ふつうがいいんです ~乃彩の場合
「ノア、今から暇?」
年の瀬迫るなんて言ったら、もう過ぎてんじゃないかと突っ込み入れられそうな十二月二十九日。マンションエントランスで出会った幼馴染の皐からそう問われた。
私の手には大量のポテトチップスと飲み物。今から一人お茶会の予定だった。予定があるといえば予定があることになるが、まあ、こんなの一般的には暇の範疇だ。
きっと、見透かされていたのだろう。
生まれた時からの付き合いだ、互いにある程度は思考も嗜好も知っている。
彼は私の荷物と服装を見てニッと笑った。
「だよな。どうせ漫画読みながら食っちゃ寝だろ。フットサルしに行くから着替えて来いよ。頭数少ねえんだよ」
「えー。面倒だなあ。誰が来るの?」
「いつものメンバーだよ。兄貴に蹴人、W双子に聡、徹……後、誰か」
「それ、私必要?」
「暇なんだろ、行こうぜ。蹴り収め」
「うーん、サッカー馬鹿君たちと一緒にしないでほしいなあ。私、君たちと違ってサッカー趣味ですらないんだけど」
「知ってる。でも、できるだろ。ほら、行こうぜ、着替えて来いって、待ってるから」
何でだろう、私ってば昔から皐のこういう態度に弱い。人懐っこくて、嫌みがない。人づきあいが嫌いな私だけど、池澤兄弟は平気なんだよね。まあ、生まれた時から一緒にいるし、兄弟みたいなもんだしなあ。
私は首肯してから、のんびり階段を昇って行った。急ぐ必要はないし、突然提案したのは向こうなのだから、待たせておけばいい。
玄関を開けると、リビングから「おかえり」と言う姉の声が聞こえた。
「あれ? いつの間に帰ってきたの?」
買い物に行く直前は家にいなかった彼女を観察しながら、私は買ってきたお菓子と飲み物を棚に片づける。
「下で皐に会ったけど、お姉ちゃんも会った?」
無関心を装いながら、すぐ先程の出来事を口にする。すると姉の顔が面白いぐらい見事に強張った。
ほんと、あやつはいったい姉の沙耶に何をしたんだろうな。
「フットサルに誘われたから行ってくる。樹と蹴人も一緒だって、お母さんに伝えて」
上ずった声で了承した姉を後にして、私は動きやすい服に着替えてもう一度家を出た。
階段を下りている時に、財布と携帯電話を忘れたことに気づいたけど、取りに行くのも面倒なのでそのままマンションを出る。
「財布と携帯忘れてきちゃった。全部皐のおごりでよろしく」
「まじで!? 俺、金入ってたかな」
「ペットボトル一本150円ぐらいあるでしょ。ま、だめなら徹に借りるし」
「ノア、相変わらずのマイペースだな。財布はともかく、携帯忘れるって女としてどうなのよ」
「そうよねえ。お姉ちゃんぐらい女らしかったら、私も彼氏の一人か二人はできるんだけどね。でも、それはそれで面倒だから、丁度いいんだよ」
そう返すと、皐は何やら変な表情を浮かべた。
私の台詞でいろんなことが脳裏をよぎっていったのだろう。そこまでは判るんだけどね。
お互いに同じような顔をしていること、二人は気づいているのだろうか。
本当、あんた沙耶に何をしたんだか。
私は表情を取り繕う、同級生で幼馴染の横顔を見上げながら、内心でため息をついた。
可愛いぐらい姉を一途に思ってるのは判るんだけど、なんか、ヤンデレ気味なんだよなあ。昔から、いつかは暴走しそうな予感があったけど、今現在完全に暴走してるよね、こいつ。
中三受験生にもかかわらず、夏以降、にわかに派手になった皐のうわさに思いを馳せていると、目的のフットサル場に到着した。
「あれ? ノアちゃん?」
「こんにちは、先輩方。皐に引っ張られてきました。よろしくお願いします」
とりあえずにっこり笑ってその集団に入ってみた。
たぶん、皐を含めて、この人達はリア充と呼ばれる人達なのだ。
池澤兄弟のどちらかに連れられて、この集団に飛び入りで参加するのは初めてではない。
でも、いつも思ってしまうのだ。
私とは人種が違うよなあ、と。
何だかキラキラしていて、私にはとてつもなく眩しい。
私は幼いころから運動神経がずば抜けて良くて、運動会のリレー選手に選ばれなかった年はないし、体育もオールAで、どんなスポーツもソツなくこなす子供だった。
