コイバナ無縁上等だ! ~朝陽の場合
面倒な奴らが、面倒な期間を過ごして、面倒な関係になった。
起こったことを平たく言えばそういうことだろう。正しくは、双子の姉が友人と正式に付き合い始めたということだ。
俺は返ってきたテスト結果に大喜びする友人達と姉を見ながら、密かに嘆息した。
昔からその関係に落ち着くことはわかっていたし、今更感が強くはあるんだけど、傍から見ていて若干イラッとするのは、まあ、許してもらおう。わかっていても、やはり心のどこかで盗られたって感じる部分があって、こればかりはどうしようもない。
双子の姉という関係上、生まれてから二十四時間いつも一緒にいたのだ。その上、男女の兄弟としては俺達はかなり仲が良かった。中学生になって部活の時間だけは異なったが、プライベートの時間は大抵同じ空間にいた。小さな頃から「やっぱり双子」と言われてしまうほど、俺たちは互いの存在が近くて、意識していなくても互いの呼吸が理解できた。それは今も同じではあるのだが、そこに蹴人という異物が混ざったのだ。喪失感があって当たり前だと思う。
「アサヒ、浮かない顔。ダメだったのか?」
許可なく俺の手元を覗き込むのは悠斗。空気が読めないさすがの悠斗クオリティだ。
「なわけねーだろ」
そう返して、手元の結果をひらひら揺らした。
「蹴人がクリアして、俺がクリアできねえわけがねえ」
「すげー、全部七十点以上だ」
目を丸くする友人に、思わず胸を張ってしまう。顧問と担任から課せられたノルマは国数英それぞれ四十点以上。それを軽くクリアし、理社も七十点以上。俺もこんなに成績の良かったのは中学入って初めてだ。
「普段からやっていれば、そのぐらいの成績は取れるってことなんだよ」
そんな俺を一瞥して、双子の姉が呆れたように言った。
「うっせーな。お前こそどうだったんだよ。見せてみろよ」
無理矢理夕香の結果を取り上げる。
そこに並ぶ九十点代の数字と最後に書かれた12番という数字に今度は俺が目を丸くしてしまった。成績なんか今まで気にしたことがなかったから、夕香のテストの点なんて見たことがなかった。まあ、日々の家族の会話で彼女が成績いいのは予想がついていたものだが。
「夕香すごい!」
声を上げたのは騒がしい蹴人と悠斗だ。
「あんたたちの勉強見てたのが良い復習になったみたい。中学入って一番良かったよ」
夕香が恥ずかしそうに俺の手から結果をもぎ取った。
ちなみに俺の最後の数字は121番。学年の真ん中より僅かだけ前だ。
「ホントにすごいよ。俺なんて、ぎりぎりセーフでノルマクリアだったぐらいだもん」
尊敬の目で見ながら自分の結果を報告する悠斗。
サッカーもレギュラー入りできなかったし、勉強もできないって、本気でやばいんじゃないか。と、思わず友人を心配してしまった。一応中学三年生受験生なもんで。
「すごくないよ。それ、樹の前で言われるとすごい複雑」
夕香の台詞に、俺達の視線が最後の一人に向かった。そういえば、昔から何でもソツなくこなすし、勉強もできた。今回の一番の功労者は何を隠そう樹だ。勉強のできない俺たちの面倒を見るように顧問に言いつかったらしい。
そういえば、俺らってサッカーの話か漫画かテレビの話しかしないもんな。できない勉強や成績の話なんかするわけない。今回顧問に呼び出されて、成績が悪いと中総体に出さないという宣言を受けた時に樹がいなくてびっくりしたぐらいだ。
全員の視線を受けて、あいつはきょとんとした面持ちで読んでいた漫画から顔を上げた。
「何?」
「今回、私の成績が上がったから、樹もそうじゃないかって話」
「え? 何? 夕香成績上がったの? 良かったね」
樹の気のない言葉に、夕香が顔をしかめた。なんとなくわかる。今のあいつの言い方だと、自分の成績は上がってなかったって感じだ。いや、ちょっと違うか、いつもと変化なしといったところか。
そう考えて、俺は嫌な考えが頭を過った。いや、だって、それじゃあ、できすぎだ。少女漫画のヒーローじゃないんだから。
「やだなあ、一高合格圏内って担任から太鼓判押してもらってる人に言われたくないかな」
心底嫌そうに夕香が口にする。
「え? 一高って、あの一高?」
「一高志望? あそこってサッカー強かったっけ?」
驚いたように声を上げる二人。俺はあまりにびっくりして声も出なかった。
一高の愛称で親しまれる県下二位の県立高校である。学年トップクラスの人間が受験するような高校だ。俺達サッカー少年には百年経っても縁のない所だと思ってた。
「サッカーは強くないよな? あそこだと自転車通学できるから、ほら、俺って親孝行じゃん?」
