり」

 そう言ったら真結に「贅沢者め」と羨ましがられた。



「ん? なんかみんないい匂いしない?」

 ソファーやローテーブルを壁際に寄せ、シュラフを広げているみんなから同じ匂いがしている。

 つい真野くんや鎌田くんに鼻を寄せていたら、むっとした顔の駿くんに阻止された。

「まさか、二人も使った?」

「ちょっとだけね」

 美紗と真結はわかる。駿くんもわかる。真野くんと鎌田くんまでもが使うとは。

 先日の話の流れから興味を持ったにしても、駿くんもそうだけれど、男の人がボディローションを使うとは思わなかった。

「これべたつかなくていいな。みんなで買って小分けにしようよ」

 腕に塗ったのか、自分の腕の匂いを嗅ぎながら鎌田くんが真結に腕を差し出し匂いを嗅がせている。真結は首筋に塗ったのか、そこを鎌田くんに嗅がせようとして、みんなの視線に気付いた瞬間、真っ赤になっていた。


 みんな部屋着で、寝る直前で、ゆるゆると寛いで、好きな香りが漂い、空気がまったりして、どこにも無理がなくて──。


「一生の友達ってこんな感じなのかなぁ」

 みんなに注目され、うっかり声に出していたことに気付いた。うわぁ。あまりの羞恥に両手で顔を隠して丸くなる。恥ずかしい。

「あー、でもそうかもなぁ」

 その声に顔を上げる。

「うちの親が言ってたけど、高校の時の友達って一生友達のままだって」

 真野くんが少し上を見上げながらそう言うと、美紗がうんうんと頷いている。

「花歩んち泊まりに行くって言ったら、うちの親、なんか感極まった感じで『やっと!』とか言っちゃって、妙に張り切っておかず作ってくれたんだよね」

 確かに美紗が持ってきてくれたおかずは気合いが入っていた。

「うちの高校、イベント一切ないからなぁ。仲間意識とか生まれないよな」

「だから部活入るんだよね。唯一のイベントだから」

 暗くなる前に家に帰らなければならなかった私は、担任から部活に入るなと言われた。それはそれで納得していたけれど、今考えるとそれでも何かの部に入っていればよかったかもしれない。

 とはいえ、どこの部に入ったかを考えると、どこにも入らなかった気がするのは気のせいか。


「そういや、渡良瀬って部活入ってたの?」

「弁論部」

 は? と思ったのは私だけじゃなかった。聞き間違えたかとみんなに視線を向けると、訊いた真野くんだけじゃなく、みんな揃って口を中途半端に開け目を丸くしていた。聞き間違えじゃなかったらしい。

 片言の駿くんが弁論部。有り得ない。


 ぷっ、と誰かが吹き出したのを皮切りに、みんなで笑い転げた。

 窓の外は暴風雨だというのに、バカみたいにげらげら笑った。


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