サッカーだって、学校内クラス対抗戦のために、当時同じクラスでサッカー少年団に所属していた皐や徹に特訓を受けただけだ。それだけなのに、どうやら私は上達が早く、一般の女の子たちよりもボールの扱いがうまかったらしい。いつの間にやら頭数が足りない時に呼ばれる要員となってしまった。
時間が拘束される習い事が嫌いで母の提案をことごとく拒んでいた私は、小学生時代、365日いつでも暇だったってことも理由の一つだ。
女子サッカークラブにでも入ればいいのにとはよく言われるが、周囲のサッカー少年たちを見ていると片手間にできるものではないことぐらいは理解できた。
そんなわけで、私は皐達に誘われれば参加する程度のサッカー少女もどきだったりする。その習慣が中三の今までだらだらと続いてしまっていた。
まあ、体を動かすことは好きだからいいんだけどね。
そんな引き籠り気味の私は、実は漫画、小説、アニメ大好きの腐女子だ。
蹴人と樹を見てはにへらと笑い、樹と皐を見ては思わず妄想し、徹と皐を見ては知らず応援でこぶしを握ってしまう。いや、別に彼らがゲイというわけではない。だけど、仕方ないじゃないか、皐といるお陰で、私の周りには妄想のおかずに事欠かない状態なんだから。
樹が蹴人に押し倒されてたり、樹と皐がキスしてたり、皐と徹が触りっこしてるだなんて、本気で思っているわけではない。
でもね、イケメンでスタイルもいい君達がじゃれ合っている場面なんて、妄想してくれとお願いされているようなものなのだ。逆に妄想の範囲で済んでいて、鼻血を噴いていない自分を褒めてやりたいものである。
だからね、キラキラその一! 無頓着に私の横に座り込んで、樹と絡まないでほしい。
その一とは蹴人のことである。彼はあろうことか、座り込んでいる樹の肩に頭を載せて寛いでいた。
やばいほど美味しい身長差。
樹が低いわけではないけれど、190cm近い蹴人と170cmを超えるぐらいの樹が並んでいると、理想的なカップルに見えるのだ。いわゆるワンコ攻めと鈍感優等生受けのジャンルかなあ。
なんてことをやっぱり考えてしまうわけで……落ち着け、私の妄想。
とりあえず、ゆっくりと深呼吸をしてみる。
「次、ノアちゃん入る?」
蹴人が私を振り返った。
あまりに唐突だったので、思わず吸っていた息を止めてしまった。
ただでさえ疲れてへたばっている私には致命的なミスである。さ、酸素ほしい。
「まだ無理じゃね? ほれ」
そう言って冷たいものを私の首にぴたりと付けたのは皐だった。
思わず「ひゃっ!」と変な声を出してしまい、慌てて口を押さえて冷たさの原因を確認する。それは500mlのペットボトルだった。中身はもちろんスポーツドリンク。
「ありがとー」
受け取って喉を潤す私の隣で、不機嫌そうな表情で樹がもたれかかる蹴人を乱暴に押しのける。
「ノアを体力馬鹿のお前と同じにするなよ。定期的に何かスポーツしてるわけでもないんだから、そんなに体力続くかっての」
あ、やばい。体力馬鹿の台詞に反応して、また妄想スイッチが入りかけた。私はそこをググッと我慢して、樹に同意を返した。
樹様のおっしゃる通りです。私はもう撃沈です。HPは残り1よ。瀕死直前よ。足なんかもう動きません。
なんてことを口にした気がする。
しばらくすると、三人とも再度ゲームに参加しに行き、一人残された私は見学しながらペットボトルの中身を飲み干した。
「疲れた?」
キラキラその二がどっさっと私の隣に腰を下ろした。
朝陽先輩だ。彼らが在学中、当時中学一年生だった私でも耳にするぐらいモテる人だった。
その代のモテ男双璧の一人。蹴人が夕香先輩と恋人同士だと皆に明らかになって以降、下級生の憧れを一身に受けていた人なのだ。