そう言って笑う樹に、一番驚いて、一番焦っていたのは蹴人だった。
「え? だって、同じチームで……、え?」
どうやら、蹴人の未来予定には樹が入っていたらしい。でもなあ、これだけ成績が違えば、同じ高校に進学しないってのは普通なら予想つくだろうに。そんなことが考え付かないぐらい真っ直ぐでサッカーのことしか考えていない所が、蹴人らしい。言い換えれば、ただの馬鹿、なんだけどな。
「あれ? じゃあ、夕香も一高?」
「何でそこで私もになるのかなあ。一高なんて入れるわけないじゃない。私の志望は南高だよ。近いし、吹奏楽部もあるしね。蹴人はどうせ何にも考えてないんでしょ」
「それな、先生にも言われたけど、総体終わるまで考えられねえ。でも、樹が違う高校ってのはショックだ。じゃあ、高校では敵同士だな!」
ビシッと人差し指を突き出して宣戦布告をする蹴人に、樹が呆れた様子で息を吐いた。
ああ、なんだ。そういうことか。
今のやり取りで分かってしまった。デジャヴではないが、似たような光景を経験したことがある。あの時、ずっと一緒にサッカーをしていけると思っていたのは俺で、あきらめた様子で息を吐いたのは姉の夕香だった。
小学生の時は今がずっと続くのだと本気で信じていたのだ。
変化は訪れるものであることを理解したのはいつだったのだろう。
自分は変わらないつもりでも、周囲が勝手に変わっていく。夕香と蹴人のことだってそうだ。
いつまでも小学生ではないし、いつまでも中学生でもない。
そう、いつまでも子供のままではいられない。
こんな風に学校が終わって、部活が終わって、みんなで集まってくだらないことで盛り上がって、そんな瞬間がいつまでも続くわけじゃない。
夕香も蹴人も樹も、どんどん変わっていく。変わってないように思えるけど、きっと悠斗だって変わっていくのだ。なのに、俺だけが変わらない。変われない。だから、置いてきぼりを食ったような悲しい気持ちになってしまうのか。
嫌でも変わらざるを得ない時がすぐにやってくる。夕香がサッカーを辞めた時のように。夕香が俺ではなく蹴人の隣に座るようになったように。
何しろ俺たちは中学三年生。人生の分岐点にいるのだから。
「とは言ってもだ! 俺たちの目標は中総体で県大会優勝だ。受験なんかくそくらえ、高校のことなんて知るか! ちゃんと条件はクリアしたんだ、負けるまで、目いっぱいサッカーするぜ!」
サッカー馬鹿が両手を突き上げて雄叫びを上げた。その横で、釣られた夕香と悠斗が小さく片手を上げかけ、はっと我に返って自己嫌悪に陥っていた。
ホント、ある意味暑苦しい奴だよな。チームメイトとしては頼もしい限りではあるのだが、友達にはなりたくないタイプである。
そんなコントなど、気にした様子でもなく、時計を確認した樹が腰を上げた。
「俺、帰るわ」
「樹、オレも」
慌ててかばんを掴んで立ち上がろうとした蹴人を、樹が左手で押し留める。
「いい。お前は夕香ともう少しいろよ。忘れ物したから学校寄って帰るから。じゃあな」
部屋を出た樹が母さんに丁寧な挨拶している声が聞こえた。勉強とかではなく、そういう所、すごいなと素直に思える。あいつは昔からそうだった。
玄関が閉まる音がしたので、ふと部屋の窓からあいつが走り去る後姿を眺めてみた。陽が落ちてきたとはいえ、七月の午後七時ではまだ明るい。しかし、角を曲がるとその背が見えなくなった。
「樹って、忘れ物多いよね」
「そうそう。学校に持ってくるのは忘れないくせに、持って帰るのは忘れんだよ。昔っからさ」
俺が窓の外を眺めている間にも三人は樹を話のタネにしている。
「今日は何忘れたかな」
「取りに戻るってことは、明日提出のプリントかな」
「あー、それは俺でも取りに戻るなあ」
明日提出のプリント、という所で、俺はピクリと反応した。それに夕香が気付いてこちらを見る。
「どうかした?」
「やっべえ。俺も忘れたかも、プリント」
カバンの中を探ってみたものの、肝心のプリントが見当たらない。気づいた瞬間には、部屋を飛び出していた。今なら樹に追いつくだろうか。靴をひっかけ外に出る。頭上から俺を応援する声が響いた。賑やかなそれらの声を背に、俺は走り出した。
校区の端っこである蹴人や樹とは異なり、俺の家は校区のど真ん中にある。中学まで歩いて十分かからない。軽く走っていけば三分ほどで学校に着くだろう。家を出た時の樹は駆け足だったが、全力で走っているわけではなかった。なら、オレが全力で走れば学校に入る前ぐらいで追いつくかな。
