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あんたなんかきらい ~沙耶の場合

全然似ていないし、間違えるなんてありえないと思ってた。大人達がよく「似た兄弟」「並んでるとどっちがどっちかわからない」と口にしているのを、いつも呆れた気持ちで聞いていた。


だって、私にはどこが似ているかわからなかったから。遠目でだって間違えたことがない。


そのはずだったのに、似ていると思い始めたのはいつからだったのか。


いつも同じ髪型で、似たような服を着始めたころからかもしれないし、兄弟の身長が同じぐらいになったころかもしれない。弟がわざと兄に寄せてきているのではないかと穿ってしまうほど、仕草に、雰囲気に、話し方に錯覚を覚え始めたのはいつだったのだろうか。




********************************




「俺、知ってるよ。沙耶の秘密」


そう告げられて、どきりとした。


彼に全く似ていないのに、ふとした仕草や私に話しかける口調がそっくりな時がある。ああ、でも柔らかなくせっ毛とか、色素の薄いところとか、似ている部分もあるか。


それもそのはずで、彼とこの子は同じ両親から生まれた兄弟だから。


だから、この子にそんなことを言われて尚更、鼓動が跳ねた。


冗談のようにそれだけ口にして。だから何だとか、どうしたいとか、結論めいたことは一切言われなかった。それが不気味で、警戒心が頭をもたげる。心のどこかで警戒音が鳴り響く。


あれに触れてはいけない、あれの声を聞いてはいけない、あれに気づいてはいけない、あれを見てしまったら戻れない。


そんな、理由のない不安が心に忍び寄る。


背が伸びて、声変わりして、ますます兄に似てきたあの子が、似ている声で言うのだ。


沙耶の望みを知ってるよと。


その声で、そんなことを言わないで。


どうして私に構うの? 放っておいてよ。それは私だけの秘密。私だけの望み。私だけの想い。


なのに、あの子は言うのだ。


「沙耶のそれは、叶わない願いだよ」


と。それは高校二年の夏。


例年より早い梅雨明けを迎えた七月の空はどこまでも青くて、肌が痛くなるほどの日差しがアスファルトに照り付ける。吹く風が熱を運び、汗ばむ肌に絡みつくのが不快だ。通りを走る車のエンジン音と、うるさいほどの蝉時雨がイライラを煽ってくる。


こめかみから頬に流れた汗を軽く拭って、私は目の前の男の子を睨みつけた。


狙ってんじゃないかと疑ってしまうぐらい、帰ってきた私がこの子と鉢合わせするのは日常だった。同じ高校に通ってるはずの彼の兄よりも、この子の方が良く顔を合わせているのは気のせいではないはずだ。


「年上趣味は池澤家のDNAだから。樹の彼女も年上だよ」


誰が通るかもわからないマンションの踊り場で、樹に似た顔が意地悪く口元を歪めて私を壁に押し付ける。二歳下で、いつも私と樹の後ろをついてきてた、弟のように思っていた男の子が、もう子供ではないことに、弟ではないことに気が付いた。


いつの間にか私より高くなっている背も、いつ変声期を迎えていたのか囁かれる低い声も、私を抑える大きな手も、その強い力も、知らない男性だった。


驚きと、恐怖と、いろいろな感情が渦巻いて、茫然としている私の唇に、軽く彼の唇が触れる。


これは樹じゃない。だけど、とてもよく似たその相貌に錯覚を覚える。


「ずっと、いつだって、こうしたかった。執念深く頑固なのも池澤家の血かな」


言葉は熱になり、彼の熱に煽られて、軽い口づけが次第に深くなるのを止められなかったのは私で、止めなかったのも私だ。


壊すよと囁かれた。いつも一歩が出ない、離れたくなくて近づきもできない距離。囁きは自ら動けない私にとっての福音だったのか。


不意に唇が離れ、不機嫌な声が耳を打つ。


「出歯亀すんなよ、兄貴」


その言葉の意味を理解した瞬間、弛緩していた私の体が固まった。私の耳に、大好きな彼の声が届く。


「悪い。お前らそういう関係だって全然気づかなかったわ。邪魔したな」


踊り場を見上げる瞳が驚きに見開かれていたが、樹はすぐにいつもの表情に戻って私たちの横を通り抜けて階段を上がっていく。


「まっ!」


待ってと思わず声を上げた私の口を、皐が再び唇で強く塞いだ。


樹は振り返りもせずに私たちを後にする。


執拗なキスと、押さえつける腕から逃れるように暴れる私の耳に、扉が開かれ、閉まる音が聞こえた。途端に、皐が唇を放して、腕の力を抜く。


ぱんっと軽い音が踊り場に響いた。


無意識に動いてしまった右手が熱くて痛い。


それでも、皐は彼と似たその視線を私から外さない。私の手形が、彼の頬にくっきりと赤く浮かび上がってくる。けれど、痛みなどないかのように、無頓着に皐の冷たい手が、私の頬に触れてきた。