サッカー部キャプテンという肩書だけでファンが付くのがこの街の恐ろしい所だが、朝陽先輩は顔も整っていたため、それではすまなかった。少し垂れた目元は雰囲気を柔らかいものにしていたし、思わず手を伸ばしたくなるようなくりっくりのくせ毛が更に親しみを感じさせていた。そんな朝陽先輩には蹴人とは異なってファンクラブがあった。当時はアイドルでものないのにファンクラブ?って思った。そんなの小説や漫画の中だけのことだと知っていたから。いや、この場合、知らなかったという方が正しい。現実にあるんだよ、ファンクラブ。本人には一切知らされていなくて、地下活動してる感じなんだけど。合言葉は「朝陽先輩のために」だ。絶対にサッカーの邪魔をしないというのが鉄の掟だった。
聞いた時は女子って怖いと思ったけれど、数人で集まってる腐女子の会話も良く考えると途轍もなく恐ろしかったりするから、女子そのものの属性が怖いものなんだろうなと変に納得してしまったり。好きなものに対する団結力や執着心、忠誠などが半端なくて、女子の性なのかなって思う。ファンクラブのノリなんて、腐女子と大差ないよね。
「普段体動かさないので、やっぱりきついです」
ひとまず当たり障りのないことを返しておく。
皐に誘われて顔を出す度に会っている人ではあるのだが、この先輩とは数えるぐらいしか話をしたことがない。どんなふうに話をすればいいのかもわからない。
実際のところ、キラキラその一の蹴人や樹なんかは付き合いが長いのでお兄ちゃん感覚なんだよ。反対に朝陽先輩や悠斗先輩はただの顔見知りでしかないのだ。
「楽しくない?」
顔を覗き込みながら聞いてくる朝陽先輩があまりにも近くて、私は無意識に距離を開けようと身じろぎした。
「た、楽しいです」
「それは良かった。またおいで」
ふわりと微笑んだ彼の優しく響く声が耳元をくすぐった瞬間、ぞくりとした。
何だ?今の。やばい気がする。
この人を腐女子的な目で見たことはないんだけど、これはもしかして……カップリングを探せばいい感じなのかも。またもや思考がそっちへ流れ出してしまったので、慌てて目を反らして先輩の情報をシャットアウトした。この一対一の状況で腐女子的目線は良くない。
ううっ、直接目を見るのが怖い。
無言で首肯してそのまま足元を見下ろしていると、先輩は私の頭の上でため息をついた後、ゲームへと戻っていった。
とりあえず、今の出来事はなかったことにして、私は見学を続けることにする。
集まってるメンバーの男の子たちを顔で格付けするなら、地味ではあるけど池澤兄弟かなと私は思っている。この二人より蹴人や朝陽先輩の方がモテるのは肩書とか雰囲気とかの問題かなあ。腐女子的にはあの兄弟はものすごく美味しいと思うんだよね。
ああ、でも、皐はなあ。最近の動向見てるとやばい感じはある。あいつ、かなりのヤリチンに育ってしまってる気がするのだ。まだ中三だというのに。それはそれで、禁断の恋に自暴自棄になってる弟攻めと鈍感な兄受けという方向性で妄想が働いてしまう私もどうかと思うんだけど。
ただ、原因が容易に想像つくだけに、妄想でニタニタ笑ってばかりもいられないのも確かで。
夏なんだよなあ。うちの姉と何かあったのって。
中学入ってぐんぐん背が伸びて、声も低くなって、皐が異様にモテ始めたのは中学二年生からだったろうか。でも、そんなことには全く無頓着で、沙耶一筋だったのに、中三の二学期には女の子を侍らすようになっていた。大っぴらに吹聴してるわけでもないけれど、そういう話って必ずどこからか漏れてくるじゃない? 清い交際なんてレベルじゃない噂話が飛び交ってるわけよ。噂を耳にした私達も、あんた受験生の癖にとか何とか、当初は苦言も呈していたんだよね。
そしたら、志望高校を変更して、教師たちを混乱に陥れやがった。
当たり前のように沙耶を追って第一志望が一高だったはずの皐は、ランクを下げて南高を受けると言っているらしい。南高はそれなりに入るのが難しい高校ではある。私の第一志望だしね。だけど、一高でA判定もらっている人間が志望する高校でもない。未だに教師一同で説得中なのだそうだ。
遊びまわっていても成績を落とさない辺りがムカつくと同時に、腐女子心のど真ん中にどきゅんとくるんだけどね。何て幼馴染持っちゃったんだろう。
体育座りで皐月を目で追ってると目の前にまたもやペットボトルが付きだされた。
おお! 私の好きなレモンティである。
「てっちゃん、ありがとー」
ん。と軽く鼻で返事して、徹は私の傍らに腰を下ろした。