そんな目算で街並みを駆け抜ける。伊達にサッカー部で鍛えているわけじゃない。幹線道路にかかる歩道橋の階段を三段抜かしで全力で上り、渡った後はまた全力で下りる。全力で走るぐらいへでもないが、結局学校に、それも教室にたどり着くまで樹に追いつくことはなかった。その上、すれ違ってすらいなかった。
「おかしいなあ」
呟きながら机の中を探ると、明日提出のプリントが奥の方で丸まっていた。ちゃんとそこにプリントがあったことにほっとしながらも、樹とすれ違わなかったことに釈然としないものを感じる。
「まあいいか」
独りごちて、プリントを小さく折りたたむとポケットへと入れた。
早く帰ってやらないと、夕香と蹴人と一緒にいる悠斗は居心地悪いだろうな。そんな事を考えながらとぼとぼ中学を出る。辺りは大分暗くなっていた。
全力で走ってきたから、帰りまで走る気にはならない。そのまま歩道橋の下まで来ると、どっと疲れが出てきた。先ほどは夢中で走っていたので何も考えなかったが、またこの歩道橋を上がって下がるのが面倒だ。とはいえ、信号まで迂回すると結構な距離の遠回りになる。
右の信号、左の信号を見て、そこから薄闇に浮かぶ歩道橋を見上げた。
あれ? ぼんやりと人影が見える。
中学の制服を着ているし、状況から樹だと判断して、声をかけようと口を開きかけた。そこで、俺は動きを止めた。呼びかけてはいけない気がしたのだ。そう思ったのは、あいつの隣に女の子らしい姿を見たからだ。
その子は制服じゃなかった。顔が見えないので、誰なのかわからない。けれど、酷く樹と親しげに見えた。
俺が声をかけるのを躊躇ったそのわずかな時間、歩道橋の二人が足を止めた。そして二人の影が重なる。
知らず、俺は口を両手で押さえていた。
だって、今のって今のって今のって、ほら、あれだろ、あれ、あれだよな。
うまく思考が回らない。
漫画とかドラマとか映画とか、そういうのでは何度だって見たことがある。話にも聞いてるし興味もある。だけど、俺と同じ年で、俺と同じように部活動漬けで、恋愛なんて俺と同じぐらい経験なさそうなあいつが、当たり前のように、自然にその行為を行っていることに俺はびっくりするぐらいのパニックに陥っていた。
多分これが夕香や蹴人ならこんなに驚かなかった。おそらく寂しさを感じながらも納得する自分がいたのではないかと予想する。そうだ。恋人同士ならキスするのも変じゃない。
樹は、隣にいるその見えない誰かとそういう関係なのだろうか。
今まで誰もそんな話したことなかったし、本人も匂わせなかったけど。
不意に、先ほど自宅にいた時に感じた想いが甦る。
変化は訪れるのだ。自分が変わらなくても周囲が変わっていく。そして、俺自身も強制的に変えられてしまう。子供ではいられない。
どれぐらいの時間そうして固まっていたのだろうか。気が付くと周囲は完全に暗闇の帳が落ちていた。幹線道路を走る車のヘッドライトが歩道橋の下を明るく照らす。しかし、暗闇に包まれた歩道橋上には、すでに人影はなかった。
まるで白昼夢のように乏しい現実感。
俺は慌てて歩道橋の階段を駆け上る。けれど、やはりそこに人影はない。
見間違いではないはずだ。
釈然としない気持ちがすっきりした。学校への忘れ物の多いことだとか、すれ違いすらしなかったことだとか、すとんと収まるところに収まった。
あいつ、のほほんと、恋愛に興味ありませんって顔して、ちゃっかりやることはやってやがる。今更ながら先ほどの光景を思い出して、俺は耳まで赤くなるのを感じながら歩道橋を後にした。
結局、樹の相手が誰だったのかは判らなかった。判らなかったけど、隠してるってことは知られたくないってことかなあと、ぼんやり考えながら。
家に辿り着いて、顔の赤みも収まっていた……と思いたい。俺は部屋をきょろきょろ見回し、姿がない一人を探す。荷物もなかったから、帰ったと考えるのが妥当だろう。
「悠斗は帰ったのか?」
まあ、もう時間も遅いからなあ。まだいる蹴人の方が問題だろう。なんて、常識的なことで頭を巡らしていた俺に、蹴人が口を開いた。
「彼女から電話かかってきたからな」
「彼女?」
「ん? ああ、彼女」
それがどうしたとでもいうように、蹴人が俺を見返した。隣で夕香も当然のごとくそれを聞き流してる。
二人の様子から、知らなかったのは俺だけだと悟った。
ブルータス、お前もか!
それを言ったのはローマ時代の偉い人だった。信頼していた臣下に裏切られ、刺されて絶命したんだっけかな。いや、俺は死にはしないけどさあ。でも心境はそんな感じだった。
どうせ、俺は恋愛音痴だよ!
おかしいなあ。ちょびっと双子愛風にしたかったのに、ならなかったよ。
思春期の恋愛話に混じれない置いてきぼり感が前面に出てしまった。