「謝らない」


呟きと共に、皐が濡れた指を自らの口元へ運ぶ。


その様子で、自分が泣いていることに気づいた。涙の源泉はただ悔しいと思う気持ちだった。何に、なのかは簡単に説明できるものではなかった。


皐の思い通りにもてあそばれてしまったことが。表情一つ変えずにただ通り過ぎていった樹が。そして、それが解っていて流され、どうにもできなかった私自身が悔しかった。


「サイッテー!!」


力の限り皐を押しのける。バランスを崩した彼の隙をついて階段を登り切ると、私は急いで家へ入った。


外の暑さなどなかったかのようにひんやりとした空気が私を包み込み、耳障りな蝉時雨と通りの雑踏音が遠くなる。まるで別世界に来たかのような錯覚。


ドアの向こうから、けして先程のことが夢ではなかったことを告げるかのように階段を上がり廊下を歩く足音が聞こえた。その足音が私の背後でぴたりと止まる。彼の気配に、私は息をつめた。厚い扉を挟んでいるのだから、互いに見えるはずがないのに、判るはずがないのに、彼が私を見ているような気がする。


どのくらいそうしていたのか、しばらくすると扉の向こうの気配が消え、遠くで玄関ドアの閉まる音が廊下に響いた。


「おねえちゃん? 帰ってるの?」


リビングから妹ののんきな声がする。


私は詰めていた息を吐き出し、扉にもたれたまま、ずるずると座り込んでしまった。




********************************




私、中西沙耶は幼馴染みの同級生に絶賛片思い中である。十歳からだから七年間、我ながら結構執念深く続いていると思っている。


片思いの相手である樹と出会ったのは、生まれてすぐ、0歳の時だ。


我が家は当時新築のマンションで、入居してきた家族の半分が幼児以下の子供を抱えていた。更には残り二割が新婚という状態で、私が小学校を卒業する頃には、八割の家に子供がいるという環境だった。


私が樹と初めて会ったのは、マンションに引っ越してきて半年が経ち、季節が穏やかな春へと変わり始めた時だった。母が0歳の私を連れて散歩に出た先の公園が初顔合わせの場所だ。穏やかな天気と暖かな気温に、思わず公園デビューをしてみたくなったのだ。母が。


もちろん、赤子の私が当時を覚えているはずがない。全部、母達の思い出話から知ったことである。


私と樹、それに下の階に住む蹴人が、マンションでは同級生だった。自然、母親同士が仲良くなり、私達も毎日一緒にいるようになる。それぞれに弟ないしは妹ができ、子供の数が増えながら、一年のほとんどを共に過ごしたそうだ。


樹に関しては幼稚園のクラスも一緒だったから、帰ってきてからも夜まで遊んでいたことを考慮すると、一時期は両親よりも共にいる時間が長かったようだ。


でも、その頃は樹のこと、男の子として見たことなかったんだよね。


だって私、年長の時に友達のモエちゃんと張り合って、樹の弟である年少の皐と結婚するって主張してた記憶があるぐらいだ。モエちゃんって何故か二つも年下の皐のことを気に入ってて、登園のバスの中でべったりだったから、何か取られた感があって思わず張り合ってしまったのだ。だから、皐のことが恋愛感情として好きだったわけでもないし、樹に対しても恋愛と呼べるような感情はなかった。


実際のところは、池澤家兄弟については手のかかる弟って感じだったんだろうな。五歳ぐらいの時って、よほどじゃないと、女の子の方がしっかりしているものだから、いつだって何か抜けている池澤兄弟のフォローに回ってたような気がするもの。