正確には「とおる」と呼ぶのが正しい。でも、何故か池澤兄弟も蹴人も「てつ」と呼んでいた。それは出会った頃からずっと。だから私も「てっちゃん」と呼ぶようになってしまった。徹も同級生の幼馴染で同じマンションの住人だけど、同じ階の皐ほどの付き合いの長さはない。とはいえ、小学校一年生からだから、十分長いんだけど。
徹は背が高くない。特別低いというわけではなくて、周囲が高すぎるから、そう見えるだけだ。顔だちも女の子たちが好むようなイケメンではないし、腐女子の妄想のおかずになるような整った顔立ちでもない。それに、こんな言い方よくないかもしれないけど、どこからどう見ても普通で華がない。だからなのか、徹といると楽で居心地が良い。背が高い方ではない私は見上げないで済むし、周囲の視線が気になることもない。人柄も優しくて落ち着いていて、人として格付けするなら、彼が絶対に一位だと確信している。
徹と皐は親友という括りでいいのだろう。傍から見ても皐は徹が大好きだ。好きな女性No.1が沙耶なら、好きな男友達No.1は徹なのだと思う。
その徹にして、最近の皐は手が付けられないというのだ。最近私に相談してくるのは皐のことばかりだ。
レモンティーをもらった後、二人並んで無言でいると、今度は夕香先輩がやってきた。
夕香先輩は蹴人の彼女で、沙耶の友達だ。うちに何度も遊びに来ている。
二人の仲もいい加減長いよなあとか、つい考えてしまった。
だって、蹴人と夕香先輩って小学校の低学年からの中じゃなかったっけ。私が物心ついた時にはすでに恋人同士だったような気がする。
「もうだめだ~」
そう叫んでへたり込む。
「体力続かないよ。むりむりむり」
「と、言いながら、先輩上手だし。あの人たちについていけるんだからすごいですよね。私なんか、もっと前に撃沈してます」
「ノアは人生の努力不足」
普段無口なくせに、ここぞという時にぽつりと痛い所をついてくるのは徹だ。
その通りなんですけどね。
「ねえ、この後、サイ〇リアで忘年会するよ。来るよね? ノアちゃん」
それは、忘年会という名のフリードリンクによる店占拠ですね。内容を正確に把握して、私はきっぱり断った。行きたくないわけではなく、物理的に不可能だった。なにしろ、財布、携帯電話を家に忘れてきてしまった。
「今日、財布忘れたので無理ですね」
「樹達におごらせればいいじゃん」
夕香先輩は軽く提案するが、高校生にたかる中学生ってどうかと思う。今でさえ、人様に飲み物をおごってもらっている状態で、更に出してもらおうなんて烏滸がましいこと、さすがにできないよ。
「うーん、でも携帯も忘れてきちゃったし、今日は終わったら帰ろうかと」
「んじゃ、沙耶ちゃん呼んで持ってきてもらおう」
言いながら、彼女は姉に電話をかけ始めた。
咄嗟に止めようと手を伸ばしかけた。でも、「それは、良くない気がする」と、夕香先輩に言えるはずもなく、内心慌てながらも、電話を止めることができなかった私は、思わずプレイ中の皐を一瞥してしまった。
面倒なことが起きなきゃいいけど。
溜息が洩れてしまったのも仕方がない。そう考えるのは私だけではないのだ。
隣で私と夕香先輩の会話を聞いていた徹が同様に嘆息していたのを、私の耳はちゃんと拾っていたからね。
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何でそういう席順になるかな。
姉の沙耶から携帯電話と財布を受け取って、私はそそくさと不協和音になりそうな二人と離れた場所に座った。向かいには徹がいてホッとしたものの、向こう端で斜め向かいに座っている沙耶と皐が気になる。二人はそれぞれ別グループの人間と和やかに話してはいるが、間にブリザードが見えるのは気のせいではないはずだ。
早く仲直りしてほしいけどなあ。
私と徹は互いに顔を見合わせながら大きく息を吐いた。
ま、いつまでも気にしていてもしょうがない。当事者が解決すべき問題で、第三者が口を出すことでもないのだ。姉たちに引っ張られそうになる意識を無理やり戻して、目の前の料理を堪能することにする。