だけど、年齢が上がるにつれ、関係は変わっていく。


相変わらず私達マンションの子供たちは仲が良かったけれど、それでも次第に放課後に遊ぶことが減っていった。


四年生になると、樹と蹴人はサッカー、私は金管バンドと土日を含めて毎日忙しかったというのも、マンションの子供同士で遊ばなくなった理由であり切っ掛けなんだと思う。


そして、あれは四年生の秋。土曜日の金管バンドの活動が終わった時だった。


帰宅しようと小学校の校舎から出た私達の耳に、一際大きな歓声が校庭から届いた。


気になって校庭へ向かうと、そこではサッカーの試合が行われていたのだ。


目に入ってきたのは、ゴール前に走り込む樹の姿だった。


あんな真剣な顔、今まで一度だって見たことがなかった。


「今後半で、蹴人君がさっき決めて、一対一だって!」


金管バンドの友達が興奮した様子で口にした瞬間、周囲の観戦している人たちから落胆の声が漏れた。樹のシュートしたボールがゴールバーを越えていった。


敵ゴールキックのボールを樹達のチームが奪い、またゴール前での攻防になる。


サッカーなんて全く興味がなかったのに、私達はそこから動くことができなかった。彼らから目が離せなかった。それは、普段休み時間に校庭で見るようなサッカーではなかった。体育の時間に私達がするサッカーでもなかった。同じ年の子たちなのに、知っているはずだったサッカーなのに、全然次元が違うのだ。


そして、終了の笛が鳴る。


迫力に押されて何も言えない私の耳に大人の話声が届く。


「PK? これ、代表がPKで決まるの? それって何か……」


「ブロック代表って、延長戦じゃなかった?」


校庭の真ん中の動きを誰もが固唾を飲んで見守っていた。


すぐに延長戦が始まったものの、結果は一対二で負けてしまった。


その時の彼らが、まるで映画や漫画のワンシーンのようで、違う世界の出来事のような不思議な錯覚と、アイドルに憧れるような感覚を、その場にいた金管バンドの友達皆が感じていたのは間違いない。


豪快に流す悔し涙すら素敵に思えた。


何が言いたいかというと、結局のところ、この試合で樹がかっこよく見えてしまったということだ。とはいうものの、それで即好きになったわけではないと思いたい。


だけど、その時、私の中で何かが変わったのは確かだった。


元々彼ら池澤兄弟は女性や小さな子など、弱者に優しい傾向のある男の子たちだった。つまり、子供らしく元気で明るく社交的ではあったが、やんちゃではなかった。それに、無意識にレディファーストを実行するという小学生は珍しいと思う。池澤母の教育の賜物か、彼ら兄弟はフェミニストだった。女性に優しいという意味の方だ。


教室を入るときは必ず女の子が全員入るのを待っていたり、日直などの係りの仕事で女の子が荷物を持っていると必ず持ってくれたり、早い者順で並ぶ時だって女の子を前に行かせてあげたりする。


そういえば、樹って幼稚園でも女の子優先を声高に言うものだから、男の子に呆れられたり、先生に褒められたりしてたっけな。


そんなことに今更気づいた。


気付いたらもう駄目だった。


知らない間に目が彼を追っている。


女の子に優しい樹。下級生の面倒見がいい樹。みんなが嫌がる仕事を率先して受ける樹。やんちゃ系の男の子たちを窘めて落ち着かせる樹。そして、真剣にサッカーをしている樹。


いつの間にか、どっぷり頭まで浸かってて。なのに、樹が好きだと自覚したのは割と遅くて、小学校卒業直前だった。


中学になって、なんだかんだとミーハーな女子にモテるサッカー部の面々が彼女を作るたびに樹にもいつかはできるんじゃないかと怯え、彼が私以外の誰かに片思いらしいとなんとなく察しながら、それでも樹が一高志望だっていうから猛勉強して高校まで追いかけていった。そして、幼馴染のポジションが居心地良くて、関係が壊れてしまうのが怖くて、言い出せないまま月日が流れ、高校二年生になってしまった。


このまま一生告白できないまま気持ちを腐らせてしまうのではないかと思い始めたのは、高校に入学してからだ。


皐に言われるまでもなく、彼女がいるのだろうとどこかで気づいていた。


私以外の誰かに恋しているのは中学の時から知っていたから。でも、付き合っているわけじゃないって考えることで私の中の恋心は生存していた。


なのに、あいつはそれを壊そうとする。認めたくない現実を私に吹き込もうとする。


(あれ)は敵だ。


心のどこかが悲鳴を上げながら叫ぶ。


あの存在を認めてはいけない。


恋を、想いを守るために、私の中であいつの印象が大きく変わっていくのが判った。


そして、守るべき弟格だった(あれ)は、私の敵になった。





……あれ? 話がおかしな方向に。

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