常に無口な徹はおしゃべりな人の話を静かに聞くタイプだ。そして、徹ほど無口ではないものの無言でいることを苦痛と感じる質でもなかった私も、時折徹と会話するだけで、人間観察しながら主にピザに舌鼓を打っていた。姉達とは逆の端の席だったので、向かいの徹以外に話し相手がいなかったっていうのもあるんだけども。
「ノアちゃんってさ、蹴人と樹と皐と徹の四人のうち誰が好きなの?」
ファミレスの喧騒の中、突然隣の席に座っていたキラキラその二が声を落として聞いてきた。
私は思わず飲んでいたレモンティを吹き出してしまい、慌てておしぼりで口を吹く。向かいの徹が呆れたようにチラ見してきたので、軽く謝罪を返してから、何とか体勢を立て直した。
原因の声の主は、肩を震わせて俯いている。すごい笑ってるよね、これ。
ひとまず今の失態はなかったことにして、くっくっくと肩で笑う朝陽先輩に向き直った
「先輩、いきなり何を言うんですか。大体、蹴人は夕香先輩と付き合ってるじゃないですか」
「そう? でも、人を好きになるのに、それは関係ないしね。俺としては二人が別れるならそれはそれでいいんだけど」
笑いを含んだ声音で、何気にブラックな発言をかましてくれる。
「てか、蹴人はないです! 樹も皐も徹もあり得ない!」
きっぱり言い切ると、先輩は不思議そうに私を見返してきた。
「でも、彼らを見てる時、ノアちゃんってうっとりしてるよね。だから、そう思ったんだけど、気のせいだった? ま、俺はそういう方面については全くと言っていいほど勘が働かないから、ノアちゃんが否定するならそうなんだろうけど」
指摘された内容に、私はぎくりとしてしまう。
ウットリ見ていたつもりはないけども、心当たりはしっかりある。腐女子の目で妄想しながら四人を見ているのは日常茶飯事だ。だから、疚しいことをしている自覚がもちろんある。
背筋を冷たいものが流れていく。
気を付けてたつもりなのに、何でバレてるんだろう。この人、怖いかも。
無言で、恐る恐る先輩を見返してみると、意図の読めない笑顔が私を見ている。いつも通りの柔らかい表情なのに、どうしてか、得体の知れないものから観察されているような居心地の悪さを感じてしまった。
助けを求めて徹に視線を向けたが、彼は私の救援信号に気づくこともなく、隣の田川君の馬鹿話に耳を傾けている。こんな時に限って二人とも、ちらりともこっちを見ないし。
恨めしく思っていると、朝陽先輩は私に身を寄せてきた。
先ほどまで運動していたから、汗の匂いがするのは当たり前なんだけど、皐や徹のような少年にはない、大人の匂いがした。その事にドキリとする。蹴人や樹にこんなこと感じたことないのに。
「ほら、あり得ないっていったそばから、徹に助けを求めてる」
耳元で、またもや指摘される。そんなに私ってわかりやすいのかな。
「せ、先輩が……」
酸素を求めるように喘ぎながら言葉を紡ぐ私を、先輩が愉快そうな色をのせて見ている。続きの言葉を促しているようだ。
「さっきから変な事ばかり言うからです。みんな幼馴染みだし、好きか嫌いかっていえば好きに決まってるじゃないですか。大事な友達だし。でも、先輩の言ってるのってそういう意味じゃないでしょう? だから、あり得ないです」
「じゃあ、別に好きな奴がいる?」
「いませんよ」
率直に質問されて、即座に否定を返した。
「先輩、なんでそんなに恋バナに持っていきたがるんですか。聞き役にならなりますけど、私自身の経験は全くないから話せることなんか一つもないですよ」
「別に恋バナに持っていきたいわけじゃないんだけどね」
その後は私が気まずくなったり慌てたりする話題をするでもなく、現在の中学の状況や先輩の通う南高――そうなのだ、朝陽先輩と夕香先輩の二人は私が第一志望にしている南校に通っているのである――の話を振ってくれたので、比較区的楽しい時間を過ごした。
話相手のいない私を気遣って、先輩自身はあまり楽しめなかったのではないかと不安に思いつつも、彼がずっと微笑んでいるから、途中からはそんなこと忘れて有り難く私の相手をしてもらった。
ファンクラブがあったような人を僅かな時間でも独り占めしているのは、ちょっとした優越を感じるよね。そこはほら、私も女だから。女性の見栄っていうのとは無関係ではいられないというか。中学には未だにファンクラブの名残があるぐらいのお人だし。
お開きになるまでほぼ私の相手をしてくれていたことを考えると、なかなかの好待遇だったわけだ。
夕方の六時前には店を出てぞろぞろと家路についた。基本、みんな方向は同じだけども、一人二人と抜けていき、次第に人数が少なくなっていく。
私の場合、同じマンションに帰る面子が多いので、最後まで一人になることはない。と予想していたはずなのに、気付くと蹴人が夕香先輩と姿を消していた。更には例の問題児、皐と姉もいない。徹は早々に「俺チャリ」と言って自転車を取りに行ってる。
奴らの行動に少しばかり不満を感じている私の傍には、何故か席で隣だった朝陽先輩がいる。やっぱり優しく微笑んでいて、何だか機嫌が良さそうだ。
気が付くと、またもや他愛のない話をしながらマンションまで送ってもらっていた。
私は深々と先輩にお礼のために頭を下げ、いなくなった奴らの愚痴を口にしてしまう。だってね、誰か一人でも残っていれば、先輩がうちのマンションまで来る必要なんかなかったんだよ。
暗くなってるとはいえ時間はまだ夕方六時過ぎだから、送ってもらう必要なんかないのではとつっこみが入ればそれを否定することもできないんだけど、そこは紳士な先輩が暗い時間に女の子を一人にしたくなかったってことだ。逆にあやつらは私を一人にしてもいいという判断だったってことでもあるんだけどね。絶対女として見られてないよな。今更だけど。
内心はともかく、私は先輩が去っていくのを見送ろうとその場で佇んでいた。
そんな考えを知ってか知らずか、先輩は何やら逡巡することがあるらしく、立ち去る素振りを見せない。
さすがにおかしいなと思うわけですよ。
私は首を傾げて、先輩を見上げた。街灯の明かりの中、互いの目が合う。やはりその瞳の中に躊躇いの色が見えた。
「蹴人か樹が帰ってくるの待つんですか?」
寒い中、立ち去らない理由がそれしか思い当たらなかったから尋ねてみたのだが、僅かに目を瞬かせた先輩の様子を見るとそうではないらしい。
「こういうのは言ったもん勝ちだよな」
聞かせるつもりではない呟きが耳に届いたと思ったら、今度は先輩が目を合わせて口を開いた。
「正月三が日はいつなら空いてるの? ご両親の実家に帰ったりするのかな?」
「今年は受験生なんで免除です。一応ずっと勉強の予定です」
予想外の質問に、考えるでもなく咄嗟に応えると、すぐにそれに対しての言葉が返ってきた。
「じゃ、一月一日午前中は空いてるんだね。朝九時ぐらいに迎えに行くよ」
決定事項の連絡みたいに言われる。
まあ、マンションの幼馴染み男子達の私への扱いって、いつもこんな感じではあるけどね。
「元旦ですか? 暇だからいいですよ。皆さん、また正月からサッカーですか」
今更、未定の予定に強引な予定が入ったことへの不平を感じることもない。これが私の通常運転だし。とか思って頷いて先輩へ目を向けた。
あれ? 今、先輩って、きょとんとした表情をしていた?
目を瞬いて、もう一度彼を見上げる。だけどそこには優しい微笑みが浮かんでるだけだ。
「じゃあ、また元旦に」
「はい。いいお年を」
腑に落ちないものを感じながらも、条件反射のように返して、私は去っていく先輩の背中を見送ったのだった。
新年朝、迎えに来た先輩と二人きりで初詣に行くことになるなんて、この時の私は想像すらしていなかった。
確かに、みんなでと、私が勝手に思い込んだだけなんだけども。
更には「女の子とのデートって初めてなんだ」と、嬉しそうに、それでいて照れて頬を染める先輩を可愛いと感じてしまい、絆されてしてしまったことは、しばらくは秘密だ。
乃彩は腐女子でも十分、リア充だなと書きながら思った。
皐回がお月様に行かなければならない方向へ;;
軌道修正ができない……こういうのが書きあがると難産っていうんだろうな。
こんな状態ですが、読んでくださってありがとうございます。